2006年09月17日

センチメンタル・セプテンバー

自分がカラオケで歌う曲(時にはリクエストされる!?)の中に
舟木一夫の「高原のお嬢さん」という曲がある。
今から約40年以上も昔の曲である。
そしてその曲は、「東京の秋は寂しい...」という歌詞で終わる。

東京という大都会に住んだ時間が、故郷で過ごした時間をはるかに上回っている。
東京の秋は確かに寂しい。
太陽が燦燦と輝く華やいだ夏から、日暮れる時間が徐々に早くなる東京の秋は、
ネオンが輝けば輝くほど、何気に寂しくさせる。

9月14日、新聞・テレビ等のマスコミ各社は植草一秀・名古屋商科大学客員教授の
「電車内での痴漢行為で逮捕」のニュースを報じた。
同氏は2004年4月、JR品川駅構内で手鏡を使い、女子高生のスカートの中を覗いた
として現行犯逮捕された経緯がある。
以来苦節2年、ミラーマンと揶揄されながら、ようやく現職に就いたばかりである。

同氏とは(同じジャンルで執筆する仲間として)軽い知り合いである。
東大経済→米国留学→野村総合研究所主席エコノミスト→早稲田大学院教授との
超エリーコースを歩んでいたが、同事件発覚で早稲田大学院教授を解任されていた。
同氏に関して”黒い噂=どうにもならない性癖”は野村時代から言われていた。
会って話していれば感じないが、酒を飲むと、しかもあるレベルを超えると豹変する。

同氏は、ミニスカの女子高生に異常な興味を持つ。
確かに最近の女子高生のミニスカは、これでもかとばかり極端である。
例えば、エスカレーターを上がる際には目のやり場に困る。
手で尻を押さえるくらいなら、そんなに極端なミニスカを履かなければと思うが、
何しろ『人生最大にして最後の発情期のメスの様相』だから誰も手に負えない。
「見ても怒る」「見なくても怒る」「無視しても怒る」意味不明の女子高生という
意味不明の種族に、完全に屈服された格好である。

女子高生のパンツを見たからってどうする、というのが一般人の考え方である。
確かに”ドス黒い欲望”を全く感じないわけではない。オオッとは思う。
ただそれを公然で具体的な行動に移してどうする!!
風俗にでも、行って”死ぬほど”&”あきるほど”好きにやったらいい。

金融関連のメカニズム等の難しい研究をしていれば、確かにストレスは溜まる。
その溜まったストレスを発散する方法は百者百様。
酒を飲むのもよし、風俗に行くのもまたよし。勝手にやればいい。
しかし痴漢行為で一回捕まって、苦労して社会復帰して、またぞろ現行犯逮捕
されてしまえば、「馬鹿は死んでも直らない」では済まない最悪のパターンである。

如何に優秀な同氏も、これで人生オシマイ。
実刑を食らっても致し方ない。
発情期のメスに完全にギブアップ。男とは哀しい生物ではある。
それ以上に、同氏の周囲の家族の悲しみはいかばかりか...

センチメンタル・セプテンバー。
留置場の同氏は、今何を考えているのだろうか...

2006年09月13日

お帰り、松井!!!

今日は朝からソワソワしていた。松井の4ヶ月振りの復帰戦。
中継するNHKも張り切って(?)、通常は8:00開始の放送を
7:50からに切り上げた。

自分に仕事は、NY市場のクロージングの状況をチェックする必要が
あることから、3:30~4:00AMから開始する。
そうして一区切りつく8:00AM前後から朝食というパターン。
その朝食に欠かせない、”絶好のオカズ”になるのが、松井のいる
ヤンキース戦いだった。
しかし松井が手首を骨折して以降、必然的にヤンキース戦の中継
がなくなり、早朝仕事後の楽しみがなくなっていった。
「どうせ松井がいないんだから」という口実を作り、深酒をするように
なっていった。この4ヶ月、酒浸りの毎日。歩く奈良漬状態。
これまさに”(負の)松井効果”だった。

8番DHで先発。”何、8番?”とは思ったが、結果が出なかった場合の
トーリー監督の配慮と思い、(シブシブながら)納得。
松井の出番は1回に早くも回ってきた。
凄かった!!球場全体のスタンディング・オベーション。
「お帰り松井!」「Well Come Back」の日本語・英語の入り混じった
垂れ幕が乱舞する中、球場全体が騒然となった。
結果はドン詰まりのセンター前のタイムリーヒット。
その後は、左前、中前、中前の4安打。
8回の最終打席では四球を選んだが、あれは明らかに松井の三振。
だが、今日の球場全体の雰囲気を考えれば、まさに”ご祝儀”。
4安打を打った後の、主将・ジーターの呆れ顔が印象的だった。

自分が長年研究する、相場の神様W.D.ギャンは
『神がひとりの人間に与える幸福の絶対量は平等である』という。
甲子園時代、巨人時代を含めて、松井は絶対やらねばならない場面で
必ず結果を残してきた。
こうした劇的な場面で、劇的な活躍が出来る裏には、負の部分が必ず
あるはずである。
要は、「見えないところで、考えられないような努力をしている」ことになる。

試合後のインタビューで松井も言明していたが、
2006年9月12日のヤンキーススタジアムでのスタンディング・オベーションは
松井以上に一生忘れない。

サッカー日本代表に、富山の星(ラメーン屋の息子)柳沢敦がいるが、
あの馬鹿さ加減はホトホトあきれるばかり。
”北陸の星”松井ありがとう。もう松井しかいない!!


2006年09月11日

季節の変わり目 -夏から秋へ-  

自分が今住まいしている所は、墨田川沿いのウォータフロントと
称される一帯にある。住み始めて10年を超えた。

東京海洋大学(旧東京商船大学)に近く、環境バツグン。
今までいろんな所に住んでみたが、これ以上の所はないと
思っている。築地市場に至近。銀座まで歩いて15分。
六本木まで大江戸線で15分。

そして隅田川に沿って、中央大橋から続く3キロの遊歩道では、
アレッと思う有名人に遭遇する。
最近よく出会うのは、元横綱・栃の海関。確か引退&定年退職
されたとは思うが、ダイエットされたらしく”体格のよい普通人”。
チャリで走られている他、美人の奥さんとよく散歩されている。

界隈には(とてつもなく高額と噂される)介護マンションがある。
そのマンションには専用(=手押し車専用の)の”夕涼み台”が
設置してある。
川の中まで張り出すその専用台は、そこに立つとまるで川面に
いるような涼しい風が吹いてくる。
当然ながら冬は寒いが、夏の涼しさには変えられない。

実は、その板張りの専用台を、トレーニング場所として利用させて
もらっている。
ラジカセを持ち込んで、好きなCDを聴きながら、約1時間のエクササイズ。
今では、専用マンションの住人とも顔馴染みとなり、何かと応援(?)
してくれるまでになった。
こうなったらしめたもの(?)。ギャラリーがいると尚更に力が出る。
(良い方の)”スパイラル現象”が起きている。

毎日自然に対峙していると、季節の風に敏感になる。
最近の風は確かに優しくなった。
暑いことは暑いが、真夏の容赦のない暑さとは違うのである。

夏。思い出の夏。何かが起きる夏。
今までの思い出として、強烈に印象に残っているのは、東京と
実家のある富山をチャリで走破したこと。
但し、今から約20年前のことである。

為替取引で大敗した自分は、気分一新、”何かをやらねば”と
模索した結果、東京→富山の走破を思いついた。

走行距離約550キロ。1日150キロ。3日半かかって完走した。
気がついたのは、日本の道路標識の正確なこと。
地図は余り必要ではなかった。

困難だったのは暑さと、山登り。
エンジンは自分の体だから、吹き出る汗が塩になった。
ポカリスエットは1日最低10本程度。
「朝からカツ丼」といったガソリンを注入する他、甘いものが
やたら欲しくなった。アンパンなどの類をむさぼり食った。

宿泊場所は、駅のベンチか海の家。
疲れ切っていたから、どこでもドロのように眠れた。
山登りは最初からあきらめた。
チャリを引っ張って、テクテク歩いた。
歩くのと、走るのと同じスピードだったからである。
ただ下りの爽快さか格別だった。”楽あれば苦あり”のパターン。

夏から秋への風を感じていると、何故か当時の走行過程を思い出す。
一度経験した達成感から、「東京→上越方面→日本海沿い→富山」
と「東京→名古屋→高山→富山」と二度も経験した。

この話をすると、驚くよりはアホかという顔をされる。
確かにアホだった。
ただ、今はその時のアホみたいな馬力はない。残念ながら...


2006年09月10日

若い女性のフェロモンという”凶器”

山口県・周南市で起きた高専女子殺害事件が話題になっている。

巷間では「殺された女子学生がかわいそう」という声が圧倒的に
多い。当然ながら災難だったと思う。 
しかし自分は、結局は自殺した「殺した同級生の男子学生」も
同様に災難だったと思う。
輝ける将来ある人生、両者の無念さは押して知るべしである。

19歳から20歳の女性は、人生最大にして最高のフェロモンを振り撒く。
古くから言われる「番茶も出花」というパターンだが、子供を産む運命
にある女性にとって、”優秀なタネを引き寄せる”ために、ごく自然に
成せる技ではある。
肌を極限まで露出するは、短いスカートをはくはで、これでもかとばかり
攻めてくる。

しかし身近にいる男性にとっては耐えられない。
独特のフェロモンに対して敏感に、時には極端にそして異常に反応する。
相手が応えてくれる場合はともかく、拒否された場合は”塗炭の苦しみ”
を味わう。
昔の小説では、こうした一連の「青春の苦しみ」を美しく書き過ぎていた。
全てがキレイごとではあった。
若い女性を愛する=肉体を占拠したいという、ある種の”ドス黒い”欲望は
誰にだってある。
表に出せない、あるいは我慢して出さない、あるいはヘッジをかけて逃げる
だけである。

大都会では逃げ道はたくさんある。
そのための場所は、ソープだって何だって(カネさえ出せば)いくらでもある。
しかし田舎ではそうはいかない。
狭い世界で、好きな女に拒否されて、一体どうせよと言うのか。
苦しみ抜いて、最後に出す結論が「元凶がなくなれば楽になる」という
短絡的なシナリオである。

時間が過ぎ、「昔あれだけ好きだったことが馬鹿に見える」のが
現実である。
何故なら相手には往時のフェロモンがきれいさっぱり無くなって
いるからである。
そんな対象にドス黒い欲望を抱いた自分がアホに見える。
要は「若い女性の出すフェロモンは凶器である」ということである。

勿論、女性側にも罪はない。
キレイになろうとか、キレイにしようという意志があっても、(特別の
場合を除いて)追い詰めることまで考えていない、と思う。
しかし、ごく普通にやっても、男性側にはそうは映らないのである。
かくして、殺された女子学生も災難、殺した男子学生も災難という結論に
達する。

50歳をとうに過ぎた自分も、若い女性の出すフェロモンに勝てる自信がない。
自信がないから、体内の免疫性強化という名目で、できるだけ”うつくしいもの”
に触れるべく、銀座・六本木を俳諧するのである。
単なる言い訳だが...

豪州という名の楽天地

しばらくブログにご無沙汰してました。

暑い上に、決算の雑務に追われ、その上通常の”飲み”を
繰り返していたからです。
周囲から「ブログに書き込みをしろ」との暖かい(?)
お言葉=叱咤激励=脅迫を戴いておりますので、
今回は(一気に)3発ほど書いてみます。

最近豪州=オストラリアが人気である。
原油の高騰で、資源の産地である豪州ドルも対円で
88~89円台の高値で推移している。
豪州向け投資も、証券会社各社の煽りで、絶対人気。
しかし、いつもながら”美味しい思い”をするのは証券を
中心とした金融だけである点をお忘れなく!!
(豪ドルを巡る金融メカニズムについては、また別途に)

今回言いたいのは豪州の土地柄・国柄について。
豪州は元々が英国の流刑地。
金融のセンター・シドニーにしたところが、首都・メルボルン
にしたところが、英国基調である。

確かに日本との時差が2時間で、温暖な気候である点は
日本人向きである。
従って、ゴールド・コーストを中心にした観光地は、日本人が
一番好きなハワイに似て、ことのほか心地よい。

しかし最近では、豪州に永住するとか留学するとの傾向が
ある。
豪州はほんとに「終の棲家」になり得るのか?
豪州はほんとに「留学に足る場所」なのか?

元々、海外に”語学留学する”のは全く意味がない。
何故なら、「語学の基本ができていない」のに海外に行っても
「語学を覚えられる=身に付くはずがない」のである。

「ピロー・トークで覚えるのが一番」=異性の友人と深い関係
になる、というのは確かに語学上達の最大の近道ではある。
しかしそれでは正式な語学とは言えない。
読み・書き・話すという三大用件を満たすには、”基本”が必要
なのである。

自分の知る限り、日本人で豪州に留学した場合、99%が現地
の日本人と”くっついて”日本に帰ってくる。
何故そうなるか?

それは南太平洋に対峙する豪州の自然が(日本に比して)余りに
大きく、自分がちっぽけに見えてくるからである。
当然ながらノスタルジックな気分が先行し、キタナイものもキレイに
見えてしまうのである。
また日本人向けの娯楽が極端に少ない。当然ながら、映画もテレビ
も番組全てが英語でできている。

かくして手っ取り早く・的確に自分の意志を伝えることのできる
日本人とくっついてしまう、というパターンになる。
逆を言えば、それだけ豪州の自然は凄いということになる。

自分が頻繁に行っている”のりの”の店長、イッコー(一行)さん
が豪州に行くと言って準備中。
「豪州に行って修行してきたら」と言ったのは紛れもなく自分。
ただ「以下の点を守ってくれたら」との条件付きだったはず。
『日本から自分の好きな女性を連れて行く』。

彼はこれを渋っている。
好きな女性がいる気配だが、攻め切れない模様(?)
ただ豪州の自然を馬鹿にしてはいけません。

豪州は元々が自然が売り物。
自然を前にすれば人間はほんとにチッポケ。
チッポケと思った瞬間、人間は本能のまま行動するのです。
(何度も言うけど)
キタナイものがキレイに見えてしまうのです。

そこんところヨロシク、イッコーさん!!!

2006年09月06日

『バフェット的こころ』-賢人と言われ始めた理由-

巨大投資会社・バークシャ・ハザウェイを経営するウォーレン・バフェットが、「オマハの賢人」と言われ始めている。約2ヶ月前に370億㌦(4兆3千億円)もの寄付を表明して、世界を驚かせたことが原因には違いない。
結果として、「最も成功した投資家」「世界第二位の資産家」として知られたバフットは、いきなり「史上最大の慈善家」との評価を得ると同時に、「オマハの賢人」との評価を得ることになった。
そして「一度買えば数十年は持ち続ける」とういうバフェット流投資哲学が見直され始めている。この点では、短期の売り抜けで批判を浴びた日本の村上ファンドとは根幹から異なる。かと言って、経営者が無能でも取引関係維持を名目に株式を持ち続ける日本的な安定株主ともそのスタンスは異なる。
バフェットは「事業の安定性」だけでなく「経営者の資質」も判断した上で投資する。総合すれば「物言わなければならないような企業に投資しない」スタンスであるには違いないが、結果的には「安定株主=物言う株主」になってしまうのである。
飲料やひげそりなどの“ローテク”を中心に投資先を選択するバフエットと、ハイテク業界の旗手であるマイクロソフトの創業者ビル・ゲイツの接点は、表面的には見当らない。そしてバフェットは、「変化の激しいハイテクは理解できない」として、マイクロソフト株には投資していない。
ところが、今回の寄付金の大半がゲイツ夫妻で運営する世界最大の慈善団体に送られることになった。そのポイントにあるのはバフェットの相続に関する考え方にあるようである。ビル・ゲイツが慈善事業に傾斜したのは「多額の資産相続は経済格差を助長するから、自己資産の99%は社会へ還元する」という、15年に及ぶ家族ぐるみの付き合いの中で生れた“バフェット流発想”が原点になっているというのである。
自分が研究し続けているW.D.ギャンは「神が人間に与える幸福の絶対量は平等である」としている。要は「(相場等で)大儲けした者はどこかでその代償を払う運命にある」ということである。世界的な資産家になるために幸福を使い切ってしまうと、精神的あるいは肉体的な部分で何かしらの障害が出てくるという論理である。
米国の資産家はこの命題対し、実に忠実なようである。自分では使い切れない膨大な資産を社会に還元することによって、「神が与えた平等な幸福」を享受するというスタンスであろう。そう言えば、(最近ではとんとその動向が聞かれなくなった)ジョージ・ソロスも、相場で大儲けしては寄付を繰り返していた。
余りに膨大な資産を創ると、自分自身が怖くなるようである。ある種うらやましい話には違いない。とは言え、「バフェット的こころ」は万民の大きな指針ではある。

2006年09月05日

『サラ金の帝王の死』-銀行の総サラ金化の影で-

消費者金融「武冨士」に君臨した武井保雄・前会長が8月10日、肝不全で死去した。享年76歳。金融のグローバル化の中、日本の銀行総サラ金化の中での死だった。
今から約20年前、本社が東京駅・八重洲口にあった頃、武富士から招聘を受けた。当時は激しい取り立てに対する「サラ金地獄批判」を乗り越え、86年に店頭公開した直後であった。国際的な見地から、インパクト・ローン(外貨の転換による円の調達)を中心に、海外から資金調達をするための特別チームへの招聘であった。
80年代前半、外資系金融は競って武冨士を始めとするサラ金に融資していった。国内企業より割高な金利で貸し出すことが可能であったから、結果を追及する外資系金融には格好のターゲットではあった。担当者との交渉の中で、武富士からの招聘は突然の話ではなかった。相応の条件を提示され、入社書類を届ける寸前までいった。
ところが、その必要書類の中にある「親の承諾書」が問題だった。当時実父は既になく、母親の直筆サインと陰影が必要だった。初っ端から泣かれた。「サラ金に入れるために育てたのではない」「親戚に顔向けができない」。
巻紙に毛筆の至極丁寧な“ラブレター”をくれた(当時は社長だった)武井さんにその状況を伝えに行った。「仕様がない。縁がなかった」。武井さんはそれだけ言って、応接室から消えていった。
杉並区にある「真正館」と名付けられ、地下にプールや大浴場のある総面積1,400坪のドでかい“自宅”に何度も招待された。周囲を3メートル近くある壁に囲まれた豪邸には、“牛みたいな”番犬が数匹いた。追っ掛けられた時には一巻の終りかと思った。
艶福家であり、愛人は片手で済まないと言われた武井さんであった。当時の武富士本社受付、社長秘書の美人度はトリプルA。これ全部武井さんの愛人かなどと思った。しかし、奥さんの博子さんは優しかった。武井さんがネギの産地の深谷出身という話を持ち出すと、昔の主人は苦労したのよなどと相好を崩し、これでもかと盛大に料理が出た。
これまでサラ金のボロ儲けを支えてきたグレーゾーン金利が一本化され、最高金利が低く抑えられることは確実になってきた。そうした環境の中、消費者金融大手のほとんどが既にメガバンクか外資の系列に入っている。独立系は武冨士とプロミス。金融庁は消費者金融をメガバンクか外資の傘下に入れることでコントロールしたいとの意向である。
金融のグローバル化で、日本の銀行のサラ金化が顕著になっている。一時は徹底的に忌避した消費者金融を取り入れることによって、日本の金融は必死に生き残りを図っている。こうして、経団連のメンバーにもなった武井さんは次第に追い詰められていった。
確かに暗い過去を持つ武井さんではあった。サラ金時代の終焉。ただ偶然にしろ、そうした“希代の寵児”に出会う機会があったことを幸運に思っている。合掌。

2006年09月01日

『ゴルフ場入場者2年振り増』-日本式ゴルフ文化の崩壊-

80年代から90年代前半にかけ、日本には世界に類を見ない日本式ゴルフ文化が定着していった。端的に言えば、銀座・赤坂・六本木等の世界有数の盛り場と同様の、ゴルフ場と言う名の接待場が、日本のいたる所で出来上がったのである。
接待場であるがゆえに、“紳士のスポーツ”と表象して、独特の文化を醸成していった。半ズボンは基本的に禁止、襟なしシャツ禁止等から始り、ハーフを終了した時点でアルコール付きの重い食事を取るといった、スポーツとは程遠い環境が出来上がっていった。
豪華にして高価なレストラン、温泉もどきの豪華絢爛の大浴場、お持ち帰り用の高価なおみやげコーナー等、世界のゴルフ場にはみられないセッティングがなされた。今から考えれば、ゴルフ場自体がバブル絶頂期の象徴でもあった。
こうした一連の流れは、金融界でも同様であった。接待される方、接待する方を含めて、自分の年間の最多ラウンド数は約80回。土・日連チャンも当たり前。ウィークデーは銀座・赤坂・六本木での飲み、そして週末はほとんどがゴルフという世界。
今から約20年前、伊東・川奈ゴルフコースでプレイする機会があった。海沿いにあり、海風に影響される日本でも有数の難しいコースではあった。当然ながらスコアは無残。忘れられないのは、ついてくれたベテラン・キャディの“うるささ”、隣接したレストランに入る際に上着着用を義務付けられた点。日本式ゴルフ文化の象徴ではあった。
こうした一連の環境は、バブルが崩壊するのと同時に、当然のように崩壊していった。日本の名門ゴルフ場は次々に経営破綻、米投資ファンドのローンスター系と、米ゴールドマンサックス系を中心に、文字通り外資の“草刈り場”となっていった。
バブル崩壊から約10年、ようやくゴルフがスポーツとして定着する傾向が見え始めた。日本経済新聞社がまとめた2005年度の「ゴルフ場主要コース調査」に拠れば、1コース当たりの平均入場者数は49,813人と04年度から2%増加した。前年度を上回るのは2年振り。最終黒字を確保したコースの比率は65%と6ポイント近く上昇した。
また、1990年代前半から下がり続けてきたプレー料金が下げ止まり傾向を見せ始めた。05年度の休日ビジター料金は平均で20,910円。但し、2005年度に値上げしたゴルフ場は15%の33コースと、値下げした12%の26コースを上回った。
論評としては、ゴルフ場の再建と淘汰が進み、景気回復や団塊の世代の退職に伴い、シニア客を中心にゴルフ回帰したとしている。バブル絶頂期には名門コースでの休日プレイ代金が50,000円が当たり前であったし、昼食代やプレー後の食事(飲み)代を含めると10万円にもなったことを考えれば隔世の感だが、このまま順調に行くかどうか。
問題なのは、自分のように、80年代に一生分のゴルフをして、もはやゴルフそのものに興味がない者が多いという点であろう。

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