2006年12月30日

豪州にいるイッコーさんへの公開年賀状

イッコーさん
(遅ればせながらの)メリークリスマス!
(少々早目の)明けましてオメデトウ!

元気ですか?
日本と真逆の真夏の豪州のクリスマス&正月は如何?
仕事に慣れた?彼女できた?メシは美味しい?

こちらは相変わらずの毎日。
最近は特に日の経つのが早く感じます。
毎週末にレポートを書いているけど、50回書くと一年が終わる計算。

いつも年末の時期になると思う。
「今年も酒ばっか飲んで、ダラダラ過ごしただけじゃないか?」
「こんな野良犬みたいな生活、来年は大丈夫なのだろうか?」

六本木のりのは相変わらず。
店長の川さんは、寝る間を惜しんで(!?)の新作料理研究、
カトーさんは相変わらずのヌーボーとした風情の中で、
何気に店の雰囲気を盛り上げ、
キッチンの祐介クンや、哲郎クンも川さんと和気藹々。
紅一点の聖子ちゃんもキビキビと女っぷりを上げ、
剛宜クンも2007年の3号店開店に向けて虎視眈々。

そしてそして、富山から、と言っても実家のすぐ側の出身の
倉本クンという若者が新規参加。
ここが六本木か?という雰囲気になってきました(笑)。

自分の住まいしている佃の風景も相変わらず。
ただ佃には、あの長島・巨人軍終身名誉監督も買いに来たという
焼き豚で有名な精肉店があって、年末になると、
都内だけでなく、関東一円から車で買いに来る客で100メートル程度
の行列ができる。
その行列を目にすると、あぁまた年末か!と思う次第。

最近、寺尾聡の「復刻版・ルビーの指環」というCDを買いました。
バブル直前の日本で一世を風靡した曲だけど、知ってますか?
寺尾聡はいまでは俳優(父上は超有名俳優の故宇野重吉)だけど、
1980年代前半は歌手としても活躍してた。

その「ルビーの指環」は、1981年の音楽関連各賞を総なめにした曲で、
1980年代の六本木界隈・伝説の飲み屋街、旧竜土町をイメージしたと
言われているシブ~イ曲。
この曲を聞くと、当時通っていた店にいつもカウンターにいて、何気に髪が長くて、
切れ味の鋭かったキレイなおネェさんを思い出す。

単なる推定だけど、今回の復刻版・ルビーの指環は、
2007年春に、旧防衛庁跡地に完成するリッツ・カールトン・ホテル完成と共に、
旧竜土町も復活というイメージの中で企画されたものと思う。
旧竜土町の雰囲気を知っている者なら、きっとそうすると思う。

そして2007年は、六本木のりのは更に躍進の年になると思う。
リッツ・カールトン効果で外人のお客さんが飛躍的に増え、英語やら仏語やら、
はたまた独語やら、世界中の言葉もポンポン飛び交うことになると思う。
そして旧竜土町も、25年振りに日の目を見ることになりそう。

社長の祥子さんも賢い女性には違いないが、果たしてそこまで計算していたかな。
タイミング的には滅茶苦茶ラッキーだったと思うよ。

31日から実家に帰ります。
昼・夜連ちゃんの酒飲み大会になりそうだけど、
疲れ果てて東京に帰って、またのりので癒してもらおうと考えてます。

イッコーさん、とにかく体に気をつけて頑張って下さい。
2007年にはゴルードコーストに行くからネ。
ではまた、です。


2006年12月26日

過ぎ行く2006年を振り返る(12)松坂のレッドソックス入団

西武・松坂大輔投手の、米大リーグ・レッドソックス入団が14日(日本時間15日)、
正式に発表された。
期限ギリギリでまでに至った長い交渉は、日本国民だけではなく、米の野球ファンをも
ヤキモキさせた。

原因は、吸血鬼との異名をとる松坂の代理人、スコット・ボラス氏にあるあることは
衆目の一致するところ。
プロ野球選手を商品として扱うその姿に、日本のプロ野球のビジネスモデルが完全に
陳腐化していることを思い知らされた。

12月14日、日本テレビ放送網は、2007年に地上波で全国放送するプロ野球の
巨人主催試合数を、06年実績比30%減の40試合にすると発表した。
視聴率の低迷する巨人戦を他の番組に差し替え、収益改善を目指すスタンスである。
こうした流れは他のテレビ局も同様で、日本テレビ以外でも巨人戦を減らすのは必至の
状況である。

巨人戦は、視聴率のピークだった1983年の27.1%からほぼ下落の一途を辿り、
2006年には9.6%にまで下落している。
下落の勢いが増幅したのは、2003年の松井のヤンキース移籍から。
根幹のスター不在のまま、「往時の優良コンテンツ」の面影はない。

放送が減れば、当然ながら放送権収入が減り、プロ野球の人気維持が難しくなる。
日本のプロ球団に、営利企業としての方向転換を迫られる中、メジャー志向は
一気に広まっている。

阪神・井川がヤンキース、ヤクルト・岩村がデビルレイズ、日ハム・岡島がレッドソックス、
そしてあの巨人・桑田もパイレーツに入団する。

日本の企業がプロ野球球団を持つ最大の理由。
それは広告塔しての役割であった。
日本のプロ球界は、押し並べて新聞社と鉄道会社がリードしてきた。
読売は、先発グループの毎日、朝日が中等・高校野球をバックに購買部数を伸ばしたのと
同様の論理で、プロ野球を推進、盟主として君臨するに至っている。

一方関西(主としてパリーグ)では、阪急電鉄の創始者である小林一三モデル
「宅地開発により沿線住民を増やし、ターミナル駅や沿線に百貨店などの商業施設や
娯楽施設を開業して鉄道利用を促す」
「その中でプロ野球事業を集客力向上やイメージアップの切り札にする」
が定着していった。

南海・阪神・近鉄、九州の西鉄、東京の東急、西武もまた同じ経営論理の展開であった。
ところが、広告塔の役目が終了し“(関西風の)元を取った”結果、高給取りを忌避、
帳簿ズラを合わせる経営論理が先行する流れとなってきた。

もはや往時の力はなく、マイナー契約であっても米大リーグに挑戦しようとする桑田の
記者会見を見ながら、しみじみ思った。
「日本のプロ野球文化は完全に終了した」と。

メジャー登板を目指す桑田に、拙いながら応援の一句。
「老兵の 夢に輝く 年の瀬かな」

2006年12月25日

過ぎ行く2006年を振り返る(11)文武両道の精神

今から約40年前、自分の早稲田入学当時、
東京六大学野球は今とは比べ物にならないくらい人気があった。
爆発的な破壊力を誇った富田・田淵・山本浩二のクリーンアップが売り物の法政。
荒川・谷沢・小田の早稲田。
負けん気のエース・星野仙一を擁する明治。
キラ星の如くのスターが揃っていた。

入学当時の自分は真面目に(?)キャンパス至近の下宿に住まいしており、
全く偶然ながら野球部・安部寮の隣だった。
今は40階建ての巨大マンションが建っている安部球場から歩いて5分の当時の安部寮は、
木造二階建て。
二階には物干し台があり、下宿の窓を開けると、その物干し台で毎晩のように素振りをする
荒川の姿があった。

余談だが、プロ入り確実と言われた主将・谷沢健一は、後輩・同輩連中を引きつれ、
毎晩のように飲み歩いていた。
全てが出世払い(プロの契約料でツケを払う約束)だっだ。
安部寮周辺の飲食店は全て承知していた。良き時代だった。

2006年の夏の甲子園を沸かした早実・斉藤祐樹が大学進学を表明した。
大学と言っても、早実はワセダの系列校。
従って大学=早稲田に決まり切っているのに、マスコミ各社は何故か大学進学という表現を
しているのは可笑しかった。

9月 11日のマスコミとの応答の中で斉藤は、「人間的成長」という表現を6回も使っている。
高校生らしい高校生という雰囲気の斉藤の姿は、相変わらず清々しかった。
時代のヒーローとなった斉藤祐樹の存在は、日本にプロ野球には喉から手が出るほどの
逸材には違いない。

しかし現在の日本のプロ野球にそれほどの魅力があるとも思えない。
盟主巨人の実力・人気凋落が顕著で、王・長島(ON)時代の“絶対感”が見られない。
MLBに注目が集まる中、確かに日本のプロ野球活性化のためには“時代のヒーロー”が
必要だが、斉藤自身の長い将来を考える時、ワセダ進学が正解のように思う。

一方で、2006年にはプロボクシング・亀田三兄弟が注目を浴びた。
諸般の考え方があろうが、あの“最初に金銭ありき”の姿は感心しない。
ハングリー精神は理解できるにしても、マスコミの煽りに乗っかり、
目上を目上と思わないぞんざいな話し方に嫌悪感を抱く。

2006年の日本では「いじめ」「自殺」「殺人」等、血なまぐさい事件が相次いだ。
十代後半から二十代前半の若者の、人を人とも思わない雰囲気が日本中を
蔓延している。
“自由である”という意味の履き違えのパターンが多いように思う。

“文武両道”を校是とする早実の精神が見直されている。
温故知新。全国優勝したからこそには違いないが、
何故かその古い言い回しが新鮮に聞こえている。

斉藤がワセダに入学したらさっそく神宮球場に行かねばなるまい。
今からそんなことを考えている。

過ぎ行く2006年を振り返る(10)熱闘甲子園

今年の夏はことの他暑かった。
コンクリート・ジャングルと言われる東京は間違いなく亜熱帯化している。

夏休み=お盆=夏の甲子園。
海で目一杯泳いで、帰ってスイカをかぶりつきながら高校野球を見る。
これが小・中学校の夏休みの定番だった。
今から考えれば、夏の甲子園はある種のBGMでもあった。

そのBGMであるべき夏の甲子園も、今年の決勝戦は完全に魅入られた。
三沢VS松山商以来の37年振りの決勝再試合。
73年振りの夏の大会3連覇を目指した駒大苫小牧と、
悲願の初優勝を狙う古豪中の古豪・早稲田実業との決勝戦。
日本のプロ野球に絶望し、MLBを見慣れている自分も、
8月20日、21日の両校の熱い戦いに魅入られた。

NHKの中継を見て、ニュースで見て、そしてダイジェスト版の「熱闘甲子園」を見る。
これもまたここ20年の定番ではある。
紋切り型のNHKの中継とは違って、何やら悲哀に満ちた口調で語られる「熱闘甲子園」は、
特に最近は(巨人・長嶋終身監督の三女)長嶋三奈さんがMCをするとあって、
完全に人気番組となっている。

今年は早稲田実業の快進撃で、大学・ワセダの戦闘マーチ「紺碧の空」の連発を
誠に心地よく聞いていた。
ただこのワセダ伝統の「紺碧の空」は東京六大学リーグ戦、特に対慶応用に作られたスグレモノ。
相手校がこの曲を聞けば萎縮するに決まっている。
ここぞの連発に、ワセダOBとしてその点ではやや気が引けた。

炎天下の夏の甲子園での連投は、特に一人エースで勝ち進んだ場合、
その選手生命をも途絶えさせることになる。
(当然ながら)人間の肩には寿命がある。
早実のエース斉藤祐樹は、7試合計948球を投げ込んだ。

力をセーブしてうまく抑える様子は作新学院時代の江川卓。
ボール球をうまく振らせる技術PL時代の桑田真澄。
冷静なマウンド捌きは浪商時代の牛島和彦。
キラ星の歴代名投手を彷彿させる評価される斉藤祐樹は、
大学・ワセダに進学すれば絶対的な切り札となるに相違ない。

諸般の見方があるが、自分の持論は「投手の肩は消耗品」。
真夏の甲子園で選手寿命が尽きた選手も数知れない。
最終回にその試合の最速を投げ込んでくる斉藤に、
テレビに向かって「斉藤、もういい加減にせいや!」と何度も叱咤した。

かくして“祐ちゃんフィーバ”が起こり、斉藤は「ハンカチ王子」と揶揄されるに至った。
2006年はWBCで王監督率いる日本チームが世界チャンピオンになり、
そして王監督の母校である早実の優勝であった。
胃がんに倒れた王さんの念力があったように思う。

早実の快進撃以降、何等の要因もないまま、日経平均株価が上昇していった。
今年の夏の決勝戦を見て、今後の日本の若者像に期待し、明るさをみたのかもしれない。
確かに“何かがある”と思わせる今年の夏の甲子園だった。

過ぎ行く2006年を振り返る(9)バフェット的ココロ

巨大投資会社・バークシャ・ハザウェイを経営するウォーレン・バフェットが、
「オマハの賢人」と言われ始めている。
2006年6月に370億㌦(4兆3千億円)もの寄付を表明して、
世界を驚かせたことが原因には違いない。

結果として、
「最も成功した投資家」「世界第二位の資産家」として知られたバフットは、
「史上最大の慈善家」との評価を得ると同時に、「オマハの賢人」との評価を
得ることになった。

そして、
「一度買えば数十年は持ち続ける」とういうバフェット流投資哲学が
見直され始めている。
この点では、短期の売り抜けで批判を浴びた日本の村上ファンドとは
根幹から異なる。かと言って、
経営者が無能でも取引関係維持を名目に株式を持ち続ける日本的な
安定株主ともそのスタンスは異なる。

バフェットは「事業の安定性」だけでなく「経営者の資質」も判断した上で投資する。
総合すれば、
「物言わなければならないような企業に投資しない」スタンスであるには違いないが、
結果的には「安定株主=物言う株主」になってしまうのである。

飲料やひげそりなどの“ローテク”を中心に投資先を選択するバフエットと、
ハイテク業界の旗手であるマイクロソフトの創業者ビル・ゲイツの接点は、
表面的には見当らない。
そしてバフェットは、「変化の激しいハイテクは理解できない」として、
マイクロソフト株には投資していない。

ところが、今回の寄付金の大半がゲイツ夫妻で運営する世界最大の慈善団体に
送られることになった。
そのポイントにあるのはバフェットの相続に関する考え方にあるようである。

ビル・ゲイツが慈善事業に傾斜したのは、
「多額の資産相続は経済格差を助長するから、自己資産の99%は社会へ還元する」という、
15年に及ぶ家族ぐるみの付き合いの中で生れた“バフェット流発想”が原点になっている、
というのである。

自分が研究し続けているW.D.ギャンは、
「神が人間に与える幸福の絶対量は平等である」としている。
要は「(相場等で)大儲けした者はどこかでその代償を払う運命にある」
ということである。

世界的な資産家になるために幸福を使い切ってしまうと、精神的あるいは
肉体的な部分で何かしらの障害が出てくるという論理である。
米国の資産家はこの命題対し、実に忠実なようである。

自分では使い切れない膨大な資産を社会に還元することによって、
「神が与えた平等な幸福」を享受するというスタンスであろう。
そう言えば、(最近ではとんとその動向が聞かれなくなった)ジョージ・ソロスも、
相場で大儲けしては寄付を繰り返していた。

余りに膨大な資産を創ると、自分自身が怖くなるようである。
ある種うらやましい話には違いない。
とは言え、「バフェット的こころ」は万民の大きな指針ではある。

過ぎ行く2006年を振り返る(8)世界の大資産家の発想

米マイクロソフト共同創業者のビル・ゲイツ会長は、6月15日、
2008年7月をメドに日常業務の権限を他の経営幹部に譲ると発表、
事実上の引退宣言を行なった。
会長職には留まるものの、製品開発の指揮などからは手を引き、
慈善事業の運営に専念する。

マイクロソフト社は1975年、ハーバード大学在学中のビル・ゲイツ氏と
友人のポール・アレン氏が設立したコンピュータ用のソフトウェア企業。
パソコン向け基本ソフトの「ウィンドウズ」で、世界市場をほぼ独占する。
2005年6月期の通期の売上高は398億㌦。
純利益は123億㌦で、収益性の高さで米企業のベストファイブの常連。
6月15日時点の時価総額は2,250億㌦で米国企業第四位。

ビル・ゲイツ氏の転機は、94年に元社員だったメリンダ・フレンチさんとの結婚。
以降12年連続で個人資産世界一。
保有資産はマイクロソフト株だけで約500億㌦(約5兆7,500億円)。

この資産を元手に、2000年、メリンダ夫人と連名の「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」を
設立。財団の運用資産は約290億㌦(約3兆3,000億円)。

同社の基本戦略は、
「開発は自社で完結、詳細技術を公開せずに最大限の利益を享受する」
「製品はパッケージとして有料販売する」

しかし最近では、
ソフトを無料で提供し、公開技術をもとに製品開発するグーグルなどの台頭で、
「ビル・ゲイツ勝利の方程式」に揺らぎが生じている。

米経済は時代毎に起業家が現われ、巨大産業の創出を繰り返してきた。
カーネギー=鉄鋼、ロックフェーラ=石油、IBM・ワトソン=大型コンピュータ。
そしてリーディング産業としての地位は、鉄・石油が100年、大型コンピュータが30年。
そして今回のソフト産業の隆盛は「ウィンドウズ95」を起点とすれば10年。
グーグルが代表するネット産業の盛りを3年と見ると、果たして次の産業は一体何になるのか。

いずれにしても米経済界では、
巨万の富を築き、引退後は巨大私財を慈善事業に投じるという伝統が残っている。
上記起業家は押し並べて同じパターンを辿っている。

そしてM&Aの権化・ウォーレン・バフェット氏は、ビル&メリンダ・ゲイツ財団に、
保有資産の85%に当たる約300億㌦(3兆5,000億円)の寄付を申し出た。
B.ゲイツとW.バフェット。
世界最大・最強の慈善団体にしようとする思惑には違いない。

2006年の日本では、投資ファンドを巡るゴタゴタが続いた。
しかし気が遠くなるような桁外れの数字を見ると、
W.バフェットの流れを汲む村上ファンドの所業など、
ほんとにチッポケなものに見える。

米国のサクセス・ストーリーの凄さ・潔さを感じざるを得ない。
「墓まではカネは持ってはいけない」のである。
日本においては、残った資産は(相続税等で)“三代相続すれば
自然消滅”する運命にある。

「世の中のためになる」とは一体どういうことなのか。
資産家の資質も問われる時代ではある。
とは言え、日本の資産家も、世界のそれに比較すればまだまだである。

2006年12月23日

過ぎ行く2006年を振り返る(7)マンション建設ラッシュ

友人・知人を問わず、また講演会等でもよく聞かれる質問に、
「マンションは買い時か?」がある。
自分の過去の苦い経験もあり、「即金で買うならOK、それ以外は不可」
と答えるようにしている。

1990年代前半からの地価下落が演出した、“造れば売れる”マンション市場活況が
最終局面を迎えている。
90年代初めは年間3万~5万戸だった首都圏の販売戸数は、94年から以降は8万戸前後
で推移してきた。いわゆる過剰供給状態である。

自分の住まいする中央区佃地区では、ここ10年の間に、30階以上の高層マンションが
10棟ばかり建設された。年に1棟の割合である。
その流れを見ていると、鉄筋むき出しの大枠が出来上がったところで、「完売御礼」の
デカイ看板が上がる。

そして完成。ところが完成してもモデル・ルームはなくならない。
週末になると看板を持った若い社員がビラ撒きをしている。
現実に、隣接するマンションは週末になっても半分も灯かりが点らない。
売れているのはテッペン、いわゆるペントハウスと言われる一群である。
投資用が含まれていると考えても、半分以上も売れていない。

今年の夏、近所の超安売りスーパーが閉店した。マンションになるという。
確かに安売りスーパーに土地を貸すよりは、“ここで勝負”でマンションを、
という考え方は分らないではない。

地下鉄・大江戸線が開通して以来、同沿線の便利さがここを先途と宣伝された。
銀座に近い。東京駅にも近い。赤坂・六本木にも車で10分。隅田川もある。
隅田川や東京湾の花火大会が部屋にいながらにして堪能できる。

そもそもマンションを購入するとはどういう意味か。
「建物の一画=空間を買う」ことである。
ではその大枠構造は大丈夫なのか。

日本のマンションの耐久年数は20年と言われている。
そこにきての耐震強度偽造事件である。
いわゆるマンション建設ブームの「(相場で言う)Buying Climax」状態である。

団塊の世代の大量定年の時が迫っている。
「引退した夫婦二人が終の棲家としてマンションを」というのであれば、
「そして目一杯20年持てば」という考え方はある程度納得できる。

しかし30歳代の若いカップルがマンションを購入するには、根幹の考え方が必要と思う。
(いわゆるアブク銭と呼ばれる)株式等で儲けたキャッシュで購入するならともかく、
20年超の長期ローンを組んでマンションを購入するのは愚の骨頂である。
なぜなら日本のマンションの耐久構造は20年だからである。
単純な引き算の問題ではある。

日本のマンションは資産になり得ない。
ようやく借金を払い終わり、いざ自分の物となった時点で、マンションの価値はゼロ。
ゼロどころか建て替えや大幅な修理で、またぞろ“マイナスの世界”へ。
業者の“売らんかな”の姿勢は百年一日。
過剰供給されたマンションの価格下落は言わずもがな。

今年も相変わらずのマンション論争が繰り広げられたのであります。

過ぎ行く2006年を振り返る(6) 村上ファンド事件

現状の日本では依然としてファンドそのものが根付いていない。
「大量の運用資金をバックに、企業の乗っ取りなどもっての他」というのが一般的な概念。

世界の趨勢考えれば、ファンドを通じた資金運用は極く当たり前。
そして日本が何にも増して世界に立ち後れているのは「Good Money=浄財」の概念。
「優秀な若者を育てるのも、世の中を良くするためのも、先立つものは浄財」。
そしてその資金=浄財を創るためには、市場を利用して「Make Money=カネを創る」のは
(手法として)当たり前。

日本風に考えるなら、そうした浄財は“額に汗して稼いだカネ”でなければならないという
考え方が先行する。
市場に対峙しても額に汗はする。冷や汗もかく。
ところが日本では、市場に対峙して稼いだカネは、“浮利=まがい物”といった風潮がある。

そして資金を集めるには(純日本風の)“奉賀帳形式”という考え方が主流。
そして“使い切り”が当たり前である。
しかし使い切ってしまえば後には何も残らない。
何も残らないから、必要となればまたぞろ頭を下げて資金集めをしなければならない。

株式を中心にしたファンドのメカニズムはようやく認識されてはきている。
ご存知のように世界のファンドは大きく二つに分かれる。
「市場を利用して利益を上げる=市場専攻型=ジョージ・ソロス型」。
「株式を大量に買い込み、結果として企業買収する=企業買収型=ウォーレン・バフエット型」。

市場重視型のファンドはその規模が大きくなり過ぎた結果、またレバレッジ効果を駆使する結果、
市場全体がファンドの資金を受けきれなくなっている。
従って、ソロスファンドを中心とした大型ファンドは不振が目立っている。
一方で企業買収型ファンドの活躍が目立つというシナリオではある。

日本の土壌では企業買収型は“ハゲタカ”と一括りにする。
しかし株式をベースとした企業乗っ取りは欧米社会では日常茶飯事。
根幹の文化が「性善説」「性悪説」にかかる問題ではあるものの、
21世紀という新時代になっても、先進国にあるまじき「性善説」に固執していては、
世界の金融にはついてはいけない。

2006年は村上ファンドが大きな話題となった。
特に大きく取り上げれらるに至ったのは、阪神電鉄の買収問題。
ご存知のように阪神電鉄は阪神タイガースの親会社。
それが日本人の琴線に触れた。
日本的土壌では“アンタッチャブル・ゾーン=侵ざるべき領域”に入り込んだことにはなる。
ただ今回の件、首謀者が和製の村上ファンドではなく、外資系ファンドだったらどうだろうか。
今回のような騒ぎになったかどうか。

村上ファンドのようなうな買収型ファンドの登場は時代の流れである。
しかし日本人の琴線に触れた村上ファンドは結局は終焉の時を迎えた。
株式を媒介とする乗っ取り型ファンドは、米ウォーレン・バフェットが主宰するファンドが有名だが、
政治的な圧力がかかった場合、一網打尽、一気にクラッシュする可能性は含有していた。

ファンドには公募型(運用者が資金委託者を選ばず、広く運用資金を募る方式)と、
私募型(運用者が委託者を選択する方式)がある。
現状の日本では私募型ファンドは完全に根付いていない。
そして、私募型ファンドを中心とした「大量の運用資金をバックにした企業乗っ取りは
(日本の土壌に合わない)犯罪」というのが一般的な通念。

日本の司法当局は、(ライブドアとの)ニッポン放送株を巡るインサイダー疑惑を燻らせた挙げ句、
村上ファンドの総帥・村上世彰氏本人の一連のファンド事業からの撤退発表(6月5日午前)を受け、
午後には逮捕ということになった。

「巨悪は眠らせない」といった、従来からの純日本的な解決方法ではある。
だが今回の検察当局のスタンスは海外の金融筋からは批判的である。
インサイダー情報問題を俎上に上げるなら、例えば、戦後の日本の企業間同士で行なわれてきた
株式持ち合いにおける談合はインサイダー情報に当たらないのか。

村上ファンドは、日本の表舞台から完全に姿を消すことになった。
しかし経営が非効率な企業を狙って株式を取得し、配当増額などを要求する、
私募型の中でも特に攻撃的な「アクティビスト(活動家)ファンド」の隆盛は時代の流れ。

ライブブドアに続き村上ファンドを“スケープ・ゴート”として握り潰したとしても、次から次へと
現われてくるのは必至。
国家として一罰百戒のスタンスは確かに必要である。
しかし日本的流儀で外資系ファンドを阻止することができるか否か。

1999年の設立当時の運用資産が40億円だった村上ファンドは、
2006年の運用資産は4000億円と想定されている。
村上氏は「2000億円儲けた」と豪語した。

確かに“儲け過ぎ”ではある。妬みや嫉妬心を起こされても致し方ない。
だが心情的な判断で世界の流れは変えることはできない。
後世に残る象徴的な事件ではあった。

過ぎ行く2006年を振り返る(5)日本の野球の世界制覇

3月21日、 日本が世界の野球の頂点に立った。
日本国中が野球に沸いた。視聴率も50%を超えた。
野球がこんなに面白いと思ったのは久し振りだった。

米国の、米国による、米国ためのWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)とは
一体何であったのか。
おかしな試合運営と、余りにひどい審判。
米国を世界一に祭り上げようとした胡散臭さ。
数々のスーパースターのプレーよりも、ボブ・デビットソンという希代の迷審判の名前は、
世界の野球史上に燦然とその名を残すことになった

韓国に2連敗後の薄氷の準決勝・決勝進出だった。
ただ負けはしたものの木目の細かい、諦めのない試合運びが初代ワールド・チャンピオンと
いう快挙を生んだ。

何にも増して日本のリーダーとしてのイチローの活躍は際立っていた。
2次リーグで韓国に連敗した時「野球人生で最も屈辱的な日」と悔しがり、
「最低の酒」を浴びるように飲み、一転優勝した後に「最高の酒を飲んだ」と、
言わしめた今回の大会。
あの冷静無比を装い、マスコミには冷淡というイメージなイチローが、腹を割って話し、
野球の面白さを一生懸命ファンに伝えようとした。

禁句の「たら、れば」を敢えて持ち出せば、ヤンキースの55番・松井秀喜がいたら
展開は変わっていたかもしれない。
参加を断った理由が未だによく解らない。
「日の丸を背負う意味を知らずにいる」ことが彼の野球人生というより、彼自身の人生をも
微妙に狂わせるような気がする。

自他共に認める(北陸の星)松井の熱狂的ファンである筆者ではあるが、
今年の松井の選択は明らかに間違ったと思う。
総額60億円を超える年俸が松井をビビらせたすれば、今後のメジャーでの活躍も
高が知れている。
そして現実に、5月の手首骨折につながっていった。これは偶然ではないように思う。

流れを一気に変えたのは準決勝・韓国戦での中日・福留の劇的な代打2ランだった。
そしてその福留は、参加を断った松井の代役だった。
日本球界の命運を左右するような一撃を、松井はどのような気持ちで見ていたのか。
松井が出ていたら福留のような活躍ができたのであろうか。

かくして、運営等にとかくの問題があったとしても、日本の「Yakyu=野球」が
米国の「巨艦主義・Baseball」を制した意味はとてつもなく大きい。
米国流・結果主義の世界では「負けたら何も言えない」のである。

日本・韓国を中心とした、アジア流の木目の細かい“Yakyu=野球”が世界を制したことで、
MLBチャンピオンを決定するワールド・シリーズの意味合いが微妙に違ってきた。
「米国の覇者=世界のチャンピオンではない」ことが証明された日。
超大国のエゴが脆くも崩れ去った日。
2006年3月21日の日本勝利の意味は大きい。

過ぎ行く2006年を振り返る(4)日本における「金融工学」

戦後の日本の世界では、大学の「文科系」と「理工系」の住み分けがキチンとなされてきた。
文科系の進む代表的企業が銀行を中心する金融。一方、理工系が進むのは製造業。
製造業と言っても、1960年代までは(重厚長大の)製鉄、
1980年代までは(ソニーを中心とした)弱電、
2000年までは(トヨタを中心とした)車と推移してきた。

戦後の日本の金融は「守り」が中心であった。
顧客から預かった預金を「物的担保+人的担保」でがんじがらめにした貸出をする中で、
“鞘とり”が業務の中心となってきた。そこには、“攻める”要素はなかった。
与えられた玉虫色のルール(=規則)をどのように理解し、守っていくかという点においては、
理工系の数学的な能力は必要でなかった。

ところが1990年代後半から、ファイナンシャル・エンジニアリング(=金融工学)という概念が
日本の金融界にも定着し始めた。
簡単に言えば「金融市場を利用してカネを創るにはどうするか」という概念である。

この概念には「相場に対峙する必要」があり、また代々日本人に嫌われてきた「浮利を追う」と
いう概念が随いて回ったから、定着は簡単ではなかった。
預金客と貸出先の“鞘取り”自体も相場には違いないのだが、それを“経済発展に寄与する
崇高な業務”として祭り上げることによって、銀行を一段上の不可侵なものとして位置付けてきた。

ところが日本版ビッグバン以降、数々の銀行・証券が倒産、既存の銀行が生き残りをかけて
大同合併を繰り返す中で、「金融のグローバル化とはどういう意味なのか」を理解するに至った。
結局、「システムを中心としたIT(情報技術)技術の革新」と「相場に強くならねばならない」必要性
に迫られたのである。

トヨタ、ソニー、東芝などの製造業における日本の主要企業が、2007年の新卒採用に攻めの姿勢を
明確にしている。
2007年から始る団塊の世代の大量定年を視野に、技術伝承の担い手や幹部候補となる人材の獲得
に躍起となり、7~8割の増員を発表している。

そして忘れてならないのは、資産運用能力や金融商品の開発力の強化を目論む金融機関の、
理工系学生確保の動きである。
諸般の金融機関では、リストラを優先してきた結果、次世代型のシステム構築なども遅れ気味。
システムダウンなどのトラブルも相次ぎ、ITに詳しい人材を、本体や子会社で積極的に採用し
始めたのである。

残念ながら日本の大学の文科系学部、特に経済学部で教える理論では世界に通じない。
今更古典経済学の研究をしても始らない。
「金融工学をベースとして相場に勝たねばならない=儲けた額を評価される」時代に、
「理論から言えばこうなる」の論理の展開では置いていかれる。
「手術が嫌いな(できない)医者が医者なのか」と同じ論理である。

団塊世代がここ10年、真っ先にリストラに遭ってきたのは「滅私奉公+営業」型の、
文科系の人間であった。
こうして日本も徐々に新しい時代に入っていくようである。

過ぎ行く2006年を振り返る(3) 銀行は健全化したか

富山中部高校時代の同級生に前田孝一という銀行マンがいる。
通勤電車が同じだったこともあり、野球の同好会を作り、
土曜日の午後、草野球を楽しんでいた。

教師連の一部からは批判的な声があったのは知っていたが、
そうした声に真っ向から反抗、土曜日だけは日が暮れるまで野球を楽しんでいた。
それが受験、受験で明け暮れた高校時代の、記憶に残る“唯一の青春”だった。

その後の前田は京大経済→住友銀行のルートを辿った。
関西の雄・住友グールプの中枢に入り込んだ前田は、西川善文・三井住友銀行前頭取の
右腕たる常務執行役員として、旧住友のブラックボックスと言われ、古くは安宅産業やイトマン、
そして関西経済の一方の雄・山口組系関連等の問題債権処理を担当する、融資第一、第二、
第四部の責任者として辣腕を振るった。

要は不良債権処理のスペシャリストだった。
そんな前田も、2003年11月に設立されたSMFG企業再生債権回収の初代社長に就任、
銀行を去った。
他行の首脳からは「三井住友の不良債権処理もようやく峠を越えた」との見方も出たほど、
不良債権処理のスペシャリストとしての辣腕は鳴り響いていた。

その前田は現在、三洋電機の副社長に就任している。
巷間では、
「企業再生会社、SMFG企業再生債権回収にとって三洋電機は初の大型案件。従って、
前田の真価が問われる正念場」と位置付けている。

前田の手法は、問題企業を採算部門と不採算部門に腑分けして、債務免除と引き換えに
他社との再編を進めるというもの。
こうした手法で三洋電機の再編が一気にに進むと見る関係者は多い。
多分、前田の描くシナリオ通りに動くと思う。

ここでは、こうした一連の前田の活躍を述べようとするものではない。
申し上げたいのは、不良債権処理が済み、収益の回復も著しい銀行の、
経営革新がなされたか否かという点である。

三菱東京UFJ銀行は、3006年三月期の連結純利益が1兆1千億円を超えた。
あの世界のトヨタを抜いた!銀行がそんなに儲けてどうする。

一方で、最近よく耳にするのが、銀行が不動産業者に貸出攻勢を掛けているという話。
その結果、マンションもオフィスビルも過剰供給される構造ができるというシナリオである。
これが真実なら不動産バブルを招く大きな要因となった80年代の大手銀行の貸出攻勢が
継承されていると見るしかない。

三メガ銀行時代と言われるように、大銀行は合併・統合によって集約され、
図体だけは間違いなく世界的な規模となった。
ところが新たなビジネスモデルを構築する努力も見られないまま、
金利と手数料収入に頼る収益構造に大きな変化がないように見える。

明確に言えることは、
「銀行の再生はゼロ金利に甘んじた預金者が支払ったコストの上に成り立っている」
ということである。
旧態然とした銀行に、またぞろ累々とした不良債権のヤマができ上がるリスクあり。
前田が再び銀行に戻るような気がしてならない。

2006年12月20日

デッセンバー・ウインド(3)

ここ2週間は肩の凝る話題ばっかりだったから、
息抜きに”飲み屋”の話題を。

「クリスマス・イブ」。
山下達郎が23年前に出した曲だが、この時期になると
街中に何気に流れてくる。
そしてこの曲を聴くと、年末の風景が自然に浮かび上がる。
単純に凄いと思う。
”いい曲はいつになってもいい曲”の代表作。
物書きの端くれとして、自分も常にそうありたいと切に思う。

先週日曜日(17日)のサンデーソングブック。
年2回(合計4週)の山下達郎+竹内まりやの夫婦放談。
相変わらず独特の味わいがあって、深みがある。秀逸。
「テクニシャン・山下達郎と稀代の歌い手・竹内まりや」の
セットメニューは、今後も彼らが生きている限り健在と思う。

その番組の冒頭で、(満を持しての)クリスマス・イブ。
何年経っても、新鮮味が消えない。不思議だ。

このクリスマス・イブが流れる頃になると、
世界の歓楽街・銀座にはあらぬ噂が飛び交う。
「あの店が潰れそうだ」
「あの店の給料が不払いになってる」
「あの子が突然辞めさせられた」

特に今年の年末・年始は、31日が日曜で、年明けが連休を挟んで
1月9日あたりからの開店となるから、その10日間が怖い。
何があっても不思議ではない。

銀座の飲み屋街、と言っても、銀座4丁目から新橋駅までの狭い地域。
推定3,000軒と言われ、(これも推定)5,000人の女性が働く。
世界一高価で、世界有数の人工的な歓楽・飲み屋街である。

着飾って、表面的にはきらびやかには見えるものの、その実、
”女の格好をした男”が闊歩する街。
顔は笑っても、目が決して笑わない”人工的オンナ”が幅を効かす街。
そんな”ネオン・ジャングル”での生存競争はことのほか厳しい。

この12月になって、そこで働く”おんな・オトコ”の方々から、何回も相談
されている。
青柳ごときに、そんな方々のお力になれる実力などあるはずがない。
ただただフンフンと聞いているだけ。
ただ聞いてあげるだけで、その方々は力強く立ち直っていかれる。

こうした風景は、銀座に行きだしてから30年、常に同じなのであります。
山下達郎のクリスマス・イブ、その普遍性に脱帽。

こうしてまた年が詰まって行くのであります。

  

2006年12月19日

過ぎ行く2006年を振り返る(2)ホリエモン事件の考察

「株主から払い込まれた数百億円の資金を何に使ったらよいか」。
これがホリエモンことライブドア社長・堀江貴文の最大のテーマだった。
突然手に入れた大金を持て余した新興ネット企業は、信用内容のない企業まで
次々に買収していった。まるで劇画の世界だった。

ライブドアは1996年4月に、資本金600万円の有限会社として設立された。
2000年4月には(会社丸ごとの値段である)時価総額が572億円の企業として
証券市場にデビュー。
そして2005年12月の時価総額は約8,300億円。
機関投資家などは相手にせず「個人の投機的資金をどう呼び込むか」が
“錬金術”の基本だった。

内容のない企業を買い漁るライブドアと、企業価値など見向きもせず、
信用取引で短期売買を繰り返すネット投資家。
中身を吟味しない点で、両者はカネ余りが産んだ「負の相似形」だった。
ゼロ金利という異常事態の中で、再度バブルの風潮が先行した。

1995年から始った日本版金融ビッグバンから10年、不良債権処理が進み、
企業が体力を取戻す中で、個人のおカネは「貯蓄から投資」へ向かった。
リスク性資産の比率は10%台に乗せた。
個人投資家は日本経済が必要としていたリスクマネーを提供し、起業や
企業再生を後押しする結果となった。

バブルの崩壊からも10年、市場経由で日本経済は(表面的には)復調の兆しを見せた。
一方で、日本の個人投資家は、日本版ビッグバンが標榜した「自由な市場」という意味を
「手数料自由化=手数料がタダ同然」という意味に履き違え、挙げ句、
「儲かれば何でもあり」の土壌を形成していった。

こうした土壌を背景に、ネット取引を中心に個人投資家は急増していった。
オンライン証券大手五社の口座数は2003年末から2年間で163万口座増加した。

堀江貴文はライブドアのシンボルとして、個人投資家の“呼び込み”に専念していった。
球団運営、放送局買収、衆院選出馬等々。どれひとつとして成功はしなかったが、
個人投資家を呼び込むことには成功することになった。

自由主義経済の根幹の論理の中では、ライブドアショックは市場が成長する段階での、
避けては通れない一時的な現象であった。
短期のマネーゲームに走る個人株主ばかりが集まり、株主による有効な企業統治も
できない状況の中で、ライブドアの経営自体も「既成秩序への挑戦を装ったマネーゲーム」と
化していった。

改革と金もうけを掲げで市場に対峙するスタンスは、ベンチャー経営志望者やディ・トレーダー
の追随者を産んだ。
いわゆる『ホリエモン現象』である。
しかしそのホリエモン現象も、1月23日の堀江貴文逮捕劇で幕を閉じた。
一罰百戒。いわゆる“見せしめ”の意味合いが大きい逮捕劇だった。

だがホリエモンは極悪人だったのだろうか?
またホリエモンを極悪人に仕立て、責めたてることによって全てが解決するのであろうか。
今、日本が試されているのは21世紀に入って根付き始めた株式資本主義が、ライブドアと
共に全否定できるか否かという点である。

拝金主義や格差社会を非難する人は、当然のように全否定すべきだと言う。
では果たして日本が、グローバルな世界の潮流に背を向け、
(護送船団方式を原点とする)アナログの世界に戻ることが可能なのだろうか。

市場原理主義の時代と言われる。
全ての原理主義は危ういには違いない。
その一方で、市場原理を抜きにして経済の発展はおぼつかない。
人口減少社会に突入する中で、経済成長を促し得るのは、市場をベースにした
生産性の向上しかない。

ライブドア事件で日本が世界から問われているのは、米エンロン事件を機に
会計の透明性や市場の効率性を高めた米国の先例を学べるかどうかである。
ホリエモンをスケープ・ゴートにして、市場原理主義の可否を論議しても何も起こらない。

個人投資家にも大いに改善すべき点がある。

近代証券分析の父といわれるベンジャミン・グレアムは著書「賢明なる投資家」の中で、
「投機家と投資家は違う」と述べている。
『他の市場参加者を見て行動するのが投機家』。
『投資家は他の参加者には目もくれず、企業を徹底的に調べ上げて投資する』。
日本の個人投資家に、根幹の揺るぎ無いスタンスを根付かせるには絶好の機会ではある

2006年の一連のホリエモン事件はバブルの再来と思う。
だが30代前半のホリエモン世代と話しをすると、
「バブル?そもそも我々は知らない」と言う。
確かにバブル絶頂期の1989年(平成元年)には、彼らはまだ高校生だった。

中村草田男が「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠んだのは、
明治が幕をおろして19年後の1931年(昭和6年)。
「降る雪やバブルは遠くなりにけり」の感がしないでもない。

これまで「時代の寵児」と祭り上げ、本人をその気にさせた挙げ句、叩き落とす
現在の日本のスタンスがどうしても解せないでいる。
ホリエモンは端境期の犠牲者だと思う。

過ぎ行く2006年を振り返る(1)人口減少問題

いよいよ2006年も年末。
過ぎ行く2006年を惜しんで、2006年の回顧を。

2005年12月27日、
竹中平蔵総務相が閣議で報告した2005年国勢調査の人口速報値では、
『2005年10月1日現在の総人口は1億2,775万6,815人。2004年10月時点の
推計人口に比べ、約1万9千人減少』と、戦後初の人口減少状態となった。

2006年は「総人口の初の減少」が大きくクローズアップされてきた。
女性ひとりが生涯に産む子供の数を推計した合計特殊出生率が、
東京都内で1.0を下回ったのは三年前の2003年。

ところが、自分の住まいする佃界隈では、ガラガラと音も勇ましく、
悠然と闊歩するベビー・カー軍団を頻繁に見かける。
その傍若無人のスタンスに、少々ウンザリする時もある。
ところが実家方面ではサッパリ。
3日間も若い女性を見ないこともある。
このギャップは何なのだろうか?

日本の人口問題について、歴史的に簡単に振り返ってみる。

昭和時代の2.26事件の黒幕と見なされ、処刑された思想家・北一輝が、
「日本改造法案大綱」を出したのは今から約80年前。

天皇大権の発動によるクーデターで国家改造を実現し、積極的に海外進出
を果たそうとする同大綱の緒言に、
「わが日本また50年間に二倍せし人口増加率によりて百年後、少なくとも
2億5千万人を養うべき大領土を余儀なくせらる」の一説がある。
現実には、日本は2億5千万の半分の1億3千万人からUターンする結果に
なっている。

江戸末期の約3,500万人以降、日本の人口はほぼ150年にわたって増え続けてきた。
第一次大戦直前の1912年に5千万人。
高度成長真っ只中の1967年に1億人を突破。
そこから40年弱で頂点に達したことになる。

この間、日本政府の人口政策は揺れた。
大正末期から昭和初期にかけては食料不足から産児制限運動が高まった。
年間2万人弱が南米などへ移民したのもこの時期である。

ところが戦時色が濃くなると方針は180度転換。
1941年に閣議決定した人口政策確立要綱では、1960年までに1億人を目指すと
定められた。いわゆる“産めよ殖やせよ”である。

戦後は再び過剰論が台頭。
1948年には人工妊娠中絶に道を開く優生保護法が施行され、
1974年に開催された日本人口会議では、大会宣言に「子供は二人まで」と謳った。
その延長線上にあるのが現在の底の見えない出生減である。

合計特殊出生率が1.2台という超小子は、個人の選択を超えた国家の危機ではある。
計算上では、百年後に4千万人、2百年後には8百万人になるという数字は、確かに
危機的状況ではある。

産む、産まないのは個人の自由である。
という前に、実際に子供を産むのは女性である。
その女性をして子供を産む意志を持たせなくてはならない。
しかし一方で、中途半端に子供を産むと、「(精神的に)子供の女性が子供を放置する」
という深刻な問題も発生する。

こともなげに電車の中で平気で化粧しているバカ丸出しの若い女性を見ると、
あんなのに(日本の将来を委ねる)子供を産ませてていいのかという気にもなる。
この少子化問題、根が余りに深い。
どこかのCMではないけど、「さてどうする?」、「つっづく~」の問題ではある。

2006年12月18日

2006年追想録(3) 武井保雄・武富士元会長の死

消費者金融「武冨士」を創業、サラ金の帝王と呼ばれた武井保雄・前会長が8月10日、
肝不全で死去した。享年76歳。
金融のグローバル化の中、日本の銀行総サラ金化の中での死だった。

今から約20年前、本社が東京駅・八重洲口にあった頃、武富士から招聘を受けた。
当時は激しい取り立てに対する「サラ金地獄批判」を乗り越え、86年に店頭公開した直後。
国際的な見地から、インパクト・ローン(外貨の転換による円の調達)を中心に、
海外から資金調達をするための特別チームへの招聘であった。

80年代前半、外資系金融は競って武冨士を始めとするサラ金に融資していった。
国内企業より割高な金利で貸し出すことが可能であったから、結果を追及する外資系金融には
格好のターゲットではあった。
担当者との交渉の中で、武富士からの招聘は突然の話ではなかった。
相応の条件を提示され、入社書類を届ける寸前までいった。

ところが、その必要書類の中にある「親の承諾書」が問題だった。
当時実父は既になく、母親の直筆サインと陰影が必要だった。
初っ端から泣かれた。
「サラ金に入れるために育てたのではない」「親戚に顔向けができない」。

巻紙に毛筆の至極丁寧な“ラブレター”をくれた(当時は社長だった)武井さんに、
その状況を伝えに行った。
「仕様がない。縁がなかった」。
武井さんはサラッとそれだけ言って、応接室から消えていった。

杉並区にある「真正館」と名付けられ、地下にプールや大浴場のある、
総面積1,400坪のドでかい“自宅”に何度も招待された。
周囲を3メートル近くある壁に囲まれた豪邸には、“牛みたいな”番犬が数匹いた。
追っ掛けられた時には一巻の終りかと思った。

艶福家であり、愛人は片手で済まないと言われた武井さんであった。
当時の武富士本社受付、社長秘書の美人度はトリプルA。
これ全部武井さんの愛人かなどと思った。

しかし、奥さんの博子さんは優しかった。
武井さんがネギの産地の深谷出身という話を持ち出すと、昔の主人は苦労したのよ
などと相好を崩し、これでもかと盛大に料理が出た。

これまでサラ金のボロ儲けを支えてきたグレーゾーン金利が一本化され、最高金利が
低く抑えられる状況になっている。
そうした環境の中、消費者金融大手のほとんどが既にメガバンクか外資の系列に入っている。
独立系は武冨士とプロミス。
金融庁は消費者金融をメガバンクか外資の傘下に入れることでコントロールしたいとの意向を
明確にしている。

金融のグローバル化で、日本の銀行のサラ金化が顕著になっている。
日本の金融は、一時は徹底的に忌避した消費者金融を取り入れることによって、
必死に生き残りを図っている。
1980年代当時、サラ金を悪と呼び、サラ金業界を追い詰めていった金融業界の態度は、
一体何だったのか。
こうして、一時は経団連のメンバーにもなった武井さんは次第に追い詰められていった。

確かに埼玉・大宮の闇市時代を中心に、暗い過去を取り沙汰された武井さんではあった。
日本の金融の一時代を画したサラ金時代の終焉。
ただ偶然にしろ、そうした“希代の寵児”に出会う機会があったことを幸運に思っている。合掌。


2006年追想録(2) 橋本龍太郎元首相の死

2006年の目玉に、約5年続いた小泉純一郎首相の退陣が上げられる。
ただ自分にとっては、日本版ビッグバンの生みの親である橋本龍太郎元首相が
亡くなったことがもっとインパクトのある出来事だった。

7月1日に亡くなった橋本元首相は、小泉首相下では確かに影が薄かった。
しかし自分にとっては、本格的に文筆業を開始した当時の日本の首相であり、
「日本版ビッグバンの生みの親」である同氏に対する評価の低さに大いに不満である。

第二次橋本内閣が成立した直後の1996年11月11日、何の前触れもなく、
「日本版ビッグバン構想」が発表される。

その主要テーマは
「Free(市場原理に基づく自由な市場に)」
「Fair(透明で公正な市場に)」
「Global(国際的で先端的な市場に)」

ただその基本方針は、その意味が余りにマクロ的で曖昧で、
具体的に日本どう変わるのかが頓着された。
その後の金融再編のドラスティックな動きはご存知の通りである。

手入れに毎朝40分を要する(と言われている)ピカピカのポマード頭と、
その油が起因するテカテカ顔。
ボタンダウンの白シャツとレジメンタル(縦縞模様の)ネクタイ。
吸ってるタバコが(もはや害毒としか思えない、時代遅れの)チェリー。
趣味は靴磨き。艶福家で、女性が絡むスキャンダルも片手で済まない。

「怒る・威張る・拗ねる」の論調で表現される橋本元首相はしかし、
絶対的な存在感があった。
1994年(平成7年)に自民党総裁となり、翌95年(平成8年)1月、
村山首相の退陣を受け首相に就任する。
就任当時から橋龍と呼ばれ、歌舞伎役者に似た容貌から橋龍人気は沸騰した。

その人気抜群の同氏も、1998年(平成10年)7月、参院選挙の敗北で辞任。
2000年(平成12年)には橋本派の旗揚げ。
総体的な評価は「保守本流で優秀、筋も通す」。
しかし一方で、
「派閥に興味を持たず、田中角栄元首相のような金による影響力の行使や、
小泉首相のような蛮勇はない」。

返り咲きを目指した2001年(平成13年)の総裁選挙で小泉首相に大敗を喫し、急速に
影が薄れていった。
2004年(平成16年)には日本歯科医師連盟から派閥への、1億円のヤミ献金疑惑が発覚。
同氏は受領の記憶がないと主張、結果的に不起訴とはなったが、同氏個人への献金疑惑
は拭い去れなかった。
加えて、1991年(平成3年)に富士銀行赤坂支店で発覚した16億円の巨額融資事件に関係が
あったことが明るみに出た。

こうして考えれば、ある意味“昔の日本の政治家”の様相で、影の部分もチラチラする。
とは言え、少なくとも自分にとって、政治と経済の結びつきを本格的に考えるようになった
“重要人物”であった。言葉を変えれば“隠れ橋龍ファン”だったのである。

日本版ビッグバンから10年、世の中が大きく変わった。
ここから先も(ある意味では)未知の世界である。
やりたいことはやった、思い残すことはないと、の橋龍一流のスタンスではあろうが、
予想以上に簡単に逝かれ、少々気が抜けている。合掌。

2006年追想録(1) 為替ディーラー宿沢広朗の死

ラグビーの元日本代表監督で、三井住友銀行取締役専務執行役員である
宿沢広朗(しゅくざわ・ひろあき)氏が6月17日、心筋梗塞のため死去した。
群馬・赤城山からの下山途中の突然の死だった。

埼玉・熊谷高校から早稲田大学・政経学部。
名門・早稲田ラグビー部のスクラム・ハーフとして活躍、1970年度、1971年度の
日本選手権2連覇に貢献した。
学生チームとしての早稲田が、社会人チームを抑えての優勝はこれが最後である。

早稲田を卒業後、当時の住友銀行(現三井住友)に入行。
京大ラグビー部出身の当時の磯田一郎頭取の絶大なる支援を受け、
主としてロンドン金融市場の最前線で活躍した。
ロンドン在住が(当時の常識を超える)7年超となり、当時の氏に対する評価は、
「金融を勉強に行っているのか、はたまたラグビーの研究に行っているのか?」

こうした磯田頭取の絶対的な支援の甲斐あって、1989年ラグビー日本代表監督に就任。
日本代表監督としての初戦は同年5月のスコットランド戦、28-24で歴史的勝利する。
また英国を主会場とした91年のラブビーワールドカップで、二回目出場の日本代表を
ジンバブエ戦でW杯初勝利に導いたのも氏の功績だった。

ラグビー界に伝説を残した氏は、東京外為市場にもまた強烈な伝説を残した。
英国から帰国後、氏は当然のように東京外為市場に登場したが、
当時は頻繁だった為替ブローカーとの懇親会に出たのが、
「(伝説の)活き金魚飲ませ事件」。

新入ブローカーおよび新入行員を中心に、カツを入れると称して、活きた金魚の丸呑みを
強要したという“事件”である。
為替市場では“恐怖の金魚丸呑み”と怖れ、被害者累々といった話が東京市場に流れた。

この一連の行為は「宿沢伝説」、あるいは「為替ディーラー黄金の時代伝説」として
東京市場に残っていた。
1995年、東京外為市場列伝を取り上げた筆者が、その丸呑み模様を暴露した。
以降氏は、頻繁に出演していたNHKを中心としたラブビー試合の解説から離れていった。

同窓生として、“いかにも早稲田っぽい”と好意的に取り上げたつもりだったが、
完全に裏目に出た。
一旦活字になったものは致し方ない。
列伝を掲載した著作は、各金融ブローカーに今でも配置されている。

要は、宿沢広朗は日本を代表するラブビー選手であると同時に、為替ディーラーとして、
市場創成期を担った市場戦士でもあったわけである。
2003年のワールドカップ以降は協会を離れて銀行業に専念、三井住友銀行の法人営業の
要として重責を担っていた。

日本ラグビー協会としては「宿沢待望論」が根強かっただけに、その早すぎる死を惜しむ声が
あるのは言うまでもない。
同氏の死を聞いた時、「ラグビーで鍛え抜いた人間が、ハイキング的な山登りで死ぬなよ」と
思ったが、それもまた寿命。

同年代として文武両道を実践する、早稲田的人間には違いなかった。合掌。

2006年12月11日

国際都市・東京の巨大ホテル戦争

世界有数の国際都市・東京には、ランドマークとしての巨大ホテルが乱立する。
場所を説明するのに“××ホテルのすぐ側”という言い方をすれば事済み、
待ち合わせする場合にも“××ホテルのロビー”という言い方をすれば、
まずは間違いない。

全日本空輸の旗艦大型ホテル・東京全日空ホテル(ANAホテル東京)の創業は1986年。
創業当時から、見晴らしがよく、天気の良い日は富士山が見える37Fのメイン・バーを、
私的・公的を問わず、頻繁に使ってきた。
そして青柳事務所として出発して以降は、事務所自体が手狭なこともあり、同メインバーを
応接間代り(!?)に使わせてもらってきた。
現在そのメインバーは36Fに引越ししたが、創業以来20年、お陰様で、ラウンジの大概の
スタッフとも顔馴染みだし、恐れ多いことに、同ホテルからお中元・お歳暮をもらったり(!?)
している。

その全日本空輸が12月8日、
国内に保有する全13ホテルの土地・建物を売却することを明らかにした。
12月からのホテルの運営は、英系インターコンチネンタル・ホテルズ・グループ(IHG)と
共同で設立した新会社が引き継ぎ、ホテル名も「ANAインターコンチネンタル」となる。
ただ売却によるスタッフの大幅な削減はない模様である。

全日空は80年代から大型ホテルを相次ぎ開業し、事業の柱にしてきた。
ホテル事業の売上高は06年3月期で663億円で、46億円の営業黒字を計上。
06年9月中間期は、売上高・営業利益ともに前年同期実績を上回っている。
業績が順調なうちにホテル資産を売却し、従来の多角化路線から徐々に撤退する。

背景には都心の大型ホテルの改装ラッシュがある。
2007年の団塊の世代の大量退職を控え、目の肥えた富裕層が台頭し「癒し」を求めて
宿泊客が増える可能性が高い。
提供するサービスだけでなく、ハード面でのテコ入れが不可欠。
各ホテルは高級感を全面に出し、独自色を打ち出そうと必死になっている。

こうした流れに沿って、西武ホールディングズ傘下のプリンスホテルが2008年度までに
総額110億円の資本投下、ホテルニューオータニが07年10月までに100億円、
ホテルオークラが08年までに150億円、帝国ホテルが08年までに150億円の資本投下。
そして極めつけが、ビートルズが宿泊した伝説のホテル、キャピトル東急ホテルが
2010年再開業を目指し、総額400億円で建て替えを実施する。

またここ数年、世界の有名ホテルの東京進出も目立っている。
2006年7月にはコンラッド東京(汐留)、12月にはマンダリンオリエンタル(日本橋)、
2007年春にはザ・リッツ・カールトン(六本木)、同2007年夏にはペニンシュラ東京(日比谷)。
外資系ホテルの猛ラッシュである。

そして外資系ホテルの参入は、その場所の雰囲気を一気に変えてしまう。
例えば、六本木の旧防衛庁跡地に建設中のリッツ・カールトンが完成することにより、
六本木そのものも変貌する。
昭和30年代の六本木・伝説の飲み屋街、旧竜土町も復活(!!)する。
大江戸線直通の同ホテルは、同時に地下街も完成することにより、IT企業の巣と化した
六本木ヒルズを凌駕するのは必至の情勢である。
(”のりの”のスタッフのみなさん、乞うご期待!!)

そんなに多くの有名ホテルが競争して共倒れにならかいかと危惧せざるを得ないが、
国際都市・東京のホテル戦争はこれからが本番である。

2006年12月10日

石原真理子シンドローム(症候群)

女優の石原真理子の書いた(?)「ふぞろいな秘密」が
大きな話題になっている。

石原真理子が依然として女優と言えるかどうかは別にして、
この世の中、女優イコール作家である場合は極端に少ない。
従って今回の著作も十中八九口述筆記。
それは出版界の常識。
通常はプロのライターがインタビューし、書き下ろす。

仮に200ページの本を作成するとして、一体どの程度の字数が必要か。
標準的には、600字×200ページ=120,000語が前提。
これをワードの標準ファイル仕様・40字×36行=1,440字に当てはめると、
ファイル数にして約83。
この数は、素人がそう簡単にクリアできる数字ではない。
だから冒頭の「...書いた」の後に「?」をつけたのである。

少々出版業界のミクロの分野から説明してみたが、
くだんの石原真理子、まさに「(80年代の)バブルの遺産」。
80年代は全く意味もなく、若い女性、特に女子大生が持て囃された。
当時のスタイルは、美人も、そうでない人も、ワンレングスと太い眉。
そして脚のキレイな人も、そうでない人も一律にミニスカ。

その時のスタイルを石原真理子は、全く変わらず踏襲してる。
42歳ってオバさんだろ!って...
その姿に思わず笑ってしまった。

ご存知とは思うが、 タイトルの「ふぞろいな秘密」は、彼女が出演した
テレビドラマの「ふぞろいな林檎たち」に由来している。
主題歌はサザンが担当し、80年代の世代を映したドラマとして、
それなりに有名なドラマではあった。

とは言え、「北の国から」や「男はつらいよ」等の日本の代表作ではない。
何故なら、日本人の根幹のスピリット=精神論に拠るものではなく、
ひたすらにバブル時代の不安定な世情を反映した”風俗モノ”であった。

昨今では「いじめ」や「引きこもり」など、教育に関する問題が深刻になっている。
その諸般の根源にあるのが、「バブル時代の女子大生が母親になっている」
という点である。
バブル時代の女子大生は、よほどヒドイ場合を除いて、大概が美味しい思いを
してきている。ただ若い女子大生というだけで、持て囃された。
結果、
「自分が努力しないでも、何とかなる」という不埒な発想が根源に残っている。
その発想を、今度は自分が産んだ子供に向ける。
不埒な発想を向けられた子供も、たまったものではない。

「公園デビュー」やら「お受験」やら、バブルの発想が至るところに残っている。
バカなオンナが産んだ子供は、やはりバカ。
どんなにタネを変えようと、それ以上でも以下でもない。
時には”突然変異”という例が1万年に1回程度はあろうが、根幹のDNAは
そう簡単には変異しない。

自分が女優として再生するため、ヘアヌード写真集が効果がなかったから、
今度はテロより怖い暴露本ですか...
実名を上げて、自分の寝たオトコを暴露してどうする?

昨今の教育問題にジャストタイミングでの石原真理子の暴露本に、
今後の日本の行く末を思った次第。
バカな(中年)オンナがその気になってのさばらないことを祈るのみ。

安倍首相の言う「美しい国・日本」は程遠いのであります。


2006年12月05日

デッセンバー・ウインド(2)

ついに2006年も師走。
日本各地からは、雪の便りも伝えられてはいるが、東京では師走という
実感がない。
自分の部屋中では依然としてTシャツ一枚と、パジャマ1枚の格好でいる。
多少は”涼しく”はなったが、震えるような寒さには出合っていない。
東京はやはり亜熱帯化しているようである。

最近、赤羽に行く機会があった。
荒川を越えれば埼玉県という、東京の北の限界・赤羽である。
ついでに飲み屋街を俳諧した。
当然ながら、銀座・六本木とは雰囲気が異なる。

自分の大学時代、池袋の延長として赤羽があった。
富山から上京する際、上野下車で山手線で(下宿のある)高田馬場に行くより、
赤羽下車→池袋→高田馬場のコースが20分ばかり短縮できたからである。

必然的にして赤羽で飲む機会もあった。
当時は詰襟の学生服に「W」のバッジと、学部を示す「政経」「法」等のバッジがあると、
学割なる便利な(!?)制度があった。十分活用させてもらった。
全体的におおらかな雰囲気のある街だった。

その学割の効く店の中に、超有名キャバレーがあった。
確か「学割で2,500円で飲ませてもらっていた」と記憶している。
現在の物価が当時の約6倍として、換算すれば15,000円。
飲み放題、時間無制限だったが、今から考えれば、極端に安くもない
といった勘定にはなる。

オーナーが超有名人の、その老舗のキャバレーが今でも健在。
ギネスブックにその名を留めた、今を時めく、「みのもんたご推奨の店」である。

35年振り(!?)にそのキャバレーに入ってみた。
変わっていなかった。
そこにあるのは昭和40年代のレトロの世界。
言い換えれば、IT時代に、アナログの雰囲気が一杯といった風情。

ハウスボトルという、寄せ集めのウイスキーもそのまま。
テレビを映している側で、生バンドが演奏している。
勤務する女性軍も、最近人気のタレントの源氏名を使用、店内マイクで
頻繁に呼び出しがかかる。
中にはハッとする女性もいたにはいたが、ハウスボトル効果(!?)で、
後は朧(おぼろ)の”いつもの世界”になっていった。

こうして”夢のような”時間が過ぎていったが、
酔いが醒めて、過ぎ去った時間の”長さ”を感じていた。
たまにはああした「レトロの雰囲気」もいいかも知れない。

デッセンバー・ウインド。
過ぎ行く時間を感じつつ、何気にノスタルジックになる師走であります。

皆が幸せになる「魔法の薬」の期限切れ兆候

円の対外価値を示す実質実効レートは、ここ7年円安傾向辿り、
現在はプラザ合意後の歴史的安値圏にある。
円を売って高金利通貨に替え・投資する手法を「円キャリー取引」と呼んでいるが、
現在の一連の円安傾向の大きな要因は円キャリー取引。
しかしこの円キャリー取引増加を通じ、円安の自己増殖(円キャリーバブル)現象が
始っている。

円キャリーバブルが拡大する局面では、円安は参加者全員を幸せにする「魔法の薬」。
ただバブルの常として、バブルがどこまで膨張し、どこで崩壊し、後の痛みがどの程度
になるかは崩壊してみないと分からない。

ここにいう参加者とは、日本の個人投資家による高利回り外国債券の購入が典型例だが、
為替証拠金取引もその範疇に入る。
また海外の個人が低金利の円を借入れ、為替リスクをとりながら現地の住宅購入などに
充てる(仕組みローン)のも円キャリー取引に分類される。

民間調査では、
外債投資(1999年以降、投信経由を含む)は約30兆円、為替証拠金取引が約2兆円、
海外の仕組みローンとヘッジファンドを含めると表面的には40兆円を上回ると推計。
また輸入予約の前倒し・輸出予約の手控えなどを含めると、ゆうに50兆円を超えると
見られている。

マクロ面から考えれば、円キャリーバブルは、日銀が低金利政策で世界中に流動性資金
を供給し続けてきた(垂れ流してきた)ことに他ならない。
世界経済に下振れ懸念がある局面では世界景気を下支えするが、一旦インフレ懸念が
出始めると円キャリー取引による流動性供給が金融引き締め効果を弱め、
「利上げ→円キャリー取引による流動性増加→インフレ→インフレ→利上げ」の
悪循環(スパイラル現象)を引き起こす。

豪ドル・NZドルを始めとする新興国通貨は勿論、英ポンドや、今や世界の一大通貨になり
始めているユーロもその流れの中にある。
2006年における「円安VSポンド高・ユーロ高」は歴史的なものになっている。

80年代後半の日本の金融政策は格好の反省材料である。
超低金利政策の長期化が資産バブルを生み、その後の短期間での急激な利上げによって
超円高時代が到来した。
ひとたび急激な円高が始ると、当局の市場介入など何の役にも立たないのは実証済みである。

金融市場は「表面的・実質的な利上げ」よりも、「利上げ期待感」に敏感に反応する。
要は日銀が内外金利差が十分縮小するまで利上げをすことを示唆する(フェイントをかける)だけで、
一連の一方的な円安は阻止される。

グリンスパンFRB前議長の言う「市場との会話」とは、そうした「市場との駆け引き」を指すのである。
このまま手をこまねいていては、超円高時代の再来の可能性を含んでいる。
12月に入ってのジリジリした円高・ドル安の流れは、実は”深い意味”を持っているのである。

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