2006年追想録(1) 為替ディーラー宿沢広朗の死

ラグビーの元日本代表監督で、三井住友銀行取締役専務執行役員である
宿沢広朗(しゅくざわ・ひろあき)氏が6月17日、心筋梗塞のため死去した。
群馬・赤城山からの下山途中の突然の死だった。

埼玉・熊谷高校から早稲田大学・政経学部。
名門・早稲田ラグビー部のスクラム・ハーフとして活躍、1970年度、1971年度の
日本選手権2連覇に貢献した。
学生チームとしての早稲田が、社会人チームを抑えての優勝はこれが最後である。

早稲田を卒業後、当時の住友銀行(現三井住友)に入行。
京大ラグビー部出身の当時の磯田一郎頭取の絶大なる支援を受け、
主としてロンドン金融市場の最前線で活躍した。
ロンドン在住が(当時の常識を超える)7年超となり、当時の氏に対する評価は、
「金融を勉強に行っているのか、はたまたラグビーの研究に行っているのか?」

こうした磯田頭取の絶対的な支援の甲斐あって、1989年ラグビー日本代表監督に就任。
日本代表監督としての初戦は同年5月のスコットランド戦、28-24で歴史的勝利する。
また英国を主会場とした91年のラブビーワールドカップで、二回目出場の日本代表を
ジンバブエ戦でW杯初勝利に導いたのも氏の功績だった。

ラグビー界に伝説を残した氏は、東京外為市場にもまた強烈な伝説を残した。
英国から帰国後、氏は当然のように東京外為市場に登場したが、
当時は頻繁だった為替ブローカーとの懇親会に出たのが、
「(伝説の)活き金魚飲ませ事件」。

新入ブローカーおよび新入行員を中心に、カツを入れると称して、活きた金魚の丸呑みを
強要したという“事件”である。
為替市場では“恐怖の金魚丸呑み”と怖れ、被害者累々といった話が東京市場に流れた。

この一連の行為は「宿沢伝説」、あるいは「為替ディーラー黄金の時代伝説」として
東京市場に残っていた。
1995年、東京外為市場列伝を取り上げた筆者が、その丸呑み模様を暴露した。
以降氏は、頻繁に出演していたNHKを中心としたラブビー試合の解説から離れていった。

同窓生として、“いかにも早稲田っぽい”と好意的に取り上げたつもりだったが、
完全に裏目に出た。
一旦活字になったものは致し方ない。
列伝を掲載した著作は、各金融ブローカーに今でも配置されている。

要は、宿沢広朗は日本を代表するラブビー選手であると同時に、為替ディーラーとして、
市場創成期を担った市場戦士でもあったわけである。
2003年のワールドカップ以降は協会を離れて銀行業に専念、三井住友銀行の法人営業の
要として重責を担っていた。

日本ラグビー協会としては「宿沢待望論」が根強かっただけに、その早すぎる死を惜しむ声が
あるのは言うまでもない。
同氏の死を聞いた時、「ラグビーで鍛え抜いた人間が、ハイキング的な山登りで死ぬなよ」と
思ったが、それもまた寿命。

同年代として文武両道を実践する、早稲田的人間には違いなかった。合掌。

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