過ぎ行く2006年を振り返る(1)人口減少問題

いよいよ2006年も年末。
過ぎ行く2006年を惜しんで、2006年の回顧を。

2005年12月27日、
竹中平蔵総務相が閣議で報告した2005年国勢調査の人口速報値では、
『2005年10月1日現在の総人口は1億2,775万6,815人。2004年10月時点の
推計人口に比べ、約1万9千人減少』と、戦後初の人口減少状態となった。

2006年は「総人口の初の減少」が大きくクローズアップされてきた。
女性ひとりが生涯に産む子供の数を推計した合計特殊出生率が、
東京都内で1.0を下回ったのは三年前の2003年。

ところが、自分の住まいする佃界隈では、ガラガラと音も勇ましく、
悠然と闊歩するベビー・カー軍団を頻繁に見かける。
その傍若無人のスタンスに、少々ウンザリする時もある。
ところが実家方面ではサッパリ。
3日間も若い女性を見ないこともある。
このギャップは何なのだろうか?

日本の人口問題について、歴史的に簡単に振り返ってみる。

昭和時代の2.26事件の黒幕と見なされ、処刑された思想家・北一輝が、
「日本改造法案大綱」を出したのは今から約80年前。

天皇大権の発動によるクーデターで国家改造を実現し、積極的に海外進出
を果たそうとする同大綱の緒言に、
「わが日本また50年間に二倍せし人口増加率によりて百年後、少なくとも
2億5千万人を養うべき大領土を余儀なくせらる」の一説がある。
現実には、日本は2億5千万の半分の1億3千万人からUターンする結果に
なっている。

江戸末期の約3,500万人以降、日本の人口はほぼ150年にわたって増え続けてきた。
第一次大戦直前の1912年に5千万人。
高度成長真っ只中の1967年に1億人を突破。
そこから40年弱で頂点に達したことになる。

この間、日本政府の人口政策は揺れた。
大正末期から昭和初期にかけては食料不足から産児制限運動が高まった。
年間2万人弱が南米などへ移民したのもこの時期である。

ところが戦時色が濃くなると方針は180度転換。
1941年に閣議決定した人口政策確立要綱では、1960年までに1億人を目指すと
定められた。いわゆる“産めよ殖やせよ”である。

戦後は再び過剰論が台頭。
1948年には人工妊娠中絶に道を開く優生保護法が施行され、
1974年に開催された日本人口会議では、大会宣言に「子供は二人まで」と謳った。
その延長線上にあるのが現在の底の見えない出生減である。

合計特殊出生率が1.2台という超小子は、個人の選択を超えた国家の危機ではある。
計算上では、百年後に4千万人、2百年後には8百万人になるという数字は、確かに
危機的状況ではある。

産む、産まないのは個人の自由である。
という前に、実際に子供を産むのは女性である。
その女性をして子供を産む意志を持たせなくてはならない。
しかし一方で、中途半端に子供を産むと、「(精神的に)子供の女性が子供を放置する」
という深刻な問題も発生する。

こともなげに電車の中で平気で化粧しているバカ丸出しの若い女性を見ると、
あんなのに(日本の将来を委ねる)子供を産ませてていいのかという気にもなる。
この少子化問題、根が余りに深い。
どこかのCMではないけど、「さてどうする?」、「つっづく~」の問題ではある。

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