2006年追想録(2) 橋本龍太郎元首相の死
2006年の目玉に、約5年続いた小泉純一郎首相の退陣が上げられる。
ただ自分にとっては、日本版ビッグバンの生みの親である橋本龍太郎元首相が
亡くなったことがもっとインパクトのある出来事だった。
7月1日に亡くなった橋本元首相は、小泉首相下では確かに影が薄かった。
しかし自分にとっては、本格的に文筆業を開始した当時の日本の首相であり、
「日本版ビッグバンの生みの親」である同氏に対する評価の低さに大いに不満である。
第二次橋本内閣が成立した直後の1996年11月11日、何の前触れもなく、
「日本版ビッグバン構想」が発表される。
その主要テーマは
「Free(市場原理に基づく自由な市場に)」
「Fair(透明で公正な市場に)」
「Global(国際的で先端的な市場に)」
ただその基本方針は、その意味が余りにマクロ的で曖昧で、
具体的に日本どう変わるのかが頓着された。
その後の金融再編のドラスティックな動きはご存知の通りである。
手入れに毎朝40分を要する(と言われている)ピカピカのポマード頭と、
その油が起因するテカテカ顔。
ボタンダウンの白シャツとレジメンタル(縦縞模様の)ネクタイ。
吸ってるタバコが(もはや害毒としか思えない、時代遅れの)チェリー。
趣味は靴磨き。艶福家で、女性が絡むスキャンダルも片手で済まない。
「怒る・威張る・拗ねる」の論調で表現される橋本元首相はしかし、
絶対的な存在感があった。
1994年(平成7年)に自民党総裁となり、翌95年(平成8年)1月、
村山首相の退陣を受け首相に就任する。
就任当時から橋龍と呼ばれ、歌舞伎役者に似た容貌から橋龍人気は沸騰した。
その人気抜群の同氏も、1998年(平成10年)7月、参院選挙の敗北で辞任。
2000年(平成12年)には橋本派の旗揚げ。
総体的な評価は「保守本流で優秀、筋も通す」。
しかし一方で、
「派閥に興味を持たず、田中角栄元首相のような金による影響力の行使や、
小泉首相のような蛮勇はない」。
返り咲きを目指した2001年(平成13年)の総裁選挙で小泉首相に大敗を喫し、急速に
影が薄れていった。
2004年(平成16年)には日本歯科医師連盟から派閥への、1億円のヤミ献金疑惑が発覚。
同氏は受領の記憶がないと主張、結果的に不起訴とはなったが、同氏個人への献金疑惑
は拭い去れなかった。
加えて、1991年(平成3年)に富士銀行赤坂支店で発覚した16億円の巨額融資事件に関係が
あったことが明るみに出た。
こうして考えれば、ある意味“昔の日本の政治家”の様相で、影の部分もチラチラする。
とは言え、少なくとも自分にとって、政治と経済の結びつきを本格的に考えるようになった
“重要人物”であった。言葉を変えれば“隠れ橋龍ファン”だったのである。
日本版ビッグバンから10年、世の中が大きく変わった。
ここから先も(ある意味では)未知の世界である。
やりたいことはやった、思い残すことはないと、の橋龍一流のスタンスではあろうが、
予想以上に簡単に逝かれ、少々気が抜けている。合掌。
