2006年追想録(3) 武井保雄・武富士元会長の死
消費者金融「武冨士」を創業、サラ金の帝王と呼ばれた武井保雄・前会長が8月10日、
肝不全で死去した。享年76歳。
金融のグローバル化の中、日本の銀行総サラ金化の中での死だった。
今から約20年前、本社が東京駅・八重洲口にあった頃、武富士から招聘を受けた。
当時は激しい取り立てに対する「サラ金地獄批判」を乗り越え、86年に店頭公開した直後。
国際的な見地から、インパクト・ローン(外貨の転換による円の調達)を中心に、
海外から資金調達をするための特別チームへの招聘であった。
80年代前半、外資系金融は競って武冨士を始めとするサラ金に融資していった。
国内企業より割高な金利で貸し出すことが可能であったから、結果を追及する外資系金融には
格好のターゲットではあった。
担当者との交渉の中で、武富士からの招聘は突然の話ではなかった。
相応の条件を提示され、入社書類を届ける寸前までいった。
ところが、その必要書類の中にある「親の承諾書」が問題だった。
当時実父は既になく、母親の直筆サインと陰影が必要だった。
初っ端から泣かれた。
「サラ金に入れるために育てたのではない」「親戚に顔向けができない」。
巻紙に毛筆の至極丁寧な“ラブレター”をくれた(当時は社長だった)武井さんに、
その状況を伝えに行った。
「仕様がない。縁がなかった」。
武井さんはサラッとそれだけ言って、応接室から消えていった。
杉並区にある「真正館」と名付けられ、地下にプールや大浴場のある、
総面積1,400坪のドでかい“自宅”に何度も招待された。
周囲を3メートル近くある壁に囲まれた豪邸には、“牛みたいな”番犬が数匹いた。
追っ掛けられた時には一巻の終りかと思った。
艶福家であり、愛人は片手で済まないと言われた武井さんであった。
当時の武富士本社受付、社長秘書の美人度はトリプルA。
これ全部武井さんの愛人かなどと思った。
しかし、奥さんの博子さんは優しかった。
武井さんがネギの産地の深谷出身という話を持ち出すと、昔の主人は苦労したのよ
などと相好を崩し、これでもかと盛大に料理が出た。
これまでサラ金のボロ儲けを支えてきたグレーゾーン金利が一本化され、最高金利が
低く抑えられる状況になっている。
そうした環境の中、消費者金融大手のほとんどが既にメガバンクか外資の系列に入っている。
独立系は武冨士とプロミス。
金融庁は消費者金融をメガバンクか外資の傘下に入れることでコントロールしたいとの意向を
明確にしている。
金融のグローバル化で、日本の銀行のサラ金化が顕著になっている。
日本の金融は、一時は徹底的に忌避した消費者金融を取り入れることによって、
必死に生き残りを図っている。
1980年代当時、サラ金を悪と呼び、サラ金業界を追い詰めていった金融業界の態度は、
一体何だったのか。
こうして、一時は経団連のメンバーにもなった武井さんは次第に追い詰められていった。
確かに埼玉・大宮の闇市時代を中心に、暗い過去を取り沙汰された武井さんではあった。
日本の金融の一時代を画したサラ金時代の終焉。
ただ偶然にしろ、そうした“希代の寵児”に出会う機会があったことを幸運に思っている。合掌。
