2007年01月30日

「女性は子供を産む機械」論の是非

1月27日、柳沢伯夫厚生労働相が島根県松江市での講演中、少子化の解消策として、
「産む機械、装置の数は決まっちゃった」
「あとは一人頭で頑張ってもうらうしかない」
と発言、「子供を産む機械」の言い方を巡って問題となっている。

柳沢厚生労働相は、東大法学部→大蔵省→衆院議員→閣僚という典型的エリート族。
顔からして、昭和30年代の秀才然とした、強持てするお方。
その方が何気に「女性=機械」と言ったものだから、世の中騒然。

特に、常々女っけがない、女の顔をした男だッ、と言われる女性議員、
とりわけ社民党の女性議員は口に泡して叫びまくっている。
しかし、そんなに騒ぐことなのだろうか?
表には出ないが、日本のオトコの中にはニンマリしている者がいるに違いない。

昨今の日本では、「若い女性である」というそれだけで、
電車の中で堂々と化粧をしてみたり、食事をすることも許されると勘違いしている。
繁華街では、無闇に短いスカートを履きながら、尻を手で隠してエスカレーターを上る。
見てもダメ、見なくてもダメ、要は自分を注目せよといった、頭が空っぽの発情したメス然の
若い女性をたくさん見掛ける。

自分が勉学するわけでもなく、努力しないでセレブと言われる生活を望み、
姿・形でオトコをひきつけようと必死になる種族が闊歩する。
そうしたノータリンの若い女性を見てしまえば、単なる「子供を産む機械」と言い切っても
何等問題がないように思う。

ただ日本の女性の名誉のために言っておくが、
自分が本当にやりたい目標を見つけ出し、鋭意邁進している女性たちも数多くいることも
また事実である。
そういう努力している女性たちは、
「単に子供を産む機械にならないため」に
「産んだ子供に世の中に役立つDNAを残すため」に
目一杯努力しているのである。
真に努力している女性は、今回の舌禍事件、我関せずであろう。

いずれにしても最近の安倍首相、ほんとに苦労が多い。
「同居問題」「会計問題」「失言問題」と矢継ぎ早に問題が起きている。
小泉さんだったら今回のような問題、カンラカラと笑って済ましたに違いない。

安倍政権、今年の参院選挙ダイジョーブか?
そのまんまの変以降、何気に日本がガタついている。

2007年01月28日

ある日、すし屋で...

2007年1月某日、築地の行き着けのすし屋のカウンターで飲んでいた。
通常は禁煙のそのすし屋も、何故か週末は禁煙が解除される。
週末がOKなら、全日タバコをOKにせよ、と思うが、
それがその店のスペシャル・サービスだと言い張るから致し方ない。

通常は、ウィスキー+氷+レモンスライス+炭酸、要はウィスキーハイボールを
常用しているが、すし屋では
焼酎+氷+レモンスライス+炭酸、要は昔のチューハイということにしている。
結局は、ウィスキーか焼酎の違いでしかないが、それはそれで自分なりの”こだわり”。

そうしたチューハイを3杯ほど飲んだ頃、若い男女が入ってきた。
男は小太りで、社会人成り立てか、あるいは大学院生。
女性はよく言えばスレンダー美人、普通に言えば凸凹のない消しゴム付き鉛筆仕様。
アッ、ヤバイ、隣に来て欲しくないパターンだなと思ったが、その店は徐々に混むのが通常。
案の定、左隣の席に来てしまった。

隣に座ったからには嫌でも会話が耳に入る。
男の話し方が、まさにツバが飛んでいるかの如くの機関銃。
生ビールの大ジョッキをガブ飲みし、ガンガン出鱈目に注文しつつ...

今週は昼飯が有名レストランでの連チャンだったとか何だとか...
何を言っているのか定かではないが、無闇矢鱈に意味の無い言葉を連発する。
相手方は聞いているのか、いないのか、相槌の声さえ聞こえてこない。
相手方に何も言わせない作戦だろうが、それが延々30分以上。
聞くに堪えない。

余りの機銃掃射に耐えられず、トイレに立った。
というより、余りの耳障りに、少々離れたいだけだったが、
チラッと見たところ、その男、ようやくにして憧れの女性とのデートに漕ぎ着け、
ここを先途の攻撃を仕掛けている風情。
バカだな、そんなでなびくかよ、と思いつつ、もう店を出なきゃな、などと考えながら
席に戻ってきた。

と、今度は右隣にゆうに80歳は越えるかと思われる痩身のカップル。
旦那は仕立てのよいスーツ、奥さんは渋い和服姿。
余計な言葉は一切発しない。と言って、険悪なムードではない。

コハダなど光りモノをツマミでたのみ、ビールを飲んで、熱燗を1本。
奥さんの方は握りを少々。そして味噌椀。
「お勘定!」と言って立った。その間約30分。

その時点で店はもう満杯だったから、老夫婦が立たれた際、自分も立ち上がった。
その際、何気に軽く会釈をされた。ホッとした。
しかし左隣のアホは、生ビールの大ジョッキ片手に、まだ機銃掃射をしている。

だから何だ!と言われそうだが、だだそれだけのこと。
若いとは何事にもガツガツし、そして周囲からは穢く見え易い。
多分若い頃の自分もそうであったろうとは思う。
ただ多少の余裕は持ちたいと思う。

極端に異なる老若二組のカップルに遭遇し、自分もウツクシク老いたいなと
つくづく思った次第であります。


 

バレンタインデー・モード

アッという間に1月も終わり。
今週からは2月に突入。2007年も残すところ11ヶ月と相成りました。
2月と言えば、節分、そして第一四半期最大のイベント(!?)バレンタインデー。

日本にバレンタインデーという日が設定されたのはいつの頃からだったろうか。
自分の記憶では大学時代から意識していたように思うから、
日本では、数十年前からそうした”風習”or”悪習”が始まったものと思う。

当然ながら、日本国政府が定めた国民の休日ではない。
しかしその日は、(通常はできない)女性から男性へ愛の告白をする日、
あるいはできる日、そしてその”証”としてチョコレーを贈るのだとされている。
しかし何故にチョコなのだ??

こんなの菓子屋の謀略だとは思いつつつも、
ただひとつも来ないとなると、やはり焦る。
自分には好意を寄せる女性がひとりもいないのか、
といった絶望的な論理になる。

しこうしてオトコは、表面的にはそんなの関係ないわい、と言いつつも、
さて、果たして今年はいくつ来るのだろうかと、思いを巡らせることになる。
こうして”義理チョコ”なる便利な言い訳、その実、菓子屋の戦略が完全に
定着していったのであります。

この菓子屋の戦略は、当然ながらちまたのネオン街に波及していった。
バレンタインデー・スペシャルと称して、馬鹿なオトコどもの関心を煽る。
キンキラの包装紙に包まれた、単価数千円の小さな包みが数万円に化ける。
確かに美味しい商売には違いない。

経済効果から言えば、少なくとも10倍に化ける。
いかに世界的にヘッジファンド隆盛の時代とは言え、運用効率から言えば、
世界最大(!?)のビジネスには違いないのである。

そしてご丁寧にも、そのお返しとして、3月にはホワイト・デーなるものも用意されている。
要は女性からのプロポーズがあったから、オトコとして当然の如く、
相手方の女性に返礼をするのがナイト(=騎士)としてのスジであろうとする、
全く荒唐無稽の押し付けである。

オトコは女性の、特に若い女性の蔑視=さげすみには耐えられない。
オトコは「オトコらしくない」という言い方に敏感に反応するから、
もらった相手に、たとえそれが義理であろうがなかろうが、何某かの、
といいつつも、少なくとも数倍の返礼を強いられることになる。

この論理は、当然ながらネオン街でも通用するから、諸般のオトコどもは、
経済論理を無視したビジネスを無理矢理に強いられ、
かつ年がら年中飲んでしまうハメになる。

何がバレインタンだ!!悪弊だ!!謀略だ!!
オレの好きなスコッチの銘柄はバランタインだ!!
と言いつつも、今年もまたバレンタインが来るのであります。


2007年01月23日

そのまんまの変

1月21日、午後8時直後のTV番組の画面上に、
「そのまんま東氏、当選確実」のテロップが踊った。
「まさか、あの東が当選??」。

同日は4月の統一地方選挙の前哨戦とも目される山梨、愛媛、宮崎の
三知事選挙の投開票日だった。

宮崎は選挙区選出の衆参両院議院5人中、4人が自民という保守王国。
そして選挙のたびに地元の派閥単位の骨肉の争いをしてきた政治風土がある。
六期24年続いた松形県政の継続の是非が焦点だった3年半前の前回選挙を制した
安藤忠恕前知事は、県庁生え抜きの元部長だった。

県政刷新を掲げて当選しただけに、安藤前知事に対する県民の期待は高かった。
しかし実態は何も変わらなかった。
県庁人事を巡る軋轢、不透明な政治資金の発覚、そして官製談合事件による辞任・逮捕。
談合は複数の幹部も関与する県庁ぐるみの事件だった。

亥年は歴史的に異変が起きるとされている。
前回の亥年は1995年。
為替市場では、1985年9月のプラザ合意から始った超円高時代は、
1995年4月19日の円の最高値79.75円をつけ、
同年7月7日の協調介入で超円高時代が終焉したという流れになっている。

政治の面では「青島・ノック現象」が起きている。
共通点としては、
有名無党派候補が政党が推す官僚候補を破ったこと、
ゼネコン汚職などで首長の逮捕や官官接待が表面化した時代背景、
そして「現状の閉塞打破には誰でもいい」と、半分ヤケクソになり、
マイナスのエネルギーが先行した点が共通している。

ただ無党派層の多かった東京(青島幸男)・大阪(横山ノック)ではなく、
今回は九州・宮崎が舞台だった。
国会議員を務めた青島・ノック両氏に対して、
そのままんま東氏(以降東氏)は政治にはずぶの素人である点が違っている。

また選挙戦のやり方も全く異なる。
有権者の前に姿を見せなかった青島幸男氏、
自転車をこぎ、芸能人を総動員し、お笑いタレント色を全面に出した横山ノック氏とは異なり、
東氏はマニフェストを掲げ、高校時代の友人などによる地味でカネをかけない「手弁当型の選挙」
を続けた。

もっとも、東氏は前途多難にはちがいない。
行政経験も、有力なブレーン集団もなく、個性を打ち出せぬまま一期で辞めた青島氏の二の舞に
なる可能性を含有している。
横山氏も、セクハラ問題をきっかけに、二期目途中で辞任に追い込まれた。
東氏には過去に、未成年者との淫行事件や、後輩タレントへの暴行事件が発覚した経緯はある。

また東氏には、田中康夫長野県前知事の初当選時の有力な後援者もいない。
待ち受ける県議会は事実上オール野党である。
財政難・観光の低迷など県政は問題が山積している。
ナイナイ尽くしの世界でどう結果を残していくか。
世の中を変えるのは簡単ではない。

以降は東国原(ひがしこくばる)英夫という本名で執務にあたる本人も、
今回の結果に”嘘だろ”と思っているふしがある。
”そのまんまの変”というより、亥年の変再び。

今回の当選が、お笑い特有のギャクで終らないことを祈るのみである。

あゝ上野駅

流行歌手の凄さ、というより、昭和時代の演歌歌手の凄さは
「一発大ヒットを飛ばせば、それで生涯”食える”」という点である。

例えば、
「愛と死をみつめて」の青山和子、「若い二人」の故北原謙二、
「美しい十代」三田明等など...
確かにイチイチ数えたらキリがないが、その範疇に「あゝ上野駅」の
井沢八郎がいる。

井沢八郎というよりは、女優・工藤夕貴の父親と言った方が通りが
よいかもしれない。
その井沢八郎(本名工藤金一)氏が、1月17日、食道ガンで亡くなった。
享年69。

タイトルの「あゝ上野駅」は、集団就職のため、東北地方から上京した
若者の郷愁を歌い、64年に大ヒットした曲である。
そしてJR上野駅を東京の起点とする北陸方面の人間にとっても、
肌に染み付いた曲である。

自分が大学入学当時、入学以前に受験で上京して最初に降りた駅が上野である。
上野駅18番ホーム。
今は亡き叔父が駅頭で出迎えてくれた。
当時流行っていたのは森山良子「この広い野原いっぱい」と、この「あゝ上野駅」。
この両曲を聴くと、当時の不安いっぱいだった感じを思い出す。

当時の上野駅は、何気にアンモニア臭かった。
要は、トイレの匂いと、立ち食いソバの匂いが混ざり合い、えも言えない匂いが
蔓延していたのである。
ただその微妙な匂いを嗅ぐと、
「ああ、また東京へ帰ってきた」「ああこれで故郷に帰れる」ということになる。

当時の上野→富山間は10時間。
真冬の豪雪時期には20時間以上もかかったことがある。
要は列車の中で、三度は食事をする必要があった。

そして当時はSL列車が当たり前だった。
今は人気のSLも、窓から自然に入る煙がモノ凄く、
冷房などない当時の夏場など、窓を開けっぱなしにする結果、
トンネルを出た後には顔は勿論、鼻の中が真っ黒になった。

本数も極端に少なく、夜行列車を入れても、せいぜい1日に5本。
従って、食後の運動と称して、先頭から最後尾まで行って帰ってくると、
必ず知り合いに出会った。

SLからジィーゼル車に、そして新幹線に。
乗車時間も10時間→8時間→6時間→3時間と短縮されていった。
新幹線乗車駅も、大宮→上野→東京と変遷していった。
2010年には北陸新幹線も完成予定で、1時間40分程度になるという。

今では上野に降りることも、また降りる理由もなくなった。
しかし井沢八郎の「あゝ上野駅」は生涯忘れることのない曲と思う。
井沢八郎という昭和の名残りがまた消えていった。
昭和は遠くなりにけり。合掌。

2007年01月17日

ツトム君の死を悼む

ポン友のツトムが亡くなった。
サウナに入って冷たいフロに入って、心臓麻痺一発。
水風呂にポカポカ浮かんでいたという。
アホかお前は!

実家から50メートル。いわゆる町内のポン友。
幼稚園・小学校・中学校で一緒だった。
いつもいじめていた。
幼稚園の頃、同盟と称して、自分のションベンを両手で受けさせた。
ツトムは黙って、しかし悔しそうに受け止めた。

町内一の金持ちだった。
ツトムの亡父は、手広く株式売買やり、当時から短波放送で株式情報
を聴いていた。
余ったカネで、小金貸しもやっていたようだ。

だから町内で最初にテレビを入れていた。
今では考えられない長いテレビ用アンテナが誇らしげだった。
ツトムんちの応接間で、栃若時代の大相撲中継を見さしてもらった。
時代の端境期で、当時のテレビは脅威の別世界だった。

高校が違ったことで、高校以降全く接触なかった。
元気なのかどうなのか...
生きているのか死んでいるのか...

突然のように出会ったのは自分の外資系金融・為替ディーラー時代。
若僧のくせして、肩で風きって銀座で飲んでいた。
場所は行き着けの銀座の和食。
そこのママさんが、
「帝国ホテルを定宿にして麦トロを食べに来る富山の客がいる」
とソッと知らせてくれた。
それがツトムだった。

ある日偶然、その店で出合った。
「オウ、ツトム!!」と声を掛けた。
アイツはビビッタ顔をして困っていた。
昔のようにいじめられると思ったのか、麦トロを食べ、
速攻で帰っていった。
それがツトムを見た最後だった。

実家に帰った折、何かにつけて噂が出た。
亡父の資産を盾に、喫茶店や宝石店を出して失敗したこと、
二度の結婚に失敗したこと、
二度目の結婚で出来た子息が1歳で亡くなったこと、
数々の”放蕩息子”の話を聞かされた。

会って話しをしてやろうと思った。
町内で唯一のすし屋を経営するタカシに、
「ツトムが来たら、オレが会いたいと言ってたといっとけ」
と言ったが、最後の最後まで連絡がなかった。

ツトムはバブルの時代を駆け抜けるように生きた。
一回でいいからシミジミ飲みたかった。
お疲れさん、ツトム。
数々のいじめゴメン、ツトム。
ユックリ休んでくれ、ツトム。

ガンバレ、不二家!!

亡くなった父親に似て、時として何気に甘いものが欲しくなる。
酒も飲むが、甘いものも常用する、いわゆる“両刀使い”ではないものの、
月イチ程度で生イチゴのタップリ入ったフルーツパフェをペロリと平らげる。

そのフルーツパフェなるものを始めて食べたのは大学入学直後。
銀座数寄屋橋・不二家が初体験の場所だった。
驚異的に美味しかった。
田舎では見られない豪華な盛り付けに、なるほどこれが都会かと驚嘆した。
不二家の二階から見た銀座の風景も忘れ難いが、自分の舌もハッキリと
その時の味を覚えている。

以降、イチゴの乗っかったショート・ケーキ、イコール不二家が定番となった。
銀座界隈で飲んだ場合、無意識に不二家に寄るクセがついた。

その不二家が消費期限切れ牛乳を使った洋菓子出荷事件で揺れている。
不二家は「ペコちゃん」のキャラクターで知られる1910年創業の老舗菓子メーカー。
藤井家による同族会社で、今回辞意を表明した林太郎社長は六代目となる。
菓子市場は少子化などで低迷が続き、
不二家は2006年3月期で三期振りに18億円の連結最終赤字に転落。
洋菓子事業は4年連続の営業赤字となっている。

全貌が解明されていないが、細菌検査違反したケースでは、
出荷後に食品衛生法の規定の10倍、社内基準の100倍の細菌が検出されたことが判明。
しかしチェック漏れのために回収されなかったシュークリームは最大で16,000個、
アップルパイは約500個に上るとされている。

今回の不祥事は、これまでの業績不振に加え、
長年の同族経営によるひずみが招いたとの指摘も少なくない。
また「この問題が公になれば雪印乳業の二の舞になる」などと記した内部文書を配布したことも
明らかになっており、組織的な隠蔽工作の疑いも指摘されている。

今後の資金繰りに関して不二家は、
メイン銀行のりそな銀行の協力を得られるとの認識を示す一方で、
固定資産・流動資産の売却の可能性を示唆している。
東京・銀座の本社を含む不動産売却を視野に入れていると見られる。

ただ業界では、不二家単独での再建困難と見て、
銀行や森永製菓を巻き込んだ再建策が必要になるとの見方も浮上している。
森永は不二家株の3.95%を所有する第二位株主で、1980年代半ば、
仕手筋に両社の株式が買い占められたのを契機に、資本・業務提携した。

またこうした不祥事につけ込むのを得意とする、外資の“ハゲタカ”ファンドも
虎視耽々と狙い打ちをしているとも伝えられている。
日本の老舗の危機。
海外資本は、“その気”になれば一発で持っていく威力を持っている。

ただ不二家が外資の軍門に下るなど許し難い。
ここを先途の製品撤去の動きが続いているが、余りに非情と思う。
こんな時こそ日本的助け合い精神が必要と思う。
ガンバレ、日本の菓子の故郷・不二家!!

2007年01月14日

連発するバラバラ事件

2007年が明け、正月気分がようやく抜けたと思った途端、
バラバラ事件が頻発している。
「兄が妹を」「妻が夫を」殺害し、死体バラバラに。
世の中、一体どうなってんだか。

妻が夫を殺害する、あるいは殺意を抱くというのは
(経験上から)多少は分かるにしても、
妹がいないので、兄が妹にどのような感情を抱くのかは
分からない。
しかし、生きた人間を殺害し、それを切り刻むなんてことが
本当にできるものなのだろうか?

あくまで推定だが、
全く頭を空っぽにするか、あるいは極度の興奮状態の中で出る
”火事場のバカ力”的なエネルギーが、そうした一連の作業をする
ものとは思う。

経験上から、妻が夫に殺意を抱くという状況は、ある程度は
想像できる。
今回の事件は、32歳の妻と、30歳の夫に関する事件である。

表面上は、家賃20万円の1LDKの高級マンションに住む
セレブな夫婦ということになっている。
しかし20万円を出したからといって、それは渋谷という一等地
の場所代だけであって、1LDKは一組の男女が満足できる
スペースではない。

夫婦の寝室があっても、夫も妻も自由な空間がない。
人間の生活空間とは、男と女がラブホテルに入った時の
ような状況とは異なる。
”やることをやって”しまえば、男女双方に絶対的な自由空間が
必要となってくる。
愛してるから何でも我慢ができる、というのは全くの絵空事である。

お互いに自由な空間があり、そしてお互いが客観的になるから
愛情が長続きするのである。
狭い空間=マンションでは、最後には男女双方息苦しくなる。

男の性(セックス)は”種まきの性”であり、
そして残念ながら30代前半の男の性は、自己顕示欲が強く、
一人だけで我慢できるはずがない。
それが世の中に諸般の風俗が蔓延する所以である。

残念ながら今回の殺害された男性は、他の女性を好きになった
つまりは不倫をしていたに違いない。
女性はそうした”におい”に敏感であるからにして、女性がそう
思った場合、まず100%、他に女性がいることになる。

30歳代の男女関係で、女性が2歳年上というのも微妙である。
世の中にはいろんな言い方をするけれど、30歳代の女性は
20歳代にない”老い”が出る。
それは歳相応の色気にも化けるが、年下の男性はなかなか
それを理解できない。
要は、その老いが(今風に言えば)ウザイものに映るのである。

新潟出身で、白百合女子大出の美人ということになっている。
偶然に白百合の現役の女子大生を知っているが、
白百合自体が、名門のお嬢さん大学には違いない。

ただ現在のような複雑な世の中で、小中高そして大学も女子だけ
で(世の中に出るための=就職のための)学問をするのも問題と思う。
異性に対して、通常は考えれない過剰な期待を持たせてしまうからである。
適当に”毒(=男性)”を交えなければ、何が毒だか分からない。

日本の風潮として、こうしたバラバラ事件が連続しそうで怖い。
若い男女間にある、最新の流行を行く(!?)といった”変な考え方”が
蔓延しないことを祈るのみである。

2007年01月08日

箱根駅伝の教訓

日本のお正月。
お屠蘇を祝い、雑煮を食べ、初詣を済まして、さて後はとなると、
テレビを見るしかない。
しかし最近の正月番組は、お笑い中心の見るに耐えない番組ばかり。
その中で唯一ガッツリしたコンテンツを持つ番組となると、スポーツ番組しかない。

そして正月の駅伝競走は今では定番になっている。
1日の実業団駅伝しかり、そして2日から3日の東京箱根間往復大学駅伝、
通称箱根駅伝は、今や国民的な一大イベントになっている。

「正月の餅に膨れた腹ごなしに芦ノ湖まで行って帰ってくるか」
という冗談から始ったと言われる、言ってみれば荒唐無稽のお祭りは、今年で83回目。

「襷をつなぐ=心をつなぐ」という純日本的テーマの中で、10区間、109.9㌔×2=219.8㌔
という長丁場の若者のお祭りは、
「自分達だけがヌクヌク楽してゴメン、ガンバレ」という日本の正月マインドにピッタリ合致し、
日本国民に感動を与え続けている。

2007年の箱根駅伝のクライマックスは往路5区の、いわゆる“山登り”。
大体にして、800メートルを駆け上ること自体が荒唐無稽の荒業。
延々20㌔以上も続く坂を上り続けるというのだから人間の域を越えている。

今から約25年前、自分のランナーズ人生の最盛期に、
箱根駅伝のランドマークのひとつである大平台のスピンカーブ周辺を走ってみた。
ただものではない。
急激な坂に足がついていかない。
重い物が圧し掛かってくるようで、約500メートルで完全にギブアップ。

83回箱根駅伝のスターとなった順天堂大学5区を託された主将・今井正人は
“山の神”と称された。
襷をつないだ時点で4分9秒の大差の借金を引っくり返し、1分42秒の貯金に換えた離れ業を
見せられては、そのわざとらしい称号にも納得せざるを得ない。

今年の箱根駅伝では、
1区で驚異的な区間新を出した東海大学・佐藤悠基もMVPに選ばれたが、
佐藤は今後、自他共に認める日本の陸上・長距離界を担うスターには違いない。

では今井はどうかと言えば、箱根駅伝では“山の神”今井も、
トラック・レースや、平坦なロード・レースでは全く目立たない、二流半の選手。
それが箱根の山登りに限れば並ぶ者無き“英雄”である。
本人の弁に拠れば、
「きついけど自分にはここしかない。上れるという特性を見つけて戴き、大きく成長できた」。

1947年から1949年に生れた団塊の世代、
(就業者と求職者の合計)510万人を巡る2007年問題が本番を迎えた。
労働人口全体の約8%を占める団塊の世代が07年から09年にかけて定年を迎える。

これからどう生きていくのか。
果たして生きていく道があるのか。
様々な考え方が交錯している。
そうした迷える世代の格好の教訓を残したように思えてならない。

スター選手ではないが、ある特殊の分野に関しては群を抜いた力を発揮する。
IT全盛の時代ではある。
しかし目立たなくても、たとえ時代に逆行するアナログな分野であっても、
そうした特殊な技術をコツコツと蓄えてきた者が勝つ時代となってきた。

今年の箱根駅伝は2007年を象徴する流れとなった。
(小泉元首相ではないが)感動した。

2007年01月02日

謹賀新年

明けましてオメデトウございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

2007年最初の書き込み。
と言っても、今は実家におり、”何も無い春”といった風情。

今から3年前、実家の裏に事務所兼居宅を構えた。
海から100メトール弱。
2Fの窓からは当然ながら富山湾が見える。

1Fは事務所仕様にしており、2Fは20畳ばかりをワンルーム
仕様にしてノビノビ(!?)使っている。
仕事机があって、本箱があって、少々大型のTVがあって、
オーディオがあって、そしてベットがあって...
その他は何もありません(笑)。

防音仕様がしてあって、多少音量を上げてCDを聞いても
何等問題ない。  
寺尾聡・ルービの指環をリピートしながら、今回の書き込み
をしている。

富山の正月は久し振りに晴れた。
結果、富山湾から対岸の能登半島がスッキリ見られ、
そして北アルプス・3,000メートル級の山々も、誠にキレイに見れた。
こうした光景の正月は何年振りだろう。
多分10年超はこうした風景はなかったように思う。

いつも曇り勝ちで、雪が舞い、何気に憂鬱になる。
良く言えば欧州のロンドン仕様だが、こうした気候は
人間の性格さえも変えてしまう。
つまりは、暗くそして頑固にしてしまう。

2006年には町内のお年寄りが何人かなくなり、空き家
状態になっている。
櫛の歯が抜けるように、徐々にゴーストタウン現象を
始めている。
7時PM以降は人通りがパッタリ途絶える。

若い女性の住人も皆無。
若い女性がいないからにして、若い男性も、そして子供も
いない。
子供の声がしないという現象は、人間の生きようとする
エネルギーも払拭し勝ち。
いつも何とかせねば、と思う。

大体3日もすれば、大都会・東京の喧騒が恋しくなる。
そして、こうした”禁断症状”を経て東京に帰ると、
道行く若い女性が全てキレイに見える。
不思議な現象ではある(笑)

何やら、欲求不満の人間の”ぼやき”症状になってきた。
イカン!!
本日はこれまで。

とりあえず今年もヨロシク、ってことで。

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