あゝ上野駅

流行歌手の凄さ、というより、昭和時代の演歌歌手の凄さは
「一発大ヒットを飛ばせば、それで生涯”食える”」という点である。

例えば、
「愛と死をみつめて」の青山和子、「若い二人」の故北原謙二、
「美しい十代」三田明等など...
確かにイチイチ数えたらキリがないが、その範疇に「あゝ上野駅」の
井沢八郎がいる。

井沢八郎というよりは、女優・工藤夕貴の父親と言った方が通りが
よいかもしれない。
その井沢八郎(本名工藤金一)氏が、1月17日、食道ガンで亡くなった。
享年69。

タイトルの「あゝ上野駅」は、集団就職のため、東北地方から上京した
若者の郷愁を歌い、64年に大ヒットした曲である。
そしてJR上野駅を東京の起点とする北陸方面の人間にとっても、
肌に染み付いた曲である。

自分が大学入学当時、入学以前に受験で上京して最初に降りた駅が上野である。
上野駅18番ホーム。
今は亡き叔父が駅頭で出迎えてくれた。
当時流行っていたのは森山良子「この広い野原いっぱい」と、この「あゝ上野駅」。
この両曲を聴くと、当時の不安いっぱいだった感じを思い出す。

当時の上野駅は、何気にアンモニア臭かった。
要は、トイレの匂いと、立ち食いソバの匂いが混ざり合い、えも言えない匂いが
蔓延していたのである。
ただその微妙な匂いを嗅ぐと、
「ああ、また東京へ帰ってきた」「ああこれで故郷に帰れる」ということになる。

当時の上野→富山間は10時間。
真冬の豪雪時期には20時間以上もかかったことがある。
要は列車の中で、三度は食事をする必要があった。

そして当時はSL列車が当たり前だった。
今は人気のSLも、窓から自然に入る煙がモノ凄く、
冷房などない当時の夏場など、窓を開けっぱなしにする結果、
トンネルを出た後には顔は勿論、鼻の中が真っ黒になった。

本数も極端に少なく、夜行列車を入れても、せいぜい1日に5本。
従って、食後の運動と称して、先頭から最後尾まで行って帰ってくると、
必ず知り合いに出会った。

SLからジィーゼル車に、そして新幹線に。
乗車時間も10時間→8時間→6時間→3時間と短縮されていった。
新幹線乗車駅も、大宮→上野→東京と変遷していった。
2010年には北陸新幹線も完成予定で、1時間40分程度になるという。

今では上野に降りることも、また降りる理由もなくなった。
しかし井沢八郎の「あゝ上野駅」は生涯忘れることのない曲と思う。
井沢八郎という昭和の名残りがまた消えていった。
昭和は遠くなりにけり。合掌。

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