2007年04月30日

ヤンキース投壊

黄金週間が始まった。
ただこの黄金週間という単語を使うと、若い方々からは「???」という顔をされることが多い。
Golden Week(ゴールデン・ウィーク)のことですよ!

今年の黄金週間前半の目玉は、何と言ってもヤンキースVSレッドソックス戦。
日本時間28日から始まった黄金カードは日本中の話題を呼んだ。
第一戦がレッドソックス・松坂、第二戦がヤンキース・井川、そして第一戦&第三戦の岡島。
日本人選手の活躍が目立っている。

でも何と言っても、秀逸は岡島であります。
もはやスイスイと、日本では見られなかったコントロールとマウンド捌き。
12試合連続無失点の快挙で、防御率もゼロ点台。見ていて安心できる。
「松坂に1億ドルを払ったのは実は岡島を取るためだった」などと、冗談にならない冗談が飛び交う始末。
巨人時代のノーコン・岡島を知る筆者など、「一体どうしたんだ?岡島!」と言いたくなる。

1億ドルのDice-Kこと松坂大輔はそれなり。
だが、突然一回だけ別人のように崩れるのがミソ。
すっぽ抜けが多くなり、コントロールもままならず、あれれれ...といった按配となる。
と、何やかやといいつつも、4月は3勝2敗。
とりあえず2007年は(最低でも)15~20勝といったところに落ち着く模様。

井川はヤッパリいつもの井川。
第二戦のヤンキース先発のカーステンズが1回、1死も取れずに負傷退場。
そこで呼ばれたのが井川。「とりあえず投げとけ、みたいな」やけっぱち投法が勝利を呼んだ。
ドロ沼の7連敗を救い、トーリー監督更迭の噂を吹き飛ばす活躍だった。

しかしヤンキースの守護神・リベラがサッパリ。
第二戦にはチーム初セーブを上げたものの、いつものような精彩がない。どこかおかしい。
先発陣も、ペティットや王建民が、今イチどころか今サンの世界。
日本贔屓のトーリー監督もヒョットしたら、ヒョッとする。
何せ自分勝手で有名なジョージ・スタインブレナー・オーナー。
一旦怒ったら何をするか分からない。

松井もチームの不振に沿ってサッパリ。
松坂には1四球を選んだものの、後は(当てただけの)センターフライふた~つ。
岡島にはピッチャーゴロふた~つ。
まさにいいようにヤラれてる。

「面白ろうてやがて哀しきMLBかな」といった風情。
というより、MLBの試合中継を中心に生活していると、とにかく疲れる。
ヤンキース・ファンの筆者だが、勝てば疲れもほどほど。
ただあれほどキッチリやられてしまえば、根っ子の疲れが取れない。

さて日本時間2日からのレンジャース戦で盛り返すか否か。
MLBを追っかけていると、黄金週間もアッという間のような気がする。
ホント、頼むよ、松井!!

 

2007年04月25日

生保・”日生のおばちゃん”的営業の限界

「まさか」のために加入している保険で、「特約」条項が機能していない実態が、
損保保険会社に続き生命保険会社でも明らかになった。
4月13日に判明した保険金不払いは、生保全38社で約12万4千件、金額にして約260億円。

但し、今回判明した不払いは氷山の一角と見られている。
確認された不払いとは別に、支払が埋もれている可能性のある契約は115万件を超える見込み
となっている。
共通するのは、契約者が加入している保険で受け取れる保険金をすべて覚えておらず、
生保への支払請求を忘れていたことにある。

「日生のおばちゃん自転車で...」に代表される日本の保険業界は、銀行の支店長システムと共に、
狭い地域に網のように情報網を巡らし、地域住民の“個人情報”を確実に把握することを旨とする、
世界に類を見ない日本独特のシステムを構築してきた。

しかし金融に関して規制緩和が短期間に急速に進んだ日本では、特約の多さや目新しさを競う
傾向が強まっていった。
そうした中で、売り手さえも十分に理解できないまま、必然的に買い手も理解ができない商品も
多くなっている。

2007年10月にはゆうちょ銀行が正式にスタートする中で、
銀行も年内には窓口で死亡保険や医療保険など、保障性の強い保険が買える見通しとなっている。
要は手数料収入を巡って、更に競争が激化する時代に入っていくのである。

一連の手数料獲得のためのリテール(小口金融)のグローバル化に、
果たして地方の中小の銀行が随いていけるのだろうか。
銀行の本体が為替取引や株式取引の経験がないのに、窓口で外貨預金や投資信託が堂々と
売られているのが実態である。

中小の金融機関では、様々なリスクを抱える複雑な金融商品に関して、
複雑さを付加価値と取り違えている風潮も見られる。
従来のように、金融機関が“顧客に(購入を)ひたすらお願いすればコト済む時代”ではない。

ITの進捗と共に、センターからの商品・情報が消費者に直接届く時代となってきた。
それは金融商品とて同じである。
センターからダイレクトに受領できる商品を、代理店や代理店としてのシステムを通さなければ
ならない理由はどこにもない。

当然ながら、代理店としての“生保のおばちゃん”の役目もまた淘汰される運命にある。
金融のグローバル化に伴ない、金融は一極集中のコングロマリットが絶対的に有利になっている。
今後の金融の世界では、“地域に根差す”と標榜する中小の金融機関を一気に淘汰・消滅させる
流れにあると考えて間違いないようである。

今回の不払いは、売り手の説明が不十分だったから起きた問題ではある。
しかしこの問題が解決に向け改善され始めた場合、必然的に従来の代理店形式システムが急速に
淘汰されると思われる。
残念ながら「日本の一時代を画した日生のおばちゃん」が存在する可能性は極めて低いのである。

2007年04月22日

球春本番

黄金週間(ゴールデンウィーク)も近く、いよいよ野球の季節が本番。
MLBやら六大学やら、そしてサッパリ面白くないとはいいつつも、日本のプロ野球も。

NHKはここを先途の大々的な宣伝。
曰く「NHKはMLBの290試合を放送!」
確かにNHKBSでのMLBの放送は、CMがない分ユックリ見れる。
解説陣も、与田剛、大島康徳、武田一浩など、日本の民放の解説陣と違って
ギタギタの手垢がついてない分聞き易い。

2007年のMLBは何と言ってもレッドソックス・松坂。
1億ドルという、途方も無い金額が動いたのだから注目されるのも致し方ない。
キャンプイン当初は、おい松坂、焼肉の食べすぎ違うか?といったダブダブの体だったが、
開幕までにはさすがにキチッと引き締めてきた。
ジャイロ・ボールなど、速球投手というより、多彩な変化球を操る技巧派といった按配で、
なるほど、NYメッツのペドロ・マルチネスに似ている。

ここまでは打線の援護無く、1勝止まりだが、20勝、サイヤング賞も夢じゃない。
しかし松坂には少々言いたいことが...
とにかくイチロー、イチローと言いすぎ。
確かにイチローはパーリグ時代からの宿敵には違いないが、ヤンキースの松井もいるだろうが?
確かに松井は松坂には結果を残していないが、北陸の星・松井命を自称する筆者には少々不満。

松井も松井。
連続試合が途切れたからと言って、そう簡単に休むなよ!
井川がいるとは言っても、松井のいないヤンキースの試合はサッパリ面白くない。

その他、レッドソックスの中継ぎ・元巨人の 岡島の活躍も見事だった。
日本時間21日の対ヤンキース戦での初セーブ、9回表のA・ロッドとの対決には魅入られた。
巨人時代の岡島って、あれは手抜きだったわけ?

日本のプロ野球は相変わらずだが、ただ唯一の救いは楽天・田中。
マーちゃんという愛称がスッカリ認知されたが、あの笑顔がいい。
天真爛漫の中に、スターの素質十分。まさにプロ向き。

4試合目の登板で、ソフトバンクを13Kの完投勝利。
名将・野村監督が生涯の最後っ屁にいかにして大成させるか。けだし見もの。
惜しむらくは楽天の試合を見る機会がないってこと。
日テレも、サッパリ面白くない巨人戦の放映を止めて、田中の登板試合を放映したらば?

マーちゃんのライバル、ハンカチ王子こと斉藤祐樹もさすがの活躍。
いかに東大戦とは言え、早稲田の新人開幕投手は史上初。
しかも白星デビューは往年の名投手・宮武三郎(慶大)以来、80年振りという快挙。
田中と斉藤、もはや切っても切れない宿命のライバルって格好。

ただ筆者はマー君の方がプロで大成するとは思う。
あの素直な性格、あの笑顔、そしてガッツあふれる表情など、魅力十分。

ってなわけで、野球全般をダラダラ書いてみました。
とにかく松井、はやく帰ってこいよ!!


2007年04月15日

都知事選を振り返る -だけどやっぱり慎太郎-

日本の首都・東京の都知事に石原慎太郎氏が三選された。
哲学者梅原猛氏の「清廉な文学者の魂を失った専制政治化」との痛烈な批判に代表されるように、
「目障りなものは排除する論理」から来る独断専行、身内の重用、知事交際費など、
石原都政への批判が一気に噴出した逆風下での今回の選挙戦だった。

石原氏の得票率は約51%。
午後8時の開票直後の当確で、“秒殺”と表現されたように、表面的にはやはり圧勝だった。
しかし都知事選で史上最高の70%を集めた前回選挙とは何か違っていた。
投票率が前回比10ポイント上昇したのに対し、得票数は前回の300万票に届かなかった。
2期8年の石原都政に対する都民の採点は、そうは甘くはなかったことにはなる。

それでも他の候補者に水をあけたのは、政府にも遠慮なく発言する大物振りや、
ディーゼル車規制などに見せた実行力には違いない。
少々問題があっても作家や政治家として大きな存在感のある石原氏が、
日本の首都の顔に相応しいとの評価を受けたのである。

石原慎太郎と石原裕次郎。
戦後の日本における絶対的なヒーローである。
その裕次郎が亡くなって20年経つが、少なくとも自分には、慎太郎と聞けば依然として
裕次郎のセットで考えてしまう。

昭和31年、当時23歳の石原氏は「太陽の季節」をひっさげ、世の中に躍り出た。
髪の毛を短く刈り込みながら、前髪は切り揃えず顔に垂らしておく“慎太郎刈り”が
当時の日本を席巻した。
それから半世紀以上経っても「石原ブランド」は健在だった。

一方で、今回の都知事選は世代間戦争の様相も呈していた。
石原氏が高度成長時代を牽引した昭和一桁代に属するのに対して、
最大の対抗馬である前宮城県知事・浅野史郎氏は団塊の世代だった。

しかし慎太郎+裕次郎のセットは、戦前の日本の分かり易い父性を感じさせ、
多少理不尽なことを言っても、いざという時には頼りになるという、高いステージの
キャラクター・イメージを抱かせた。
結局はどうにもならない牙城だった。

危機感を持った石原陣営が、
今回の選挙の選対本部長に、元内閣安全保障室長・佐々淳行氏を起用したことも大きかった。
同氏は選挙期間中、暴言や失言をしないよう手綱を締める“調教師”に徹した。
同氏の発案による、ソフト路線とこれまでの実行力をアピールした
「反省しろよ慎太郎、だけどやっぱり慎太郎」のキャッチ・フレーズは強烈だった。
まさに的を得ており、的確にアピールした。

今回の選挙でも、多士済々の方々が立候補した。
選挙マニアのドクター中松氏はともかくとして、桜金造氏など、暇にまかせての自己宣伝の場として
都知事選を捉えるスタンスも相変わらずだった。
しかし世界的に有名な建築家・黒川紀章氏の壊れたキャラは全くの意外。”もう少しまし”かと思ってた。
あの異常さは、奥方である一世を風靡した名女優・若尾文子さんが少々可哀想になった。

くだんの石原氏も、都知事選挙は今回が最後と言われている。
「太陽の季節」から「夕陽の季節」へ。
希代のヒーロー・石原慎太郎は最後っ屁に何をしてくれるのだろうか。


2007年04月14日

急ぎ去り逝く弟へ

4月10日、青柳三兄弟の末弟、伸隆が急逝した。
まさにポックリという表現がぴったりの死に方だった。
25年前に亡くなった親父に、酒の相手に召されたのか...

大型艇のメンバーに加えてもらおうと、つい最近関係者に紹介したばかり。
「おい、気心の知れた皆さんと、お前の好きな釣りでも存分にやらせてもらえよ」
「わかった、考えてみっちゃ」
なんだ、考えてくれてなかったのかよ...

青柳三兄弟の長男の誕生日が4月25日、次男が5月1日。
そして三男の誕生日が9月25日。
「上の二人がピッチリの計画出産。そしてオレは酒飲んだ挙句にできた子」
それが末弟の口癖だった。 

長男は期待を一身に背負い、勉強、勉強の毎日。
次男は長男と三男の合間を縫って抜け目無く自由を謳歌。
そして三男坊は野球オンリー。
親父の方から「野球をやれ!」と勧められたらしい。
今は亡き親父の、酔うと決まって言ってたセリフは
「伸隆の、新人戦での右中間の三塁打が素晴らしかったな」
それって、まったく不公平じゃないのか...

中学時代を野球オンリーで過ごした末弟も、高校の中盤では成績が最後から数えた方が早くなり、
さすがの親父もオフクロにはギブアップ。かくして2年生の夏から野球からリタイア。
しかし復帰を願う当時のメンバーが、何度も何度も家を訪ねてきたらしい。

残念ながら上記、末弟の中学・高校時代の出来事は自分の目で見ていない。
4歳違うから、自分が中学の時は末弟は小学校。
自分が高校の時は末弟は中学校。
従って、滑川中学・捕手4番・青柳伸隆の姿は見ずじまいである。

末弟はギターも得意だった。酔うと決まってエレキの演奏が始まる。
そして、青柳三兄弟のテーマ・ソング「(ワイルドワンズ)思い出の渚」の大合唱となる。
楽器が全くできない(やる時間をもらえなかった)長男は堂々のボーカル。
”ハモリ”も入って、”プロ並み(!?)”と称された。
かくして「Aoyagi Brothers」のロゴ入りTシャツまで作る始末となった。

ゴルフもよくやった。
何等の利害もない、和気藹々と兄弟3人でやるゴルフは楽しかった。
年に3回程度はやったから、合計で30回ばかりラウンドした計算にはなる。
野球を通して体得した技術あり、またその気になって練習したから上達も早かった。
場所は忘れたが、池越え150ヤード・8番アイアンのスーパーショットは今でも忘れない。

末弟がしつこかった出来事はフタ~ツ。
一つ目は末弟の長男・伸宏の早稲田合格の時の電話。
まず合格が判明した時点で「兄ちゃん、やったよ!」
合格祝いの祝賀会をやる前に「これから合格祝いや。思いっきり飲む!」
三回目はベロベロに酔って「兄ちゃんの側に来れてウレシイ!」
いい加減にせいよ、合格したのはお前じゃないだろ!

二つ目は末弟の次男が高校野球でレギュラーを張り、ラジオやTVで実況中継された時。
大量にダビングしたテープをここぞとばかり、聞かされ、見せられた。
それが車の中でも始まるものだからいい加減やになった。
「おい、もういいだろ、シッカリ覚えさせてもらったから...」

「竹内まりあ」や「村下孝蔵」の曲が好きだった。
特に村下孝蔵の「初恋」や「踊り子」をリピートで何度も聞かされ、
結局自分も好きになっていった。
今ではシッカリ自分のカラオケのレパートリーとなっている。

銀行員としての末弟は、実力が発揮できず不本意な生活だったのかもしれない。
その不満が酒となり、時には悪い酒となり、体を蝕んでいった。
団塊の世代からは少々外れるが、多分に高度成長時代の弊害を受けたことにはなる。

末弟のことを書いているうち、いろんなことがあり過ぎて、収拾がつかなくなっている。
通夜・葬式と慌しいうちは感じなかったが、イザひとりになって喪失感が増幅している。

毎日親父と酒を酌み交わしているのだろうか。
サヨナラ伸隆、ご苦労さん伸隆。
  

2007年04月09日

三洋電機崩壊に見る、金融のプロの暗躍

経営再建中の三洋電機は井植敏雅社長が4月1日付けで辞任、後任に佐野精一郎執行役員が
昇格する人事を断行した。
井植社長の実父である井植敏最高顧問も退任、創業から60年という節目の年に、創業家が
経営の一線から姿を消すことになった。

三洋電機は2006年3月、
主力取引銀行の三井住友銀行、大和證券SMBCグループ、米ゴールドマンサックスグールプの
三社を引受先として、三千億円の第三者割当を実施した。
増資で財務体質を改善した井植社長は事業拡大に向け、フィンランドの携帯電話メーカー、
ノキアとの合弁計画を推進した。

しかし第三者割当増資と共に金融三社から派遣された取締役5人は、「収益向上が見込めない」と
難色を示し、一度は記者会見して発表した合弁計画は06年6月に白紙に戻った。
また同06年3月に合意した、台湾の液晶メーカー・広達電脳の薄型テレビ合弁計画も同様の道を
辿った。

主力銀行・三井住友銀行から派遣された取締役・副社長に、富山中部高校時代の同級生の
前田孝一という銀行マンがいる。
京大卒業後、関西の雄・住友グールプの中枢に入り込んだ前田は、
西川善文・三井住友銀行前頭取当時の常務執行役員として、旧住友銀行のブラックボックスを
完全に握り込み、古くは安宅産業やイトマン、山口組系関連等の問題債権処理を担当する、
融資第一、第二、第四部の責任者として辣腕を振るった。

不良債権処理のスペシャリストとして内外に名声が高かった前田は、
2003年11月に設立されたSMFG企業再生債権回収の初代社長に就任、銀行を去った。
他行の首脳からは「三井住友の不良債権処理もようやく峠を越えた」との見方も出たほど、
不良債権処理のスペシャリストとしての辣腕は鳴り響いていた。

その前田が副社長に就任した2006年初、巷間では
「企業再生会社、SMFG企業再生債権回収にとって三洋電機は初の大型案件。真価が問われる
正念場」と位置付けていた。

前田の手法は、問題企業を採算部門と不採算部門に腑分けして、債務免除と引き換えに他社との
再編を進めるというもの。
前田の手法で三洋電機の再編が一気に進むと見る関係者は多かった。
巷間の思惑通り、老舗・三洋はものの見事にバラバラに解体される流れにある。

3月決算期の直前の2007年2月、不適切な会計処理の問題が発覚した。
2001年3月期から2004年3月期に、井植敏氏は会長、野中ともよ氏(05年6月会長に就任、
07年3月19日辞任)は社外取締役、井植敏雅氏は副社長を務めていた。

TVの経済番組等では多少は顔が売れていたとは言え、素人同然の野中氏を何故あそこまで
祭り上げたのか全く不可解だが、百戦錬磨の前田にかかっては、一連の不適切なシステムを
即座に解明、叩き壊すのは朝飯前だった。

一連の不祥事を2月に公表、3月には創業家一族を追い出すことになったが、
3月決算を控え、金融市場への影響を考え、計画全体をスムーズに運ぼうとする、
凄腕の金融のプロの存在を感じさせるに十分な手際のよさだった。

”要らないものは情け容赦なく叩き切る”スタンスに、前田の金融のプロとしての凄みを感じていた。
従来の銀行員にはない、世界の金融を知り尽くしたプロにかかれば、大きな企業も叩き壊される
時代となってきた。
我々は、まさに”何でもあり”の怖い時代の真っ只中にいるのである。


2007年04月08日

東京ミッドタウン騒動記

3月30日、2007年前半のビッグイベント、東京ミッドタウンが開業した。
旧防衛庁跡地の10万平方メートルを大々的に再開発した、日本有数の
大型複合商業施設の華々しい開業である。
「六本木を変える」or「六本木が変わる」をテーマに、21世紀・新六本木の誕生である。

六本木ヒルズと東京ミッドタウンの大きな相違。
それは地下鉄を簡便に使える点である。
ヒルズは行きはヨイヨイ(坂道の下り)、帰りはコワイ(坂の上り)。
酔ってたら、それこそタマラナイ。

ミッドタウン近接の地下鉄は東京メトロ・日比谷線と、都営地下鉄大江戸線。
特に大江戸線には直通改札がある。
またミッドタウンから徒歩3分の、千代田線・乃木坂駅も利用できる。

いずれにしても3月に入って、目に見えてヒトの流れが変わった。
変わったというより、目に見えて多くなっている。
開発した三井不動産に拠れば、平日で15万人、週末は20万人になるという。
これはあくまで新規に増加した実数である。
ゴミゴミ・ザワザワ感のある都会の雑踏の雰囲気が戻った。

諸般のテレビでは、ミッドタウンタワーのザ・リッツ・カールトンホテルの特集を連発した。
曰く、「東京タワーより高い所から東京の景色が楽しめる」
そして、
「(リッツ・カールトンの)最低ルーム・チャージが70,000円弱」
「最高の部屋のルーム・チャージが210万円!?」

「ナヌ??にひゃくじゅうまんえん??」
「誰がそんな部屋に泊まるんだ?」
世の中の常として、田舎の小金持ちの(ラブホテル探索に飽きた)アンちゃん・ネエちゃん連中は、
高ければ高いほど、ますます有難がる風潮がある。
噂に拠れば、リッツの宿泊予約は3ヶ月先まで埋まっているそうな。
かくして、ミッドタウンでは”バブルへGo!”の世界が始まっている。

そしてその影響は、六本木周辺のホテル・飲食街にも広がっている。
例えば、(これまで頻繁に使っていた)全日空ホテルが、ミッドタウン開業に合わせて
インターコンチネンタルホテルズ・グループ(IHG)と合併、IHG・ANAホテルと名を変え、
外国人観光客の積極誘致から、諸般の予約が取り難くなっている。
その他、周辺のビジネスホテルの予約も満杯の状況(だそうである)。

自慢じゃないが、
(あくまで推定だが)高く、遅く、不味いレストラン街の探検はしていない。
皆様方の一通りの探検が終了し、飽き始める今年の夏頃におもむろに、と考えている。

それにしても、今年の黄金週間(=ゴールデン・ウィーク)が怖そうである。
チバラギ系(千葉&茨城)のバカモノや、いや若者や、全国各地からの若者で、
大混雑になるのは目に見えている。

六本木が変わるのはそれはそれで結構なこと。
しかしここは、大人の街・六本木なのだ。
若者(バカ者)の街・渋谷の延長ではないのだ。

無意味ににガタガタし、ひたすらゴミゴミするのもなァと、
行き着けの”和食・のりの”のカウンターでシミジミ考えておりました。

2007年04月03日

スーダラ伝説

自分の高校時代、見た映画は限られていた。
受験勉強に明け暮れるはずの身分の自分にとって、映画を見ることなど
(少なくとも親に対して)まるで犯罪に近い感覚だった。
たまに「図書館に行く」と称して映画を見たが、入場券の半券をポケットに残すなどの
大間抜けなポカをやり、特に母親からはこっぴどく叱られた。

そしてその感覚は、ある種のトラウマとして今でも残っている。
映画館で映画を見る、つまりは1年程度経てばTVで放映されるコンテンツを、
料金を払い、明るい昼間に、わざわざ暗く狭い世界で映画を見るなど、
よほどのことがない限り、例えば好みの女性から”熱心に”誘われたりしない限りあり得ない。

1960年代に映画館で見た映画は、単純・明快を旨とする三つのジャンルの限定版だった。
アクション・美女の世界、ショーン・コネリーの「007シリーズ」、
GS(グループサウンズ)の世界、加山雄三の「若大将シリーズ」、
そして、荒唐無稽・全く架空のサラリーマン世界、植木等の「無責任シリーズ」。

「若大将」も「無責任」も東宝配給で、富山では東宝の唯一の封切り館であった大和東宝という
映画館では、時として「若大将」と「無責任」の二本立てになることがあった。
唯一放される時間である土曜の午後、まるで悪いことをするが如く、ソソクサと料金を払い、
コソコソと忍び込んでいった。
ちなみに、その大和東宝という映画館は現在は(当然のように)空き地になっている。

サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ...
日本が高度成長の真っ只中にあった1960年代、植木等は、その支え手である会社員の悲哀と欲望
を全身で表現した。
大ヒットした「ニッポン無責任時代」の役名は「平均(たいら・ひとし)」。
今で言う典型的なギャグ的命名だが、”平均的サラリーマン”の鬱憤を晴らす爽快さがスクリーンに
漲っていた。

「個人の幸福に関して何の責任も持たない体制に対しては無責任な態度で居直るしかない」という
スタンスが、高度成長時代の庶民の共感を呼んだ。
実は「気楽な稼業ではない」サラリーマンのギャグ的開き直りは痛快だった。

ただそういった小難しいスタンスは今になって理解できること。
高校生としての自分は、ああいう無責任なオトコが、架空の世界とは言え、
星由里子、浜美枝、酒井和歌子といった当時のキラ星の女優連を、次々に陥落していく姿に、
ある種の”(強烈な)あこがれ”を持ったのである。
  
タイトルの”スーダラ節”は1961年に発表(作詞・故青島幸男元東京都知事)された大ヒット曲。
1960年代の伝説のバライティ番組「シャボン玉ホリデー」に、
クレージーキャッツのメンバーとしてレギュラー出演し、
「ハイそれまでヨ」「お呼びでない」などの、今で言えば流行語大賞確実の流行語も生み出した。

三重県の僧侶の家の出身で、一切酒も飲まず、生真面目に「軽佻浮薄」を演じた植木等逝く。
時代の流れと言え、また昭和が遠くなっていった。

ホリエモン事件の実践的検証

3月16日、東京地裁は、
ライブドア前社長・堀江貴文社長に対し、懲役2年6ヶ月の実刑判決を言い渡した。
小坂敏幸裁判長は判決理由で証券法第一条を引用、有価証券報告書の虚偽記載、
風説の流布など、情報開示制度の根幹を揺るがしたと指弾した。

検察側では「証券市場は経済活動に重大な役割を担っており、裁判所も影響は大きいと判断した」
とし、今回の判決は妥当との意向を表明している。
一方、市場関係者側からは53億円の粉飾額は過去の事件に比べて少なく、実刑判決は重過ぎると
の声も聞かれた。

こうした一連のライブドア事件に関連してフジテレビジョンは、3月26日、
有価証券報告書の虚偽記載発覚でライブドア株価が急落し、保有株の売却損が出たとして、
同社に約345億円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。
個人株主・約3200人も総額約200億円の賠償訴訟を起こしており、
ライブドア旧経営陣の一審・有罪判決を機に、民事責任追及も本格化する気配となっている。

こうして“時代の寵児・ホリエモンも一巻の終り”の様相を呈してきた。
ところで、ホリエモン抹消を図らんとした時代背景とはどのようなものであったのか。

現在、日本の企業で働く一番上の階層は、45歳以上の男性正社員である。
終身雇用や年功序列といった「昭和的価値観」に守られ、定年までまっすぐ続くレールに乗り、
定期昇給を受けてきた。
第二の人生には、金額が大幅に減額されても、曲がりなりにも年金が給付される見込みである。

彼らは誰もが知る大学を経て、有名企業に所属することで社会的な信用が得られると考え、
定年まで勤め上げることをステータスとしてきた。
一般的には「勝ち組み」と言われる一部団塊の世代がこの代表で、
この世代こそが“ホリエモン嫌い”の代表格である。
旧来の(日本的)秩序を破壊し、自分達の既得権益を脅かす存在に見えるからである。

一連の「昭和的価値観」が継続するためには、所属する企業が成長し続けることが前提となっている。
しかし世界的なグローバル化現象中で、生き残りのためには得意部門に特化したり、
他の企業との合従連衡したりする必要に迫られている。
こうして「昭和的価値観」は21世紀に入って急速に陳腐化している。

「昭和的価値観」が年功序列や終身雇用、あるいは「男は仕事、女は家庭」といった固定概念と
すれば、「平成価値観」とは何か。
それは「昭和的価値観」の対極にある「多様性」=「(グローバルの世界での)何でもあり」の概念で
あろうと思われる。

ホリエモン自体は虚像には過ぎなかった。
そして若さゆえの甘さ、横柄さがあったのは否めない。
しかし一方で、日本に蔓延る閉塞感を破り、新しい価値観を示したのは間違いない。
最大の誤算は、堀江貴文という人間が日本人だったからである。

そして彼の国籍が日本でなかったら、そう簡単には潰されなかったかもしれない。
今回のホリエモン事件は確かに一過性のものには違いない。
しかし現在のようなグローバルな世界の中で、外資系の第二、第三のホリエモンが出てくるのは
もはや時間の問題と思われる。

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