2007年08月27日

2007年夏の高校野球と桑田真澄的生き方

気が付けば8月下旬。そしてもうすぐ9月。
ただ今までのような、「8月も終わりで来週から9月」という意識がない。
理由はハッキリしている。未だに酷暑状態が続いているからである。
繰り返しても仕様がないが、今年の夏はクソ暑さは異常だった。

そして気がつけば、真夏の祭典、夏の高校野球も終わっている。
終わったという実感がないのは、今年の高校野球には傑出したスターがいなかったからである。
確かに受験校・佐賀北高校の無欲の優勝は賞賛に値するが、巷間で「ガバイ旋風」と言われるほど
のギラギラ感はないのは確かだった。

比較をするのは可哀想だが、昨年の斉藤VS田中の熱闘を考えれば、今年の夏の甲子園は
スケールが違った。小粒だった。
前評判の高かった大阪桐蔭の中田翔は、高校生にしてメタボリック症状で、腰回りに肉が付き過ぎ。
素人目にも内角を攻められたらまず打てない。将来的にはどうか?といった状態。
155㌔の史上最速を記録した仙台育英の佐藤由規も、フォームがキレイ過ぎ、高速マシンでの練習に
慣れた智弁に滅多打ちされた。

今年は特待生制度が騒がれた年でもあったが、毎年、毎年、そうしたモンスターと言われる選手が
出るはずもない。
そうした、ある種の納得感あるいは、ガッカリ感のする夏の高校野球だった。

そんな夏の高校野球の最中の8月14日、
米大リーグ・パイレーツ・桑田の戦力外通告のニュースが流れた。

昨年限りで巨人の戦力外になった桑田は、長年の夢だった米大リーグ(以降MLB)を目指し、
マイナー契約でパイレーツに入団。
MLB昇格目前かと思われた3月末、オープン戦で球審と激突、右足首の靭帯を損傷する重傷。
しかし2ヶ月のリハビリを経てMLB昇格を果たし、6月10日のヤンキース戦でMLB初登板。

以降、約2ヶ月間に中継ぎで19試合に登板。
レインボールと揶揄された超低速カーブを武器にした好投もあったものの、俗称ションベン・カーブが
そうそう通用するはずもなく、後半戦はメッタ打ちされる場面が目立っていた。
MLB成績は19試合に登板して0勝1敗。防御率は9.43。

現オリックスの清原と共に、モンスター・KKコンビと言われ、「PL黄金時代」を築き上げた桑田も
(選手としては)ジ・エンドの様相である。
巨人志望の清原を出し抜いての巨人入団、
巷間では”投げる不動産屋”と言われ、”その筋との黒い交際もある”と言われた全盛時代を経て、
(想定)20億円と言われた読売グループへの借金返済も終わり、戦力外通告されて後のMLB挑戦。
そして今回の引退(!?)劇である。

日本でも通用しない39歳の桑田が、MLBに通用するはずなかった。
イチローがいて、松井がいて、そして松坂も。
だから桑田も、ってシナリオが通じないのは誰にも分かってはいた。
今回のMLB挑戦は、最近の女子大生が好んでやるような、
「ご苦労さん、お疲れさん、としてのご褒美の、卒業旅行の意味合いに違いない」と、
誰もが思っていた。

生活の全てを集中し燃焼し尽くす野球中心の青春、メシのたねとしてのプロとしての野球人生、
そして野球を止めてからの気が遠くなるような、ひとりの男としての長い、長い(残された)人生....
全くの偶然には違いないとは思うが、夏の高校野球の真っ最中の桑田の実質的な引退宣言は、
一連の高校野球のあり方を、別の意味からシミジミ考えさせられた。


2007年08月26日

さらば、「阿久悠のいた昭和の時代」

作詞家兼小説家の阿久悠さんが8月1日に亡くなって約1ヶ月が経った。
週間諸誌などで、追悼記事がどんどん組まれると思っていたが、予想したほどではない。
そこで、今は亡き阿久さんを偲んで追悼したいと思う。

「悪友」をもじった「阿久悠」さんは、日本経済右肩上がりの70年~80年代の日本に、
従来からの日本的歌謡曲でもない、かと言ってJポップスとも異なる、
『「阿久悠」というという特殊なジャンル』を創造した、”言の葉を自由に操る”天才だった。

阿久さんの作詞家としての処女作はザ・スパイダースの「モンキー・ダンス」ということになっている。
しかし実質的なデビュー作は、ザ・モップスの「朝まで待てない」だとするというのが一般的。
以来創作総数は5,000曲超。
77年12月には、ヒットチャート上位100曲のうち16曲を阿久作品が占めるという”離れ業”を演じる。
作品の多くは、自宅の敷きっぱなしの布団の上で”腹ばいになって、チラシの裏に原稿を下書きした”
という伝説がある。

思いつくまま、アイウエオ順に、代表曲を上げてみる。
石川さゆり「津軽海峡冬景色」、石野真子「狼なんかこわくない」、伊藤咲子「ひまわり娘」、
岩崎宏美「ロマンス」、尾崎紀世彦「また逢う日まで」、小林旭「熱き心に」、
ささきいさお「宇宙戦艦ヤマト」、沢田研二「勝手にしやがれ」、ズーニーブー「白いサンゴ礁」、
チェリッシュ「若草の髪かざり」、夏木まり「絹の靴下」、西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」、
森山加代子「白い蝶のサンバ」、都はるみ「北の宿から」、森昌子「せんせい」、
八代亜紀「舟唄」、和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」....
またピンクレディや、山本リンダの場合、ヒット曲の全てが阿久さんの作詞だった。

自慢じゃないが、また自慢しても仕様がないが、上記の曲はゼ~ンブ歌える。
自分だけではなく、自分と同じ年代の方々もそうだと思う。
いまはミリオンセラーが生まれても、一部の人間しかその歌を知らないし、歌えない。
結局5,000曲を超える阿久さんの曲は、主として70年代から90年代まで、
『その時流行ってる歌を日本人の全部が知っていた時代』の代表曲だった。

自分にとって特に印象に残っているのが「津軽海峡冬景色」と「勝手にしやがれ」。
「津軽海峡冬景色」は、青函トンネルが完成する前で、青函連絡船があった頃の歌である。
たった一度だけだが、冬のど真ん中に青函連絡船に乗ったことがある。
あの雰囲気はドン・ピシャリ、ホントだった。
「上野発の夜行列車おりた時」から、「青森駅は雪の中」で、そして見事なまでに
「北へ帰る人の群れは誰も無口」だった。
発売から四半世紀経った今でも石川さゆりの十八番(おはこ)だが、彼女の歌唱を聞いていると、
その時の青森駅の雰囲気をまざまざと思い出す。

「勝手にしやがれ」は、ジュリーこと沢田研二の代表曲である。
70年代から80年代のジュリーは(男が見ても)まことにウツクシかった。
はァ?男が化粧する(!!)orオトコがイヤリングなどの装飾品をつける(!!)なんて、
と最初は驚いたが、当時の沢田研二は、今からは考えられないような細身で、歌唱は勿論だが、
全体的に醸し出す雰囲気に、説明し難い妖しい色気があった。
「ジュリー全盛の時代」を知っている者にとっては、女優田中裕子と再婚以降のメタボリックな
ジュリーは残念でならない。

とにもかくにも阿久さんは、特に団塊の世代に一生残る曲を提供して、逝ってしまわれた。
あたかも「宇宙戦艦ヤマト」の歌詞のように...
さらば地球よ、旅立つ船は、宇宙戦艦ヤマト...

贈名は「天翔院詞聖悠久居士」。俗名・深田公之(ふかだひろゆき)。享年70歳。合掌。


2007年08月19日

2007年酷暑の夏

8月16日午後、長年付き合いのある金融アナリストからTEL。
「まだ富山にいるんですか?」「相場見てますか?」
「ダウはどこまで下がるんですか?」「円高の節目は?」

相も変わらず、矢継ぎ早の質問。
(とりあえず)相場の動きはシッカリ見てるって...
でも18日に東京に帰ってから相場は考える...

今年の夏は異常だった、というか異常状態が続いている。
35度以上を「酷暑」と呼称するようになったが、公式発表の数字はあくまで”日陰”での温度。
”日なた”では(当然ながら)4~5度増しということになる。
従って35度と公式発表があれば、実際には40度ということになる。

今年の夏のお盆は、少々長めに13日(月)から17日(金)までを実家方面で過ごした。
ところが余り暑さに、お盆が(従来の)お盆でなくなった。
母親が「母親的機能」を果たす状況でなくなっていたからである。

80歳を超える高齢で、当然ながら割り引いて考えてはいたが、今年のお盆は完全なる休止状態。
結果的に(チャリでの)買出しから料理まで、”自分でバンバン”せざるを得なくなった。
マーボーナスやら、マーボー豆腐やら、ザルうどんやら、カレーやら、簡単なサラダやら、
自分のレパートリーを駆使しての毎日。
いわゆる主婦業。もうヤルっきゃない状態。致し方ありません。

こうして、ブログの更新もできないまま、18日午後に帰京。
ようやく落ち着いて、ここ1週間の相場を眺めておりまする。

テクニカル分析をすると、またぞろマニアの標的になる(!?)ので、
とりあえず代表的なNYダウの分析を少々ご披露。

NYダウの下げは14,000㌦という大台に到達したことで、ある種の修正は自然。
ここ10年の安値が02年10月の7,197㌦。7,197㌦×2=14,394㌦。
要は14,000㌦で完全に頭を打ったというしかない状態。

00年1月の高値11,750㌦から(反転に向かう)03年3月7,416㌦までが38ヶ月。
同03年3月の7,416㌦の安値から11,500㌦を回復する2006年5月までが38ヶ月。
要は、今回の反落は「14,000㌦をBuying Climaxと捉えれば自然の動き」となります。

また為替に関しては、米ドル円の下げ=円高・ドル安が注目されてはいるが、
今回の局面では、実はポンド・円や、豪ドル・円、NZドル・円での円買いで戦死者累々。
同上ペアの「円売り・外貨買い安心」の流れが一気にクラッシュした格好。
要は、(チャートを無視した)滅茶苦茶な円キャリー・トレードの”ツケ”が出たといった具合。

しかしこうした世界的な大きな流れも、近所のすし屋界隈では我関せず。
ひたすら寂れ行く町内活性化のため(!?)に、ほぼ連日通うことになったが、
”為替?株式?それはどこの話??”って具合。
少々詳細に説明すると、”青柳さんって(予想通り)アブナイひと??”みたいなニュアンス。

もう詳しく言うのを止めました。これ以上言うと、更に変人扱いされそうですから...
ドップリ田舎の生活に浸って下さい。
そして”暑い、暑い”と淡々と時間を過ごして下さい。

ってなわけで、「実家方面は3日滞在が限度か」との思いを強くしたという次第であります。


2007年08月17日

拡大する通販市場

全く手前味噌の話で恐縮だが、実家の母親が調合する“黒作り(イカの塩辛)”が
東京都内の飲食4店舗にて目玉メニューになっている。
キンキンに冷やした冷酒(=吟醸酒)や白ワインに合うほか、暖かいゴハンやパスタに混ぜても
美味しい。
多少生臭いのが難点だが、柑橘系、例えばゆずなどを少々絞って入れれば全く気にならなくなる。

その特製黒作りと、実家方面の(=親戚筋の)特製味噌+醤油を加え、セット販売しないかという
提案が来て驚いている。
楽天市場で商品を掲示するほか、TVの通販市場に進出しようという作戦である。
母親は体力に自信がないと及び腰だが、「こうしたアナログ製品は意外に当たるかもしれない」などと
考えている。

通販市場は最も多いカタログ販売の他、インターネット、チラシなどがある。
06年度の市場規模は3兆7千億円(推計)と見られている。
今回取り上げるのはテレビ通販。
通販市場のテレビ通販が占めるシェアはその1割弱。

ジュピターショップチャンネル(住友商事系列)など主要11社の2006年度の売上高は
(一部実績見込を含む)2,790億円で、05年度比25%増。
個別的に眺めてみると、上記ジュピターが前期比31%増の997億円。
第二位のQPCジャパン(三井物産系)は同26%増の734億円。
TV通販の先駆けジャパネットたかた(長崎県佐世保市)のテレビ通販部門も同29%増の331億円。

市場拡大をリードしてきたのは通販専門チャンネル。
深夜を含む24時間放送が消費者に浸透し始めている。顧客は30~50代の女性が中心。
化粧品や宝飾品、衣料品、食品など幅広い商品を扱い、毎週700種類の新商品を投入するなど、
消費者を飽きさせない工夫を凝らしており、結果的にリピーターが多いのが特徴。

2011年7月に地上波が廃止となるテレビ各局も、デジタル放送への投資増やCMの伸び悩みを受け、
放送以外の収入獲得手段としてTV通販市場を位置付けている。
TBS子会社のグランマルシェは23%増の93億円、日本テレビ放送網も3.2倍の58億円など。

海外のTV通販は、先進国米国で全体の10%、韓国では31%を占めるといわれている。
今後の展開としては、ワンセグ(携帯端末向け地上デジタル放送)によるテレビ通販も
検討されており、08年度以降は更なる進展する気配である。

前述した黒作りに代表されるが如く「地方で製造し、地方だけで売る」ビジネスモデルでは、
少子化時代が言われる昨今、当然ながら売り上げにも限界がある。
また、特産品として、生産そのものが廃れることにもなる。

地上波→デジタル化への大きな流れが動き出している。
こうした大きな流れに乗って(=利用して)認知度を深める作戦は必要不可欠なようである。
「年老いた母親が余りの忙しさに右往左往するようになったらどうしよう」などと余計な心配をしつつ、
今回の提案を試金石にしようと考えている。

2007年08月08日

善良なる本ブログ読者の皆様へ

暑中お見舞い申し上げます。

暑き折、いかがお過ごしですか?
平素は本ブログにアクセス戴き、誠にありがとうございます。
さて早速ではございますが、本ブログではコメントorトラックバックの公開を一切しない
ことと致しました。

この暑き折、余りにねちっこく追っかけ戴く読者がおり、もはやストーカーと断じざるを得ず、
相応の措置を採ることと致しました。
一種の熱狂的ファン(!?)とは思われますが、余りに暑苦しく、”アキバ系”の方々とは
お付き合いをしかねます。
99%の善良な読者の皆様、本当に申し訳ありません。

思えば処女出版をした10年超前から、青柳の刊行するもの全てをお買い上げの上、
隅から隅までシッカリ読んで戴き、一般の世の中では”いちゃもん”と名付けられる
コメントを戴いて参りました。

今回のしつこさは、「青柳、もうっと本を書けよ」との叱咤激励とも取れますが、
なにせ暑い盛りにつき、”アキバ系”の皆様とお付き合いするエネルギーは残って
おりません。
ご自分で「自分の意見陳述する」場所なり、チャンスを見つけられたら如何ですか?

ご意見等は、自分の姓名を名乗って戴いた上、通常のルートでご連絡下さい。
これ以上「留守中に土足でズカズカ上がりこむ」ことは止めて戴きたく思います。

もし仮に青柳と直接話をしたいと思われるのであれば、以下にお越し下さい。
スタッフに「例の青柳の客ダッ!!文句あっか!!」と威張っておっしゃって戴けば、
丁寧に対応致します。酒の一杯もご馳走致します。
店長の川さん、フロアマネージャーのカトーさんにはよーく言っておきました。

〒106-0032
港区六本木7-14-1-B1 六本木のりの TEL03-3401-7200
(今流行りの東京ミッドタウンの手前で、スタバの隣です)

以上、よろしくお願い申し上げます。


2007年08月05日

Cargoの彩子ちゃんの話

「久し振りに食事でもしません? サイ子」
相も変わらぬ簡潔明瞭なメールが届いた。
そういえば、もう2ヶ月会ってない... CD収録も終わったか...

彩子ちゃんと最初に会ったのは彩子ちゃんが慶応(法学部)2年の秋。
場所は、六本木・ロアビルの手前の角を右に曲がり、奥まったビルにあったクラブ。
その店のオーナーは歌手崩れで、アーティストの卵が揃っているのが謳い文句の店だった。

確かにその店ではほぼ1時間おきにミニライブが行われており、
生バンドをバックに、素人の粋を超えた、歌なり演奏が楽しめた。

その店のマネージャー氏と親しくなり、新人が入ると必ず自分の席に付けてくれた。
ある日、「青柳さん、早慶戦だよ」と付いたのが彩子ちゃんだった。
父君の仕事の関係から、ロスに長期間住んでいた彩子ちゃんは、何やら神経質に見えた。

酔っていたには違いない。
しかし何を言ったか分からないが、彩子ちゃんが突然泣き出した。
全く意味が分からない。呆然としてた。
くだんのマネジャー氏がオンナの子をチェンジしてくれた。救われた。
でもオレは一体何を言ったんだろ??
それが最初だった。

しばらくは、その店でも会うことがなかった。
くだんのマネージャー氏がそう仕組んだには違いない。
しかしある日、店のあるビルの玄関でバッタリ出合ってしまった。
「あん時、オレ何かまずいこと言ったか??」。彩子ちゃんはただただ笑ってるだけだった。

それから一気に雪解けとなった。月に数回は食事する関係となった。
慶応在学中の彩子ちゃんは酒が全くダメだった。ビール1~2杯が限界だった。食も細かった。
しかし誘えば、余程のことがない限り応じてくれた。
自分と話していると楽しいと言う。ほんとかよ、オレの一体何処が???

そのうち就職の時期となった。
彩子ちゃんが選んだのは自営=輸入小物の販売店の共同経営だった。
表参道の一角に店を構えた。
買い出しと称して、ロスと東京を頻繁に行き来してた。
しかし生活はタイヘンだった(らしい)。クレジットカードの使用限度を気にしながらの毎日だった。

その頃から飲み物や食べ方が変わった。
ビールから始まり、焼酎の炭酸割り=焼酎ハイボールも平気で飲むようになった。
細かった食欲にも変化が出てきた。
食べなきゃバテるのよと言いつつ、馬刺し等の”おやじメニュー”も平気で食べるようになっていった。

小物の輸入の店をやるのと平行して、男二人+女二人のメンバーで「Cargo」を結成した。
(若者を中心にした)いわゆるクラブを中心に活動するグループだった。
「聞きに行こうか?」と聞いても、「来てもらってもいいけど、青柳さんには分からないだろうから..」
とやんわり断られた。そんな状況が1~2年続いた。

相変わらず月数回の”食事会”は続いていた。
そして2005年秋のある日、「はい、コレッ!」と包みを渡された。
CargoのデビューCDだった。
「暇な時に聞いてみて?」「そして感想を聞かせてね」。
以来Cargoは4枚のCDを出すに至っている。

考えてみれば彩子ちゃんとは不思議な縁ではある。
付き合いは、断続的とは言え、もう8年にも及んでいる。
男と女は、最初の1ヶ月に”何か”なければ、永遠にない(!?)のかもしれない。

この10月、そんなCargoのライブが富山で開催されるという。
「青柳さん、来る?」「ご馳走してねッ!」
(苦笑しつつ)「こりゃもう”追っかけ”をするしかないか」などと考えている。

 

現代通貨考 その(2)

プリペイド先行で、電子マネーが拡大し始めている。
通貨の意味が次第に変わり始めている。

大まかに通貨の変遷を復習してみたい。
原始時代は物々交換が基本だった。
そのうち万物に交換することが可能な、貝から始まり、金(GOLD)を基本とする商取引が開始された。
そして金は“重い”ことから、金を背景にした紙幣が流通し始めた。

その紙幣も量的に制限があり、また運搬リスクがあることから、
“(金をベースに)相応分保有しているとの相互間の信用”を背景に、
長距離間の流通に便利な手形が発行されるに至った。
信用状(L/C)やトラベラーズ・チェック(T/C)、そしてクレジットカード・システムも手形の一種である。

そして20世紀後半に至るまで、世界の金融市場には手形以上のシステムは発明されなかった。
ところが21世紀に入り、ITの驚異的な進歩に沿って、
日本のスイカ・パスモ(鉄道系)、ナナコ・ワオン(流通系)などに代表される、IT機器間に流通する
実体のない貨幣、電子マネーが急拡大し始めている。

日本の場合、
非接触IC技術(読み取り機にかざすだけで決済できる技術)を使ったカードが本格普及し始める
2001年頃から急速に伸び始めた。
決済規模は2006年度は1,800億円程度だが、2008年度には1兆円を超える見通し(野村総研)。
40兆円~60兆円規模と言われる個人決済のうち、2010年には10%を超えると言われている。

電子マネーには清算方法の違いで、事前に入金おく「前払い方式」と、
銀行口座と連動して使った分だけ代金を引き落とす「後払い方式」がある。

「後払い方式」は旧来のクレッジト・カード・システムと技術的には大差ない。
つまりは“所定口座に応分の必要資金がある”ことを前提としている。
従って、発行側としてはカード使用者に対して“特有の(そして厳格な)審査”をせざるを得ない。
取扱金融機関が「顧客の決済資金不払いリスク」に晒されるからである。

この特有の審査が大きな問題だった。
一般の金融機関やクレジット専門会社特有の審査をパスできない者が、
次第に“(簡単に審査に)パスできるシステム”に移行していった。
その行き着く先が消費者金融であり、高利のいわるゆ街金融(=マチキン)という流れだった。
そして、その流れはスパイラルに多重債務者を形成することになった。

要は、世界的なカード社会において、
“(前払いの範囲内で強制的に)使用金額の限界を設ける”ことによって、
こうした多重債務者(の大部分)を防げることにはなる。
その意味では“前払い”方式に“更なる伸びシロ”があると思われる。

日銀法は「お札などの紙幣には強制通用力がある」と定める。
「あらゆる取引で無制限に1万円は1万円の価値がある」という意味である。
しかし現在のグローバルな世界では、
日本の一万円札よりも世界的に通用するクレジットカードの方が有用である。
そしてそのクレッジットカードの意味が変わり始めている。

2011年7月には現在の地上波方式のTV放送が廃止される。
世の中が全てデジタル化していく。
そうした総デジタル化の中で、電子マネーの世界は益々拡大していく気配である。

カテゴリー

アーカイブ

最近のコメント