Cargoの彩子ちゃんの話

「久し振りに食事でもしません? サイ子」
相も変わらぬ簡潔明瞭なメールが届いた。
そういえば、もう2ヶ月会ってない... CD収録も終わったか...

彩子ちゃんと最初に会ったのは彩子ちゃんが慶応(法学部)2年の秋。
場所は、六本木・ロアビルの手前の角を右に曲がり、奥まったビルにあったクラブ。
その店のオーナーは歌手崩れで、アーティストの卵が揃っているのが謳い文句の店だった。

確かにその店ではほぼ1時間おきにミニライブが行われており、
生バンドをバックに、素人の粋を超えた、歌なり演奏が楽しめた。

その店のマネージャー氏と親しくなり、新人が入ると必ず自分の席に付けてくれた。
ある日、「青柳さん、早慶戦だよ」と付いたのが彩子ちゃんだった。
父君の仕事の関係から、ロスに長期間住んでいた彩子ちゃんは、何やら神経質に見えた。

酔っていたには違いない。
しかし何を言ったか分からないが、彩子ちゃんが突然泣き出した。
全く意味が分からない。呆然としてた。
くだんのマネジャー氏がオンナの子をチェンジしてくれた。救われた。
でもオレは一体何を言ったんだろ??
それが最初だった。

しばらくは、その店でも会うことがなかった。
くだんのマネージャー氏がそう仕組んだには違いない。
しかしある日、店のあるビルの玄関でバッタリ出合ってしまった。
「あん時、オレ何かまずいこと言ったか??」。彩子ちゃんはただただ笑ってるだけだった。

それから一気に雪解けとなった。月に数回は食事する関係となった。
慶応在学中の彩子ちゃんは酒が全くダメだった。ビール1~2杯が限界だった。食も細かった。
しかし誘えば、余程のことがない限り応じてくれた。
自分と話していると楽しいと言う。ほんとかよ、オレの一体何処が???

そのうち就職の時期となった。
彩子ちゃんが選んだのは自営=輸入小物の販売店の共同経営だった。
表参道の一角に店を構えた。
買い出しと称して、ロスと東京を頻繁に行き来してた。
しかし生活はタイヘンだった(らしい)。クレジットカードの使用限度を気にしながらの毎日だった。

その頃から飲み物や食べ方が変わった。
ビールから始まり、焼酎の炭酸割り=焼酎ハイボールも平気で飲むようになった。
細かった食欲にも変化が出てきた。
食べなきゃバテるのよと言いつつ、馬刺し等の”おやじメニュー”も平気で食べるようになっていった。

小物の輸入の店をやるのと平行して、男二人+女二人のメンバーで「Cargo」を結成した。
(若者を中心にした)いわゆるクラブを中心に活動するグループだった。
「聞きに行こうか?」と聞いても、「来てもらってもいいけど、青柳さんには分からないだろうから..」
とやんわり断られた。そんな状況が1~2年続いた。

相変わらず月数回の”食事会”は続いていた。
そして2005年秋のある日、「はい、コレッ!」と包みを渡された。
CargoのデビューCDだった。
「暇な時に聞いてみて?」「そして感想を聞かせてね」。
以来Cargoは4枚のCDを出すに至っている。

考えてみれば彩子ちゃんとは不思議な縁ではある。
付き合いは、断続的とは言え、もう8年にも及んでいる。
男と女は、最初の1ヶ月に”何か”なければ、永遠にない(!?)のかもしれない。

この10月、そんなCargoのライブが富山で開催されるという。
「青柳さん、来る?」「ご馳走してねッ!」
(苦笑しつつ)「こりゃもう”追っかけ”をするしかないか」などと考えている。