2007年11月26日

司法試験年間合格者年間3000人時代の問題点

自分は一応法学部の出身である。
“一応”としたのは自分の大学時代は学生運動の真っ盛りで、学校へ行きたくとも、
ロックアウトと称して大学側が学生を締め出し、授業どころか、試験さえなかった時代。
従って楽々どころか“何もしないで”大学を卒業してきた。
しかし世の中はそう甘くはない。
後になってイヤというほど不勉強のツケが回ったのは言うまでもない。

今も昔も、世の中の学生は完全に二分される。
「どんな状況においても、目標を持って一心不乱に勉学に励む者」
「混乱があればこれ幸いと、怠惰な生活を謳歌する者」
前者の目標とは、法学部の場合、今も昔も「国家公務員一種試験」と「司法試験」である。

自分が学生の時代、司法試験の合格者は受験者総数の3%。
毎年2万人前後の受験者があったから、総じて600人程度の合格者が出たことになる。

ところで2007年の合格者数は新旧試験合計で約2100人。
以降も漸増し、2010年には3000人になる予定。
3000人という数字の発端は、1999~2001年の「司法制度改革審議会」の意見書。
当時委員だった中坊公平・元日弁連会長が、合格者の大幅増と欧米並みの法曹人口実現を提案。
2018年頃までに法曹人口が日本に比較的近いフランス並みの5万人とすることが目標とされ、
逆算で年間3000人が示された。

「どの程度弁護士ニーズがあるか調査して算出したものではない」と、3000人の根拠が曖昧だとの
批判は当時からあった。
確かに、日本では司法書士や税理士が担う業務を、欧米では弁護士が手掛ける場合もある。
隣接職種まで含めれば、現状の日本では急激に弁護士を増やさなくても対応可能な状態にはある。

最近の世の中で有能な弁護士が必要なのは国際法関連である。
グローバルな時代、世界的な物的・人的交流が活発になる中で起こるトラブル案件を、
法律に照らしてどのように対処するか。
そのためには日本の法律だけではなく、相手の国の法律にも精通していなければならない。
何にも増して堪能な語学力も要求される。

ところが日本の司法試験は日本国内のみに重点を置き、
そうした国際的な問題に対処するような能力を求めてはいない。
要は日本の司法試験は「切った、殺られた」に代表される刑事事件や、
民間の金銭に絡む民事事件に関する専門家を創出するという、
今の時代が要求するテーマから“少々ずれてきている”のも確かである。

かくして、かっては医者・弁護士は食いっぱぐれがないといわれた“黄金の資格も”、
今や「司法試験に受かっても職がない」といった状況に陥っている。
先輩弁護士の事務所の机を借りるだけで給料はもらわない「軒先弁護士=ノキ弁」、
自宅を事務所として登録せざるを得ない「タク弁」を輩出している。

司法試験に合格することは、有力企業への就職のための武器になるのは間違いない。
しかし司法試験に受かったからと言って、輝ける未来が待っているわけではないのである。
かくして、
「知識があっても、ビジネスの世界を知らない頭デッカチのオタクは要らない」時代となってきた。
やはり時代の変わり目ではある。

歌姫

ここ10年、おかげさまで日本全国からお呼びがかかって、北は北海道から南は沖縄まで、
日本の主たる都市で講演会を開催させてもらった。
金融ビッグバンをテーマに、多い年には大中小含めて年間20回超という年もあったから、
合計で100回は講演会をした勘定になる。

そうした講演会に招かれて行くうちに、当たり前と言えば当たり前だが、
日本の各土地には独特の性格や匂いがあることを再認識している。
当然お分かりとは思うが、匂いとは、くさいか否かではなく、各土地の雰囲気のこと。
そして、その匂いの根源は各土地にある言葉の使い方=方言にあるようである。

その方言は、各土地の繁華街に行くと更に明確に把握することになる。
今更隠しても仕様がないので正直に言えば、各地の講演会に招かれた際の最大の楽しみは、
講演終了後の各地の繁華街での“飲み”にある。
そうした講演会パターンで、これまで日本各地の幾多の美女にも“遭遇”してきた。

結果的に「(自分なりの)全国各地の美女地図」なるものを完成している。
ポイントは“東京にどれだけ直結しているか否か”にあるようである。
つまり交通の利便をベースに、「どれだけ東京への行程が楽か」にかかっている。
日本の美女軍団は、どうしても国際都市・東京で“自分を試す”傾向にあるには否めない。

自分の独断と偏見(!?)から言わしてもらえば、
希有な(女性)文化を醸成していると思われるのが、本州の北端、青森・弘前地区。
いわゆる秋田美人の産地で、藤あや子風の純和風美女が多いように思う。
そして外せないのが九州・博多。
同地には、自己の好き嫌いを明確に言う、キッパリ感に溢れたスッキリ美女が多い。

前置きが長くなったが、タイトルはTBS系金曜22時からの連続ドラマである。
昭和30年代の高知県・土佐清水が舞台になっている。
主演は長瀬智也。そして相武紗季。

「歌姫」というタイトルの意味が解らず、どういう内容なのかも不明で、
最初は全く興味がなかったが、見出してからは完全にハマってしまった。
浜崎あゆみと別れた(!?)長瀬智也にキッパリ感があって、男の色気が出ている。

ドラマの内容は長瀬智也と相武紗季の恋愛ドタバタだが、何にも増して、
ドラマの中に飛び交う威勢のよい土佐弁の「~ちゅう」「~ぜよ」がホント心地よい。

高知には仕事上で5回は行っている。
名物“カツオのたたき”を一生分食べた。ただそれだけのことだが、
坂本竜馬の生まれ故郷・土佐の言い方=土佐弁は、喉越しが誠によい。
画面を見ずに、会話を聞いているだけでも和む。
残念ながら高知の繁華街では、ハッとするような美女には遭遇しなかったが、
土佐弁だけはシッカリ心に残っている。

もう初冬になってしまった。とりあえず夜が長い季節ではある。
そんな夜長の季節、ふと旅に出たいと思う時がある。
世界漫遊の旅もそれはそれで楽しいが、禁煙の嵐が吹き荒れる昨今、長時間の飛行機の
禁煙の旅はつらそうである。
この際だから禁煙すればいいじゃないかと言われる方もおられようが、長年身についた趣向は
簡単には止められない。

歌姫を毎週欠かさず、楽しみに見るようになり、
もう一度日本縦断の旅に出れたらいいななどと考える昨今である。


2007年11月19日

薄氷の金融市場

以下はNYダウに関し、以下は青柳事務所発刊の「びーだぶりゅーれぽーと」の
最近のテクニカル分析からの抜粋である。

『2001年1月の高値から03年3月の安値までが38ヶ月。
2003年3月の安値から11,500㌦に到達する2006年5月までが38ヶ月。
そして6月からは反落に転じていますが、反発しています。
但し、14,000㌦到達以降の上げ渋りが大きなポイントとなっています』。

『理論的な上値のメドは、
02年10月10日の7,197㌦と02年3月の10,673㌦の波動倍返しの14,149㌦。
また21世紀に入っての上昇の原点or起点、02年10月10日の7,197㌦×2=14,394㌦が
ここ10年の上値の大きなポイントとなるようです。
10月11日の14,198㌦の頭打ち態勢も、まずは理詰めな展開と言えます。』

『上記で検証したように、38ヶ月という超長期的な上昇波動と下落波動の符合あり、
急落リスクは念頭に置きたいところ。
12ヶ月サイクルが転換した2006年9月以降の急上昇となっていますが、
サイクル転換で「Buying Climax」の可能性を考慮したいところ。
超長期の上昇波動が終了した場合、急激な下落リスクを秘める展開となっています。』

サブプライム問題に端を発する株価の動きが激しくなっている。同時に、
「原油が1バーレル=100㌦、金が1トロイオンス=850㌦」の史上最高値に迫る展開となっている。
テクニカル分析をしようにも、短期・中期のチャート自体が全く機能しない状態で、
巷間言われているように「わけがわからない」状態が続いてきている。

こうした混乱の火付け役は、
8月から表面化したサブプライム(米国の信用力の低い個人向け住宅融資)問題。
米国の大手銀行や証券会社の巨額の赤字が明らかになり、
サブプライム問題の第二幕の様相を呈している。

金の強材料としては「金融不安、ドル安、インフレ懸念」。
原油は「ドル安とインフレ懸念、地政学リスク」。
根幹の材料は不変だが、今回のポイントになっているのが、
「金と原油が互いに刺激しあって上昇する」という流れになっている点である。

金融不安の広がりで、米国の景気と株価に対する懸念が増幅し、ドル安の流れが共通認識と
なっている。
そしてドル安(=株安)へのヘッジが、金・原油を中心にした商品への投資の原動力となっている。

通貨に関して言えば、110円を割込む(対ドルでの)円高は“付帯的”な流れにしても、
1ユーロ=1.4㌦を超えるユーロ高は異常である。
産油国からすればドル安による減価分を埋め合わせるには、理論的には、ドル建て価格を
引き上げなければならない。

株式が下落すると、ヘッジとして商品相場に資金が流入するのも通常パターン。
但し、そうした巨額の投資資金が手を引いた場合、相場は暴落する。

これまでのジンクスで、
『日経新聞が大々的に取り上げた時点でその相場は頭を打つ(底を打つ)』
ことになっている。
ブログにこうした内容を書いている時点で徴候が現われてはいるが、さてどうなりますか。
いずれにしても2007年末に向け、簡単な相場付きでないことだけは確かである。


秋葉原異景

野球シーズンも終り、いつの間にかフィギュアスケートのシーズンになっている。
昨日は浅田真央のフリーのスケーティングに魅入られていた。
カナダ大会・パリ大会と二連覇で、ミラノでのグランプリファイナル進出決定。
まずはメデタシ、メデタシ。

ミラクル真央と呼ばれた天才少女・浅田真央もいつの間にか17歳。
17歳=高校2年生といえば、少女と大人の中間で、体形が人生の中で最高の時代。
長い手足はまさにバービー人形のよう。まぁ言うところの芸術品。

今年のフリーのテーマ曲は、金メダリストの荒川静香と同じショパンの幻想即興曲。
しかし真央風に見事にアレンジされていた。
まさに幻想の世界orバーチャルな世界ではある。

こうしたバーチャルな世界を現実のものとして再生した街がある。
電気の街、東京・秋葉原である。

自分の学生時代、電気の街・秋葉原には全く縁がなかった。
当時の自分の電化製品といえば、(学生時代当時は贅沢品だった)テレビ、卓上スタンド、コタツ、 
電熱器...
断っておくが空調設備など、夢のまた夢の世界。
つまるところ、街にあるいわゆる電気屋で十分だった。

そして当時の秋葉原は、電気街とは言っても、
世界の同好仲間と交信するアマチュア無線など、いわゆるマニア専門の街だった。
無縁なのは当然と言えば、至極当然だった。

自分が秋葉原に頻繁に通うようになったのは、90年代後半。
米国発のITの時代となり、電子メールの交信を始めとして、諸般の原稿執筆や、
世界情報の取得などに最新式のパソコンが必要となり、
好むと好まざると秋葉原に行かざるを得なくなった。
当時の最新機器は秋葉原に行かないと調達できなかったからである。

ところが20世紀から21世紀に世紀が変ると、
ビッグカメラやさくらやなど、街中には電化製品の量販店が進出してくる。
こうした量販店の拡大は、電化製品の小売価格を破壊していった。
こうした時代の急変で、都内には従来の電気屋はなくなり、
そして電気の街・秋葉原の衰退も目立つようになっていった。

ところが、神田青果市場跡地の再開発が言われるのと時を同じくして、
秋葉原の再生が言われるようになっていった。
そして登場したのが「ゲーム機器」「コスプレ」「中古パソコン」である。

神田・神保町の古書街に似た、秋葉原=中古パソコンのイメージは納得できる。
大きなポイントは「ゲーム機器+コスプレ」のセットだった。
元々、CG(コンピュータ・グラフィック)の中のバーチャルの世界を無理矢理現実のものにする
のだから、ある種の異常性は致し方ないには違いない。

しかし昼夜の別なくゲームに熱中する余り、どんよりした目をした若者と、
バーチャルな世界からそのまま飛出したような格好をした(小倉優子風)の
甘ったるいメークをした若い女の子が闊歩する風景は、どう見ても異常である。

渋谷センター街もある意味では異常だが、センター街の若者には、ある程度とは言え、
現実感がある。
しかしアキバ系と言われる秋葉原の若者には、現実感が見られない。
バーチャルな世界を現実の世界とすることで、ある種の無警察状態を醸成している。

かくして秋葉原はものの見事に隆盛を取戻してはいる。
PC周辺機器の専門店に行く必要もあり、秋葉原にいかねばならない場合があるが、
どうしても街中に流れる雰囲気には随いていけないでいる。

街の再生のためには手段を選んでいる時代ではない。
そんな半端な時代ではない。
しかし解ってはいても、用が済めば逃げるように帰って来ざるを得ない昨今の秋葉原である。

2007年11月12日

日本の金融危機から10年

1997年11月4日。
前日に会社更生法を申請した三洋証券が、
無担保コール市場(金融機関が資金を貸し借りする市場)で初の債務不履行を起こした。

この事件を発端に、金融市場は疑心暗鬼となり、
北海道拓殖銀行、山一証券、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行が次々と経営破綻した。
それからちょうど10年経過した。

この間、銀行への公的資金注入や相次ぐ合併・経営統合をテコに、
不良債権問題にはほぼ終了した。
そして十行あった都市銀行は三メガバンクに集約され、
旧長銀は新生銀行、旧日債銀はあおぞら銀行として再生した。

10年前の一連の破綻劇の中で、象徴的だったのは、
山一証券の営業停止に至るまでの経緯だった。
1997年11月24日に営業停止を決定する山一証券は、
ギリギリまで銀行や外資系金融機関からの救済に期待をつないだ。

しかし主力銀行の旧富士銀行は、飛ばし(顧客の損をペーパーカンパニーで引き取る行為)から
発生した含み損2,600億円の損失に対する融資を拒否、山一証券に最後通告をするに至った。
銀行が金融秩序を支えるという根幹のシステムが崩壊し、
市場の力が金融機関の経営を左右する金融新時代の幕開けだった。
こうした大きな潮流の中で、拓銀、長銀、日債銀の破綻が起きたのだった。

では三メガバンク時代を迎え、日本の金融は変貌したと言えるのかどうか。
多少の変化があっても、根幹の気風は変っていないようである。
つまり、
「銀行は預金を集め、返済が滞るリスクの小さい個人や企業に預貸業務に基盤を置く」
「人事制度終身雇用を前提として、安定感のあるゼネラリストの支店長を目指す」。

要は現在の銀行の経営者階級は団塊の世代が中心であり、
安全第一を目指す気風に変化が見られず、
結果的にハイリスク・ハイリターンを狙う投資案件には二の足を踏む傾向は直ってはいない。

この気風が改善されるまでには、団塊の世代の大量リタイアを含めた世代交代を含め、
あと10年はかかると思われる。
そして、以降10年の間に大変貌を遂げると思われるのは地銀、第二地銀、信金、信組などの
地域金融である。

金融の原則自由の時代となり、銀行が銀行業ばかりでなく、証券・生損保を扱う時代。
IT時代の進捗をベースにした三メガバンクの地域侵略戦略と、
民営化したゆうちょ銀行という二大勢力の前に、地域金融は風前の灯である。

自分は、数冊の著作を通して、こうした一連の金融危機と今後の日本金融に関し、
将来像を想定してきた。
要は、「全国津々浦々、日本のどこに行っても金利は同じ」であること自体が異常だった。
そして「銀行の最大の売り物は信用である」としてきたこともまた、安易だったのである。

これから以降10年は第二次金融ビッグバンと位置付けている。
大きな潮流の中で、(どのように抵抗しようが)壊れるものは自然に壊れる。
10年後の2017年、自分は生きているかどうかも分からないが、あぁヤッパリなと、
懐かしく(!?)回顧することになると思う。

接待ゴルフ

守屋武昌・前防衛省事務次官と、
防衛商社「山田洋行」元専務で、現「日本ミライズ」社長・宮崎元伸社長の癒着ぶりが
次々に明らかになっている。

守屋氏は10月29日の衆院での証人喚問で、
宮崎氏から頻繁にゴルフ接待を受けていたことを明らかにした。
その回数は10年で200回以上にのぼり、多い時には月4回も行ったことがあったという。
事実上の国防トップとして権勢を振るった人物は、実は”ゴルフ将軍”と呼ばれるべきであろう、
とするのが最近の論調である。

例えば10年で200回とすれば、1年に20回。1ヶ月にすれば約1.5回。
これは隔週にゴルフに行っていたことになる。
この数字はある意味では妥当性があり過ぎ、実はその回数は更に増えることになろう。

もう時効なので、自分の場合をお話すれば、年間最高で約70回接待ゴルフをした経験がある。
される方約55回+する方約15回=合計70回、という計算である。
1年は53週である。要は毎週どころか、土日連チャンもあったという計算になる。

1980年代前半、自分は時代の先端を行く外資系・為替ディーラーなる職業に就いていた。
しかもバックには超有名商社が付いており、××銀行には青柳ありと、名前を言えば分かる存在
ではあった。
当時の為替仲介業者(銀行間の為替取引を仲介する業者)は、
日本の大手3社+外資系大手1社+日本の中小2社の合計6社。

当時の接待は、通常のウィーク・デーは飲み、週末はゴルフが定番だった。
つまりは、ほぼ毎日飲みに行っており、週末は仲介業者とのゴルフ、の毎日だった。
月次計画、つまるところの「飲み+ゴルフの月間計画」は1ヶ月前から決まっていった。

当時は日本のバブル前夜ではあったものの、その接待パターンは、今から考えても豪華絢爛、
逆を言えば異常だった。
ゴルフの場合、30代の若造の自宅まで、うやうやしく黒塗りのハイヤーが迎えに来た。
玄関まで出迎えに来て、「おはようございます」ってな具合。
当然バックは持ってくれるは、車に乗ればおしぼりが出るはで、まさにVIPの扱い。

最も頻繁に行ったのは、千葉の名門中の名門・総武カントリークラブ。
時折プロの公式試合が開催され、TV中継もされるが、
あぁ××ホールの例のバンカーか、フェアウェイのあの木は面倒だからなぁ、などと鮮明に覚えている。

当時のプレー代はビジターで25,000円程度。
これに昼食5,000円、プレー後の宴会が1人頭約15,000円。
ハイヤーはたまに同乗者がいたにはいたが、貸切だったから10万円。
接待する側も入れて4人総額約300,000円也。これが接待ゴルフの実態だった。

こういうパターンが年がら年中続いた。アホな自分は一生続くかとさえ思った。
特別な練習をしなくても、頻繁にやればゴルフは上手くなる。
ラウンド自体が最高の練習になったからである。
ベストスコアは81。ハーフの最高スコアが40。
最終18番でパーを取れば”夢の30台”達成だったが、ビビッて50センチが入らなかった。

今では110の王(百獣の王)で、100を切るのもままならないが、もはや接待ゴルフどころか、
短パン+Tシャツ仕様のプライベートのゴルフでさえ逡巡する有様である。
要は1980年代前半を中心に、90年代前半までに、ゆうに500回を超えるラウンドを経験し、
一生分のラウンドをしたという、満足感あるいは倦怠感があるのは否めない。

今回問題になった接待ゴルフを巡るスキャンダルが、一体どういう結末を迎えるかは分からない。
しかし、渦中にある守屋氏も、少なくとも「もうゴルフはコリゴりだ」と思っているに違いない。

ゴルフは世界的に人気のあるスポーツの一つではある。しかし、
「ラウンド途中に平気でアルコールを口にする接待用のゴルフなど、もはやスポーツではない」
「日本独特の(間違った)接待文化だ」と、今更ながら思うのである。


2007年11月05日

英会話は習い事にあらず

10月26日、
経営が悪化していた英語会話学校のNOVAは大阪地裁に会社更生法の適用を申請、
同地裁は財産の保全管理命令を出した。
発表された負債総額は439億円だが、最終的には更に拡大する見込みである。

NOVAはジャスダック証券取引所上場の英会話学校最大手。
前社長の猿橋望氏が1981年に設立したノヴァ企画が前身。
同年大阪・心斎橋に「駅前留学」の第一号となる教室を開校。
86年には東京・渋谷に進出した。

96年に株式を日本証券業界に店頭登録。
2004年にはジャスダック証券取引所に上場。
ピーク時の06年3月期には受講者が47万5千人に達した。
07年3月期の売上高は570億円。純損失は24億円。

20世紀から21世紀という時代の変わり目の中で、
基本を習得しないまま、英会話というグローバルな時代にマッチした“習い事”が当たり前に
なった日本で、「駅前留学+NOVAうさぎ」をキャッチフレーズに、NOVAの快進撃が続いてきた。

しかし、21世紀に入って十代後半から二十代の主力顧客層が少子化で目減りし、
業界内の競争が激化、NOVAを筆頭に激しい料金競争が展開されてきた。
経済産業省の調査によると、
06年の市場規模は前年度比0.8%減の1,261億円で3年連続のマイナス。
外国語学校市場は03年度の1,296億円をピークに減少が続いている。
ただ一方で、受講者数は増加。06年度は5.4%増の937万人で、03年度比14.8%増。

6月13日、
経済産業省はNOVAに対し、特定商取引法違反を重ねていたとして、
一部業務について業務停止命令を出している。
またNOVAには、
途中解約に応じていない点について、日本各地で受講料返還訴訟が起こされている。

国民生活センターによると、
外国語・会話教室に関する相談件数は06年までの6年間で約19,000件。
そのうちNOVAに関するものが5,200件となっている。

全国に900以上の拠点を置き、40万人超の受講者を抱えるに至ったNOVAは、
受講者にあらかじめ「ポイント」と呼ばれる受講権利を購入させ、
その権利に数量割引を適用、大量購入すれば1回のレッスン料が2千円以下になると説明、
受講者を集めてきた。

ただ前払い受講料は通常、一般債権に分類されるため、
税金や従業員の給料よりも返済の優先順位が低い。
同社の資産は業績悪化で急激に減っていると見られ、
受講生の返金に応じられるかという点については現状では難しい状況である。

(基本のできていない=覚えたものは直ぐに忘れる)受講者に、
永遠に英会話という“習い事”を続けさせようとしたベンチャービジネスは、
一時的あるいは表面的には成功した。
創始者の猿橋望氏は時代の寵児と持て囃された。

翻って、英会話は習い事ではない。立派な学問である。
グローバルな時代に、英会話くらいはできないと、といった安易な風潮の中で、
中学程度の英語の基本もできていない者を主たるターゲットに、
「(習い事としての)英会話ビジネス」で継続的な利益を得ようと画策した戦略なき拡大路線は、
ものの見事に崩壊したのである。

消費期限って何だ?

2007年は、「不二家」に始まって、「白い恋人」、「赤福」、「吉兆」と、
日本の有名ブランドの偽装表示や虚偽申告が発覚、大きな話題になっている。
ところで、問題の争点になっている『消費期限』とは一体何なのだろう?

食品衛生法およびJAS法に拠ると、
「定められた方法により保存した場合において、腐敗、変敗その他の品質劣化に伴い、
安全性を欠くことがないと認められる期限を示す年月」

また食品衛生法第7条に拠ると、
「食品衛生上の危害の発生を防止するため必要があると認められるときは、薬事・食品衛生審議会
の意見を聴いて、それらの物を食品として販売することを禁止することができる」
となっている。
相変わらず解り難いことを言っているが、
要は「人体の害を与えそうな物は売ってはならない」ということを定めているらしい。

こうした一連の消費期限に関する問題が大きな騒ぎになっているのを見るに付け、
自分の学生時代を思い出す。
自分の学生時代には、4畳半から6畳のスペースで、風呂なし、共同炊事場&トイレが一般的。
また空調や冷蔵庫も夢のまた夢の時代で、夏などは扇風機もないまま、ウチワをパタパタする中、
極めて不衛生な生活をしていた。

一例を上げれば(きっと聞きたくもないと思われるだろうが..悪しからず)
2週間前の”カビた”食パンを、その生えたカビを削った挙句、電熱器で焼いて食していた。
(バターでなく)マーガリンがある場合があったが、それとても冷蔵庫で冷凍保存したものでなく、
何やら汚いゴミみたいなものがついていても、エイッ、ままよとばかり口に入れていた。

極めつけは牛乳。
安酒を呷って泥酔状態になることが頻繁にあったが、
困るのは、喉が渇きまくって、夜中にバカッと起きた場合。
結果的にそこらにある飲み物、それが1週間前の牛乳だったりする場合がある。
酔っているから何でもよい。コーラなら最高、牛乳でも仕方ないといった具合。
しかし目が覚め、正気になって眺めてみると、腐敗して白い塊ができている場合もあった。
とりあえずはゲエッ~とはなったが、格段下痢をすることもなかった。

要は若かったということで全ては解決することになろうが、
しかし日本で、いつから「賞味期限」などという単語が重要視されるようになったのだろうか。
考えてみるに、中国からの輸入食品が多くなってきた5年前あたりからだろうとは思う。

日本製は、多少腐っても原料に問題がない(と思っている)から、大丈夫との考え方がある。
ところが、中国製は、香港でも上海でも中国現地に行かれた方ならお分かりになると思うが、
衛生状態がヒドイ。衛生状態がヒドイ上に、原料自体が何が混入されているか分からない。
そういう状況の中で(=日本の常識が通用しなくなった時点で)、一連の消費期限が頓着
されるようになったものとは思われる。

いずれにしても一連の有名ブランドの賞味期限切れ問題は、
どこかポイントが外れていると思えて仕方がない。
発覚したのは全て内部の人間のチクリorタレコミが発端となっており、
こうした内部告発がなければ何も分からなかったことは明白である。
要するに、タレコミがなければ今まで通り「美味しい、美味しい」と食べていたに相違ない。

結論的には「売れ残り処理品」とでも名付けて割引し、販売すればよかったのではないか。
消費期限は過ぎていても、食べた実感などは従来のブランド品だから、飛ぶように売れることは、
スーパーの閉店時のお惣菜などを見れば明らかである。
何を隠そう、この私も、閉店時を狙ってスーパーに行く常連でありまする。

法的にもったいぶってつくった条文に捉われて、少々大袈裟に考え過ぎと思う。
日本の製品を信じるべきだし、また人間の体って、そんなに簡単に壊れないと思うが、どうでしょう。


カテゴリー

アーカイブ

最近のコメント