2008年05月31日

開港30周年を迎えた成田国際空港

5月20日、成田国際空港は開港30周年を迎えた。
成田国際空港は佐藤栄作内閣による建設決定直後から、
日本の憲政史上おける最大の汚点、あるいは、まず利権ありきの日本型政治システムの
象徴としてその名を残すことになっている。

そして成田国際空港建設を巡る、今や伝説となり始めている「70年代の三里塚闘争」と
呼ばれる学生をも絡めた大衆運動(=建設反対運動)も、完全に陳腐化している。
「体制と民衆」という本来から対立し易い構図が、
戦後の日本で最大規模に弾けた希有にして熾烈なガチンコ勝負も、
時間の経過と共に忘れ去られようとしている。

1970年代は、第二次大戦後のベビーブームを起因として、日本史上最大の規模で
「大学生という名の若者が溢れた」時代であった。
その若者の余りある、行きどころのないエネルギーが、体制という名の権力に向かって
爆発したがっていた。

そこに(たまたま)成田国際空港建設というテーマができた。
第二次世界大戦後、奇跡と言われた日本経済の更なる成長のためには、
世界的に通用する大規模な国際空港が必要であるという必然的な理由があってしても、
「所詮は体制」という論理で反対したのである。

現在では団塊の世代と一括りにされるそうした学生群の大半は、体制と名のつくもの
全てに対して否定的だった。
というより、否定的であることに自己満足する傾向にあった。

だからそのテーマが、私利私欲に走る(ように見えた)政治に向けられた。
従って、その対象が成田国際空港でなくてもよかった。
要は、成田国際空港建設に対する反対運動は、体制に反発する姿勢を見せるための
格好のテーマになっただけであった。

当初の日本政府の思惑では、成田国際空港は世界有数の大空港になるはずだった。
滑走路は大中小、五本も取り揃え、休みなく日本と世界を結ぶ玄関となるはずだった。
だから(世界の有名空港システムから乖離した)都心から特急で1時間もかかる不便性も
我慢せよとの“体制側”の論理を貫き通した。

しかし現在の成田国際空港は、徐々に大型化する最新鋭機に対応できず、
その最大の目的も果たせないでいる。
そして現在に至り、「成田は本当に必要だったのか」という、
全く逆の論理が先行し始めている。
「(埋め立てでいくらでも必要な土地が確保できる)羽田で十分ではないか」として、
現実に羽田空港の拡張工事が進められている。

そして2008年に入って日本政府は、空港への外資規制を固執するスタンスを明確に
し始めている。
空港に(大々的に)外資が入ってくれば、当然ながら成田は否定される。
単純に考えれば「利便性のない空港に何等メリットはない」とする、
外資型切り捨てを怖れているにしか見えない。

かくして日本の高度成長時代の一大テーマとなった成田国際空港は、
世界的なグローバル化の波が強烈に押し寄せる中で、「時代の遺産」になり始めている。


島耕作の世界

島耕作。60歳。
1970年早稲田大学法学部卒業。同年初芝電器産業入社。
以来38年、2008年5月、初芝電器と五洋電機が経営統合して誕生した持ち株会社である
「初芝五洋ホールディングス」の初代社長に就任した。

1983年に講談社の「モーニング」で始まった漫画、「島耕作」シリーズでの話である。
だが、社長就任が決まった回以降、講談社モーニング編集部には、読者からの祝福の
手紙も急増、本物の祝電も届いたという。

主人公である島耕作は、元々出世が期待されたわけではなかった。
島耕作が初めて世に出たのは、シリーズ連載前の読み切り漫画で、オフィスラブがテーマの
「カラーに口紅」だった。
これが読者の評判を呼んで連載化される。

日本経済やビジネス社会の実状をタイムリーに映すストーリー展開も注目されたが、
それよりも、ビクビクしながら浮気を繰り返すサラリーマン「課長 島耕作」の姿に妙に親近感あり、
共感を呼んだには違いなかった。

しかし連載の長期化に伴ない島耕作は、正義感が強く仕事も頑張るキャラクターに変化し、
出世街道を驀進していった。
突如のように出世街道を驀進し始めるのも不思議だが、出てくる女性はすべて美人で、
しかも聡明に描かれていた。
まさに「漫画の世界」ならではの”架空の世界”には違いなかった。
作者の(早稲田法→松下電器産業の経歴を持つ)弘兼憲史さんが言うように、
「ハングリーさを持った団塊の世代の読者を対象に、サラリーマンの夢をバーチャルで
実現しようとした、大人のおとぎ話」であった。

自分の場合、架空の人物とは言え、島耕作と同年代の早稲田大学法学部出身であり、
必然的に自分自身を漫画の世界に当てはめ、バーチャルではなく現実の姿をイメージしつつ、
「島耕作の世界」に入り込んでいった。
それが「漫画を読むのは時間の無駄」と思っていた自分が、連載漫画「課長 島耕作」を読むように
なったキッカケである。

「会社に入れば誰もが偉くなりたいだろう」との“暗黙の了解”が、企業の多様化で崩れ始めた今、
会社を舞台にしたヒーロー物は成立し難い時代である。
企業にありがちな派閥抗争に謀略、足の引っ張り合い。
大企業の人事には波乱と愛憎が付き物で、そうしたリアルで醜い“見たくない”ものをも含めて、
「島耕作」の物語は進展していった。

今回の島耕作の人事は、「あの課長が..」の思いと共に、祝福に包まれている。
誠に不思議な感覚ではある。
誰もが目標にし、日夜奮励努力しても簡単には実現できない“夢”が、それが架空の世界とは言え、
完成したからである。
島新社長は、今後は社業を超え、日本経団連の会長職も視野に、国益にかなう行動をとることに
なるという。

団塊の世代は定年を迎え、厳しい時代を迎えている。
そうした中で島耕作は、団塊の世代の“希望の星”には違いないのである。

2008年05月25日

銀座のヨットマンの話

たまには銀座界隈のお話ということで、今回は「古き銀座の主」のようなお方の話をします。

その方は、名前を言えばすぐにわかる業界老舗の食品会社の会長。
仮に「銀座のヨットマン」、略してヨットマン氏としておきます。
直々にお話をさせて戴くようになってから3年ばかり。

ヨットマン氏は、有名食品会社の会長をされると同時に、
財団法人 日本セーリング連盟の重鎮として有名な方であります。

ところで、日本セーリング連盟とは何か。
日本セーリング連盟、英語で言えば「JAPAN Sailing Federation」、
通称ジェーサフ(=JSAF)は、日本でヨットをこよなく愛する方々の団体であります。

ヨットといえば、これまでの日本では金持ちのするスポーツ、あるいは贅沢なスポーツと
されてきました。
確かに真夏にデッカイ白い帆を揚げ、ビキニの若い女を乗せ、海の上できっと“いいこと”をしてる、
といったイメージは否めません。
自分も最初はそう思ってました。あんなの“(嫌悪すべき)金持ちのスポーツ”だと。

ただ考えてみれば、日本は島国。
海が最大にして最高の“遊び場”には違いありません。
最近の日本はまさに「車の社会」。地方に行けば一家に一台どころか、一人一台の時代。
そしてピカピカの新車を駆ってどこへ行くかといえば、娯楽の殿堂パチンコ屋。
こんな構図であれば、(消去法から言っても)多少は“やましい雰囲気”があろうとも、
海の方がいいであろう、といった発想にはなります。

そして残念なことに、「最近の輸入車、いわゆる外車を買う値段で十分ヨットは買える」という
構図はサッパリ理解されていません。
要は、今やヨットは贅沢でも何でもなく、日本的なアナログな感覚から抜け出していない、
ということになります。

自分は本来から車に興味なく、海から、特に地元の富山湾から北アルプスを眺めたら、
そしてそんな景色を眺めながら、酒を飲んだらさぞ美味しかろうと、
そしてそんな時、側に若いビキニのお嬢様などがおられたら尚更に心地よかろうと、
“至極健康な理由”で富山県セーリング連盟の皆様とお付き合いを始めさせて戴きました。

そうしたセーリング連盟の日本全体の重鎮がヨットマン氏、ってわけです。
そのヨットマン氏は、(湘南の)ヨットを通じて故石原裕次郎との親交があったことでも有名。
まぁ、自然の成り行きですわなぁ。
そして「湘南のヨット+銀座という大海(or深海)」のつながりも、また当然、ってことで。

ヨットマン氏と親しくなったのは、最初に同氏が直々に経営される銀座の和食屋でお会いした際、
富山県出身と言ったら、「おい、ナメリカワって知ってるか?」などと、
飛び上がるような(=笑い話のような)質問をされてから以降であります。

実は滑川には、その昔、親しく付き合った方がいらっしゃったそうで...
故石原裕次郎と張り合って、結局はヨットマン氏がその方をゲットされたそうで...
昭和の大スター・石原裕次郎亡き今、その信憑性はともかく、なにしろ“滑川”がテーマになって、
話がトントン拍子に進んだ、ってわけであります。

その親しくしていらっしゃった方の消息は、鋭意調査の結果、判明は致してはおりますが、
かの方の息子さんと話をしたところ、今はその時期ではないと固辞されておりますので、
残念ながら(今は)詳細は話せません。

銀座コリドー街の入り口にある、そのくだんの和食屋も、
故石原裕次郎と頻繁に行ってた和食屋をテーマに、日本全国の新鮮素材のメニュー限定、
しかも安価で、かつ酒だけは、日本酒でもワインでも、焼酎でも、ウィスキーでも、
(世界)各地から高級なものをセレクトするといった、まさに“ジス・イズ・ギンザ”仕様であります。
ヨットマン氏のおかげで、その店は頻繁にしかも安価で使わせてもらっております。

かくして、幾多の風雪を超えられ、70歳を過ぎられた今でも、
まさに”海辺の少年”のように澄んでキラキラ輝く目をされたヨットマン氏にお会いすると、
自分もこんな風に歳をとりたいなと、つくずく思うのであります。


IT業界の大戦争

5月3日、
ソフトウエア最大手の米マイクロソフト(以下MS)は、米ヤフーの買収を断念すると発表した。
1月末に総額446億㌦(約4兆7千億円)の買収額を提示していたが、より好条件を求めるヤフーとの
交渉が決裂した。

IT業界のガリバーと言われてきたMSは、世界シェア9割超のパソコン用基本ソフト(OS)や
ワープロ表計算ソフトを武器に高収入を維持、株式時価総額は2,700億㌦(約28兆3500億円)と
世界のIT企業では群を抜いている。

しかしパソコンは先進国で需要が頭打ちで、MSの1-3月期決算でも、
パソコンOS部門は前年同月比減収だった。
独禁当局の監視の目が厳しさを増し、ドル箱のソフト事業のうまみが薄れる中で、
成長維持のためにはネット部門の強化が不可欠だった。

一方、米司法省がMSを独禁法違反で訴えた1998年に創業したグーグルは、
ネット広告での高収益を原資に、ソフト機能の無償提供を拡大してきた。
このまま放置した場合、ソフトの無料化が一段と進み、
MSがここ10年謳歌してきたIT業界の主導権は、グーグルが握るとの見方が大勢となる中での
今回の買収劇だった。

MSとグーグル。数字だけを見ればMSが依然優位に立っている。
株式時価総額はグーグルの1.5倍、売上高は3倍。
それでもMSがグーグルを怖れる理由は、「ネット広告」という時代の流れの頂点にグーグルが
君臨し始めているからである。

グーグルの手法は、ワープロなどの業務用ソフトをネットで無償提供し、携帯電話用のOSも
無料で公開しながら、外部企業が自由に使えるようにして自社技術を普及させる。
こうした一連の「無償方式」はネット広告の収入を増大させる。

ネット広告の世界市場は、2010年までに800億㌦(約84兆円)になると推定されている。
グーグルが現在の4割のシェアを維持すれば、収入は300億㌦(約31兆円)を超え、
現在のMSのOSと業務用ソフトの売上高の合計に並ぶ。

MSはここ数年、ソフト依存から脱却すべく、ネットやデジタル音楽に戦略を拡大してきた。
しかし新興企業との技術者争奪で、人材不足が深刻化している。

IT業界は、「クリック一つで利用者が離れる」栄枯盛衰の激しい世界には違いない。
そうしたバーチャルな空間の主導権を巡って、ここ3ヶ月、MSのヤフーの買収戦には、
メディア大手のタイムワーナーやニューズも参戦している。

アナログ感覚が抜けない日本では考えも及ばない、
ゲーム感覚の、膨大で漫画チックな金額が画面上で踊り狂っている。

総額で軽く10兆円を超える個人資産を得たとされるMS創業者のビル・ゲイツは、
こうした終りのない戦争に巻き込まれたくないと、早々に引退を表明した。

かくして、IT業界の大戦争は今からが本番である。
地球上の人類は、これからのバーチャルな世界で、果たしてどのように生きていくのか。
気が遠くなるような話ではある。

2008年05月17日

5月新刊「利益を上げるFXの鉄則」

続きまして、5月の新刊のご案内であります。
何故そんなに続いて?と思われましょうが、
これまで1年半貯めていたものを一気に吐き出したと思って戴くしかなく、
またまたよろしくご支援下さい。

タイトルの新刊は、(見た通りの)久し振りの為替本。
本来が為替畑出身でありますから、自分の専門分野。
最近は、若いOLやら、オバちゃんの皆様が「私にもできます」シリーズで闊歩されておりますが、
余りに相場をナメたことをおっしゃっておりますので、”ここを先途のガツンと一発”であります。

外国為替は本来、銀行のみが取引を認可されてきました。
証券や生損保も、そして商社や輸出入業者も、為替取引は全て銀行を通して為替市場に参入
していました。
外国為替業務は、文字通り外国通貨を扱うことから、銀行では各種試験を通して行員を選抜し、
銀行業の基本は勿論、英語力、為替市場のメカニズムを徹底して教育するシステムを
採っていました。
言ってみれば、外国為替業務に従事できたのは“選ばれた行員”であったわけです。

ところが金融のグローバル化およびITが進捗する98年頃から、金融界では「原則自由」の
流れが爆発的に拡大していきました。
こうした原則自由の流れの延長線上に、現在の為替の個人取引(外国為替証拠金取引)
があります。
要は全くの素人でも為替取引が可能だし、また外国為替取引を仲介する業者になること
も可能になりました。

こうした諸環境の変化と共に、ここ3年ほど続いた円安・ドル高の流れが為替人気に拍車を
かけることになりました。
要は「円を売って他の通貨を買う」取引さえ続けていれば、ごく当たり前に儲かった。
円安がこのまま続けば皆がハッピーだった。

ところが、昨年6月に1㌦=124円台だった円は、
この3月に95円台(3月17日の95.77円)の急激な円高・ドル安になりました。
かくして、円安・ドル高局面では海外市場からミセス・ワタナベと揶揄され、
基本的な勉強もせず“為替為替という最高難度の金融取引”に関った日本のOL・主婦層の損害は、
07年8月からの円高局面で、(推定で)5,000億円を超えると言われています。

一方で、個人取引を扱う業者=仲介業者にも大きな問題が露呈しています。
顧客からの預託金と、自己資金とを分別して管理するのが原則中の原則ですが、
客のカネは自分のカネとばかり、顧客の資金を使って相場を張り、大きな損失を出す業者が
続出しています。
07年10月以降、FX業者の倒産数は4社に上り、今後も増えるのは必至の状況です。

相場に対峙するためには、ファンダメンタル(基礎的要因)分析やチャート分析を丹念に
行なっていかねばなりません。
だたそうしたからといって、百戦百勝はあり得ません。
結局、相場は簡単ではありません。奥がとてつもなく深いのです。
ラッキーパンチでたまたま勝つことがあっても、勝ち続けることは不可能です

私は30年超の市場経験から、相場に絡む悲喜劇を目のあたりにしてきました。
今回の為替本は、そうした安易に流れる為替取引(FX取引)に対する警告書であり、
真剣に勉強しようとしない個人投資家、および根幹の知識のないまま不用意に勧誘を
仕掛ける仲介業者に対する警告書であります。

5月22日頃から有名書店に並ぶはずです。
よろしくご支援ほどお願い申し上げます。

ズバリ的中!!「2009年世界バブル大崩壊」122ページ

4月新刊「2009年世界バブル大崩壊」の122ページ以降が、まさにドンピシャリの的中で、
評判になっております。
聞き及ぶところによりますと、
(金融出身で、青柳本のファンと言われている)六本木の超有名キャバクラ”G”の社長が、
バイト従業員である早稲田・青学等の現役女子大生に、“さぁ読め、読め”と、
次から次から回し読みをされているそうであります。
回し読みなどしないで、当たってるなら買って読んでッ!!ちゅ~の。
無料(ただ)で公開するのも癪ではありますが、(仕様がないので)ご紹介致します。
....
中国に〝大事件〝が起きるとき、なぜかその前兆として大きな地震が発生する、
と言われます。
あの大人物・毛沢東が八二年余の生涯の幕を閉じた一九七六年(九月九日)も、
その四〇日ほど前の七月二八日未明、マグニチュード(M)七.八の直下型地震が
中国河北省の工業都市・唐山を襲いました。世に言う「唐山大地震」がそれです。
被害は震源に近い天津市を含めて二四万二四〇〇人が死亡、北京市でも二〇〇人が
死にました。
この年一月には周恩来首相が死去。四月には周首相を追悼する民衆を弾圧する
第一次天安門事件が起きています。
さらに毛氏死後一か月ほどたって、江青女史ら「極左四人組」が一網打尽になり、
問題の多かった文化大革命にようやく幕が降りました。

またその一〇年前の一九六六年三月、同じ河北省南部の刑台でM七.六の地震が発生、
約一万人の犠牲者が出ていますが、そのわずか二か月後にはあの忌まわしい文化大革命
が開始されています。

そして不吉なことに、「的中率九五%」の実績を誇る「世界最高の予言者」
ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース氏(四七歳)が、こんな予言をしているのです。
「二〇〇八年に中国で発生する超巨大地震をきっかけにして、〇九年から地球の極移動
が始まり、大陸の沿岸地形に大きな変化が現れる。海沿いに住む人々は海岸から離れ、
高地に避難せざるを得なくなるだろう。特に(震源地である)中国では一〇億の人々が
解放され、天国に召される。また二〇一〇年から一一年にかけて、共産中国に併合支配
されてきたチベットは自由になる」
...

5月12日、午後2時半(日本時間同3時半)ごろ、中国西部四川省を震源に、マグニチュド7.8の
大地震が発生しました。
中国の国営新華社に拠れば、5月17日現在、死者は27,000名、行方不明14,000名、
負傷者は17万人に達していると発表。
しかし調査が進むにつれ、被害者は更に増える可能性が高い...

こうした中で、北京五輪は果たして開催されるのか否か。
今更ながら、北京五輪について客観的に考証してみます。

1984年のロサンゼルス五輪まで、オリンピックには二つの大きな問題がありました。
ひとつは「政治」。1972年のミュンヘン五輪ではテロより選手が殺害され、
1980年のモスクワ五輪は西側諸国がボイコットしました。
もう一つは「金銭」。1980年のレイクプラシッド冬季五輪では、運営資金が回収できず、
組織委員会は破綻しました。

こうした経験を踏まえ、米国式資本主義下のロサンゼルス五輪では、
独占テレビ放映権の設定など、(儲けるための)様々な手段が講じられました。
その徹底振りは、聖火ランナーの権利を販売するほどでした。

結果的にロサンゼルス五輪は“商業的に”大きな成功を収め、
オリンピックは、政治よりも経済に密接に結びつき、その根幹の意味さえ変えてしまいました。
こうして、スポーツ・ビジネスの興隆は、新たな市場開拓に向かうことになったのです。

そこに現れたのが、世界最大の人口を抱える中国だったのです。
近代国家としての存在を誇示したい中国は、オリンピックは魅力的なイベント(=興業)であり、
両者の利害はものの見事に一致しました。
北京五輪は「スポーツとビジネスの更なる蜜月を、世界に誇示するもの」であるはずでした。

ところが大会が近づくと、チベットでの虐殺、ウイグル自治区の人権侵害等、
中国のひた隠しにしていた政治的な問題がまさに亡霊のように出始め、
世界各地で聖火ランナーは妨害に遭うことになりました。
そしてここにきての突如の四川大地震。
ここまで世界を騒がせながら開催に近づいている大会は、果たして過去にあったでしょうか。

中国国民の大部分は、
「国家による情報操作はあるが、チベット問題など、中国が抱える問題を理解している」との
スタンスを採ります。
ただ国外で、危険を冒してまで実際に行動している人たちとは温度差があるのは否めません。

世界の国々は、多文化が平和に共存する方向を摸索しています。
中国は、チベットの他、イスラム教徒でトルコの影響を強く受けたウイグル族などを含んだ、
多文化国家です。
中国の根幹の捉え方は「全ての文化を中華思想で塗りつぶす」ことにあります。
そうした強烈な大陸的発想が、万里の長城や紫禁城を始めとする、壮大な建築物となって
現れています。
そうした独特の、ある意味でアナログな論法が近代で通じるかどうか。

中国人民はしばしば中国共産党の政策を批判します。
しかしそうした彼らにも、根底では異文化や異民族に対する考え方は全く同じなのです。
中国人民が持つ「ここ5年の、北京五輪に向けての成長がそのまま続く」という“幻想”は、
今回の四川大地震によって崩壊し始めています。

世界全体の運命が、決して信じてはならない国に委ねられようとしています。
今回の四川大地震が、世界崩壊に向けての序章なのか。
余りにも見事な的中に、逆に作者としての本人も怖くなり始めています。
世界全体が大きな転換期にある点は念頭に置かねばならないようです。

2008年05月12日

絶大なるご支援、本当にありがとうございました。

2008年5月10日(土)。
富山は朝からどんよりした曇り空。
待望の(!?)サイン会の日であります。

おかげさまでこれまで、北は北海道から、南は沖縄まで、日本全国から講演会に呼んで戴き、
その講演のついでに既刊本のサインを頼まれたことはあっても、
最初からサイン会と称するイベントは初体験。

待ちに待った、というより今回の連休中、
「待ち過ぎてくたびれてしまった」といった状態が続いておりました。
サイン会の前日は、酒も抜き、早々に寝る態勢に。が、さすがに眠りは浅い。
テレビを見ていても、内容がサッパリ頭に入ってこない。

8日(木)には、主催の紀伊国屋書店・富山店にご挨拶にお伺いした。
富山では超老舗の、高校時代などには余程のことがない限り入ることさえためらった、
格式と伝統を誇る富山・大和(だいわ)デパートの、7Fのワンフロア吹き抜け。
富山の書店では異例の規模に、“ここが富山か?”と、まずはドカンとカルチャーショック。

エスカレータ入口の、「(写真付きの)青柳孝直さんサイン会」のポスターに、
「さて、青柳孝直とは一体誰なんだ?」などど、頓珍漢なことを考えてしまっている。

中央の支払カウンターの側には新刊本が“富士山様式”で山積みとなっている。
「オオッ、最高級の扱いだ」などと、ようやく我に返るが、
「ノコノコ出ていくと、絶対分かる」などと、ここでも全く余計な心配をしている。

紀伊国屋・富山店の浅沼店長とお会いし、こちらの計画をご了解戴き、ようやくにして落ち着くが、
さて、主催書店の要望する人数が本当に集まるのかよ、などと、またまた余計なことを考える。

帰り際、紀伊国屋書店の一角に文具コーナー発見!
そうだ、サイン会用のサインペンを用意しなくては...
手ごろなサインペン2本を買い求める。「オシッ、これでサインの練習だッ!」

かくしてサイン会当日。
いつもより気合を入れて約1時間の体力トレーニングの後、12:30PMに実家を出発。
紀伊国屋直営のコーヒーラウンジでコーヒー・ブレークした後、2:20PM、
所定場所、つまりはサイン机に坐る。
バックには紀伊国屋のマークのついた立て看が燦然と輝く、いわゆるひな壇であります。
オオッ、これは野球やサッカー選手の“今日のヒーロー”インタビュー形式ではないか...

(公式発表より30分早い)2:30PM、
サイン会場が何気にザワザワしてきた時点で、セーノでサイン会開始。
練習の甲斐あって(!?)、手に震えはない。
しめた!この調子だ...
「ありがとうございます」の連発、サインしまくりのマシンと化して、全くの流れ作業。

そのうち“アドバイザー兼カメラマン”を頼んだ(TV局勤務で修羅場に馴れ切った)弟からクレーム。
「兄やん、早すぎる!」「新聞社(北日本新聞社)の取材に間に合わない!」
これまで某作家のサイン会に行き、30分立ち待ちで、頭にきて帰ったしまった経験から、
お待たしてはいけないという思いが先に立ち、後のことなど全く考えてない。

エェ~イ、ままよと1時間経過。3:30PM。
気がつけば、行列の流れが途絶えてる。公式発表の終了時間まであと30分。
タバコ吸いたい、飲み物が欲しい...

4:00PM。浅沼店長の「これで青柳孝直先生のサイン会を終了します」のキッパリした声。
ジ・エンド。
これが一連のサイン会の(自分から見た)模様であります。

おかげさまで、150人超の方々に来て戴いたとのことであります。
自分では心よりの感謝を込めたつもりでおりますが、ご多忙中来て戴いた皆々様に、
こうした晴れやかな舞台に馴れないがゆえの失礼が多々あったかも知れぬと、
今更ながら恐縮しております。

また複数の方々から「ブログ、楽しみにしてる」との、温かい激励の言葉を戴いております。
今後の自分の人生に、何よりの特効薬であります。
本当にありがとうございました。

主催して戴いた紀伊国屋書店のスタッフの皆様、
連日にわたり、特にサイン会翌日の11日の朝刊では写真入りで大々的に報道して戴いた
北日本新聞の皆様、
密着取材をして戴いた富山県人社の皆様、
本当にどうもお世話になりました。本当にありがとうございました。


2008年05月06日

ほたるいかミュージアムの風景

実家に帰って4日目。
黄金週間の最終日。
ホッとしている、というより、時間が極端にユッタリ流れる空間の中で、
10日(土)のサイン会に向け、いかに緊張感を維持するかに必死になっている。

今日、5月6日の富山地方は、年に何回あるかどうかの絶好の日和。
最高気温は24度。湿度も低く、まさにドピーカンの五月晴れ。
前方には能登半島が付け根まで見え、後方には未だに雪の残る北アルプスの連山が、
まるで空一面にデッカイ写真を貼り付けたように聳え立っている。

幼き頃から慣れ親しんでいる風景とは言え、“素晴らしい景色”としか言い様がない。
冬は(森昌子の)「越冬つばめ」や「哀しみ本線日本海」に表象される風景が、
ここを先途と、まさにキラキラ輝いている。

自分の実家のある滑川(なめりかわ)は、元々は北陸の漁村。
ただここ10年、ほたるいか観光で全国区になった。
シーズンになるとNHKが決まって大々的に特集を組み、民放各社もNHKに右習えで、
何気に宣伝してもらっている。

侵食が激しく、波入川(なみいりかわ)がその由来と言われている。
しかしそれがどうして滑川になったかについては、諸説あるも、定かではない。
また「ほたるいか」とは、元々は5千メートル級の深海に生息する深海魚。
産卵を終えたメスが浮かんでくるのが4月初旬から5月中旬あたりまで。
その最後のエネルギーを絞り、ホタルに似た光を放つことから、蛍烏賊(ほたるいか)
と呼ばれている。
(以上は、小学生の頃に、”耳タコ”に聞かされてきた説明であります)

地元滑川市では、こうした一連の観光に焦点を当て、ほたるいかミュージアムなる
テーマパークを造成している。
滑川漁港に近く、今風に言えばオーシャンビューのレストランが最大の売り。

余りの天気の良さにつられ、午前中にチャリを駆って行ってみた。
今日のほたるいかミュージアムは、県内よりは県外ナンバーの車で満杯。
黄金週間と言っても北陸自動車道は意外に空いているから、東北方面や関西方面からも
絶好のドライブコースになるらしい。

自分の実家エリアには若い女性の影は全くと言っていいほどないから、
(顔やスタイルに全く関係なく)若い女性の声を聞くだけでも何やら華やぐ。
地元の(東京FM系の)FM局も、ここを先途の実況中継。
滑川にこんなのありかよ... と思わせるような“一大観光地”の風景ではある。

ここにきての滑川市は、時ならぬ談合事件でガタついている。
今回帰ってそのような事件が起きているのを初めて知ったが、こんな狭い土地にも、
逆にこんな狭い土地柄だからこそ、そうした談合が問題になるのかもしれない。

地元につき、市役所には市長を始めとして知り合いも多く、何気に暗い顔をしていたのが
気にはなる。が、ドロドロした事件の詳細は知らないし、また知ろうとも思わない。
今日のような天気の下では全てが空しく思える。

かくして、2008年の黄金週間(ゴールデン・ウィーク)も去ろうとしている。
海が見える自室から、「(スキマスイッチの)全力少年」をBGMに、暮れ行く海を眺めつつ、
さて今回のサイン会は大丈夫かな、などと、ボンヤリ考えております。
どうかこれ以上ボケませんように...

2008年05月05日

「××人生に悔いなし」考

5月2日、北京五輪出場を逃した柔道の井上康生(総合警備保障)が、
「我が柔道人生に悔いなし」と、引退を表明した。

井上に対する評価は「気は優しくて力持ち」という「日本人的善玉」そのものだった。
その人間像が投影された頑なまで一本気な柔道スタイルで一度は頂点に押上げ、
一方で、思いもよらないキャリア終盤の苦戦につながった。

「内また」にこだわり、その技の美しさ、常に一本を狙う姿勢は海外でも人気が高かった。
その「内また」で2000年のシドニー五輪で金メダルに輝き、世界選手権、全日本選手権は
共に三連覇した。
ただ2004年のアテネ五輪で予選敗退後、2005年1月の復帰戦では右大胸筋断裂の重症。
その後は不振を続け、今回の北京五輪代表落選につながっている。
結果的には一連の記録は忘れ去られ、「記録よりも記憶に残る」柔道家となった。

ただ周辺では「他にやりようがある」との批判があった。
高校時代に正課として柔道を少しかじっただけの自分にでさえ、
一本を狙わず、ポイント狙いの負けない柔道をすればいいじゃないか、と思えた。
しかし井上は、こうしたポイント狙いの柔道を最後まで拒否した。

今回の100㌔超級の代表となった、国士館大学の現役学生である石井慧(さとし)のスタイルは、
狡猾な戦術もいとわないポイント狙いの柔道。
日本的な考え方では“卑怯”とされる戦法も、
世界的に見れば、時代にマッチした“デジタルな柔道”だった。

一方、井上は異常なまでに「内また」にこだわる柔道。
何でそこまでと、見ていて歯がゆくなる“アナログ柔道”だった。
それは、既に往時の姿ではない自分への最後のそして頑固なまでの抵抗だったに違いなく、
まずは「一つの時代の終り」だった。

今年1月、北京五輪の最終予選に入る前井上は、タレントの東原亜希さんと結婚を発表している。
“何故今なんだ?”と、誰しもがそのタイミングの悪さに首を傾げた。
ただ公然とは言われなかったが、その原因は柔道に興味ある者誰もが知っていた。
アテネ五輪に出場する前から、同女との交際が公にされ、以降の連敗地合いは同女のせいだと、
結果的に彼女は“下げマン”だとの風評が飛び交った。

確かに勝負の世界、それは相場の世界で何であれ、付き合う女性によって(勝負の)結果が
違ってくることはよくある。
何故なら勝負の神様は“女神”だからである。
井上は、生涯の伴侶に対するそうした風評を払拭しようと、最後の賭けに出たに違いない。

4月29日の全日本柔道選手権の準々決勝で押え込まれ、一本負けし、
畳に向かって深々と一礼する井上の表情は晴れやかだった。
またその後、5月2日の引退表明会見での表情も晴れやかだった。
「我が柔道人生に悔いなし」のコメントは、各テレビ局から何度も繰り返し放送された。

今後は、同じ熊本県出身の恩師・山下泰裕の後を追い、海外留学を経て、
東海大学スポーツ関連学部の教授と、日本柔道連盟の幹部への道をひたすら邁進することになる。
その意味では「柔道人生」はこれから続いていくことになる。
同時に、(残念ながら)伴侶の「下げマン」伝説も続いていくことにはなる。
真価を問われるのは、残された長い人生における“指導者としての柔道家・井上康生”である。
従って「我が柔道人生に悔いなし」の表現は何気に違和感あり、また時期尚早でもあろう。

最後までアナログを通そうとする井上に、「この5月には30歳となる井上の“若さ”」を感じ、
また「更にデジタルな要素を要求される世界柔道に対する日本柔道のひ弱さ」を露呈している、
と感じたのは自分だけだろうか。


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