2009年01月28日

人生の区切り

1月23日(金)、経団連外郭団体からの依頼で講演した。
「2009年新春 第117回全国経営者セミナー」と題するそのセミナーは、1月21日から23日まで
3日間開催された。場所は(皇居前)パレスホテル。
そしてこの不景気な折に、3日間通しの参加料金が263,000円也。
しかし不況だからこそ尚更ということで、主催者側に拠れば参加者は700人超の大盛況。
3日目のメイン講演者は、北京五輪金メダル・ソフトボール日本代表チーム・エース・上野由岐子さん。
自分の出番は分科会。

講演依頼があって約1ヶ月後、自分の写真が載った案内パンフレットが届いた時点で、
過去には巨人軍の長嶋茂雄永久名誉監督やら、王貞治ソフトバンク元監督やら、
まさに日本の錚々たる方々が講演された経緯があることが分かった。
そんな有名な講演会に、自分が呼ばれるなんて何かの間違いではないのか。
まぁしかし、間違いだろうが何だろうが、声が掛かるだけラッキーだッ、なんて思ってた。

講演会当日が近づくにつれ、そんな大掛かりな講演会の分科会だから、自分のところには
精々40~50人程度、ひょっとして10人あたりになることも考えられないではなかったから、
いわゆる“サクラ”にと、知人に来てもらうようお願いする始末。

で、当日。勝手知ったるパレスホテル、ってなもん。
今から約30年前、現役の為替ディーラーとして、肩で風切って歩いていた時分、パレスホテルの
地下2階にあるIVYハウスを、まるで自分専用の応接間か、隠れ家にように頻繁に使っていた。

30年前と言えば、旧日本興業銀行本店、旧住友銀行東京本部、旧協和銀行本店、
米シティバンク東京本部、米チェースマンハッタン銀行東京支店、米バンカース・トラスト東京支店、
英マリンミッドランド銀行東京支店、そして三菱商事本社など、日本内外有数の銀行・商社が
至近距離にあり、金融界の人間がウヨウヨたむろったパレスホテルだった。

そんな当時のIVYハウスでは、“デカボトルの青柳”で通り、入って右奥のカウンター席右端二人分が
“青柳専用シート”となっていた。
デカボトルとは、サントリー・リザーブかオールドの5本分が入った“化けもの”。
当然にして手で注ぐことは無理だから、専用台がついていたという特注品。

勝ったと言っては飲み、負けたと言っては飲み、暇だと言っては飲んでいた。
要はほぼ毎日のように飲んでいたから、そのデカボトルは3週間程度に空になった。
もう時効だと思うので白状すれば、酔ってはIVYハウスの食器を失敬した。
その食器は、何と、今でも使用している。そんな思い出が詰まったパレスホテルだった。
その意味では、今回の講演はある種の“凱旋”だと最初は思った。

自分の出番は午後3時。
直前の講演者はプロゴルファーの中嶋常幸・雅生父子。
終了予定時間が過ぎても、質問が飛び交って、なかなか終わらない。
よりによって何で自分の前が中嶋なんだよ、なんてブツブツ言ってみたりしていた。

で、出番。
考えてみれば、ローズ・ルームとはパレスで一番デカい会場だった。
多くて40~50人のはずが、その10倍の400~500人の世界。
は、はなしが違う!!と思った。一瞬、頭の中が真っ白になった。
ええいままよ、と居直ったが、うまく話ができたかどうか。
頼み込んだサクラの皆様からは、“よかったよ”との感想を戴いたが、さて…。

今回の話の本題は実はこれからである。
講演が終わって一服していると、司会者の方から“このホテルも今月一杯です”なんて、さりげなく、
しかし驚愕の情報を得るに至る。エエ~ッ!!ほんとかよ。
全館取り壊しで、新装開店には3年かかるという。そしてIVYハウスは閉店するという。

凱旋とは全くの感違いで、今回の講演会はパレスホテルが呼んだのかもしれない、と思った。
青柳、あれだけ世話してやったんだから、キチンと挨拶に来いよ、と。
気がついた自分は、後日、改めて挨拶に行った。

カウンターも椅子も、そして雰囲気も30年前と何にも変わっていない。
そしていつもの席で、“パレス乾杯!IVYハウス乾杯!どうもお世話になりました”と、感謝の念を込め、
心からの挨拶をした。

この1週間、シミジミ時の流れを感じている。
自分の人生で、若くて、エネルギッシュで、一番に華やかだった時代が名実共に過ぎ去っていく。
これもひとつの区切りなのだろう。

2009年01月26日

「きっと」「…してくれる」満載に、米新大統領の船出

現地時間1月20日正午(日本時間21日午前2時)、
バクラ・オバマ氏の米国の第44代大統領就任式が行われた。
就任式やパレードをこの目で、と集まった米国民は二百万人。
就任式の舞台は46年前、キング牧師が「I have a dream=私には夢がある」と演説した首都ワシントン。

彼ならきっと経済危機から米国を甦させてくれる、戦争を終わらせてくれる、人種間の融和を進めて
くれる。そんな「きっと」「くれる」が満ち溢れている。
米メディアの世論調査では、オバマ氏の支持率は80%を超え、就任前の大統領としては史上最高値
を記録した。

先の見えない不安な時だからこそ「改革」への内外の期待値は高まる一方である。
米国流の、(ダンスパーティを交えた)ここを先途の盛大な(異常な)お祭り騒ぎに、少々白けて見て
いたのは自分だけだったのだろうか。
結局、オバマ新大統領の最大の敵はそうした「過剰な期待感」なのかもしれない。

2009年は南北戦争で疲弊した米国を統一に導き、奴隷解放を宣言した哲人・リンカーン生誕から
二百年。
「米国民にとって二百年も人間を奴隷にしたという恥ずべき歴史を克服するにはいい機会」だった
とされ、新たな建国の夢を託された初の黒人大統領・バクラ・オバマ氏だが、前途の険しさは
並大抵ではない。

オバマ政権の「変革」では環境分野に重点投資する「グリーン・ニューディール」が大きな柱となる。
ルーズベルト元大統領の「ニューディール(新基軸)」にちなんだネーミングである。
新産業を育成、雇用を創出して米経済の再生を狙う国家戦略である。

地球温暖化対策でもブッシュ政権の「一国主義」から脱却、国際協調路線に復帰する。
石油に依存する経済から転換を図る歴史的な試みだが、政府主導色が濃くなる経済政策は景気
回復が遅れた場合、通商・産業分野などへの介入が強まり、保護主義への傾斜を生む懸念もある。

総額8,250億㌦の景気対策法案に拠れば、
雇用創出は「建設業67万人・製造業40万人・行政府24万人」。
ただこうした一連の景気対策は(議会や世論が批判を控える)「ハネムーン期間(100日)」は
我慢してもらえる。しかし米国は元から成果主義。1年も経過し、実際に経済が改善が見られない
場合、風向きが一気に変わる。

リンカーンの奴隷解放が米近代資本主義の発展を後押しし、その行き過ぎをルーズベルトが
政府の介入で是正。
大きな政府が行き詰まるとレーガンは規制緩和などで好況に導いた。
金融危機で表面化した超大国・米国の威信の低下を初の黒人大統領はどのように処理していくか。

就任式の全文を原文で読んでみた。
27歳のスピーチ・ライター、ジョナサン・ファブロー氏の手になる18分の演説である。
日本で言えば五七調の簡潔な文章が並ぶ。
良く言えば華麗、普通に言えば美辞麗句、キレイごとのオンパレード。

ちょうどJ.ソロスの「錬金術」の翻訳作業をしていたこともあり、その内容の違いに愕然。
余りに見事で流暢で、日本の大学入試に出そうな文章で...
キレイごとで今のアメリカを、そして世界を救えるのだろうか。

華やかさだけが目立つ就任式だったが、果たして米国は、そして世界どうなっていくのだろうか。

2009年01月18日

「100年に一度の大恐慌」を検証する その(3)

このシリーズの最終章として「スローライフ=人間らしい生活」について考えてみたい。

1980年代から「金融工学(ファイナンシャル・エンジニアリング)」という言葉が世界中に流行した。
まるで精密な科学であるかのごとく「コンピュータを駆使した金融」が持て囃されてきた。

一般論として、「月に行く技術」と「無尽蔵に利益を生み出す(ように見えた)金融工学の技術」が
同じ目線で見られていた。
そして(完璧無比に見えた)金融工学をベースに、「規制はすべからく緩和するのが正しい」とする
米国流考え方を是としてきた。

また「グローバル(地球的規模の)」という言い方は、「米国型を踏襲することである」と思われてきた。
結果的に「米国も失敗するかもしれない」という懸念が微塵もないまま、利益を最優先する米国型に、
なし崩し的に追随していった。
そうした世界的な錯覚の中で日本でも、日本社会独特の美風だった習慣・手法を徐々に消し去って
いった。

そして戦後の日本は「(米国に次ぐ)世界第二の経済大国」という“称号”を与えられたことで、
日本全体が慢心状態に陥った。
元々その称号は、世界をリードする(かに見えた)米国に(無条件に)追随することで与えられた
称号であった。

日本で造ったモノはすべからく米国に輸出し、代金はドルで支払われ、
その支払われたドル(余裕資金)はその大半が米国債という米国の借金にあてがわれた。
結局、米国の第一の子分であったが故の(偽の)称号であった。

現在GDP数値で世界第19位の日本が、世界第二の経済大国であるはずがない。
日本は「経済力が落ちれば世界は日本に目を向けなくなる」という現実から目を逸らそうとしている。
米国型手法に大きな欠点があると解った現在、「本来の日本的文化に立脚した考え方」を
世界に発信すべき時期である。

最近の金融市場は異常である。
IT化の進捗の中で、「人間の(躊躇する)心」を排除すべく、コンピュータが注文を自動発信する装置
が出来上がっている。
コンピュータ、すなわち機械は、その規模、その後の影響を考えることなく、与えられた値段と範囲を
カバーするまで、闇雲に進んでいく。
それが08年後半の為替(米ドル)や株式等の大暴落であった。

昨今の金融工学は、“人間の心”を無視した、単なる数字ゲームの世界になっている。
良く言えば合理的、普通に言えば「一旦欠点が露呈されれば、一気に崩壊するシステム」と
なっている。
短期的には強いかもしれないが、長期的には弱いのである。

『草木の一本、一石、一草にも虫にも動物にも心があり、魂があり、仏性がある。
 森にも山にも命があると考える日本の伝統的心性(五木寛之:「人間の覚悟」)』
 を世界に発信すべき時期である。

現在のような100年に1回の荒れた世の中であるからこそ、ユッタリと人間らしく
「先に行くなら先に行け」という「スローライフ」の心が大事だと思う。


2009年01月11日

「100年に一度の大恐慌」を検証する(2)

金融危機の端緒は米住宅市場のバブルの崩壊だった。
その中心にあったのが「サブプライムローン」と呼ばれる信用力の低い個人向け住宅融資だったのは
ご存じの通りである。
信用力が高い個人向けに優遇金利を適用する「プライムローン」よりも信用力が低いという意味である。

審査基準が甘い代わりに、金利水準は高い。
当初は金利が極めて低く、2~3年後に市場実勢に合わせて金利が上昇するなど、分かり難い仕組み
になっている場合が多い。

サブプライムローンは1980年代に登場したとされる。
急増したのは2000年以降である。
ITバブル崩壊で企業の借り入れ意欲が大幅に後退、金融機関が新たな収入源として住宅ローンに
注力した。

証券化技術が広がったことも要因となった。
住宅ローン会社は融資手数料を稼いだ後、ローン債権をすぐに他の投資家などに転売できるように
なった。このため借り手の返済能力を顧みない風潮が一段と強まった。
転売された住宅ローン債権を集めた上で小口化した証券化商品には、高利回りのものも多かった。
低金利による運用難の中、世界中の金融機関が購入していった。
こうした条件が揃ったところでサブプライムローンは1兆3千億㌦と、米住宅ローンの一割強を占める
までになった。

しかし住宅バブルが膨らみ、04年からFRBが金融引き締め転換した結果、
06年夏頃から米住宅価格は下げに転じ、サブプライムローンの焦げ付きが拡大していった。
住宅ローン会社が相次いで経営破綻し、同ローンを組み込んだ証券化商品の価格の下落により、
大手金融機関も大きな打撃を蒙るようになった。

この過程で浮かび上がったのがデリバティブ(金融派生商品)取引の不透明さだった。
特に注目されているのがクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)。
企業の倒産リスクをやりとりする一種の保険契約である。
CDSの想定元本は07年末で約60兆㌦と推定されている。

かくして1980年代から時代の尖兵であった金融工学(ファイナンシャル・エンジニアリング)の欠点が
明らかになっていく。
最大の欠点は、自分の考え方を有利に(=便利)にするために“不変なもの(所与のもの)”を乱発
する点にある。
そしてその不変であるべきものが不変でなくなった時、論理自体が呆気なく崩壊していく。

今回のサブプライム問題をきっかけに、世界は
「(IT技術を駆使した)時代の最先端のものを追いかける風潮」or
「コンピュータが創り出す(瞬時の)架空の世界」
に疲れ始めている。

そして
「前時代に回帰するアナログなもの(=ごくごく人間的でスローなもの)を追い求める」流れにある。
この「スロー・ライフ」の考え方については続編で述べることに致します。(この項続く)

2009年01月04日

謹賀新年(2)

今は実家におります。
元旦午前の列車に乗って帰ってきました。

正月ゆえ、エエイッままよと列車の中から飲み始め、缶チュウハイから始まり、調子に乗って
冷酒を呷る結果となり、完全に飲み疲れ状態となり、正月三が日は自分の体がアルコールを
受け付けず、飲んでもサッパリ美味しくありません。
事業自得ではあります。
従ってここ3日、ひたすら野菜を中心にした自然食を中心に、食っちゃ寝、また食っちゃ寝の生活が
続いております。

「早急にやらなければならないこと」が山ほどあり、わざわざPCも持参してはいますが、
全く手がついておりません。
寛大な方々からは「平生忙しいんだから、時にはそういう状態も必要だ」とおっしゃって戴いて
おりますが、このままだと体はもちろん脳みそも腐っていくようで、少々怖い状態になっております。
こういうのを「怠惰な状態」というのでしょうね、きっと。

正月4日目の今日は、久し振りに太陽が顔を出しています。
自室の窓から見る日本海(=富山湾)も、久し振りに優しく見えております。
海の向こうには能登半島も、青々と誠にキレイに見えてはいます。

が、総体的には裏日本特有の灰色の空と、全く人通りのない実家界隈の状況から、
まるで孤島状態の様相を呈しております。
何でこうも人が通らないんだ、果たして人が住んでるんか、ここは一体日本の何処なんだ、
といった状態。

で、最大の気分転換としては、
「好きな曲をランダムに聞きながらトレーニングをする」か、
「格段用もないのに(=もらった相手が返事に困るような)メールをする」か、
「格段スペシャルな内容もないのにブログの更新する」か、
「暇にまかせて(必要以上にタップリ時間をかけて)小料理を作ってみる」
しかない状態になっています。

それにも増してクタビレルのは、正月のテレビ番組。
2日と3日の箱根駅伝を除いて、どうしてああも「お笑い」か「経済不況」関連の番組ばかり
なのでしょうか。
東洋大学オメデトウ!ワセダ残念、もう少しで優勝だッ、来年こそは頑張れ!!って、
正月最大のスポーツ番組は相変わらず面白くはありましたが、箱根駅伝の中継が終われば
まさにジ・エンド。
それから以降の番組は、「だからどうした!もういい加減にしてくれ!」といった番組のオンパレード。

6日午後イチには帰京の予定です。
東京に帰れば、またぞろ幾多の苦難が待ち構えてはいます。
が、いかに艱難辛苦の状態にあっても、国際都市・東京のリズムがなつかしく感じます。
心機一転、目一杯頑張らなくては、などと考えております。

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