2009年05月30日

投資に関する教育の是非

つい最近、『為替のしくみが基礎からわかる本』を上梓した。(総合法令出版刊)
主として中高生および主婦層を対象に、質問・応答形式を多用した、基本中の基本の入門書である。
余りに簡単過ぎたかなと危惧していたが、有難いことに、駅ナカの書店などでは好評のようである。

投資に関する教育が始まって10年が経過した。
小中学生に投資に対する知識を植え付ける必要があるかどうかなど、当初は疑問視されることも
多かった。
そして最近では、小学校のカリキュラムに英語を取り入れるか否かでも論議を呼んでいる。

こうした教育論争がある一方、ここ10年における諸環境で大きく変化したのは、コンピュータや
携帯電話を中心とするIT機器の(予想以上の)進歩であった。
今や携帯電話でTV画面が見られるのは勿論、世界中のあるとあらゆる情報が得られる時代となり、
携帯電話で為替・株式取引ができる世界が出来上がっている。
また折からの少子化で、日本の小中学校では「生徒各自にPC1台」の世界となっている。

PCを通して世界の情報を得るのに、世界の共通語である英語の読解力があった方がいいのに
決まっている。
(教育の)押し込み主義だとの批判の声もある。だがそうした異議を唱えるのは、自分の幼少時代に
勉強をしなかった人間が多いこともまた紛れもない事実である。

そして問題なのは、21世紀に入って、1980年前半から始まった“ゆとり教育”の弊害が顕著になって
いる点である。
“(原則的に)競争を排除する”ゆとり教育は、運動会での徒競争での順番の排除を始めとして、
“騎馬戦”や“棒倒し”をも排除した。

平等だ、危険だとの考えが先行した結果、世界のトップを走っていた日本全体の競争力が一気に
落ち込んでいる。
世界を巡る風土・環境が大きく変貌していく一方で、古来からの競争の論理を排除した結果、
自分本位の世界に閉じこもる若者が多くなり、自分の意志に反するものは排除する考え方が先行、
無為な殺人事件も頻発している。

サブプライム問題を発端に100年に1回と言われる恐慌が起き、市場至上主義、
あるいは市場原理主義がやり玉に上がっている。
確かにIT技術の驚異的な進歩から、疑似の(架空の)世界と、実際のマネーが動く現実の市場の
判別ができなくなり、悲惨な結果を導き出している。
そういう時期だからこそ、市場の基本的な知識を習得し、本当の意味で市場を理解し、ことの善悪を
判断する力を身につける必要があるのではないのだろうか。

現在の経済学の欠点は、所与のもの(=理論的に不変なもの)を勝手に設定した上、理論の展開を
する点にある。その延長線上に市場至上主義がある。
しかし、その不変であるべきものがクラッシュすれば、全体がクラッシュする。

「一般の世の中(金融市場)の現実の動きと、理論との乖離」は、現在の大学教育では教えられて
いない。教えるべき年代が実際の経験をしておらず、机上の論理(理想論)が先行するからである。
こうした(経済学上の)大きな欠陥が100年に1回の大恐慌を引き起こしたとも言える。

“騎馬戦”や“棒倒し”での“(本当の)痛み”を知り、徒競争で一番になるための訓練を経て勝利の
快感を得ることで人間は成長すると思う。
“何が危険なのか”あるいは“実戦で勝つためには何をすべきか”を実感する必要がある。

日本のバブル時代が“空白の10年”という表現をされている。
実際には、1980年から20年超の空白と思う。
「21世紀を生きる若者は(知識として、法に触れない範囲で)何でも経験する」必要があると思う。
投資の教育の是非を論じている場合ではない。
若者は脳細胞の余裕タップリ。吸収が早い。
若者が “(知識の)引き出し”をできるだけたくさん持てるよう機会を与えてあげるべきだと切実に思う。
そこには(勉強もしていないorしてこなかった)大人の間違った常識論は必要ではない。

次代を担う若者を(本当の意味で)理解し、サポートするのが我々の使命と思う。


2009年05月24日

新型インフルエンザ騒動と日本の政局

土曜日の午後、例によって隅田川沿いでトレーニングを致しておりました。
関西から始まった新型インフルエンザは全国に広まる様相で、
ここはいつもよりキッチリトレーニングをし、野菜類をシッカリ摂り、アルコールを少なめにし、
菌を寄せ付けないようにせねば、と集中しておりました。

ところが至近距離に、「英国風若者+南米風のグラマラスな若い女性」のカップルの登場。
そして登場から1時間余り、延々とキスシーンの連続。
見せつける(見られる)ことによって快感を得る人種はいるにはいるが、1時間超のキスシーンは
如何に外国人とは言え、やり過ぎだろう。
女性の方も(何気にクネクネと)“その気”になっているご様子だし、”それなりの場所”に行って
“やること”をおやりになれば?などと無視しておりました。

ところが時間が経つにつれ、(英国風の若者が)キスしながら、こっちを見てウィンクしたりする。
ハアッツ???もっと見ろってことか??
調子に乗んなよ!馬鹿馬鹿しい。相変わらずのバカップル・洋風版の様相ではありました。

(少々下らない話題から入って本題に戻るのが苦しくなっております。どうもスミマセン。)
今回の新型インフルエンザ騒動、日本中からマスクが消えてしまうが如くの表現がされているが、
果たしてそんなに騒ぐ必要があるのかどうか。そしてマスクが絶対的な効用があるのかどうか。
TV画面から見る限り、関西地区ではそのほとんどの方々がマスクを着用しているように見えるが、
都内では(上記の光景に見られるが如く)ごくごく普通の生活が続いている。
JR・地下鉄など、都内ではマスクを着用している人が驚異的に増えた感じもしない。
騒ぎ過ぎのような気がしてならないが…

新型インフルエンザの世界的大流行(パンデミック)騒動が続く一方、衆院の解散・総選挙が迫り、
日本の政界もスッタモンダが続いている。
麻生首相は「解散時期は自分が決める」と言い続けているが、現議員の任期は9月10日まで。

ところで大災害の際には、しばしば現状維持志向、いわゆる保守志向が強くなるとされている。
政府の対応が後手後手に回るならともかくとして、普通であれば「選挙どころではない」との思惑が
働くからである。

振り返ってみればここ10年、二大政党の自民党も民主党も主義主張をクルクルと変えてきた。
古い自民党の体質を批判し、改革を掲げていた民主党は、農家への戸別所得補償を打ち出す等、
かっての自民党路線へと舵を切っている。
一方自民党も、小泉改革路線の旗色が悪くなるとあっさり看板を変え、ばらまき路線に逆戻りし
つつある。

「西欧人には、日本人が精神的苦痛を伴うことなく、ひとつの行動から他の行動へ転換し得ると
いうことがなかなか理解できない」 (ルース・ネベデクト『菊と刀』)
そんな日本人の変わり身の早さが日本の戦後の復興に貢献したのは間違いない。
現実に即して適切な道を模索する柔軟性は確かに必要である。
しかし二大政党の変身は本当に冷徹な現実主義に基づいたものなのだろうか。

「一度風向きが変わり、新しい風潮が出てくると、それに反対するものは頑固な、物分かりの悪い
人間であるとばかり、われ先にこの風潮に乗り始め、雪崩のように変化が起きる」
(政治学者・石田雄『日本の政治文化』)
政治改革がブームの時は、なぜ規制改革や民営化が必要なのかの議論を深めず、
改革に賛成か否かが論議の中心になっていった。
そして今、小沢一郎民主党代表が政治献金問題で辞任し、“友愛”をテーマに掲げる鳩山新体制と
なった。“友愛”という単語が、聞く方にとってはどうにも曖昧で、100年に1回と言われる混乱の時代
に何かそぐわないように思えて仕方がない。

仮に民主党政権になったとして、本当に日本が変われるか否か。
かたや自民党も、次の総選挙で第一党を維持し、公明党との連立を継続させても、参院の採決を
覆せる三分の二を獲得できるとは思っていない。
要は与野党双方に大連立という“幻”を追いかける土壌が芽生え始めている。

少子高齢化が進む中で、日本経済をどう再生するのか。
安心できる豊かな社会をどう形成していくのか。
新型インフルエンザ襲来に(必要以上に)右往左往するニッポン。
日本全体が大事なことを忘れかけているようである。


2009年05月17日

泣かせる空に会いたい

たまたまプレビューに立ち会う機会あり、タイトルを見た時「“ベタ”な演歌か?」と笑ってしまった。
正式なタイトルは「泣かせる空に会いたい- 魅惑の富山物語」。
富山テレビ放送制作による富山の魅力をPRする30分の作品である。

富山の宣伝には違いない。しかし諸般のCMとは違い、乾坤一擲の会心の作だと思った。
アニメの登場人物が連射する、少々早口の“純粋な”富山弁がとっても心地よい。
またアニメと実写が交互する見慣れた富山の風景のアレンジが本当に見事で、
まるで別の世界を連想させる。これがいつもの風景かと見紛うばかりである。

アニメの制作は南砺市・城端のPAワークスと、魚津市在住の兄弟ユニット「The Berich(ビリッチ)」
が手がけている。
立山連峰やホタルイカが光る海、五箇山の合掌作りを舞台に物語が展開される。

富山弁の独特の言い回しが、翻訳によってどのようなニュアンスを醸し出しているかは
見てないので分からないが、字幕は英語、中国語、韓国語、フランス語が用意されている。
富山県と中国・遼寧省の友好提携25周年で、石井富山県知事の5月16日に訪中に合わせ、
18日の衛星チャンネルで中国全土に放映される予定になっている。

自分の実家周辺ばかりでなく、富山県全体の経済落ち込みは目を覆うばかりである。
自分の住んでいる実家周辺を例にあげれば、約30年前までは“××銀座”と言われた
商店街に、ものの見事に店の一軒もなくなった。
コンビニも寄り付かず、清涼飲料水やたばこなどの自販機もなく、日常品を購入するには
車で約5分のスーパーまで“遠征”しなければならない。
午後7時以降は人通りも絶え、まさにゴーストタウンの様相となる。

住んでいるのは老人ばかり。若い女性どころか、何よりも子供の声が聞こえない。
時としては癪に障るくらいうるさい子供の声ではあるが、それもないとなると、
この街は生きているのか死んでいるのか分からない状態になる。

活性化しなければならないとの掛け声はあるものの、不景気だから尚更リスクを怖れ、
既得権を守ろうとする考えが先行、的確な“次の手”が打てない状況になっている。
これは全国各地の地域経済が抱える同様の環境ではあるにしても、
それでは“坐して死を待つ”ばかりである。

折しも100年に一度の恐慌に対峙し、地方に散らばった日本の大企業の二次受け、三次受け企業
の撤退、あるいは企業活動停止が相次いでいる。
当然ながら地元採用の労働者の削減・解雇という状態となる。
経済用語でいう“負のスパイラル”。この状態で、活気が出るわけもない。
こうした“ないない尽くしの街”には何かを起こす必要があった。

そこに考えられたのが(手作りの)アニメの世界であった。
つまりは実写からは表現できない柔らかい映像を通して、地元を再アピールしたらどうかという
プランであった。
たまたま県内に世界に通用するアニメ会社があったのも幸運だった。
アニメが表現する世界は、文字や実写で表現する以上の効果が得られる可能性を秘める。
今回の作品は、初期の思惑をものの見事に体現化した。

富山テレビの制作関係諸氏に拍手を送りたい。
しかし勝負はまさにこれからである。21世紀のグローバルな世界に、世界に向け情報を発信し、
その流れを“結果が残るビジネス”としてどうつなげていくか。
問題は山ほどある。しかし千里の道も一歩から。
マクロ経済とミクロ経済双方を綿密に検証する中で、生きる道は必ずあると思う。
それをやるかやらないかは、地元の人間が決めることではある。

現在の地域経済には積極果敢な行動力が求められている。
二番煎じ、三番煎じとなれば、パイオニア・プロフィットは得られない。
100年に1回の大恐慌だからこそ、思い切った施策と行動が必要と思う。

そんじゃお前には具体的な計画があるのか?ってですか?
ハイあります。でも今は、ひ・み・つ・です。

21世紀型リスクの検証

新型インフルエンザが関西を襲撃している。
海外渡航経験のない高校生が発病するといった、予想もしない展開。
日本の水際対策は万全ではなかったのか???

こうなったら日本全土に蔓延するのは時間の問題?
専門書に拠れば、「キノコ」類、「ヨーグルト」類が新型インフルエンザに効く、となっている。
素人考えだが、マスクの効用は余り信じていない。
アルコールを控えめにし、トレーニングをキッチリやって、体調を万全にし、菌が寄り付かないように
するしかないな、などと考えている。

「馬が逃げだした後に馬小屋の戸を閉めるようなものだ」。
4月29日(日本時間30日)、
オバマ米大統領は「メキシコとの国境を封鎖しないのか」との質問に対して、上記のように答えた。

オバマ会見の4時間前、
ジュネーブに本部を置く世界保健機構(WHO)のマーガレット・チャン事務局長は
緊急記者会見を開き、新型インフルエンザの世界的大流行が差し迫っているとして、
警戒水準を上から二番目の「フェーズ5」に引き上げると発表した。
同時に「人の移動の制限や国境封鎖は求めない」ことも表明した。

21世紀に入って、ヒト、モノ、カネが自由に移動するグローバル経済が明確になっている。
上記のオバマ発言は、チャン事務局長の発言を受けてのものだった。
隣国メキシコ発の新型インフルエンザに揺れる米国は、全くのお手上げ状態にも見えた。

今回の新型インフルエンザは、ひと、モノ、カネが自由に移動するグローバル経済の一環としての
流れであり、リスクがどこで顕在化するか分からないサブプライム問題と同様の、21世紀型のリスク
構造を持つ。

20世紀は(スーパーパワーを永遠に持ち続けるかに見えた)米国が、最終勝利者となった。
しかし現在は、米国を頭とする先進国を先頭に、底の見えない深刻な経済の疲弊が襲っている。
その疲弊の隙をついたような新型インフルエンザの襲来だった。

一連の21世紀型リスクについて、違う角度、今回は日本の金融界から検証してみたい。
4月28日、三井住友ファイナンシャルグループは、米シティグループとの間で、
シティ傘下の日興コーディアル証券と日興シティグループ証券の大半の事業を買収することで
合意した。買収額は5000億円強。
大手銀行が大手証券を傘下に収める日本国内での始めての事例で、日本の金融勢力図は
大きく変化する。

総務省を主体とする2011年7月の地上デジタル化(地デジ=アナログ停波)に向け、
金融界の吸収・合併の流れが最終段階に入っている。
40インチ型大型画面で、バンキング(銀行取引)、生損保の加入、株式・為替取引、先物取引等、
全ての金融取引を取り込むという、21世紀型・総合金融システムが完成に近づいている。

総務省主導型になっているのは、三大メガバンクが法人・個人の全取引を取り込むことで、
特に個人情報を完全に抑え込むことが可能になり、それが以降の少子高齢型の日本の税取り込み
に最大の武器になるからである。

21世紀のグローバルな世界では、これまで以上にひと、モノ、カネが自由に移動する。
そうした環境下での地デジの完成は「情報のグローバル化」だけではなく、
「法人・個人双方の金融資産情報の明確化」を意味する。
税金システムを完璧にしようとする日本当局の“取らんかな”のスタンスの可否はともかく、
「金融システムの間隙を狙う突発的リスク回避」に向け、日本の当局は着々と準備しているように
見える。

21世紀というグローバルな世界では、突然のタイミングで、予想もしない大きな流れが入り込んでくる
リスクを抱える。
今回の新型インフルエンザの襲来は、病原菌だけではなく、今後起こり得るべき21世紀の新型リスク
を示していると思う。

2009年05月05日

連休の風景

本ブログにアクセスを戴いている皆様、いつものアクセス、本当にありがとうございます。
ところでゴールデン・ウィークをどのように過ごされていますか?
(昨年の本ブログで“黄金週間”という日本語表示をしたところ、“黄金週間って、何?”と聞かれた
経験があり、言い方を変えております。)

自分は、と申せば、2日から実家方面におります。
相変わらず“何もない”淡々とした実家での日々であります。
世界経済がどうたら、為替の動きがどうたらなどと、“けばけばしい”世界の情勢から全く無縁の
環境であります。
(奇跡に近いような)晴天続きで、今日の富山湾もベタ凪であります。
寒くもなく、暑くもなく、いつものように時間がユッタリと流れております。

明日(6日)早朝には帰京します。
奇跡に近い形で指定席をゲットしたので、早朝7時のL特急+新幹線で、午前10時前には東京に
到着します。
7日午後まで指定席満席とのことで、致し方ありません。
若者のように、立ち席(自由席)で東京まで駆け抜けるという荒業(あらわざ)をする肉体的・精神的
スタミナが残っていない以上、多少朝が早くても文句は言えません。

いつも考えるに、何故人は連休になれば実家方面に帰ろうとするのでしょうか。
「何もない」のは解っていても、生まれた土地には安心感がある。
やはりサケ・マスと同様の帰巣本能なのでしょうね、きっと。

酒ばかり飲んでウダウダしても仕様がないので、天気もよし、今年は多少の変化をということで、
今年は思い切って外出することに致しました。
まずは、長年の友人と訪れたのが“ほたるいかミュージアム”。
概観は知っていたものの、ミュージアム内のレストランは初体験。当然ながらオーシャン・ビュー。
日暮れ時の富山湾は、海外のそれと遜色ないほど魅力的であります。
アルコールが体に沁みてくるに従って、そのウツクシサが倍増していきます。
それもまたいつものパターンではあります。

レストランでは、当然ながらほたるいかを中心としたメニュー構成。
ただ種類が豊富とは言えず、ウツクシイ風景を“肴”に、ひたすらアルコールを連発注文することに
相成ります。
何故かウィスキーが置いてなく、仕方なく焼酎の炭酸割。
ほたるいかにはウィスキーは合わないということでしょうか??
折角のオーシャン・ビュー、メニューにもう一手間、二手間があればなぁなどと思った次第。
県外ナンバーも多く見受けられましたが、運転する方々には少々お気の毒。
とりあえずは富山湾のウツクシサは十分堪能できます。是非一度お越し下さい!!

ついで出かけたのが新川育成牧場。
母親から(美味しいと評判の)牧場特製のソフトクリームを食べようと提案され、実弟の運転で現地へ。
富山県に牧場などあるんかぃ、あってもちゃっちぃだろ、などと高を括っておりましたが、
(宇奈月温泉近くの)その牧場は、意外にも見事なテーマパークとなっておりました。

ご想像の通り、家族連れ、それも若い夫婦とその子供という定番シリーズ。
見掛けは若く見えても、実は相応の年齢の兄弟とその母親がバベキューを囲んでいる図、
そして(デザートに)ソフトクリームを食している三人の風景は、さぞかし奇妙に映ったでしょうね…
ってなことを言って(被虐的に)笑い合いながら、それなりに新緑の大地を楽しんで参りました。

かくして夢のような世界から現実の厳しい世界に戻らなければなりません。
“輝ける国際都市・東京”になるのか、はたまた“砂漠のような東京”になるのか…
期待半分、不安半分の帰京前の複雑な気持ちは、今も昔も全く同じであります。
微力ながら全力を尽くしてガンバリマス。


2009年05月04日

輸出大国・日本の危機

4月22日、財務省が発表した2008年度の貿易統計速報(通関ベース)に拠れば、
輸出額から輸入額を引いた貿易収支は7,253億円の赤字になった。
赤字を計上するのは第二次石油危機直後の1980年以来28年振り。

米国の過剰消費に支えられてきた世界経済の構造が、金融危機を境に大きく揺らいでいる。
オバマ米大統領は3月の記者会見で、
「(米国が)借りて使う」時代から「貯蓄して投資する」時代に変貌する必要性を述べている。

2005年に日本政府がまとめた「21世紀ビジョン」に拠れば、
日本は輸出で稼ぐ輸出立国から海外投資で稼ぐ投資立国に転換し、
貿易収支は輸入拡大で2030年に赤字に転じると試算している。
日本の赤字転落は、想定よりはるかに早く実現することになった。

米経済のバブル崩壊で、借金に支えられてきた米消費が急減、米国は“世界の最後の買い手”の
役割を放棄した格好となった。
かくして世界経済は空転し始め、100年に一度と言われる不況の大嵐は、
米国向けの輸出で稼ぎまくってきた日本の自動車・弱電等の製造業を直撃した。

巷間では、徐々とは言え世界経済も回復し、それと共に日本の輸出も回復に向かい、
また原油価格の下落で(日本の)輸入も減少に向かうとの見方が大勢である。
しかし日本の輸出が米国の過剰消費に支えられていた水準に戻ることは考え難い。

日本やアジアなどの新興国の過剰貯蓄が米国債購入等の形態で流入し、米国の消費バブルを
引き起こした。
米政策当局は、米国の消費に頼り過ぎたこれまでの経済構造が今回の金融危機を招いたと
判断している。
瀕死の米国が同じ轍を踏むことはあるまい。

不均衡が急拡大する中で世界が同時好況を続けるという“綱渡り”が終わった現在、
日本も現実を直視する必要がある。
輸出額を地域別に見ると、米欧向けは20%減ったが、アジア向けも13%減少した。
アジアへの輸出も、最終消費地が米国というものが少なくなかったからである。

28年前に日本に貿易赤字をもたらした石油危機は、日本の企業が省エネ技術の革新や
製品の付加価値を高めることで乗り切った。
しかし今回の世界経済の転換や金融危機は、石油危機より震度は大きく、また複合化している。

日本政府は最大2兆円の政府開発援助(ODA)を通して、
アジアの内需拡大を支援する「アジア・ニューディール」政策を打ち出している。
しかし今のアジアが日本を頼りに動くか否か。現在の環境を考えれば、答は明らかである。
相も変わらず日本は、“小手先”の政策が先行している。

戦後の日本は日米安全保障条約をベースに、安全を保証され、
「モノを作り、作ったものを米国に輸出し、もらったドルを米国債に還流」する米国主導型の
貿易システムで動いてきた。
しかしそのシステムを米国は放棄し始めている。

日本は21世紀に通じるビジネスモデルを構築しなければならない。
しかし新たなモデルを見出し、そして定着させるのは簡単ではない。
日本は全ての面で転換期にあるようである。


カテゴリー

アーカイブ

最近のコメント