2009年08月29日

スーパーという名の不況業種

日本全国のスーパーの売上高(全店ベース)は、2008年に前年比5%減で14兆円を割り込み、
5年連続の前年割れとなった。

スーパーは1930年代に米国で生まれたとされている。
「(市場を超えるという意味の)スーパーマーケット」が、日本で「スーパー」と呼ばれるようになった。
元々はチェーンストア(セルフサービス方式による多店舗)の意味である。

1929年に始まった世界大恐慌の時代、買い物客が陳列棚から自由に商品を取り出し、それを
レジで清算する方式、いわゆるセルフサービスの店がスーパーの始まりだったとされている。
少ない従業員で売り場を運営できるため、必然的に商品の価格を安価にすることが可能になり、
そのシステムが世界に広がっていった。

日本で初めてのスーパーは、テレビ放送が開始される1953年(昭和28年)の紀ノ国屋(東京・港区)
とされている。
店舗面積は約130平方メートルで、現在のコンビニエンスストア(コンビニ)を一回り大きくしたような
ものだった。

1950年代、そうした米国の新方式を学ぼうと、呉服店、衣料品店、食料品店などを営んでいた
先進的な経営者が米国に視察に行き、米国式のシステムを日本に持ち込んだ。
それがダイエーであり、イトーヨーカ堂であり、イオンだった。

1960年代、高度成長時代の大量生産・大量販売の流れに沿って、日本にスーパーは完全に根付き、
小売業を代表する業態になっていった。
外来のものを日本的に作り変えるのは日本の特技だった。

1970年代「規模の経済」が代名詞になり、「大量の仕入れによる販売価格を引き下げる」システムが
定着し、低価格販売は市場を席捲し始め、(共存共栄を旨とする)一般市中の商店街の小売店を
徐々に駆逐していった。

そして1980年代に入り、特に1985年のプラザ合意以降は日本にバブル経済が起き、
生活水準の上昇と共に消費者の嗜好も多様化、隆盛を誇ったスーパーの品揃えでは満足できない
状態になっていった。

また1990年代後半以降、日本各地に新幹線(東北・上越・九州新幹線など)が次々に完成して
いったことも、スーパーの衰退を促す結果になった。
「2時間以内で最新流行のものを買える場所(東京、博多等の地域の中心地)に行ける」のは
ある種の流通革命だった。
朝7時に自宅を出発、開店前にカフェなどで朝食を摂り、思う存分買物散策をし、晩ご飯を
少々おしゃれなレストランでし、午後7時の列車に乗れば9時には自宅に帰りつく。
由緒正しき、簡単で健康な若者の生活パターンになったのである。

2011年のデジタル化(=アナログ停波)の影響は、一連のスーパーの業態に大きな影響を与える
のは必至である。
鮮度が命の生鮮食料品はともかく、鮮度には関係のない衣料品・家具・電化製品がバーチャルな
画面上で購入される時代が本格化する。

こうした時代の流れに沿って総合スーパーは益々巨大化、地域のテーマパークにまでなる時代と
なっている。
しかし、いくら巨大化しても、肝心の問題はコンテンツ(=中身)である。
世界の数ある優秀なコンテンツに日本のスーパーが対抗できるか否か。
結論的には「総合スーパーの生きる道は限定的」と言わざるを得ないのである。

2009年08月25日

2009年、夏の終わり

陸上の世界選手権が終わった。
夏の高校野球が終わった。
そして多少は涼しくなっている。少なくとも蒸し暑さが解消され始めてはいる。
「今年は夏が本当に来たのかどうか」は別にして、夏の終わりの様相である。

24日、夏の高校野球の決勝戦。
いつになく興奮した。9回二死からの新潟・日本文理高校の猛反撃は鳥肌が立った。
10対4から10対9になった。もう一打で逆転だった。
勝者・中京の涙と、敗者日本文理の笑い顔。
「これが野球だ」「これが伝統の高校野球の真髄だ」と思った。
所用があって出かけなければならなかったが、ギリギリまでTVに釘付けになった。
9回ツーアウトからの反撃と共に、(東京地方では)雷鳴が轟き、ドシャ降りになった。
まるで熱戦を祝福するかのようだった。

我が富山県代表は、名門・奈良・天理を相手に(当然のように)一回戦で敗退した。
スコアは15対1。普通であればコールド・ゲーム。
そして翌日、日本を代表する経済紙に載った敗戦のコメント。
「我々は富山県で勝つためのトレーニングをしてきた」
「しかし、全国大会で勝つためのトレーニングをしてこなかった」
そんなんなら最初から甲子園なんかにノコノコ出てくんなよ!
自信がありませんからって、辞退すりゃいいじゃないか!
甲子園に対する冒涜だよ、ったく!!(と、ひとりでエキサイトしておりました)

新潟県代表の日本文理高校。詳細は知らないが、全国からの寄せ集めかもしれない。
ただ「雪国のチームも、やればできるんだ」というコメントはホント勇気付ける。
そうだ、頑張ればできるんだ!
優勝した中京大・中京の(大会随一の美少年)堂林翔太クン、そして米大リーグ入りも噂される
155㌔の豪速球・花巻東の菊池雄星クン、今年の夏は十分楽しませてもらいました。

今年の世界陸上はジャマイカのウサイン・ボルトの独り舞台だった。
100メートルで10秒58、200メートルで19秒19。
特に200メートルの記録19秒19は((一人で)イク・イク)と読めて、一人で笑ってた。

1メートル96センチの長身で、体重は(多分)90~95㌔の“筋肉の塊”が疾走する姿は、
あんなのありかよ、といったまさに漫画だった。
9秒4台、18秒台の記録が出るのは時間の問題。
カール・ルイスも凄かったが、ボルトは21世紀前半の怪物になることは確実の別格。
観客は「ボルト・レジエンド」とのカードを掲げていたが、伝説はこれからだと思う。

全く恐ろしい選手が出てきたと思う。
陸上というスポーツ自体が変わるように思う。
我が日本は、バトンリレーで持つ世界最高のテクニックを駆使して、技術勝負で対抗するしか
ないようです。何せ未だに9秒台に突入した選手がいない状態なのだから。

23日の日曜日。
とあるゴルフ場経営者からのご招待で、5年振りのゴルフをした。
時間に押され、朝食なし、事前練習なしでラウンドを開始した。
5年もしてないと、まるで初心者である。言うまでもなく、さんざんの出来だった。
ただ昼食にビールを少々飲ってリラックスした(!?)のか、後半に会心の当たりが出た。
360ヤードパー4で、300ヤード級ロングドライブが出た。
ヤケのヤンパチで馬鹿当たりしただけだが、「練習したらこうなる」を見せたようで、
やっとのことでそのオーナーに面目を施した。

そして帰り、30㌔超の大渋滞に巻き込まれた。東京に辿りつくまで、4時間半かかった。
ゴルフをするより、その雪隠詰めにクタクタになった。
まるで今年の夏を象徴するような1日だった。

前半と後半では何らの脈絡もないが、かくして“今年の夏”は終わりの様相である。

2009年08月24日

衆院選挙後の日本経済

8月30日(日)は4年振りの衆院選挙。
実質40日間という長丁場の選挙戦で、各党がアピールする内容も聞き飽きて新鮮味なく、
毎日、毎日、選挙、選挙と言われ続け、はい、もう解りましたから、もう勘弁して、といった雰囲気。
今週は最終局面だが、何気に盛り上がりに欠けていると感じるのは自分だけだろうか。

民主圧倒&単独過半数獲得のイメージが先行しているが、民主・鳩山代表も絶対的決定打を
打てずじまい。イザ蓋を開けたらどうなっているか…

いずれにしても相変わらずのマニフェスト合戦である。
各党のマニフェストには少子化対策を中心に、いいとこだらけの“(根拠の薄い)ばらまき戦略”が
ここぞとばかり羅列されている。
一連の戦略は「経済の供給力減少」「競争力低下」を懸念したものばかりで、もうひとつの大事な
側面である「需要の減退」への対応は完全に遅れている。
日本経済が直面する少子高齢化の大きな流れに、希望的観測が入り込む余地はない。
20年後には人口が約10%減少し、中核になる生産年齢人口は20%近くも減少する。

振り返って20年前(1989年)は、
日経平均株価が40,000円に肉薄し、日本企業による外国企業や不動産の買い漁りで、
日本パワーが世界に猛威を振るった。
それから以降は、ほぼ一本道の下り坂で、現在は過去最悪とも言える不況に直面している。
そしてこの先は「少子高齢化」という、近代日本が経験したことのない課題が待ち受ける。

「少子高齢化」から派生する大きな問題は「内需に依存できなくなる」という点である。
これまでのような
「質の高い製品を生産し、適度の規模の内需を制して世界市場に打って出る」というビジネスモデル
が機能しなくなる。
日本経済は「日本市場が質・量共に世界の大国である」という点を前提にしていた。
しかし国内総生産(GDP)は中国に抜き去られ、1人当たりでは世界20位程度で、人口が減少すると
いう環境の中では、前提そのものが崩れる。

今更例に取るのも空しいが、
地方の金融機関が挙って標榜する合言葉は「地域に密着した金融」。
しかし地方企業が、地域内を中心に「地域の需要の大半は地域で賄う」とするビジネスモデルで
生きていけるうちは「地域に密着した金融」は重要だった。

ところがグローバル化、すなわちIT機器の進捗による情報化社会の拡大は、地方の企業が
地方のみで生きていくことを不可能にしていった。
「多少高価でも、共存のために、互いの商品を購入し合う」というメカニズムは、
世界各地から押し寄せる、安価で技術的にも優れた商品を手にすることができるようになって、
急激に廃れていった。
今回の衆院選挙では、日本経済回復といったマクロのテーマに大上段に振りかぶるだけで、
「地域経済の疲弊を改善する」といった主張は一切出てこなかったように思うが…

今回の衆院選挙は(大方の予想通り)民主勝利の流れは不変だろう。
ただ民主党は、今までのように野党として理想論(=文句ばかり)を言う側から、
政治を担当する側になる。日本の政界に混乱は避けられない。
民主独特の「“青葉マーク”がついているから少々大目に..」といった勝手な論理を先行させそうだが、
世界が黙っているはずはない。

経済の面から考えれば、日本の中心企業の業績は底を打ち、経営に落ち着きが出始めている。
その一方で、「勝ち組」と「(地域を中心とした)負け組」のギャップは更に深まっている。
「勝ち組」は、足元の不況対策に追われるだけでなく、不況が提供してくれたM&A(統合・買収)の
チャンスを捉え、「(長期的な&確固たる)勝ち組」になろうと模索し、また長期的にどう発展するか
という点を真剣に考え、計画を実行し始めている。

かくして、つい最近発表されたばかりの、「勝ち組」の代表・キリンとサントリーの経営統合計画は、
現状の日本経済の状態を如実に表していると思う。
今回の衆院選挙を機に、日本経済の根幹のシステムが変わりそうな気配である。

2009年08月10日

「夏の甲子園」の季節

8月8日、(第91回)夏の甲子園が始まった。
聞き慣れた「栄冠は君に輝く」のテーマ曲に合わせた開始式・入場行進。いつ見ても感動する。
毎年のことがだが、テーマ曲に手の振り・足の運びが合ってない若者が数人いることで、行進が
ギクシャクしているチームが必ずある。
高校野球の聖地・甲子園。緊張しないわけがない。
当然過ぎる現象に、ほほえましく、何故かホッとする。

かと思えば、チーム全員が大きな声を上げ、大きく手を振って、行進曲のリズムにピッタリ合わせた
完璧な行進をするチームもある。おおっ、よく訓練してる…
かくして「時代が変わっても、若者の本質はいつも同じだ」と思わせてくれることで、
“百年に1回”と言われる荒っぽい時代の流れにいることを忘れることができる。

今年はテーマ曲の作曲者・古関裕而氏の生誕100年に当たるという。
同氏は早稲田伝統の「紺碧の空」を始めとして、早稲田の応援歌も多数作曲されている。
学生時代、たまたま応援に行った早慶戦で、指揮棒を振られる同氏を至近距離で見ている。
人を感動させ、奮い立たせる曲を作曲する方には見えない。
想像していた以上に温和で穏やかそうな人だった。そうかぁ、生誕百年かぁ…

この時期、高校野球の中継と並行して、米MLBの中継も放映されることから、チャンネルの頻繁な
(=上手な)切替を強いられる。
(画面分割のできない旧式の受像機を頑固に使っておりますです、ハイ)

当然ながらレベルが違うから、MLBから高校野球への切替には“心の準備”も必要。
だが高校野球では、茨城・常総学院・木内幸男監督、智弁和歌山・高嶋仁監督など、伝統校の
有名監督に(TV画面を通して)会えることが楽しみになっている。
おおっ、今年も木内さん、高嶋さん、相変わらず元気だっ、なんて…
こんなシブイ(!?)趣味、間違いなく年のせいだろうとは思うが…

ところで、「栄冠は君に輝く」は「雲は沸く…」から始まる真夏の甲子園を表象した曲だが、
今年の夏はヘンである。
梅雨が終わったのか、終わらないのか、夏が来るのか来ないのか…
(東北地方は梅雨明け宣言しない前に、秋の到来の宣言だそうである)
ジメジメしているだけで、“また日本の夏が来た”と思わせる、キチンとした夏の日に今年は
出会っていない。地球の温暖化現象で、“日本のナツッ~”はもう来ないのだろうか。

こうした「“夏の来ない”夏の甲子園」を見計らったように、芸能界の薬物汚染が騒がれている。
押尾学、酒井法子といった有名タレントの薬物汚染事件の連チャン。

押尾学は六本木ヒルズを舞台に、妙齢の(アラサーの)女性の中毒死を絡めている。
MAMDという合成麻薬を使ったそうだが、そんなもの、見たこともなければ、知ってるわけもなし…
押尾学は女性スキャンダルも多く、「彼の(女性に対する)“おし”を“まなべ”」と言われる、
いうところの“ふだ付き”タレント。
元ヤンキーだったにもかかわらず、お嫁さんにしたい女優の座を(一時的とは言え)射止めた
矢田亜希子との結婚も一時は騒がれたが、押尾学って、ヒルズに住んでたんだ、といった程度。
意外性はあまりなかった(!?)

かたや酒井法子の場合、
「ダンナの覚せい剤所持・現行犯逮捕→失踪宣言→覚せい剤所持容疑の逮捕状→出頭」という、
まさにドラマ仕立て。
ノリピーと言われていたアイドル時代の彼女は、何でもかでも“(形容詞代わりに)マンモス”云々を
連発する、単なる“おバカ”タレントと思っていた。
しかし“碧いうさぎ”がヒットした時分からイメージも変わり、見方自体も変えさせられていた。

手話を交えて彼女が歌う“碧いうさぎ”は表現力・歌唱力も十分。
(意外性を狙って)カラオケの持ち歌にもし、ここぞという場面で得意になって歌っていた自分にとって、
今回の一連の事件はショックには違いなかった。
NHK・朝の連ドラの母親役をやってたのも記憶に新しいけど、(足の)かかと近辺にタトー入れるように
なり、“黒いうさぎ”と言われるようになっちゃなぁ…
多分(自称プロサーファーって一体何なんだ!の)ダンナがワルなのだろうけど…

そして「すこし愛して、なが~く愛して」の(サントリー・ウイスキーの)CMで一世風靡した
女優・大原麗子の死も衝撃的だった。
渥美清の“トラさん”映画に二回も出演した美人女優も、神経障害を起因とし、
手足に力が入らなくなるギラン・バレー症候群と言われる小難しい名前の難病を患い、
“美人薄命”を象徴するような呆気ない最後だった。

今年の夏は、“(日本の夏)らしくない夏”の様相を呈している。
何かヘンだ。そう思うのは自分だけなのだろうか。


2009年08月08日

追い詰められる地方金融(2)

地上デジタル化(=アナログ停波)を推進している省庁は、ご存じのように総務省である。
では何故総務省を中心にデジタル化を推進する必要があるのか。
それは少子高齢化が進捗し、世界的なグロバール化が進捗する中で、日本の税金収納システムを
完全にする必要があるからである。

一方、日本の銀行は、三菱東京UFJ、三井住友、みずほの「三大メガバンクの時代」OR
「勝者連合の時代」が到来している。
注目すべきは、日本版ビッグバン以降の最終勝者・三大メガバンクが、証券・生損保を始めとして、
金融のあらゆるジャンルを傘下に収め始めている点である。

上記二つの事実は「中央官庁が個人データの集約化を図り易くしている」と見るのが妥当である。
地上デジタル化(アナログ停波)の完成は、ある人間の「財政状況」「取引内容」「損益状況」等の
重要なデータを、(三大メガバンクを通じて)中央官庁がボタンひとつで検証でき、
課税できる時代が到来することを意味する。

デジタル化は世界の情報を採ることは勿論、(金融機関を含む)世界の企業との通信・取引を
飛躍的に拡大させる。
ただ海外から商品を購入した場合、対価を円で支払うのは難しい。
従って、通貨の交換が今まで以上に必要となり、通貨の交換の必要のない(プリペイド式の)
電子マネーが更に重要視される時代となる。

「TVがコンピュータの役目をする」更に「コンピュータでTVを見る」時代が到来している。
「そんな難しい操作はできない」と忌避するのは(大方は)60歳代以上の人間である。
携帯メールに慣れ切った若い世代、現在の30歳代前半以下の世代は、そうしたコンピュータ
新時代に苦もなく溶け込んでいく。

簡単に言えば「世界が更にタイトに結びつく」のである。
そして「世界がタイトに結びつく」と同時に、日本では三大メガバンクを中心とした金融システムが
本格稼働し、地方の中小の金融機関の淘汰を加速的に促すことになる。何故なら、
世界的な情報社会に追随するには、(設備に対する)膨大な資本投下が必要だからである。

かくして自分が幾多の著作で論述してきたように、「産地直送経済」がこれまで以上に明確に
なっていく。
つまりは「センターと消費者が直結し、中間部分は完全に削除される」経済が更に進捗する。
結局はいわゆる「代理店システム自体がなくなる」ことになる。
特に、特殊なモノを創ることのない金融の世界においては、その流れが明確になっていく。
「一連の代理店になりたくない」のであれば「自分がセンターなる」しかないことになる。

「自分がセンターになる」とは、簡単に言えば、
「横並びではない」「大きな組織では組成が難しい」「他にないオリジナリティを持った」商品を
創造することを意味する。

ここにきて、生損保を中心に、地域の代理店の衰退がしきりに伝えられてきている。
今から10年以上前から、今回と全く同じ論理で行く末を論じてきた。
そして一部からは「あり得ない」とせせら笑われてきた。
しかしいざ現実になって、お手上げ状態になっている。

来るべきITの新時代は“中間で寄生するもの=横並び的なもの”を徹底排除する。
従って、新時代で生き残るためには「(センターになるための)新たな分野or商品」を創造するしか
ないのである。
時代の趨勢や目的を見極め、歯車の噛み合った努力をしていくしかないのである。

2009年08月01日

追い詰められる地域金融

20世紀後半、日本版ビッグバンを迎える前、すなわち世界的な金融自由化が進捗する前、
日本の金融は(世界に類を見ない)護送船団方式を採ってきた。
要は全国津々浦々、どこの金融機関に行っても、出てくる(金融)商品は同じであり、
また預金金利や貸出金利もまた(ほぼ)同じだった。

「(何があっても)一行たりとも潰さない」or「潰れない」という、自由主義経済の基本論理に
真っ向反する金融不沈神話は、戦後の日本に奥深く根付いてきた。
そうした中で、
『「一営利企業に過ぎない金融機関が潰れないと信じること」は全く不合理で、時代に逆行する
無謀な論理である』かを、考えることすらタブー視された。

日本国政府が不沈と定義した金融機関を中心に、世界の趨勢に沿うこともなく、先端的な商品開発
もなされないまま、日本の金融界では、普遍的で前時代的な独特のビジネス形態が採られてきた。
最も重要視されたのは「(ドブ板式)人間関係」だった。

簡単に言えば「日生のおばちゃん自転車で…」に表象される(戦後以降の)純日本的営業モデルが
地方にガッチリと組み込まれた。
「彼ら(彼女ら)のバックには、永遠不滅の組織がある」と標榜しつつ、絶対的な安心感を持たせ、
(多少の違和感は感じていても)世界金融の情報を綿密に検証し、客観的に対処するスタンスは
忌避されてきた。

ところが、20世紀後半から不沈と思われた巨象がバタバタ倒れ、また吸収・合併が繰り返される中で、
日本全体に「従来の考え方が間違っていたのではないか」との疑念が起き始める。
最初のうちは中心部分だけだろうと高を括るうち、ジワジワと地方にも及ぶようになってくる。
ここ10年の世界金融の変化は、日本の(従来の)常識を超えるものだった。

地方の金融機関が挙って標榜する合言葉は「地域に密着した金融」。
しかし地方企業が、地域内を中心に「地域の需要の大半は地域で賄う」とするビジネスモデルで
生きていけるうちは「地域に密着した金融」は重要だった。

ところがグローバル化、すなわちIT進捗による情報化社会の拡大は、地方の企業が地方のみで
生きていくことを不可能にしていった。
「多少高価でも、共存のために、互いの商品を購入し合う」という特有のメカニズムは、
世界各地から押し寄せる、安価で技術的にも優れた商品を手にすることができるようになって、
急激に廃れていった。

そして21世紀に入り、世界的なグローバル化という大波が押し寄せる中で、生き残り策に窮した
地方金融は、(手っ取り早い)手数料第一主義に走り始めた。
為替・株式等を中心とする市場対応機能を持たないまま、市場リスクを商品購買者(=預金者)に
負わせたまま、(横並び式に)海外金融商品や投資信託の窓販を始めたのである。

そしてその流れに沿って地方金融は、これまでタブーとされてきた生損保の業界にまで足を踏み
入れ始めている。
”生き残り”という大命題を掲げ、これまでキッチリと区分けがなされた分野にまで、何でもありの
”仁義なき戦い”を挑んでいることになる。
だがそうした”付け焼刃”の戦略で、地域金融が本当に生き残れるのだろうか。
また生き残る意味が本当にあるだろうか。

2011年7月の地上デジタル化(アナログ停波)は、地域金融を完膚なきまでに叩きのめす。
何故なら世界の情報が日本の隅々まで知れ渡り、また必要な商品(金融商品を含む)が
簡単に手に入る時代が本格的に到来するからである。

10年超かけて完成した「三大メガバンクの時代の到来」or「勝者連合の時代の到来」の
本当の意味を考える時である。(この項続く)


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