美人の条件
もう10月だというのに、東京では夏が続いている。とにかく暑い。
未だにTシャツ一枚の若者や、半そでのサラリーマンがザラだから、
暑いのは自分だけではなさそうだ。
とは言え、陽が陰るのも早くなり、間違いなく秋には近ずいている。
物思う秋、メランコリックな秋、そして酒が美味くなる秋….。
世界有数の繁華街、東京・銀座も秋模様である。
何故なら、(季節を先取りする)女性のファッションが徐々に変化し出したからである。
最近では夏の真っ盛りにもマフラー(もどき?)だか、スカフーだかを首に巻く女性を
見かけたが、ここにきてその数が急激に増えている。
考えてみるに、真夏にマフラーのアンバランス(!)
人一倍汗っかきの自分にとっては「ザット・イズ・ザ・拷問」。
汗疹だらけになり、見るも無残な姿になるに決まってる。
だが見栄え優先(?)の若い女性たちは多少のことは我慢するらしい。でもなぁ…
夕暮れの銀座、言うところの“たそがれの銀座”にたむろう(?)のは9割方が女性。
気のせいか、発散されまくるフェロモンで、街全体の匂いまで違うようだ。
特に銀座プランタンから映画街、銀座・三越を中心とした4丁目交差点界隈は、
着飾った若い女性たちに占拠される。
“番茶も出花”の女性群は自信タップリ。背筋をスッと伸ばし、颯爽と歩いていく。
時としてソックリ返っているように見えることもある。
ところで、何でそんな自信タップリなんだ??と言いつつ、
道のど真ん中を余りに堂々と闊歩されるので、男性軍は道をお譲りしなければならない。
かくして、東京・銀座という世界有数の繁華街では、バッチリ・メークで、スキのないファッション
の女性が溢れ、日本の女性たちも格段に美しくなったとは思う。
だが、これまで幾多の美人を見てきた(!?)せいもあって、最近、美人という単語の解釈が
違ってきている。
自分の生涯の研究であるサイクル理論から言えば、
300日×5年=1,500日の(限られた)美しい時を要以上に飾りまくるといった、
切羽詰まって無機質な、表面だけのウツクシサには感動しなくなっている。
時が過ぎれば自然に朽ちていく、といった(相場と同様の)自然の流れを実感し出したのである。
必要に迫られて銀座のネオン街に足を踏み入れる場合もある。
いわゆる“クラブ活動”と言われる“飲み会”である。
そこに働く女性群は、その大半がこれみよがしに着飾り、訳の分からない名前(源氏名)を
名乗ってらっしゃる。
最初はそうした“深海魚”のウツクシサに感動したが、最近ではそうした人工的なものに
ウンザリし始めている。
トラッドな銀座のネオン街には、(映画で見るような)“花魁(おいらん)”のような雰囲気がある。
余りに“造り過ぎる”世界。限度を超えれば気持ちが悪くなる。
100年に1回の大不況の折、面玉の飛び出るほど値段の高い銀座での飲みでもなかろうが、
やむを得ずクラブ活動をしなければならない場合、極力“普通の格好”をした女性のいる店に
行くようにしている。
やはり「自然が最高」なのである。
「美人とは何か」「美人の条件とは何か」という難しい命題に、若輩者の自分が確たる答を
出せる訳もない。しかしこれだけは分かってきた。
顔とか、ファッションとか、化粧とかは美人の絶対条件ではないのである。
本当の美人とは結局は中身が伴った女性のことを指すと思う。
「姿・形が美しい」のが美人の条件ではなく、「人間が美人であることが大切なのだ」という
小難しい論点が、ようやくにして、薄ぼんやりと分かってきた。
秋の夜長、「人間が美人」の方々と、楽しくて美味しい酒を飲みたいものである。
