2009年10月25日

鳩山版アジア通貨構想の検証

2008年度の日本の輸出は東アジア向けが45%、北米向けが19%。
従って日本経済の懸念材料は東アジアの経済状況、および為替情勢ということになる。

さればということで鳩山由紀夫新首相は、日本の生活空間である東アジアに、安定した
経済協力と安全保障の枠組みを創るとして、「東アジア共同体&アジア共通通貨」構想を
唱えている。

しかし現在の東アジアは、人民元を中心とする通貨圏に傾斜していると考えるのが妥当であろう。
結局、アジア通貨構想とは、
「中国・人民元を中心とした為替安定システムを構築する試み」ということにはなる。

単純に考えて、為替リスクを負担する相手国企業が人民元決済を受け入れるためには、
「人民元の安定」と、「(その通貨に対する)開かれた正常な市場」が必要である。
元相場は2005年7月の制度改革で、事実上の固定相場から、1日あたり一定の範囲内
(現在は上下0.5%)の変動を認める「管理変動相場制」に移行した。

その後、中国人民銀行は市場介入を調節しながら元相場を切り上げ方向に誘導していったが、
世界経済の低迷で輸出企業の業績が悪化した08年7月以降は元相場の上昇を1㌦=6.83元
前後で抑え込んでいる。

中国政府は原則として輸出など経常取引に伴う外貨取引しか認めていない。
しかし、(モノのやり取りを伴わない)架空の貿易取引などを通じて投機目的の資金が中国国内
に流入しているのは衆知の事実である。
事例を上げてみれば、09年9月末の中国の外貨準備高は8月末に比較して618億㌦増加したが、
同じ期間の貿易黒字と対内直接投資の合計は200億㌦強に過ぎない。
残りの400億㌦強は出所不明で、かなりの部分は投機資金とされている。

中国政府は、世界各国の批判はものかわ、輸出が増加に転じるまでは元相場を現水準に保つ
方針と見られる。
しかし介入の拡大は市場に出回る人民元の量が増大することを意味し、資産バブルやインフレの
原因になるのは勿論である。

10月15日、米財務省は半期ごとの為替政策に関する報告書の中で、「中国を為替操作国」として
認定するのを見送っている。
認定見送りは4月の前回報告に続くものだが、今回の報告書の書き振りは、09年上半期で
1860億㌦の外貨準備に達する“世界の大国”に対して次第に厳しくなりつつある。

民主党政権になって2ヶ月。
同党の掲げるマニフェストと現実とのギャップが表面化し始めている。
“若葉マーク”をつけたままの“お試し期間”とは言え、論理の展開が余りに理想に走り過ぎ、
現実と乖離している点は否めない。

今回の鳩山構想は、欧州統合通貨・ユーロの歴史を見ても論理的には正当である。
東アジアの旧盟主として、そうした論理を掲げることは、ある意味での義務でもある。
しかし現実には、中国という今や難攻不落の世界の大国に易々と通じるはずもない。

時代の流れとは言え、世界の大国にしてはならない国を大国にしてしまった。
市場では、鳩山構想は“絵空事”としか見ていない。
20世紀の経済大国・日本は、もはや大国ではないのである。




京都物語

学生時代の4年間、一貫してワセダの街、高田馬場(通称ババ)に住まいしていた。
入学した当初は大学に歩いて2分の距離、しかし以降2年、3年と進んでいくうち、
平均で500メートルの感覚で、徐々にキャンパスから遠のいていった。

学生運動が全盛期だった当時、
学生側は期末試験が近くなると何だかんだと大して意味もないテーマを掲げ運動を激化させ、
一方大学側は、正門といいつつ、実際は門のないのが伝統のキャンパスの入口に頑強な
バリケードを築き、学生をキャンパスに入れない状態(ロックアウト)にした。
その状況下で、期末試験は必然的にレポート提出となり、最終学年の4年あたりでは全く
キャンパスに行かない状態が続いた。

当時の生活状況を簡単に説明すれば、
暇があればバイトで資金を稼いでは女の子と飲みに行くか、
さもなくば通常の場合は(当時友人間で互いに揶揄し合ったように)、
「座ればマージャン、立てばパチンコ、歩く姿は千鳥足」状態だった。
現在の真面目な草食系若者等に“怠惰で無意味”と言われても仕方のない日々を過ごしていた。

JR高田馬場駅を降りると目の前が早稲田通り。
その早稲田通り沿いのババの街では(ワセダばかりでなく)学生には異常に寛大だった。
学生時代の自分は、朝からラーメンとかつ丼のセットなどと、今から考えれば狂気のメニューで、
どちらを大盛りにするか真剣に悩んだりした。
しかし定食屋の馴染みともなればごく当たり前のようにゴハンは大盛りだったし、
平生でも極端に安い居酒屋では、年末や新入生が入ってくる等の折々の節目には、
どれだけ飲んで・食って、当初の予算を完璧にオーバーしても、最初に値切った料金でキッチリ
やってくれていた。

しかしそんな学生とは名ばかりの怠惰なババの日々に疲れ、反省する日もあった。
安酒から酔いが醒めた時、フト、毎日、毎日こんな日々を送っていていいのだろうか…
などと思いをめぐらした。
そんな時“ヨシッ、旅に出よう”と出かけたのが、祖母の姉・通称“京都のおばちゃん”のいる
京都だった。一時流行ったJRのCMのように「そうだ、京都があるさ」のノリだった。

当時は新幹線が開通していたが、新幹線使用は別世界の、自分には似合わない贅沢な世界
に思え、東名・名神の(深夜中心の)高速バスを使っての京都入りだった。
さてどれくらい時間がかかったのだろうか。名古屋駅前で乗り換える必要があったから、
合計で10時間はゆうにかかっていたように思う。
何がなくても時間はタップリあった。

ところで何故京都だったのだろうか。
今は亡き渚ゆう子の「京都の夜」や、チェリッシュの「なぜにあなたは京都へゆくの」といった
当時流行っていた曲につられて、といったところだろうか。

だが根幹には「ザ・フォーク・クルセダーズ」の存在があったのは間違いない。
端田宣彦(同志社)、北山修(府立医大)、加藤和彦(龍谷)の大学生トリオのデビュー曲、
「帰ってきたヨッパライ」は一世を風靡していた。
歌詞は勿論、曲の構成自体が世の中をおちょくり切ったその曲は、確かに内容はふざけて
はいたが、知的な匂いを感じさせると同時に、学生運動に揺れる反体制先行の時代の先頭を
走っているように見えた。

そして三人の中で、一番ノッポの加藤和彦に“大人の(文化の)匂い”がした。
いつも冷静で、世の中を斜めから冷ややかに見下ろすような風貌だった加藤和彦には、
ワセダの街・ババとは全く違うジャンルの、古都・京都に長年かけて醸成された知性を感じた。

クルセダーズ解散後、加藤和彦が主宰したサディスティック・ミカ・バンドは、
業界でも高く評価され、海外にも進出したが、余りに先端過ぎて、自分には理解でき難かった。
加藤和彦が一番カッコよく見えた時、それはミカ・バンドのボーカルであったミカと離婚、
作詞家の安井かずみと結婚していた77年から94年あたりまでだった。
加藤和彦と安井かずみのカップルは、生活スタイルやファッションに至るまで、時代の先頭を行く
ように見え、当時の六本木や西麻布界隈の雰囲気にマッチしていたように思う。

だが、94年に安井かずみと死別後、ソプラノ歌手の中丸三千繒と三回目の結婚をしてから精彩が
なくなった。加藤和彦が持つ本来のさりげない知性が感じられなくなった。
生きる世界が違う同志の結婚には無理があったに違いない。

10月17日の日曜日、MLBの試合を見ている最中、「加藤和彦、軽井沢にして死亡」のテロップが
流れた。
ある種、団塊の世代の思想リーダ的存在だった人間の、突然の死に愕然とした。

関係ないと言われれば全くその通りだが、時代と共に生きてきた人間に突然サヨナラされるのは
寂しい。間違いなく時代は転換期に来ていると思う。

2009年10月18日

金(Gold)の高騰を側面から検証する

ここにきてG7(グレート・セブン)の在り方が盛んに論議されている。
1973年に秘密会議として発足したG7は、35年超を経過し、その存在価値or意義が揺らぎ、
日米欧に中国を加えたG4案が検討されている。

いつの間にか、中国の抜きでは世界経済に関する諸問題を解決できなくなっている。
アジアの主役交代の色が濃い中で、中国と同じ東アジアに位置する島国・日本に、
“G7あるいはG4の中での住み場所”は果たして残っているのであろうか。
現在の日本が世界の経済大国と呼べるのかどうか。大きな疑問である。

G7が知られるようになったのは1985年のプラザ合意だった。
その大義名分は、米国の貿易赤字と日独の黒字という(当時の)不均衡是正にあった。
当時の政策協調を主導した米国の念頭に真っ先にあったのは日本だった。
しかし現在、米国の念頭にあるのは中国にあるのは誰の目で見ても明らかである。

08年10月のリーマン・ショックを契機にした金融・経済危機は、世界的な政策協調の機運を
もたらした。
特に必要とされたのが、先進国と途上国との合致した行動だった。
そしてその受け皿として登場したのはG20(グレート・トウエンティ)だった。

08年11月と09年4月の2度の会合以降、G20首脳会議が存在感を増し、政策協調の枠組み
見直し論議が加速している。
G20が政策協調の柱に据えられ始めているのも、結局は中国を取り込むのが狙いである。

21世紀以降の世界の金融市場は中国主導型となり、中国の動向をや中国高官の発言を
無視できなくなっている。
世界各国は経済危機を封じ込めるために空前の金融緩和と財政出動に踏み切った。
結果、緊急対策の副作用として各国政府の財政赤字や市場の流動資産は膨張し、
インフレ懸念や通貨不安が台頭している。

そうした環境下で選択されたのが、
「価格変動リスクがあっても信用リスクのない」無国籍通貨の金(Gold)だった。
中国の中央銀行である中国人民銀行は、自国で産出した454㌧の金を外貨準備に組み入れ、
金準備を1054㌧と一気に増やした。

10月5日の3回目となるG20の財務相・中央銀行総裁会議で、財政拡大や金融緩和の継続が
合意されると同時に金価格の上昇が加速した。
G20の主役たる中国の金準備増加がボディーブローになって効いているのは明白である。

ただ一方、金の需給面でのファンダメンタルズは脆弱である。
アジア勢の実需買いは低調で、宝飾品や投資用地金の換金売りも高水準を保っている。
今回の金の上昇は「短期の利益狙いの投機筋の買い」が主体であることは念頭に
置かねばならない。

「実需不在」のまま、投機マネーが主導する1,000㌦超の金を安易に買い追随できるのか。
円建て金の理論値は「ドル建て価格÷31×ドル円価格」で導き出される。
要は円建て金は、単に金価格だけでなく、為替にも影響を受ける点を再認識したい。

大きな時代の転換期には違いない。
が、冷静になって対処したい局面である。


2009年10月10日

「土建国家の終焉」を検証する

8月の衆院選挙で民主党が大勝し、半世紀にわたる自民党政治が終焉した。
「青葉マークの民主党は日本を担う政権政党として大丈夫か」という疑問とは別に、これで完全に
時代が変わったという、一抹の寂しさは否めない。

振り返って、自民政権の大きな特徴は何かと言えば、
「中央官庁を媒介とした公共事業中心の利益配分システム」だった。
結果論から言えば、このシステムによって「戦後の経済成長の果実」は全国に行き渡り、地方を
潤すことになった。

ただ同時に、「自民党の利権と集票のシステム」を完成することになり、世界にも希な「土建国家」
を生み出すことになった。
自民全盛時代をもたらした公共事業のドンとして君臨したのが故田中角栄だった。
同氏が構築した根幹のシステム(財源立法)は、高度成長時代の日本にドンピシャリと“はまる”
ことになった。

当該年度の揮発油税収額を道路整備の財源として計上する「揮発油税法(昭和28年)」、
道路は全部無料とする原則を覆した「有料道路法(道路整備特別措置法)(昭和27年))、
大正8年制定の道路法を全面改定した「現行道路法(27年)」の道路三法は、
特別会計の枠組みに守られ、際限なく道路を造り続ける原動力となった。

また右肩上がりの経済高度成長によってもたらされた財源(余裕資金)は、
道路以外の河川・ダム、港湾、空港、土地改良、下水道の公共事業に対しても、
ランダムで無尽蔵な大盤振る舞いを可能にしていった。
こうした状況下で、自然に族議員が暗躍する土壌ができ、中央官庁の媒介と政治家の口利きに
よって公共事業は全国にばらまかれた。
結果的として、自治体と公共事業に巣食う建設業者等を潤し、一方で政治家には「利権と集票」と
いう恩恵がもたらさた。

かくして世界でも希な「政官業癒着」の構図が出来上がり、高コスト構造や税金の無駄遣いが
当たり前になった。
そして一連の公共事業は日本全国津々浦々のインフラを急速に整備はしたが、過剰になり始めた
時点で、地方の自立や発展に結び付かなくなっていった。

こうした「土建国家」の究極の着地点が新幹線整備だった。
全国の道路の整備がほぼ終わり、何が残っているかが検討され、それではと取り掛かったのが
地方の新幹線整備だった。
1990年以降、日本各地に新幹線(東北・上越・九州新幹線など)が次々に完成していった。

新幹線の完成で、「2時間以内で最新流行のものを買える場所(東京、博多など)に行ける」のは
ある種の流通革命だった。
人は流行の最先端の場所へ目を向ける。近ければ近いほどよい。
そうした流れの中で、「共存共栄」の考え方は廃れ、小売業界を手始めに、地方経済の衰退へと
追い込み始めた。

21世紀に入って、プライベート・ブランド(PB=自主企画)やインターネットの普及といった
(世界的な)構造変化が新たな価格破壊を起こし、
「1000円未満ジーンズ」「20円飲料」に代表される「価格破壊時代」になり始めている。
地方の小売が簡単に随いていける世界ではない。

自民主導の土建経済の終焉は、良くも悪くも江戸時代の米経済の終焉に似ている。
現在の状況は明治維新と同じかもしれない。
日本は一から出直す時期のようである。

2009年10月03日

JAL(日本航空)を包み込む暗い闇

ここ5年、シッカリ読みこんだ著作は何かと問われれば、山崎豊子氏の著作である。
「暖簾(のれん)」「ぼんち」「華麗なる一族」「二つの祖国」「女系家族」「白い巨塔」
「不毛地帯」等など。
テーマは重いものばかり。また内容が余りに濃くて、簡単には読みこなせない。
(余計なことだが)文庫本シリーズで購入しても1冊800円と高価なのも特徴だが、
旅行の1冊としては分量もタップリで、軽い読み物に飽きた自分には最適だった。

山崎氏の凄いのは事前調査が緻密で、徹底している点である。
そして「華麗なる一族」の神戸銀行、「白い巨塔」の大阪大学、「不毛地帯」の
(富山県出身の)瀬島龍三氏など、仮名を使ってあるが、実名がすぐに分かる内容と
なっている。言い換えれば、「ノンフィクションに近いフィクション」。
戦後の日本経済の裏側を描いた傑作揃いである。

その一連の著作に「沈まぬ太陽」がある。
ご存じのように、日本航空(以下JAL)の実態を描いたものである。
文庫本では5部建てになっており、一部&二部は組合の実態、三部が日本の航空史上
最大の惨事となった御巣鷹山の墜落事故、そして四部と五部はJALの財務状態を含む
経営実態を克明に描いたものとなっている。

ここ最近深刻な経営難が問題視されているJALは、「(日本の)ナショナル・フラッグ」の
地位を享受してきた。
つまり名目的にも実質的にも「日本の国営航空」の地位にあった。
そして日本国民には「JALに乗せて戴いている」という認識があった。

ただそうした「親方日の丸」の意識は、会社経営を杜撰なものにしていった。
特に1970年代後半から80年代前半まで続けられた石油輸入にからむ
(無理矢理な)為替予約取引(ドルの先物買取引)での推定4千億円超の為替差損が
現状まで後を引いている。
1985年9月のプラザ合意以降の急激な円高から、一連の為替差損が表面化していく
ことになるが、「沈まぬ太陽」ではその専門的な部分の描写に多少の曖昧な部分がある
ものの、日本有数のトップ銀行が仲介して、政界の闇資金との相対取引(ドルの先物売り)
があったことを暴露している。
要はJAL本体で「政治が介入した不明朗な部分があった」のは否めないようである。

確かにJALは、終戦後25年は国営航空会社として君臨していたが、
一方で営利企業としての企業努力がなされることがなかった。
結果、「腐った小さなリンゴが箱全体のリンゴを腐らせる状態」になっていったのは自然の
流れだったのかもしれない。

日本のバブル時代以降、日本国民の海外旅行が当たり前となり、
同時に客室乗務員(当時はスチュワーデス=スッチー)が持て囃された。
美人だろうが不美人だろうが、何でもかでもスッチー、の時代が到来した。
JALはそうしたスッチー人気に便乗し、航空機内部の乗客一人当たりの仕切り面積を最大限に
まで狭くし、稼働率を上げようと躍起となっていた。
エコノミークラスの乗客は、あたかも「ブロイラー状態」あるいは「荷物状態」だった。
長時間におよぶ旅行は、血液の循環を悪化させ、靴に足が入らない状態になった。
今になって考えれば、上から目線の、「客を客と思わない体質」であった。

21世紀になって「JALに乗せて戴く」時代から「航空会社を選ぶ」時代になった。
そうした選択が自由になって日本国民は“(国民を荷物の如く扱ってきた)国営航空”を
拒否し始めた。当たり前と言えば当たり前である。

JAL救済のため、種々の解決案が論議されてはいる。
だが長年の膿が溜まりきっているJALには、小手先の改革は無駄だと思う。
自民党が崩壊したのと同様、JALの全面解体修理の時期であろう。


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