2010年02月28日

バンクーバーの伝説

2月27日付け韓国各紙は、
バンクーバー五輪のフィギュアスケート女子で、世界歴代最高得点をマークし、
同国にフィギュア初の金メダルをもたらしたキム・ヨナ選手の歴史的な快挙を
大々的に報じた。
特に朝鮮日報では、今回の圧倒的な勝利を「バンクーバーの伝説」と報じた。

韓国・キム・ヨナと、日本・浅田真央。
年齢は同じで、生まれた月(9月)も同じで、体つきもほぼ同じ。
巷間言われるように、二人は、文字通りの“伝説のライバル”ではあった。
ただ今回の勝負、誰が見てもキム・ヨナの圧勝だった。

今回キム・ヨナが叩き出した、ショート・プログラム(SP)の78.50、フリーの150.06、
合計228.56点は、キム・ヨナ自身の記録を10点以上も上回った。
演技時間および演技点の計算方法が違う男女の得点を単純比較はできないが、
男子の世界記録でも13位に相当する驚異的なものだった。

どこで何が違ったのだろうか?
ザックリ言ってしまえば、キム・ヨナ側の「総合戦略の勝利」だった、と思う。
持っている7~8割の力でのびのびと、パーフェクトにやった、という感じだった
精神的なストレスもなく、得意なものを高い精度でこなしてプラス評価を得ようとする、
キム・ヨナを最終勝利者としようとする関係者の、“したたかな計算”がうかがえた。

特に構成の面では、キム・ヨナ側の圧倒的勝利だった。
SPでの「007シリーズ」のインパクトは絶大だった。
決めポーズの、「ミステリアスな女スパイが最後にピストルを放つ」姿は妖艶で、
“おぼこい”浅田真央とは、大人と子供、と思わせる違いがあった。

確かにトリプルアクセル(3回転半)の、SPで1回、フリーで2回、合計3回の成功は
ジャンプ技術では世界一の感を強くはした。
しかし、SPの「(ハチャトリアン作曲)仮面舞踏会」、
そしてフリーの「(ラフマニノフ作曲)前奏曲『鐘』」は、
芸術性は高くとも、時代遅れのアナクロ感は否めなかった。

下から突き上げるような重厚な調べの「鐘」は、タチアナ・タラソワ・コーチが
推薦・主導したと言われているが、「盛り上がりに欠ける、暗くて、重たい感じ」を
醸し出し、浅田真央の本来の良さを消してしまっていたように思う。

全くの門外漢が言うのも僭越だが、テーマ曲については提言がある。
坂本龍一、久保田利伸など、
日本独特の感性と国際感覚を併せ持つ、世界一流の日本人ミュージシャンに
なぜ担当させないのだろう。
彼らに依頼すれば、まずは喜んで応じたと思う。
(自分としては、ファンキー・TOSHINOBUに是非やらせてみたいが…)

そこに古い伝統に固執するフィギュア界の限界を見たような気がする。
そして今回の敗戦は、日本のフィギュア界に大きな宿題を残したように思う。

それにしても、キム・ヨナ、浅田真央のワンツーフィニッシュにとどまらず、
両親が日本人の長洲未来(米国)の4位も含めると、5位の安藤美姫を合わせ、
上位5人中4人をアジアが占めた点は時代の流れを感じさせた。

伝統的に欧米勢が強かったこの種目で、アジア勢が台頭したのは1990年前後。
1989年の世界選手権を制した伊藤みどりが1992年アルベールビル大会で銀メダル、
それがアジア選手初の五輪表彰台だった。

それから約20年。
キム・ヨナにしても、浅田真央にしても、そして安藤美姫にしても
伊藤みどりを代表例とする(従来の)アジア人体型から完全に脱皮している。
20歳を過ぎれば“無駄な肉”が目立ち、無理矢理のダイエットを感じるさせる欧米勢に
比較すれば、アジア勢は、顔が小さく、手足が細くて長く、まるで人形である。

キム・ヨナと浅田真央は、体型はほぼ同じ。
だが、今回の浅田真央には残念ながら女性独特のフェロモンが感じられなかった。
要は、キレイはキレイでも、浅田真央は“少女or幼児”体型(!?)だった。

浅田真央は、金確実と言われた前回のトリノ五輪で、年齢制限に87日足らず、
出場を断念せざるを得なかった。
今回の五輪は19歳。そして次回のソチ五輪ではまだ23歳。

結果的に大きな宿題が残されたが、世界有数のスケーターとしての修練だけでなく、
同年代の女性と同様の(ある種ランダムな)“普通の社会体験”or”人生体験”を経た
“大人の真央”ちゃんに期待したい。
ヨナ・真央伝説は、序章が終わったばかりである。


2010年02月27日

スノボ・国母和弘に見る日本の教育論

バンクーバー冬季五輪も瞬く間に終盤戦。
時差の関係から、メイン・イベントは日本時間の早朝5時あたりから始まる。
カーリングだ、ジャンプだ、男女フィギュアなどと、次々に繰り拡げられる熱戦に、
朝からテレビに釘付けになっている。
結局は同じシーンを1日最低3回は見ることになる。
だが、金が一個もとれない日本勢のシーンを何回も見るのはさすがにシンドイ。
少々疲れ気味。自業自得ではありまするが…

キム・ヨナと浅田真央、女子カーリング・チーム青森等の論議は余りにありきたり。
へそ曲がりの自分(!?)は、
別の意味から今回の冬季五輪について感想を述べてみたい。

確かにいろいろな選手の活躍があった。
ただ今回の冬季五輪で、ある意味一番スポットを浴びたのが
スノーボート・ハーフパイプの国母和弘(21)だったかもしれない。

日本選手団公式スーツの、
ズボンは腰ばき、シャツの裾出し、ネクタイをだらしなく緩め等々…
そんな服装の乱れに苦情が殺到した。
結局、謝罪会見を開かれたが、その会見でも
「反省してま~す」
「チッ、うるせ~な」
発言で再度の大ブーイングを引き起こした。

確かにスノー・ボートは個性を競う競技であり、年齢よりも実力の世界。
従来は“不良のスポーツ”と呼ばれてきたように、
コンビニでたむろする中学生がそのまま大人になったような選手が多いとされてきた。
百歩譲って、そうした環境で育ってきたごくごく普通の現代の日本の不良(!?)に
礼儀やルールに無頓着なのは致し方ない面もある。

この“国母騒動のお陰(?)”で、これまで余り興味を持たれることもなかった
スノーボート・ハーフタイプが注目されるようにはなった。
また同選手は8位に入賞してはいる。
だからと言って同選手が手本となっては、これからの“まともな”若者に夢や希望を
与えることはできない。
関係者や両親の徹底した指導があってしかるべきだった。

考えてみるに、同じような環境にあったのが、大相撲・元横綱・朝青龍だった。

では朝青龍のどこが悪くて引退に追い込まれたのか。
土俵上でのガッツ・ポーズや喧嘩のごとく睨み合ったことが繰り返し問題視されてきた。
ただ引退の引き金となったのは場所中の深夜の酒場での暴力事件だった。

力士の体力は凶器となる。
暴力が許されないのは当然である。
しかしその前の段階で、“朝青龍だから悪い”という風潮が正論のように広がっていた。
しかし正論が寛容さを失えば暴論となり、人の一生をも呑み込んでしまう。
それは本来の正義とは別のものである。

横綱とは言え、一般の世の中では20歳代の若者である。
その若者に対して酒の飲み方はもちろん、モンゴルから独りでやってきた若者に、
普段の行動を含めて(日本の)常識を教え込む(叩き込む)ことができなかったのは
親方と相撲界ではなかったのか。

政界は勿論として、日本全体から
“(由緒正しき日本的)責任の取り方&教え方”が廃れ始めている。
そしてそれを21世紀のグローバル化のせいにしているふしがある。

日本選手がよく使う“五輪を楽しみたい”という表現に虫唾が走る。
そしたイージーな言い方を許容する環境があるからこそ、
金メダルを一個も取れないのである。
いろんな考え方があろうが、五輪だろうが何だろうが、勝負は勝負である。
勝たねば始まらない。勝ってナンボである。
血税を投入してまで送り出した代表選手に、勝負への執念が足りないと思う。
それもこれも、指導すべき人間に問題があると切に思うのである。

だから日本の人口の半分しかない韓国に、
あらゆるスポーツで置いていかれ始めている。
そうした日本の環境を本当に残念に思う。

2010年02月20日

地方における「Change」の意味

2月14日。世の中はバレンタイン・デー。
その日、自分の実家方面では市長選挙が行われた。
同じ小学校出の幼馴染みの現職市長が三選を目指した選挙だった。
下馬評では「接戦だが、結局は現職市長の勝利」。
ところが、結果は9,884票vs7,918票で新人候補の勝利。
新市長の誕生だった。

翌日の地方紙の関連記事をFAXしてくれる“親切な”友人がいたこともあり、
同選挙に関する地方紙の論調をザッと読んでみた。
「変革の風」等々、米・オバマ流「Change」の色調のキャッチ・コピーが躍っている。

投票率は65.85%で過去最低。
特筆すべきは、旧市街地での投票率が50%強であった点。
旧市街地では現市長の支持基盤はまず安泰、と言われていた。
その得意の票田での伸び悩みが敗戦の大きな要因になった。

旧市街地の選挙民の高齢化が進み、
選挙に行きたくとも(体力的&天候的に)行き難いのが実態。
旧市街のじぃちゃん、ばぁちゃん連は、対立候補も気が進まない、
が、さりとて現職市長にも入れたくない。
結局は“現職市長に対する暗黙の批判”だった。

新市長は市議5期20年を務めた市政のベテラン。
新聞に記載されている公約(マニフェスト)では、
「財政再建」を最大のテーマに掲げている。
だが、今後の市政をどの方向に進めたいのか、具体的には触れられていない。

長引く景気低迷の中で、日本国民の多くは安定志向を強めている。
地方行政またしかりである。
だが「安定・大手」をテーマに、地方に(日本の)大手企業を誘致するには
リスクがありすぎる。

なぜなら日本の大手・主力企業でさえ、世界のグローバル化の大波にもまれ、
右往左往している。
仮に大手企業に有利な誘致条件に沿って地方に下請け企業を創成しても、
結局は“派遣社員”と同じ扱いにする。
要は本体が危なくなれば、
“派遣は真っ先に、イチニノサンで切って捨てる“世界になっている。

こうした「安定・大手」企業を当てにした「安定的な財政再建」はまずあり得ない。
地元で作ったモノを地元で売って共存共栄できる時代は既に終わっている。
地場を基盤に、
世界に太刀打ちできる企業の育成、あるいは新ビジネスの開拓が急務である。

一見八方塞がりに見えても、方法は必ずある。
例えば、真夏にでも雪を戴く立山連邦が望める”日本海or 富山湾"という、
”世界にも稀な海”というテーマを、もう少しレベルを上げて活用できないだろうか..
世界にも例を見ないホタルイカ観光を、もう少し世界的レベルで シスマティックに、
そして世界的なテーマパークとして組み立ててみたらどうだろう...
地元では当たり前に過ぎ、日常的に過ぎる部分に、ヒントが隠れていると思うが...

平成維新、あるいは21世紀の産業革命と言われるこういう変革期こそ、
常識論を捨て、冷静に現状分析をし、そして積極果敢な施策が必要であろう。

自分の実家のある旧市街エリアでは、商店どころか、自動販売機さえ1台もない。
今後は北陸新幹線の完成、ITの更なる進捗により、ソフト・ハード両面の消費は
センターに一極集中される。
いうところの「スパイラルな閉塞状態」に陥っている。

現在は「その(ないない尽くしの)エリアに住む」ための
「意義および具体的な方法論」が求められる時代となっている。
確かに時代の流れに沿った「Change」は必要である。
しかし(本当の意味の)「Change」は字面のようなキレイごとではない。
とりあえずは「大枠の流れを理解する」ことから始めなければならないと思う。


2010年02月14日

S君への手紙

S君、昨晩クシャミしなかった??
バレンタイン・イブだというのに、月島・もんじゃ街で、男三人、酒盛りしてた。
S君の話題が格好の“肴”になってた。

今年の正月、S君から年賀状をもらい、昨晩会うのを楽しみにしてた。
なかなかスケジュールが合わず、ようやく、って日だったのに…
突然のロシア出張って…
仕事だから仕方ないけど、ほんと残念だった…

年賀状には、ロシアから帰って日本に落ち着く、って書いてあった。
時々、このブログ読んでくれてるって書いてあった…ホントかよ?
しかし今度の新住所、少々渋すぎねぇ??(笑)
“大人の世界へようこそ”って言いたいとこだけど、何かあったな、さては(笑)

ひげ生やしたって聞いたけど、字だけは変わんないよなぁ…
ほんと“昔のまんま”だった。
しみじみ懐かしかった。

ロシア語が堪能になったって聞いてた。
でもさぁ、商社のビジネスに耐え得るだけの語学力って、ことだろ?
素直に、“凄い”と思うよ。頼りにされてんだ、って思った。

S君に最初に会ったのは今から8年くらい前だったか…
長野の国立大学に入ったけど、飽き足らず、早稲田に入り直したんだったよな。
何かあるごとに「世界に羽ばたきたい」って言ってた。

ダウ・ジョーンズの日本語版制作・翻訳チームの主力になってくれてて…
つらいこともいっぱいあったけど、ほんとに楽しい、充実した日々だった。
あの誇り高いダウ・ジョーンズが、日本で最初にして最後のアウトソーシング。
「ダウ・ジョーンズとの800日」は、今の自分にも貴重な財産になってる。

今更って感じだけど、商社の仕事って、面白いだろ??
最近、山崎豊子の「不毛地帯」が再度読まれてるけど、
何でもありの商社の世界って、燃えたぎる情熱をぶつけるには格好の仕事だろ?

かくいう自分も“アラサー”の草食系(軟弱)オトコに挑戦してる。
今の金融界はコンピュータ中心の世界。
コンピュータにデータをインプットし、その後は全てコンピュータ任せ。
要は責任を取りたくないってことだろ?
勝っても、負けてもコンピュータの所為(せい)にしたいだけだろ?

最近の市場の動きに優しさがない、と思う。
ほんと情け容赦ない。行く時はドン詰まりまでとことんまで行く。
ズタズタに切り裂いて、それでも飽き足らず叩きまくってる、って感じ。
でも、そんなんでいいのかなぁ…

外野でゴチャゴチャ(上から目線で)批判めいたことを言っても仕様がないので、
草食系の世界に入ってみることにしました。
とりあえず最新コンピュターを整備し、真っ向から相対してみようと思ってる。
でもなぁ、最近のコンピュター、アクセサリーが多すぎて、ほんとタイヘン。
今日も携帯の機種変更してみたけど、さて、使いこなせるんかなぁ…
でも、世界に蔓延る軟弱オトコに絶対に負けたくないっ!!

超有名損保にいるF君、ベンチャーやってる甥っこノラ・N共々帰り待ってる。
ロシアへ愛をこめて(笑)
楽しい酒飲もうや!!

PS.
ロシアの美人同伴大歓迎。
金髪なら尚更大歓迎、ってことで…


王者・トヨタの蹉跌

リコールとは何か。
定義すれば、
「自動車で製造・設計上の不具合が見つかった場合、道路運送両法に基づき、
メーカーや輸入業者が国道交通大臣に対し、原因や改善措置を報告した上で、
回収・無償修理をすること」

日本の、というより世界の自動車界の王者・トヨタは、昨秋以来、品質問題が
海外で相次ぎ表面化し、700万台を超えるリコールに追い込まれている。
関連費用は1000億円になると見られている。

トヨタが世界の王者に上り詰めたのは2007年。
同年の販売台数は843万台。
10年間で2倍になっている。
その間、栄華を誇った米ゼネラル・モーターズ(GM)や米クライスラーが
法的整理に追い込まれている。

今回のトヨタのリコール事件は、1980年代後半の日本のバブル時代、
三菱地所によるロックフェラーセンター買収事件を想起させる。
米国のアンタッチャブル・ゾーンに切り込み、それが米国の国民感情を刺激した。
米国には「世界No.1の自動車王国」との誇りがあり、トヨタはその誇りをズタズタにした。

欧米は肉食系民族。一旦やられたらやり返す、という習性がある。
「目には目を、刃には刃を」の精神である。
その品質で世界の王者となったトヨタは、その仕返しを受けていると思えば、
今回の一連の流れが的確に見えてくる。

雇用低迷が続く中、今秋の中間選挙を控え、
米政府・議会では有権者の不満のはけ口を探る動きが強まっている。
GMやクライスラーが苦境に陥るのを尻目に、
「トヨタは急速な拡大で品質確保がおろそかになった」との理由付けがされ易い。

オバマ大統領は製造業の復活を掲げ、輸出倍増という新たな目標も示している。
今回のトヨタのリコール問題を機に、以降は日系企業全体への風当たりが強まると
考えるのは自然である。
世界の大国・米国は、嵩にかかって攻めやすいタイミングではある。

時あたかも安全保障を巡り日米関係はギクシャクし始めている。
米国はエコカー減税の米国車への適用拡大などを要求し始めており、
今回のリコール問題から、トヨタの品質問題は後を引きかねない状況である。

21世紀に入って、自動車を中心に産業革命の様相を呈している。
「ガソリンをできるだけ使わない車」ではなく「ガソリンを全く使わない車」、
つまりは電気自動車(EV)の世界に移行中である。
トヨタはその大きな流れを見間違っているように思えてならない。

日本では、
トヨタを中心にトータルで8次受け企業体制を構築していると言われている。
トヨタが“こければ”、日本全体に散らばった2次受け以下の企業は全滅である。
トヨタのリコール事件が表面化して日経平均は10,000円を割り込んでいる。

今さら言っても詮無いことだが、
トヨタは「イチバンになってはいけなかった」のである。

2010年02月07日

貴乃花新理事に対する期待


自分たちの小学校時代、各小学校には土俵があった。
裸足・下駄が当たり前だった当時、相撲は人気のスポーツだった。
昼休み時間の“腹ごなし”にはうってつけの運動だった。

当時の角界(プロ相撲)は栃錦と若乃花、いわゆる栃若の全盛時代だった。
両横綱の千秋楽決戦などになれば、白黒の14インチテレビ画像に張り付き、
ドキドキしながら見入っていた。

中学に入って、運動会での最大のイベントは「騎馬戦」「棒倒し」だった。
二つのゲームは格闘技に近く、結局は相撲の延長線上にあった。
4人が組んで戦う騎馬戦、
味方の棒を防御する者・相手の棒を倒すための攻撃する者に分かれて戦う棒倒しは、
擦り傷や軽い打撲などは当たり前だった。
それは肉食系の世界だった。

“ゆとり教育”なる理想論が先行し、必要以上の平等の精神、格差是正、
競争原理是正、受験勉強の改革が叫ばれ始めた80年代前半あたりから、
小学校から土俵が消え、徒競争では順番をつけず、
中学校の運動会からは棒倒しや騎馬戦が消えていった。

日本の相撲とは本来“米文化の象徴”としての神事であった。
しかし世界がグローバル化するに従い、野球やサッカーがメジャー化し、
神事の意味合いを持つ相撲を忌避する傾向になっていく。
この頃から日本の子供は草食系の色合いを濃くしていった。

必然的に肉食系・格闘技の相撲界では、海外に人材を求めるようになった。
米国、ロシアなどの欧米から、辿り着いたのが日本人の始祖(と言われる)蒙古、
現在のモンゴルだった。
現在の日本の相撲界は、最近の二人の横綱がモンゴル出身であるのを手始めに、
上位陣の日本人は数えるほどになった。
もはや相撲は日本の国技とは言えない状態にある。

日本の伝統文化である相撲界に、外国人が進出し、主導権を握るようになって、
日本相撲協会の組織がギクシャクし出した。
そして日本人横綱がいなくなるに従い、歯止めが効かない状態になり、
麻薬事件や、暴力事件が表面化していった。

財団法人日本相撲協会は、日本文化の象徴として政府からも手厚い保護を受けてきた。
しかしプロ相撲自体が日本人のものでなくなってきており、
今後の相撲協会の存続すら危うくなって、ようやく今回の“貴乃花事件”が起きている。

2月1日の理事選で、
“一門”という名の「(年功序列型の)派閥」を打破したことにはなった。
ただ30歳代の貴乃花・新理事が、日本相撲協会という封建的システムに溜まった垢を
一掃するのは簡単ではない。

同新理事は、「すそ野を広げる」「日本の教育に相撲を取り入れる」などをテーマに、
(最近流行の)“マニフェスト”を掲げてはいる。
ただ、親方・弟子をベースにした日本相撲協会・約700人の構成人員のうち、
上層の100人だけが組織としての恩恵を受ける前時代的・封建的システムが、
“変化or革新”を受け入れるには相応の時間が必要であろう。

人材不足から外国人力士が氾濫している現在の相撲界。
全く違うスポーツになってしまった現在の柔道を考えれば、
グローバル化は万能の策ではない。
また仮に“日本文化としてのプロ相撲”をグローバル化するのであれば、
日本相撲協会は財団法人格を返上し、一営利企業として出発すればいいのである。

このままでは、
どっちつかずの日本の相撲は、国際化という大波の中でなし崩しに忘れ去られる。
日本は今、平成維新を迎えている。
やんちゃ横綱・朝青龍の引退を期に、日本の相撲も一旦原点に返り、
新時代への対応が遅れている現システムを再構築する時期だと思う。

貴乃花新理事に期待したい。
が、さて...


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