2010年07月25日

酷暑な日々

日頃から当ブログにアクセスを戴いている皆様、暑中お見舞い申し上げます。
酷暑な日々、どのようにお過ごしでいらっしゃいましょうか。

7月に入って、ゲリラ的な豪雨な日々から、梅雨が明けた途端の酷暑な日々。
寒いのはある程度は耐えられます。とりあえず着ればいいのだから。
しかし暑いのはどうもにもなりませぬ。

TVなどでは35度とは申しておりますが、コンクリート・ジャングル東京の街中では
かる~く40度を超えております。
そんな亜熱帯・東京で、素っ裸になっても、暑さが軽減されるわけでなし…
しかも湿気を帯びた暑さにはもはや完全にギブアップ。

従ってガンガンにかけた冷房な日々が続くことに相成ります。
昼、夜を問わず冷房をかけたままにしておいた結果、喉をやられてしまいました。
いわゆる夏風邪というやつです。
日頃からハイライトという、タール度17度というアナクロなたばこを愛用していた結果、
喉に集中攻撃をされた格好となり、1週間ばかり痛みが残っておりました。

お陰さま(!?)で、1日30本の飲用が、3日で一箱(1日約6本)の日々が続くことに
相成りました。
ひょっとしたらこのままタバコを止められるかな、などと微かな期待を抱いておりますが、
果たしてどうでしょうか。

このような酷暑な日々ではありますが、東京の繁華街は相変わらずです。
と申しましても、私共の年代にとっては、若者が溢れる渋谷・原宿界隈は、
もはやアンタッチャブル・ゾーンと化しております。
あんな若さだけが取り柄の“何でもあり種族”が闊歩する通りは、
余りに傍若無人で、余りに無軌道で、もはや近付けません。
新宿はアジア系の街と化し、ギリギリの境界線は六本木といったところでしょうか。

結局はここ20年の間に馴染んだ、銀座から築地・月島界隈が生活ゾーンということに
相成ります。
と申しましても、今や国際的な通りとなったJR・有楽町駅前からマロニエ通り、
そして銀座4丁目界隈は完全に“女性の街”と化しております。

この暑いのにバシッと化粧され、隙のない格好をされ、背筋ピンと伸ばして、というより
見方によってはソックリ返るように闊歩されております。

ところで、いつも感じることですが、ストッキングって暑くはないのでしょうか?
また女性特有のブラジャーは、多分汗がたまって痒くなるものと想像しておりますが…
余計な心配でしょうね、多分。

ネクタイをしなくなってもう15年以上になりますか。
ネクタイを常用していた当時、この季節には喉チンコ周辺に汗疹(あせも)ができるのが
常でありました。
人一倍の汗っかき。酷暑の時分も喉元をシッカリ留めてはおりましたが、
あの独特の痒さは、今から考えてもゾッと致します。

また通勤や外出で汗をかいては、ガンガンに利かしたクーラーで乾かすといった
荒業(!?)を繰り返しておりました。あれはほんとに体力を消耗します。
今の自分にそうした体力が残っているかどうか。全く自信はありませぬ。

こんな季節、銀座村のおネェ様方からのご要望にはお応えかねております。
汗をかきかき、何で高い酒を飲みに出かけなきゃいけないのか。
かくして、与えられた仕事を早々に仕上げ、トレーニング以外は極力外出を控え、
“自室で一杯”な日々が続いております。

今年の夏は暑くて長いとか。
アクセスを戴いている皆様、どうかご自愛戴きますよう。



2010年07月17日

「ガッカリ」より「ヤッパリ」

W杯サッカーにまぎれて、何とはなしに参院選挙が終わった。
今回の参院選挙は、参議院の存在価値論議もあり、最初から盛り上がりに欠けていた。

自分の住まいする東京・佃地区には、時折選挙カーは来るものの、
候補者のいわゆる“場立ち”があるでなし、独特の選挙ムードは皆無。
投票に行くには行ったが、結局は誰に入れても、世の中は変わるでなし、
こんなんなら白票を出すのが一番賢い選択かな、などと思ったりもした。

昨年夏の熱狂的な政権交代と、その後の鳩山政権への幻滅。
それが菅首相となり、
人気が一時的に回復した途端の(ミエミエの)“逃げ切り”作戦の大失敗。
一人区は8勝21敗。二人区2人擁立当選はゼロ。タレント候補はほぼ壊滅。
「がっかり」よりは「やっぱり(どうにもアカン)」という展開だった。

09年夏の衆院選挙で民主党は「政権交代」をスローガンに掲げた。
「腐り切った自民政治を壊せ」。
波に乗った民主党は歴史的な大勝利し「政権交代」を実現した。
しかし満を持して発足した鳩山内閣は、
掲げた大目標の「明治維新以来の改革」はなし得ず、
巷間で揶揄されるような“ガラガラポン”状態となった。

民主党二代目の菅政権は、重要法案を軒並み廃案にしながら通常国会を早々に打ち切り、
メディアへの露出も最小限にとどめようとした。
サッカーのロスタイムにボールを回して時間を稼ごうとする“勝ちに入ったチーム”の
ようだった。

それが唐突に「消費税10%」に言及、それも「自民党の提案している意見を参考に」と
したことで、とりたてて何もしなかった自民党に“オウンゴール(自爆点)”を与えた。
消費税発言の評判がよくないとみるや、軽減税率適用や低所得者への還付、
あるいは法人税、所得税、さらには環境税と、演説のたびに“球を散らした”結果だった。

残念ながら、現在の日本の政治の世界は大同小異、どの政党が政権をとろうと、
誰が首相になろうと大きな変化は期待できない。
しかし国際社会は辛辣である。
政権与党や、首相たる人物が、世界の枢機を論じるに値するかどうか、
慎重に見極めようとする。
もはや「日本の首相」というだけで主要国の論議に加われるほど甘くはない。

6月27日、トロントのG20では日本は先進国扱いをされなかった。
日本の代表であるべき菅首相も「世界の首相の輪の中」に入っていけなかった。
先進各国は2013年までに財政赤字を半減し、16年までに税制債務を安定させるという
共通目標を打ち出したが、財政赤字が深刻な日本はその例外にされた。

日本にとって深刻なのは、超高齢化の中で、
「減りゆく国内貯蓄で、膨らむ長期債務を賄えなくなる日がごく近い将来に来る」
という点である。消費税増税をタブー視するほど日本には時間のゆとりがない。

菅首相の失敗は、そうした重要な問題を真正面からぶつかろうとしなかった点である。
たとえダメもとでも、ガツンといけばよかった。
選挙に勝たんがための“逃げ”に終始したことで、また民主独特の“ブレ”と見られて
しまった。

90年代、バブル経済の崩壊と共に語られ始めた「失われた10年」は、
いつの間にか「失われた20年」になってしまっている。
不毛な権力ゲームを繰り返す中で、日本の行く末は暗澹たるものになっている。

さてどうするニッポン。
そんなこというのなら、お前が出てみろよ、と言われそうだが、
先立つ“モノ”もなし、今更権力闘争のドロドロの世界は真っ平ゴメン。

グチャグチャ考えても仕様がない。
自分の与えられた仕事を真面目にコツコツやるのがイチバン、ってことになりそうで…

2010年07月11日

「W杯日本16強」の検証

ワールド・カップ(W杯)なるイベントを意識し始めたのはいつの頃からだったろうか。
それは多分、外資系金融の最前線にいた1980年代前半、W杯の試合がライブでTV中継
される頃からだったと思う。
W杯がいつから始まるかなど全く興味さえなかったが、「サッカーを見るから休暇をくれ」と、
欧州系の担当者が相次いで“職場放棄”することから、W杯が始まったことを知った。
アホか、サッカーごときに何で休暇をとらないかんのだ、とマジで思った。

自分の出た、受験、受験で追いまくる、受験校としては全国にもその名を知れた高校が、
なぜかサッカーだけは、常連校とは言えないまでも、複数回全国大会に出場し、
驚くことにベスト8にまで進出した戦歴があることを聞いていたから尚更、
マイナーなスポーツとの意識が強かった。
「この受験オンリーの(予備校的)高校が全国大会ベスト8って??ウソだろ」ってな
感じだった。根底的に“マイナー感”が染みついていた。

1970年代に奥寺康彦が独・ブンデスリーグに移籍し、日本人初の快挙と騒がれた。
その活躍を伝えんと、当時はマイナー局の代名詞だった東京12チャンネル(現テレビ東京)
が「ダイアモンドサッカー」というタイトルの番組を流していた。
1週間遅れの45分程度のダイジェスト版だったと思うが、画像も鮮明でなく、”マイナー感”を
増幅していた。
サッカーをしに、わざわざ独へ渡るなんてご苦労なこった、などと、今から考えれば随分と
アナクロな考え方をしていたように思う。

元々サッカーは日本には馴染みの薄いスポーツだった(と思う)。
英独仏を除けば、「欧州の弱小国や中南米の後進国中心のスポーツ」とのイメージが
強かった。4年に1回のワールド・カップ(W杯)も、日本は全く無縁だった。

サッカー王国と呼ばれる中南米のブラジルやアルゼンチン、欧州の強豪と言われる
スペインやポルトガルも「国家財政に問題あり」とされる国々ばかり。
そして最近ではアフリカの国々が強豪国の仲間入りしているが、その国々も状況は同じ。

サッカーはボールひとつさえあれば、世界中の路地裏で一人でできるスポーツである。
そしてそれがチーム競技につながっていく。
他のスポーツも同様に“一人相撲”から始まり、チーム競技となっていくが、
例えば野球にしても、ボールから始まって、グローブやバットも必要である。

これまで幾度となく「国家財政とサッカーの隆盛」というテーマで語られてはきた。
しかし「貧乏国ほどサッカーは強い」という論理は、歴史的に正論なのである。
「なぜサッカーが新興国に盛んなのか」とういう命題に対する答は、
「経済弱小国が、サッカーを通して経済大国を打ち負かすことができる」からである。
サッカーの国際試合は模擬の戦争である。
過去にはサッカー試合の裁定を巡って実際の戦争も起きている。

しかし幸か不幸か、日本はそうした環境にはなかった。
第二次戦後、経済大国にのし上がった日本には「江戸の敵を長崎で」といったニュアンスを
サッカーに求めてこなかった。それは米国も同じ、と言うより全く必要がなかった。

その意味では、日本のサッカーが世界に通用しなかったのは当たり前なのかもしれない。
1930年の第一回大会からすべてのW杯に出場し、今回の南アフリカ大会まで92戦5度の
優勝を誇るブラジルと、98年のフランス大会で初出場を果たし、過去3大会で10戦しかして
いない日本とでは、経験値や考え方の開きは余りに大きい。

確かに「今を生きる選手に過去は関係ない」という見方もある。
ブラジルにもW杯初出場の選手がいる。
「初」という点では五分と五分だから引け目を感じる必要はないと。
しかし国としての歴史(記憶)の蓄積は、最後の最後に必ず出る。
それがサッカーというスポーツの根源のように思う。だから国全体が熱狂するのである。

今回の大会前、日本代表チームが掲げた「4強」の目標が“愚者の夢”のように語られた。
その“逆境”チームの16強進出は、世界を驚かせるには至らずとも、日本国民に驚きと
喜びをもって迎えられた。

大きな原因は、日本代表チームが、これまで“日本らしいor日本伝統”と言われ続けて
きた“蹴球(しゅうきゅう)の世界”から抜け出したからだと思う。
平安時代の貴族の遊びであった蹴鞠(けまり)の流れを汲む「パス・サッカー」から、
それが窮余の一策(=ヤケクソ)であったにしろ、脱皮しよう試み、
全く偶然にも成功したからである。

W杯サッカーは“(優雅な)蹴鞠の世界”ではない。
極端に言えば体を張って戦う“戦争”である。
日本の敵地での16強入りは、「4強が夢でない」ことを証明した。
今回の南アフリカ大会は、日本サッカーの“大きな転換点”であったように思う。

2010年07月04日

菅首相の掲げる「夢物語」

“サッカーな日々”を過ごしているうちに、気がつけば7月。
そして11日の参院選挙が近づいている。
何を言ってるんだかガーガーと、ただただ怒鳴りたてるだけの選挙カーが街中を走ってる。
関係者は必死なのだろうけど、集中してものを書いている時など、
イラッとくることもしょっちゅう。だが、それもあと1週間。
さてどの党に“清き一票”を入れるべきか…

考えてみれば、
小鳩(小沢+鳩山)政権の後を受け、満を持して登場した感のある菅直人新政権だった。
とりあえずその所信表明演説を期待した。
しかし全くの期待外れだった。顔を上げることさえしない原稿の棒読みだった。
読むだけだったら誰にだってできる、と思った。

TVのニュースや公開番組などで、各党党首の演説は聞きたくなくても聞こえてくる。
菅首相の演説は、その昔、大学キャンパスで聞いた学生運動家のアジ演説に聞こえて
しようがない。
耳障りは確かにいい。与党の党首として“選挙に勝たん”とする一所懸命さは伝わってくる。
が、一旦中身を吟味し始めると、それが実現性の極めて薄いものであることが分かってくる。
キレイごとの羅列、いわゆる「夢物語」である。

6月27日(日本時間6月28日)、
カナダ・トロントで開催された20カ国・地域(G20)首脳会議(サミット)は、
首脳宣言を採択して閉幕した。
「成長に配慮した財政健全化」との基本原則が打ち出され、先進国については
「2013年までに少なくとも財政赤字を半減させる」との数値目標が明記された。

ただ日本については目標達成を強制しない「例外扱い」とし、財政の大幅悪化を踏まえた
異例の措置がとられた。
国際的にみて財政悪化の度合いが際立ち、健全化を急ぐ欧米から置き去りにされた
格好となった。ロイター通信は
「他の先進国に比べて『質の悪い財政状況』を浮き彫りにした」と伝えている。

日本の2010年度の財政赤字は40兆円を超える。
他の先進国と同様に2013年までの「赤字半減」を実現するには、
20兆円の「歳出カット」か「増税」が必要となる。

仮に消費税で手当てする場合、消費税率1%の引き上げは約2兆5千億円の増収になる。
単純計算で、歳出を増やさず、消費税を8%程度引き上げれば、ようやく先進国並みの
目標を達成できる。

菅首相は、消費税を含む税制改革について「2010年度内に改革案をまとめたい」と公言し、
回りくどい意味不明で曖昧な説明が繰り返されている。
選挙に「増税」という二文字は禁句。
だが、ガツンと響くような明確な説明がなされれば国民は納得する。
(選挙目当ての)恐る恐るの説明では、選挙民を怒らせるだけである。

2008年のリーマン・ショック後、
世界各国は財政・金融政策を総動員し、経済と金融危機を封じ込めた。
ひとまず景気は底入れしたが、民間が抱えたリスクは政府に移転され、
結果的に財政に膨大なツケが残った。

現時点での最大の焦点は「政府債務の信認危機」である。
英独などは矢継ぎ早に財政再建策を打ち出している。
それは市場の狙い撃ちされないための自己防衛である。

各国の対応には市場の監視の目が待ち受ける。
また当然ながら有権者の厳しいチェックも受けなければならない。
先進国で市場や有権者が注視するのは、構造改革を掲げるだけでなく、
それを実行し、新たな成長を切り開いていく力である。

世界の主要国で群を抜く政府債務を抱え、成長のための青写真を描けずにいる日本は、
世界から見放されつつある。
今回の「例外扱い」は、アジアの中心が完全に中国移ってしまったことを如実に示している。

選挙に勝つためには多少の方便やきれいごとなど何でもありなのか。
青臭くて馬鹿馬鹿しい「夢物語」は、聞いているだけで疲れる。


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