2010年12月25日

藤純子の世界

日頃アクセスを戴いている皆様、とりあえずはメリー・クリスマス!!
楽しいクリスマスを過ごされていますか??

それにしてもアッという間に年末になりました。
自分の場合、銀座・伊東屋でカレンダーを買ってくるとその年もほぼ終わり。
日本一の文具デパート・伊東屋はいつも込んでおりますが、年末は特に大渋滞。
必要以上の暖房完備で、防寒具を着用してると、9Fの特設カレンダー・コーナーに
行き着くまでに汗だくになります。まぁこれが年末の恒例行事ではありますが…

ところで、最近のNHKの朝の連ドラ、「てっぱん」をご覧になってますか?
大阪・天王寺界隈と広島・尾道を舞台に、お好み焼きをテーマにしているけど、
根幹のテーマがハッキリしないまま、格段ゴチャゴチャ考える必要のない、
朝向きのサッパリ系のドラマではあります。

主演は1990年生まれ19歳の、瀧本美織という新人タレント。
だが実際の主演は、60年~70代を風靡した緋牡丹・お竜の藤純子、
現在は富司純子の世界のように思えてなりませぬ。

脇役陣は、60~70年代に青春ドラマで活躍した竜雷太、80~90年代のアイドルだった
安田成美、元ボクサーの赤井英和、ナレーションで今や売れっ子の遠藤憲一、
ついでに“煩いだけがが売り”の柳沢慎吾、(多分“おまけ”の)演歌歌手・川中美幸が
いたりして、超ベテラン陣が周りをシッカリ固めてる。
昔アイドル・安田成美は久し振りの登場。母親役がいつの間にかスッカリ板についてる。

そして秀逸なのがテーマ曲の葉加瀬太郎のバイオリン。
これまでの上から目線で「オレのバイオリンを聞かせてやる!これでどうだ!!」
といったスタイルだったバイオリンが、間違いなく下から目線で弾いております。
とにかく響きがあったかい。
オッ、あの誇り高き葉加瀬太郎も心境の変化か、と思わせます。

最初聞いた時からスッカリ気に入り、その話を連発するものだから、
気を効かせてCDをプレゼントされたりしている。
Yさん、そんな慣れないことするから、北陸が大雪になるんだってば…

今年のNHKの朝の連ドラは「ゲゲゲの女房」が話題にはなりました。
しかし主演の松下奈緒も、向井理も、昭和30年代にはあり得ないスマートさで、
少々現実離れしてました。
確かにテーマ曲の、“いきものがかり”が歌唱する「ありがとう」はそれなりによかったが、
葉加瀬太郎のバイオリンにはかなわない、と思うのであります。

大阪・天王寺界隈は商用で何度か行った経験がある。
大阪特有の、あの何とはなしに染みついたドロ臭さは、他にはない独特のもの、と思う。
その特有のドロ臭さと、林芙美子の小説の街・坂の街・瀬戸内海沿いの清廉な街・尾道を
結びつけたところが今回の大きな“ネタ”になってはいる。

だが早稲田松竹という、今はもう取り壊され、キレイさっぱりこの世から消えてしまった
学生街の小さな映画館で、タバコの煙でモウモウの(当時は映画館でもタバコが吸えた)
オール・ナイト上映で見た藤純子に、どうしても目がいってしまう。
あの緋牡丹・お竜も、今や(一見)頑固なおばあちゃん役、ってですか…

そんなNHKの朝の連ドラを、BS2・朝7:45から見て、地上波・朝8:00から連ちゃんで見て、
お昼の12:45から見て、って状態になることもしばしばであります。
何であんなに淡々としたドラマを何回も見たいんだろ、安心するんだろ。
多分、藤純子効果に違いないと確信するものであります。

かくして、異常に暑かった2010年も、雪の時期を迎えております。
元旦の朝に帰郷の予定にしておりますが、年末・年始の大雪予報の連発。
さて、どうなりますことやら…


2010年の回顧その(3)「世界に一つだけの花」症候群

人気グループSMAPの大ヒット曲に『世界に一つだけの花』がある。
「NO.1にならなくてもいい」「一人一人違う種を持つ」と歌唱する。
耳障りのよい、極めて清々しい曲ではある。
しかし2010年は、日本の学生層にその一連の歌詞を「落ちこぼれ礼賛」のように
曲解する“弱者の思想”が蔓延した。
超安定志向が招いた就職戦線の“世界に一つだけの花”シンドローム(症候群)である。

11月16日、文部科学省と厚生労働省から発表された10月1日現在の就職内定率57.6%
の波紋が日本中に広がった。
この57.6%という数字は「就職氷河期」と言われた2000年代前半を大きく下回り、
現在の方法で調査を始めた1996年以降で最悪だった。

マスコミ間では、20~30社応募するのは普通で、100社を超えるのも珍しいことではない
と伝えた。
仮に自分が学生を受け入れる企業の面接者であったとした場合、
面接では“何とかの一つ覚え”で、「御社の将来性云々..」などと(一見)流暢に答える学生に
飽き飽きすると思う。
数十社も受けまくり、同じように答えているとしか思えない紋切り型のスタイルに、
「ではあなたは一体何がやりたいの?」と聞くしかない。
空しい作業ではある。

また2010年のマスコミは「就職活動を支援する予備校・家庭教師の隆盛」についても
大々的に取り上げた。
「最短距離で内定を得るためのテクニックを伝授する」とある。
ほんとにそんなことができんのか??と思った。
“何でもあり”の現代社会とは言え、就職のための予備校が隆盛を極めるのはやはり
異常である。そして異常な事態を異常と思わないこともまた異常だった。

内定を得んがために、3年の後半から就活オンリーの生活となれば、
「大学で何を学ぼうとしたのか」、「大学での学問・研究はどうなるのか」、
「将来的に何の仕事をしたいのか」「名の通った企業であれば、どこでもいいのか」
という本末転倒の状況に陥る。

日本の企業への就職が難しくなってきた大きな原因は、
「日本の(ほぼ全入の)大学で学んだ学生を必要としなくなった」。
更に「時代遅れ(三周~五周遅れ)の日本の大学での知識を必要としなくなった」
からである。

ゆとりの時代の弊害で、「極力競争を避け」「イチバンにならなくてもいい」と教えられ、
「(どこでもいいから)内定だけを得ることに必死になってきた」人材を、
ただでさえ厳しい環境にいる日本の企業が必要とするはずがない。

戦後の日本では終身雇用制が崩れ、ピラミッド型の組織体制も崩れた。
「いい大学に入って」「いい企業(=名の通った)に就職し」
「格段何もしないまま、エスカレート式に階段を上っていく」
という日本的な常識が完全に崩れ去ったのである。

こんな時代だからこそユッタリ構え、
「何がしたいか大学時代に考え、大学院へ行く」。
「選んだ大学院の更に上級の、海外等の大学院に行く」
「人間の寿命90年の時代。つまりは人生の三分の一の30歳までは学業に励む」
「但し、学費は自分で稼ぎ、親には頼らない」といった至って当たり前の流れが
どうして思いつかないのだろうか。

イチバンを目指し、奮励努力して、ようやくにして世界に追随できる。
今の世の中で「(本当の意味で)世界に一つだけの花」になるには
相当の努力と研鑽が必要と思う。
安定だけが人生なのか?
現状のような本末転倒で深刻な問題は、子供ではなく、実は親の問題だと思う。


2010年12月19日

2010年の回顧その(2)通貨安戦争の中での円高

1985年9月22日。
当時のG5(日米英独仏)の蔵相と中央銀行総裁が、ニューヨークの名門ホテル、
プラザ・ホテルに一堂に会した。
そして歴史的にその名を残すプラザ合意が調印された。
それから25年。四分の一世紀が経過した。

20世紀後半の世界は、「基軸通貨ドルの負担を軽減し、通貨協調体制を目指す」とする
プラザ合意体制の中で動いてきた。
それから25年を経て、2010年、「(深刻な)協調なき多極通貨体制」を迎えたのである。

東西冷戦終結を受けて誕生した欧州統合通貨ユーロや、
中国経済の台頭を背景にした人民元など、本家の米ドルを含め、主要通貨の国々が、
目先の自国の利益だけを考え、「通貨切り下げ競争」に入ったのである。

例えば米・オバマ政権。目指すのは個人消費から外需と設備投資に軸足を移すとする
「ニューミックス(新しい組み合わせ)」。
5年間の輸出倍増計画はその象徴だが、「金融緩和+ドル安」はニューミックス達成の
政策手段である。

日本はここ10年、1㌦=100円以下の動きが続き、
1973年から始まった自由変動相場制の中で、20世紀中に日本で醸成されてきた、
(日本人的発想の)円高・ドル安の概念が曖昧になってきてはいる。

では2010年、なぜ日本が狙われ、円高になった(=日本が買われた)のか。
海外の論調を羅列すれば、
「金融政策に根幹の考え方がない」
「民主党政権はあくまで一時的なものであり、新たな政策が出る可能性は皆無」
「日本は先進国で最大の巨額の財政赤字を抱えているが、ここ3年でパンクする
可能性は少ない」

大局的に最大の円高リスクを考えてみたい。
戦後、米財務省の指示によって1㌦=360円と定められた。
なぜ「360という数字」が出てきたか。
は諸説あるが、ギャン理論を取り入れたとする説が有力である。

とすれば、360円から始まった円の大きな節目は、素数の「1,2,3,5」で考えれば解り易い。
つまり360÷2=180円、360円÷3=120円、360円÷5=72円。
確かに180円や120円は大きな節目となってきた。
次なる大きな節目は72円ということになる。

1980年代以降、円高局面を何度もくぐり抜けてきた大企業(大手製造業、商社等)は
「必要な生産拠点の海外移転」がほぼ終了している。
言葉を変えれば、円高によって損失が出ない態勢が出来上がっている。
一方で円高によって日本の産業の空洞化の進捗、特に地方の空洞化が進む。
それはイコール日本の税収減、イコール日本株安である。

2010年の円高局面で明確になったのは
「1㌦=70円時代になった場合、日本国内にしか拠点を持たない企業は生き残れない」
という点だった。
そしてそれは、必然的に「(中間のない)絶対的勝者と完膚なき敗者」の選別であり、
日本崩壊の序章だったのかもしれない。

2010年12月14日

2010年の回顧 番外編 突然の引っ越し

2010年もカウントダウン。
ってことで、12月に入って「2010年の回顧」というタイトルで書いておりますが、
多少とは言え、私自身の環境にも変化がありました。

もうすぐ12月、って時期になって、今住んでいるマンションの部屋のオーナーから、
部屋を「買う」か、「出ていく」かにしてくれ、との要請。余りに突然。
しかし、それなりの事情があって、資産を整理したいとのこと。
で、仕方なく出ていくことに決断。

と言っても、年末の慌ただしい時期に部屋探しもなぁ~
さぁ~て、ど~すべぇ~か?? ったく疲れんなぁ~
なんて思いつつ、ネットを検索したりしながら、作戦を立てておりました。

そんなウダウダ状態の中、隣の部屋の奥さんが忙しそうに荷物の整理をされている。
10年以上も隣人であれば、ごくごく自然に顔見知りになり、挨拶程度はする。
おやぁ~、一体何が? ほんとに気軽に、どうされたんですか?と聞いてみたら、
ご主人が病気になられ、マンション生活も何かと不便なので、ごくごく近くの実家に
戻られるとのこと。
んじゃ~、私に貸して下さい! ハイ、いいですよ!! となった次第。

実のところ、今住んでいる佃界隈を離れたくなかった。
隅田川があり、(トレーニングに最適な)公園が整備されており、
ついでに、橋の下とは言え、雨天用のトレニング・スペースも整っている。
月島もんじゃの本拠地で、銀座・築地(共に車で5分)、六本木(地下鉄で15分)に近い。
また格好の散歩コースとして、江戸情緒タップリの下町・門前仲町や木場もある。
あれやこれやで、こんな場所、滅多にあるもんじゃない。

かくして、となりの部屋への引っ越し大作戦の開始。
冷蔵庫や洗濯機、そしてタンス等の移動は専門業者に依頼するしかなかったが、
まず手始めは、溜まりに溜まった書籍類の整理。
書籍・雑誌類が約500冊、スクラップ・ブックが約300冊、その他雑多な書類が無数。
天井まで積み上げたそれら“木のかたまり”の整理が困難を極めました。
「捨てるという作業」がこんなに大変だったとは… 心底思い知りました。

最高に役に立ったのはビッグカメラの紙製・大型キャリーバック(いわゆる紙袋)。
一番の大型サイズで、普通の単行本なら30~40冊入ります。
とにかく隣の部屋。持ち込んだらすかさず詰め込み作業。
この作業には頑丈な紙袋がホントに便利で最適でありました。

洋服に関しても、やはり「捨てる」って作業がタイヘンでした。
スーツ・ジャケット類は専用タンスをそのまま移動するだけ。問題は小物。
お陰さまで、この10年超のサイズが余り変わってないので、オッ、デタッ!!なんて、
捨てるに捨てられない。
でも最後にはエイッ、ヤッツてな具合でありました。

とりあえずモノの移動が終わって、どん詰まりで問題になったのは壁の変色。
最盛時はハイライト1日50本。(単純計算で)年間18,250本。
掛けることの15年=273,750本。
最近は1日20本を切っているから、多少は減ったとしても約25万本。
この異常な本数のタバコのヤニはやはり凄かった。
道具という道具にまとわりついて、とにかく凄いの一語。

クリーニング専門業者に「この壁はどうにもなりませ~ん。張替しかないで~す」
と、断固とした口調で言われ、やはりタバコは止めるべきだな、と思いつつ、
この文章もタバコを吸いながら書いておりますです。
ったく、オレって、ホント懲りないヤツであります。

こんなの業者に頼めば、2日程度で終わる作業だとは知ってはおりました。
そんな高価な引っ越しをするなら、どうせ隣だ、飲み代に回すわぃ、
などと不埒な考え方をした結果、とんでもない作業を強いられることになりました。

かくしてゴミとホコリの山との格闘の2週間。ようやくにして終了であります。
自分でやってみて、よい経験になりました。
今後はこまめな掃除を励行することと致します。
アッ、それから、タバコを吸う時の窓開け励行ってことで…

2010年12月12日

2010年の回顧その(1) 躍進・中国の脅威

今から5年ほど前、地元紙の正月特集で、
「希望の大地・中国」と題した座談会の記事が大々的に掲載されたのを鮮烈に覚えている。
「活路は海外に見出すべきだ」として、中国を礼賛しながらも、一方で中国なら何とかなる
とする安易な考え方も垣間見える内容だった。
地方だけではなく、日本全体が上から目線で中国を見ていたのである。

2010年、尖閣列島・領海侵犯問題が表面化した。
尖閣列島は、日本政府が1985年以降現地調査を繰り返し、清朝の支配下にないと確認、
1895年の閣議決定で正式に領土に編入している。

中国と台湾が領有権を明確にし始めたのは、
国連調査で周辺海域で石油が存在する可能性を指摘した1970年代以降である。
特に中国は、1992年、尖閣列島を自国領と明記した領海法を制定している。

2010年に表面化した同問題は、今後の日中関係の現実を明確に炙り出すことになった。
経済力および軍事力増強に伴う自信、15億人という巨大市場への日本側の必要以上の
期待の高まり、そして日本の国力の相対的な衰退など、中国は完全に上から目線で
日本に対応し始めている。

明確に言えることは「日中関係は歴史的な転換点にいる」という点である。
外交戦略の見直しをせざるを得ない。
中国の成長にあやかろうとする、日本の官もそして民も、脇が甘かった点は否めない。

弱みだった経済が強みに変わり、それを外交にも使い始めた中国。
尖閣問題が起きて、中国は希土類(レアアース)の輸出制限で日本に圧力をかけた。
日本はレアアースの必要量の9割を中国からの輸入に頼っている。

現在の世界では人口が爆発的に増大し、同時に経済は豊かさに向かって突進している。
しかしこの「経済的な豊かさへの道」には大きなネックがある。
それは「地球の限界が見えた」ことである。
無尽蔵と思われていた大気や水でさえ不足する状態になり、鉱物資源や農産物等の
一次資源の不足が言われ始めたのはごく自然な成り行きだった。

今回の問題を通して「日本政府の危機管理がほとんど機能しなかった」のは衝撃的だった。
そして国内外に「日本は圧力を加えれば妥協する国だ」と思わせてしまった。
日本は世界の国々から“なめられ”始めている。
そして「日米安全保障条約が危機に機能しないかもしれない」というリスクも認識せざるを
得なくなった。

百歩譲って、“青葉マーク”の民主党政権を、多少は大目に見なければならないのかも
しれない。
しかし“昔だったら戦争”の事態に際しても、的確な措置のできない現政府に、
日本国民が底しれない不安感を持ったのは事実である。

日本の官もそして民も、同じアジアだから中国は安心という安易な考え方が根幹にある。
そして米欧よりはやり易いという間違った概念も残っている。
しかし昇竜・中国は簡単に相手にできる国ではない。
今回の問題は後を引きそうな気配である。


2010年12月05日

大卒内定率57%の現実

約2ヶ月前、本ブログで「就職活動支援のための予備校が隆盛する異変」をテーマに、
現状の就職活動(就活)の様子を分析してみた。
そして11月16日、
文部科学省と厚生労働省から発表された10月1日現在の就職内定率57.6%の波紋が
広がっている。
大卒者の約半分しか就職できないという現実に慌てふためいている。

この57.6%という数字は「就職氷河期」と言われた2000年代前半を大きく下回り、
現在の方法で調査を始めた1996年以降で最悪。
厚生労働省では「(採用活動で)卒業後3年は新卒扱いにする」という指針を出しているが、
「企業が新卒扱いで受け付けても、最終的に採用するかどうかは別の話」との見方が
一般的である。

マスコミ間では、20~30社応募するのは普通で、100社を超えるのも珍しいことではないと
伝えている。
履歴書を書く(最近ではエントリーというらしいが)だけでも大変ではある。
しかし内定を得んがために、3年の後半から就活に血道を上げるとなれば、
「何のための大学なのか」「大学で何を学ぼうとしたのか」
「大学での学問・研究はどうなるのか」「将来的に何の仕事をしたいのか」
といったことを、考えることさえしないことになる。

一方、学生を受け入れる企業の立場になって考えれば、「君は一体何を考えてるんだ?」
ということになる。
面接などでは口を揃えて「御社の将来性云々..」などと、“紋切り型”の格好のいいことを
羅列されても、数十社も受け、全く同じように答えているとすれば、一体何がやりたいのか、
というより、究極的にはバカにしてんのかと思われても致し方ない。

百歩譲って、先の見えない混乱の時代に、
「(将来的な)安定」を徹底追求する気持ちは解らないでもない。
しかし振り返って、自分の実力は果たしてどうなのか、安定企業というなら、その安定企業に
相応しい人材なのか、ひょっとして給料をもらいながら、懇切丁寧に実践教育をしてくれると
でも思っているのだろうか、などと考えるのも普通であろう。

日本の企業への就職が難しくなってきた大きな原因は、
「日本の(ほぼ全入の)大学で学んだ学生を必要としなくなった」。更に
「時代遅れ(三周~五周遅れ)の日本の大学での知識を必要としなくなった」からである。

ゆとりの時代の弊害で、「極力競争を避け」「イチバンにならなくてもいい」と教えられ、
「(どこでもいいから)内定だけを得ることに必死になってきた」人材を、
ただでさえ厳しい環境にいる日本の企業が必要とするはずがない。

20世紀後半から日本では終身雇用制が崩れ、ピラミッド型の組織体制も崩れた。
「いい大学に入って」「いい企業(=名の通った)に就職し」
「格段何もしないまま、エスカレート式に階段を上っていく」という、
日本的な常識が完全に崩れ去ったのである。

こんな時代だからこそ、(居直って)ユッタリ構え、
「何がしたいか大学時代に考え、大学院へ行く」。
次に「選んだ大学院の更に上級の、海外等の大学院に行く」
「人間の寿命90年の時代。つまりは人生の三分の一の30歳までは学業に励む」
「但し、学費は自分で稼ぎ、親には頼らない」
といった流れがどうして思いつかないのだろうか。

前回申し上げたように、現状のような本末転倒で深刻な問題は、子供ではなく、
実は親の問題と思う。

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