2010年の回顧その(3)「世界に一つだけの花」症候群

人気グループSMAPの大ヒット曲に『世界に一つだけの花』がある。
「NO.1にならなくてもいい」「一人一人違う種を持つ」と歌唱する。
耳障りのよい、極めて清々しい曲ではある。
しかし2010年は、日本の学生層にその一連の歌詞を「落ちこぼれ礼賛」のように
曲解する“弱者の思想”が蔓延した。
超安定志向が招いた就職戦線の“世界に一つだけの花”シンドローム(症候群)である。

11月16日、文部科学省と厚生労働省から発表された10月1日現在の就職内定率57.6%
の波紋が日本中に広がった。
この57.6%という数字は「就職氷河期」と言われた2000年代前半を大きく下回り、
現在の方法で調査を始めた1996年以降で最悪だった。

マスコミ間では、20~30社応募するのは普通で、100社を超えるのも珍しいことではない
と伝えた。
仮に自分が学生を受け入れる企業の面接者であったとした場合、
面接では“何とかの一つ覚え”で、「御社の将来性云々..」などと(一見)流暢に答える学生に
飽き飽きすると思う。
数十社も受けまくり、同じように答えているとしか思えない紋切り型のスタイルに、
「ではあなたは一体何がやりたいの?」と聞くしかない。
空しい作業ではある。

また2010年のマスコミは「就職活動を支援する予備校・家庭教師の隆盛」についても
大々的に取り上げた。
「最短距離で内定を得るためのテクニックを伝授する」とある。
ほんとにそんなことができんのか??と思った。
“何でもあり”の現代社会とは言え、就職のための予備校が隆盛を極めるのはやはり
異常である。そして異常な事態を異常と思わないこともまた異常だった。

内定を得んがために、3年の後半から就活オンリーの生活となれば、
「大学で何を学ぼうとしたのか」、「大学での学問・研究はどうなるのか」、
「将来的に何の仕事をしたいのか」「名の通った企業であれば、どこでもいいのか」
という本末転倒の状況に陥る。

日本の企業への就職が難しくなってきた大きな原因は、
「日本の(ほぼ全入の)大学で学んだ学生を必要としなくなった」。
更に「時代遅れ(三周~五周遅れ)の日本の大学での知識を必要としなくなった」
からである。

ゆとりの時代の弊害で、「極力競争を避け」「イチバンにならなくてもいい」と教えられ、
「(どこでもいいから)内定だけを得ることに必死になってきた」人材を、
ただでさえ厳しい環境にいる日本の企業が必要とするはずがない。

戦後の日本では終身雇用制が崩れ、ピラミッド型の組織体制も崩れた。
「いい大学に入って」「いい企業(=名の通った)に就職し」
「格段何もしないまま、エスカレート式に階段を上っていく」
という日本的な常識が完全に崩れ去ったのである。

こんな時代だからこそユッタリ構え、
「何がしたいか大学時代に考え、大学院へ行く」。
「選んだ大学院の更に上級の、海外等の大学院に行く」
「人間の寿命90年の時代。つまりは人生の三分の一の30歳までは学業に励む」
「但し、学費は自分で稼ぎ、親には頼らない」といった至って当たり前の流れが
どうして思いつかないのだろうか。

イチバンを目指し、奮励努力して、ようやくにして世界に追随できる。
今の世の中で「(本当の意味で)世界に一つだけの花」になるには
相当の努力と研鑽が必要と思う。
安定だけが人生なのか?
現状のような本末転倒で深刻な問題は、子供ではなく、実は親の問題だと思う。