2011年02月28日

クラブHの物語

銀座ネオン街。通称ザギン、またはギンザ村、単にムラとも称されている。
銀座4丁目の交差点からJR新橋駅に続く約1㌔四方に乱立するクラブは推定約3000店。
従事する者、これも推定で約2万人。
日本全国津々浦々から、選り抜きの美女が集まり、「時間の切り売り」をする。
しかし当然ながら、「切り売りをする美しさ」がなくなれば去っていかざるを得ないのも
銀座の宿命である。クラブの経営者(=ママ)として残れる者、100人に1人あるかなしか。

松本清張の「黒革の手帖」に代表されるように、戦後の日本で「カネと欲望の蠢く街」
として知られてきた。ただ昼間に行けば、一見そんなに怖い街には見えない。
しかし夜ともなれば、一旦入り込んだら、ズブズブと吸い寄せられるような、
いわば“深海”の様相を呈し始める。

“銀座で飲む”ことは、ある意味で権威の象徴だった。
ただラッキーパンチで身に負えない権威を得て、若さのままに突撃を繰り返しても、
必ず追い返される、そんな“大人の街”が銀座である。

ランクは、(おおよそではあるが)松・竹・梅に分別される。
一般的に高級店と言われる店は、「座れば3万」どころか、行けば何のかのとチャージ
されて最低で5万。
酔って油断して、店の(従業員の=いわゆるプロのホステス連の)言うままになれば、
十万円単位のカネが消えていくことを覚悟しなければならない。
客も、従業員(=ホステス)も、目をギラつかせて“ハンティングのチャンスを狙う”、
いわゆる肉食系の店。これが「松」。

そして「竹」。このクラスは、会員制を謳う、中小規模の店。
従業員は昼間にも働いて、暇ができた時に出勤するパターンが多く、
“(売り上げの)ノルマ”は課せられていないのが大多数。
料金も目ん玉が飛び出る、ってことにはならないし、余計な“おねだり”も少ない。
言うところの草食系の店。

最後の「梅」。
このクラスは、いわゆるカジュアルな店で、従業員のほとんどがアルバイトか、
あるいは年齢が嵩み、最後に辿り着いた、ってパターンが多い。
最近では、経営者が中国系やアジア系の人間も多くなっている。
名目だけ、あるいは場所だけ“銀座で飲んでる”ってことになるパターン。

自分の行く店はほとんどが「竹」ランクである。
「松=肉食系」は、過去に何度も痛い目に遭ってるからもうコリゴリ。
かと言って「梅」はひたすら疲れるだけ。物事は中庸が大事(!?)なのである。

表題の「クラブH」の「H」とは、当然ながら店の、というより経営者の頭文字である。
何の因果か、頭文字が「H」の店が2店あり、道路を隔てて向かい合っている。
歩いてほんの10秒。やり難いったらありゃしない。
古い方のH(=H1)は開店から行き出して15年。新しい方(=H2)も開店から4年。

最近ではH2の方が断然お気に入り。
どこかの政党関係者も時たま登場し、10人も入れば満員状態となることから、
無理矢理設定してもらった「青柳シート」はカウンターの隅っこ。
その店に行くようになったのは、H2のマネージャー・Mさんとほぼ同郷だったから。
言い方がおかしいが、要は石川・富山県境生まれで、Mさんの六本木時代を含めれば
付き合いは10年を超える。今じゃ家族とも交流があり、M家の伯父さん状態である。

経営者のH2さんは北海道産。サッパリ型の大陸系。とにかくサバサバしてる。
Mさんの六本木時代に同じ店で働いていた経緯があり、いわば旧知の仲。
最初は好きなタイプではなかったが、最近では気軽に冗談を言い合える。

そしてH2の売りは生ギター演奏。
演奏者のAさんは、六本木時代から知り合いだった、ということになってはいるが、
最初は肌が合わなかった、というよりは互いに無視してた。
そのうち暇な時には一緒に飲むようになり、オールディーズが得意なAさんの腕前や
チャーミングな仕草に気付いて、その音色が肌に染みついてしまった。

女性群は、昼間働いている者も多く、概して大食い・大酒飲みで、タフである。
いつも話し相手になってくれるNさんは、昼間もIT関連で働く、まさに“タフの権化”。
ただそのタフさゆえか、顔が(異常に)テラテラしている場合も多い。

ザッとH2を説明してみたが、このH2は六本木テイストで自分にとって至極居心地よく、
他の店を開拓しようとする気が完全に失せてしまっている。
油断できないリスクの付きまとう深海探検は、結局は面白うて、やがて哀しき...の世界。
何より疲れるし、もう飽き飽きである。
かくして、自分の(ある意味人生をかけた)“深海探検”も、終業ベルが鳴り始めている。


2011年02月26日

中東政変に見る世界の潮流

2008年のリーマン・ショックを機に環境が一変した世界経済は、約2年を経過して、
順調に回復に向かっているようには見える。
しかし根底では「新自由主義的思潮と経済のグローバル化」の歴史的な転換点にいる。

国際収支の不均衡、国際商品市場の異変、ドル基軸通貨体制の揺らぎ。
そして先進国のデフレと新興国のインフレ、国際商品価格の高騰といった様々な混乱は、
現在の世界が歴史的な転換点にいることを示している。

20世紀後半から、新興国が世界経済に本格的に組み入れられるようになった。
そしてその巨大な低賃金労働力に向け、世界の巨額の投資マネーが流入し、
結果的に低価格製品の絶対的な供給者となり、先進国で深刻なデフレを起こすに
至っている。

一方で、
新興国の産業・生活インフラへの投資が拡大した結果、新興国の賃金・生活水準も上昇、
今度はその巨大な人口を養うための資源・エネルギー・食料の需要家としての影響力が増大、
インフレの震源となっていった。

北アフリカから中東全域に広がった政情不安は、物価高騰が低所得層の国民生活を
脅かすことになった結果引き起こされた。
国民生活の危機が社会不安となり、最終的には政治不安に及んでいったのである。

根幹の問題を明確に露呈したのはエジプトの政変である。
30年近くエジプトに君臨したムバラク独裁政権が倒れた背景には、同国固有の事情と共に、
若年失業の増加、食料品の高騰など、世界経済に密接に絡む要因があった。

米一極集中から多極化に移行する中で、新興国の需要急増や、先進国の金融緩和に伴う
膨大な投資マネーの流入が食料価格を押し上げ、エジプト・ヨルダン・イエメンなどの
資源の乏しい新興・途上国を揺さぶったのである。

混乱する中東諸国に共通するのは、人口に占める若年層の割合が高い一方で、
そうした若年層の雇用を十分吸収できないという点である。
それに追い打ちをかけるように食料品が高騰し、怒りの矛先が独裁政権に向かった。

IT時代が予想以上に驚異的な進歩を見せる中で、中東の政変は、
ネット時代の新たな市民革命の形式も見せつけている。
反政府デモの連帯を支えたのは「ツイッター」や「フェイスブック」などのネット空間だった。
ムバラク政権はネット遮断を試みたが、民主化を求める国民や国際世論がそれを
突き崩したのである。

かくして、投資マネーとネットが世界を一つにつなげ、この二つにうまく折り合いを
つけられない政府は崩壊するという時代になった。
政府は数年に1回の選挙だけでなく、市場からも、また瞬時に広がるネットからの
脅威にも晒される時代になったのである。

今回の中東発の大きな潮流は、
一党支配を続ける中国という“新時代の化け物”に連鎖する可能性を秘めている。
新時代の秩序をどうやって見い出していくか。
その答は闇の中である。

2011年02月20日

サクラチル

2月20日、日曜日。
東京は朝からどんより模様。何かスッキリしないし、うすら寒い。
でも開店と同時に入った有楽町・ビッグカメラは暖房完備で、店内を歩いていたら
うっすら汗をかいてしまった。

有楽町界隈は休日午後にもなると、近在近郷の、何等目的もない、若いだけが取り柄の、
見かけだけは都会風の、バカップルでグチャグチャになる。
エスカレータをベタッとくっついて動かなく状態になると、無性にイライラする。
お前ら他に行くとこないんかい!!邪魔っ!!オレら、忙しいっ!!って状態になる。
で、開店と同時に出かけ、必要なものをサッと買って帰ってくるのがコツ。
そんな、冬だか春だかわかんない日。

今日は朝からソワソワしてた。
知人の長男の大学受験・合格発表日。
関係ないっちゃ、関係ない。
ただここ1年、長男・Kクンとは何かにつけ、食事したり、アドバイスしたりしてきた。
そうなってしまうと、まさに(Kクンの)親戚の伯父さん状態になる。

最近の合格発表はネットでも検索できるんだとさ…
その発表は午前9時。
いつもの報道番組を見ながら、時間の経つのを待つ。
9:02AM。Kクンの父上にTEL。
「まだなんだよな、それが…」

混乱を避けるために、受験番号順に、二部制になってるんだと…
「9:30AM過ぎには分かるから…」
「ラジャー!ではTEL待ってます!」

それから30分後、その父君からのTEL。
「ダメだった!!」
ですかさず質問。
「もんじゃで、残念会でもする??」
父君の答。
「Kはそんな気分じゃないと思う。今日も明後日も試験だから」
「最後の最後まで頑張るって言ってる…」

なるほど、しゃ~あんめぃ。待つしかないか…
毎年のように繰り返される受験シーズンの風景ではある。

最近では高校生カップルが、大人の格好して遊びまくる、って風景も目につく。
あいつら、将来のことを考えてんのか、ってな、(無軌道な)青春謳歌風景ではある。
高校時分から将来を決め(=相手を決め)、“子供をつくる作業”にいそしむらしい。
それが流行の最先端って思い込み、流行に遅れまい、って必死になるらしい。

ど真ん中の貴重な青春を(多少は)我慢して、自分の目標を達成してから、
(本当の意味の)青春を謳歌しても遅くはないんじゃないのか…
人生90年の時代だぜ。
人生の四分の一も過ぎていないのに、ひとりの異性を愛し続けます、って誓うのか?
無理だよ、それは。絶対に後悔するって…

最近、知人の(受験を控えた)子息にアドバイスしてくれとの、要望が多くなった。
要は、父親に変わって、父親としてのアドバイスをしてくれ、という要望である。
確かに物書きの端くれには違いないが、知人の大事な子息にアドバイスするのは、
それ相応のエネルギーが必要である。

アドバイスする内容は、大概が上記のような内容になってしまう。
そして決めセリフは、
「大学受験という人生最初のバリアさえクリアできない者に明日はない!!」
「今は、オンナという“魔物”を(必死こいて)見ないフリをする時期だ!!」

数々の経験上、この言い方は間違ってはいないと思う。
だが、受験戦士らの周囲には、ごくごく自然に人間の本能としてのフェロモンを
無邪気にまき散らす、若いオンナという(受験にとって)最大の敵が待ち構える。
相当キツイ状況だろうな…いつの時代も、受験生はつらいよな。
でも頑張れ受験生、もう少しの辛抱だ!!

かくしてあと2週間ばかり、こもごもの悲喜劇は続いていくのであります。


2011年02月19日

二大政党と囚人のジレンマ

ここ10年、経済学の分野では「ゲーム理論」が盛んに研究されている。
その理論の中で特に重要な概念に「囚人のジレンマ」というのがある。
ジレンマとは「二律背反」あるいは「板ばさみの状況」という意味で、2つの選択肢のうち、
どちらに決めてよいかを決定しかねる状態のことを言う。

日本の政治が合意形成力を失ったのは、衆院で三分の二の議席を持ち、
参院でも与党過半数を握っていた安倍晋三政権が、07年の参院で惨敗してからである。
それ以降、民主と自民の二大政党が直面しているのは「囚人のジレンマ」である。

自らが与党のうちは政治の責任を訴え「小負担・中福祉」は続かないと主張し、
野党になれば敵失のみを追求し、国家の大計を語らなくなる。
結局、「参院のねじれ」が機能不全をもたらしている構造問題に、
与野党で協力して見直そうとする姿勢が見られない。

もし年内に総選挙があり、自民党が大勝したとしても、国会審議は参院で行き詰まる。
与野党が入れ替わったら、それぞれが相手が主張していたことをそのまま繰り返し、
結果として政治が何も動かない。

日本が直面する重要課題に迅速に対応できない根幹の原因は一体何なのか。
歴史を振り返ってみれば「政治のリーダーをどう選ぶか」という根源的な問題に行き着く。

1990年代の終盤、与野党議員の多くが
「この10年で日本の首相は7人。これでは難しい改革は進まない」と嘆いた。
現在の嘆きの言葉は
「20年で首相は14人。これじゃどうにもならん」に変わった。
首相交代はもはや年中行事になっている。

自民党を中心に55年体制が確立して以降、絶対与党となった自民党には
「次代のリーダー」と目される議員が何人もいた。
人材の発掘や育成で大きな役割を果たしてきたのは派閥だった。

当時の衆院の選挙制度は中選挙区制。
同じ選挙区で自民党候補がぶつかり、各派は独自候補の擁立に力を注いだ。
新人議員は政策決定や国会運営ノウハウを吸収しながら、派内で頭角を現そうと
しのぎを削った。

そうした激戦を制した者だけが首相に上りつめた。
「カネで票を集めた」
「有力派閥の傀儡政権」
といった批判もあったが、何よりも厳しい競争原理が働いていた。

こうした一連の仕組みは90年代半ばに転機を迎える。
きっかけとなったのが衆院の小選挙区制の導入と、新たな政党交付金制度だった。
選挙区の候補者は一人になり、応援は党本部中心に変わった。
政治資金の分配も執行部が決定権を握り、派閥の機能が空洞化した。
それと共に、リーダー候補が派内で切磋琢磨し、首相の出身派閥が政権を全力で
支える仕組みが崩れていった。

昔日の自民党政治を懐かしんでも致し方ないが、
ゲーム化している日本の政治は、今まさに崩壊状態である。
漂流国家となった日本には、温故知新の精神も必要なのである。


2011年02月15日

雪のバレンタイン騒動記

2011年2月14日。
ご存じバレンタイン・デーである。
誰が考えたんだか、「女性の方から男性にアプローチしてもよい」っていう日である。

とある書物に拠れば、2月、8月は「ニッパチ」と呼ばれ、商売、特にミズ系の商売が
細ることから考えられたイベントという。
そのイベントに製菓会社がまんまと乗っかった。
そして、いつの日からか、
「女性から好きな男性にチョコレートを上げる日」っていう、訳のわからないイベント
になってしまった。
最近では「男性から女性へのアプローチも可」となって、「逆チョコを渡す日」という
イベントにも化け始めている。
もうどうでも好きにしてくれッ!って状態である。

その14日、東京では大雪が降った。
しかし大雪と言っても、降雪量が5㌢で、積雪量が1㌢という、
雪国では目くそ、鼻くその類。
でも大都会・東京は、雪に全く弱い。
からっきし機能しないのである。

グチャグチャの雪に、女性特有のヒール類は全く使い物にならず、
裏側がスベスベになっている男性の靴も、滑るためだけの“危険物”と化する。
何にもまして、日頃あれだけゴロゴロしているタクシーが捕まらない。
要は、ヨロヨロになって駅に辿りつくって格好になる。
(15日の報道では、関東地区では死者1名、重軽傷者188名が出たそうである)

今年の14日は月曜日。
月曜日から飲むなんて、その1週間が“飲むだけ”ってことになってしまうから、
できる限り避けるようにはしている。
しかし、そこは天下のザギン。
ザギン村からは、チョコをエサにしたお誘いの営業TELが頻繁に入る。

「月曜からは飲まない!!」って頑固に言ってはみるものの、
あやうく「そうか、今日はバレンタインか」ってことにもなりかねない状態。
最終的に踏み止まったのは、夕方には横殴りの雨が降っていたからである。
それが午後8時以降は雪に変わった…

TVのニュースでは「東京に雪、ゆき、ユキ」って連発している。
そうか、やっぱり出かけなくてよかった…
そのうち、缶チューハイの効き目もあって深い眠りに…

気がつけば午前2時。
あたりが白銀の世界になっている。
と言っても、屋根の上が真っ白になってるだけの話だが…

翌15日は午前から快晴。
昨日の夜は一体何だったんだ?って格好で太陽が燦々。
昨日の雪は今いづこ。
おおっつ、まさに春だぁ!

かくして、日本独特のお祭り・バレンタインは、東京には雪というおまけがついて、
大騒ぎのうちに過ぎ去っていったのであります。

2011年02月12日

角界異変

相撲を意識し始めたのはいつの頃からだったろうか。
多分、白黒TVが一般家庭にも普及し始め、年4場所制の大相撲の実況中継を見ることが
できるようになった頃からだったと思う。
とは言え、当時のTV受像機は高値の花。
受像機があるのは、電気屋を除けば町内に1軒あるかなしか。
誇らしげに屋根上に高々と掲げられたTVアンテナは、ある意味“富の象徴”だった。

町内の(裕福な)友人の家で相撲の実況中継を見始め(正確には見せてもらい始めた)頃、
土俵の鬼・若乃花(後の二子山理事長)と、マムシの栃錦(後の春日野理事長)の
栃若時代の全盛期だった。
巨人好き、阪神好きと同様、当時はファンが真っ二つに分かれていた。

以降覚えているのは、巨人・大鵬・卵焼きと言われた柏鵬時代、北の湖時代、
そして貴ノ花時代、千代の富士時代、若貴時代と続いていく。
何とはなしにスッと出てくるのは、相撲が絶対的な存在ではないにしろ、
時代の趨勢と共に、背景には必ず日本の相撲があったということである。

そんな日本の大相撲界が内包していた根幹的な闇の世界を、携帯電話という
新時代の利器が明確に炙り出してしまった。
携帯画面に映った「カネと打算だけの文字」が、日本独特の“情”の議論の余地さえ
奪ったしまった。

日本の相撲は「スポーツとしてのフェアプレー」と、そして「日本の伝統=神事」と
しての、共に“正義”の狭間で、「日本独自の文化の一環」として捉えられてきた。
従って、スポーツではありながら、相手を思い遣る“情”の存在も暗黙のうちに
容認されてきた。

ところが、20世紀後半あたりからの、サッカーや野球を中心としたスポーツ全般の
グローバル化に従い、世論はその“情”を問題視し始め、
意識的に相手に勝ちを譲ることを否とする「故意による無気力相撲=“八百長”」を
非難する風潮が強まっていった。
いつの間にか「(隠密裏に)恒常的にカネが動く世界」も出来上がっていたからである。

「財団法人」。
一定の公益上の目的のために提供された財産を基礎として設立された法人。
日本相撲協会は日本政府から財団法人の認可を得ている。
そして2008年制定の新公益法人制度によって、既存の公益法人である財団法人、
社団法人は、13年11月末までに公益法人か、一般法人へ移行される。

新公益法人の認定は、事業の50%以上が公益目的であることが重要な条件となっている。
日本の大相撲は興業(エンターテイメント)の要素が強いものの、一方で「国技」とも
呼ばれ、「本場所開催が日本の伝統、文化の継承である」という見解に、
日本国民は全面賛成とはいかないまでも、渋々ながらも納得はしてきた。

ところがバブル時代以降、年寄り名跡などの金銭面での不透明さや、反社会勢力との
関係などが明るみに出て、新公益法人認定への障害と言われ始めていた。
そしてここにきての八百長騒ぎで、現在の財団法人の認可取り消しさえ言われ始めている。

認可取り消しとなった場合、相撲協会は解散、国技館などの残余財産は処分されることになる。
相撲協会の定める寄付行為では「類似の目的を有する公益法人に寄付する」とあるが、
そうした類似の法人は存在しない。従って、日本国に没収されることになる。

一方、
税制で手厚く優遇される公益法人をあきらめ、一般法人へ移行するのは難しくはない。
ただその場合、これまで財団法人として恩恵を受け、保有財産を公益目的に使い切るか
寄付することを求められる。
長期間の分割も可能だが、相撲協会は国技館などの莫大な資産を保有するため、
問題は深刻なのである。

考えてみるに、
ここ10年、横綱・大関陣はモンゴルを中心とした海外勢に占められている日本の大相撲は、
本当に日本の国技と言えるかどうか。
少々厳しい言い方をすれば、大学全入時代の現在においても、日本の相撲社会は、
高校教育さえまともに終了していない“(一般的な)思考・常識能力に欠ける”人間の集団に
なってしまっている。

今回の騒動、果たして日本人の大多数が納得できる正論を導き出せるか否か。
問題の根は深く、相応の時間がかかりそうである。


2011年02月06日

「中国GDP世界第二位」の実態を検証する

1月20日、中国国家統計局は、
2010年の国内総生産(GDP)が実質で前年比10.3%増となったと発表した。
年間の成長率が二桁になったのは07年以来3年振り。

大和証券の試算によれば、中国の10年の名目GDPはドル換算で5兆8895億㌦。
また同社の推計で日本の10年の名目DGPは5兆4778億㌦で、中国を4000億㌦下回る。
日本は42年間にわたって保ってきた世界第二位の経済大国の地位を譲ることになった。

今回の発表から、
日本が身近に感じ始めていた中国経済の脅威が現実なものになったことにはなる。
しかし日本は本当に中国経済に凌駕されたのだろうか。
「中国経済から垣間見える現実」について考えてみたい。

中国は今や「世界の工場」と呼ばれ、世界一の輸出大国になったのは間違いない。
しかし「世界の下請け大国になっただけである」という言い方もできる。
何故なら、高度成長期の日本には、トヨタ、日産、ソニー、パナソニック等の国産ブランドが
世界を席巻した。
しかし現在、中国発のブランドで世界に通用しているのは皆無だからである。

そして「下請け大国」という構造が、中国のGDPを実力以上に大きく見せる結果になっている。
例えば日本企業が中国の工場で生産した商品は、中国のGDPにカウントされる。
また公称で13億人と言われる人口の規模を考えれば、日本よりも総生産が多くて当たり前。
国民1人当たりでは、日中間には10倍以上の開きがあることになる。

とは言え、世界的な金融危機の後遺症から抜け出せない日米欧を尻目に中国は、
2011年も二桁近い成長が予想され、世界は中国を「世界経済のエンジン」と位置付けてはいる。
だが、一部では中国経済がどこかで急減速するとの見方も少なくない。

昨年8月、中国が世界第二位の経済大国になることが確実視され、
いつ米国を抜き去るかに注目が集まる中で、
米誌・フォーブスで「中国が米国を超えられない五つの理由」という論文が発表され、
大きな話題になった。その五つとは
「水資源の欠乏」
「国内エネルギー資源への不安」
「食料生産の限界」
「加速する高齢化」
「独裁政治の限界」
(但し中国では五番目を外し、「四つの理由」として発表されている)。

同論文では、中国は、医療・年金等の社会インフラは未整備のまま、経済成長の条件は
急速に失われる。それが中国の実情であると喝破している。

「世界経済はアイドル(崇拝対象)が現れては消える」と言われる。
1980年代の日本、1990年代のアイルランドなどの欧州周縁国、そして2000年代の米国。
経済の強さの裏には必ずひずみが生まれ、永遠には持続しない。

現在の経済社会は否応なく中国経済への依存度を深めている。
従って、世界経済は中国の持つリスクと共存する世界に身を置いていることになる。
結局「GDP世界第二位」の中国は、実は怖くはないのである。
怖いのは「経済が崩壊し始めた時の中国」なのである。


2011年02月03日

大雪騒動

1月30日の日曜日午後、母からTEL。
切羽詰まってる。
「雪で、雪でどうもならん。」「屋根が心配」「今から帰って来れん?」
エエッ、今から…
「列車を調べてみる。後でTELすっから…」

ネット検索したら、上越新幹線はOK。但しそこから先が完全運休。
新潟、福井が大雪で、挟まれた石川・富山は陸の孤島状態。
実家からのSOSだが、もうどうにもならん。
再度TELし、「今日はダメだわ」「明日も列車次第だわ」。

いずれにしても、雪始末の用意をしなきゃならない。
屋根の雪下ろしには、普通の長靴では間に合わない。
ってことで、神田・小川町のスキー・ショップへ。
雪上靴と手袋を購入。
最近ではスノボーが主流とかで、小川町界隈は若者で結構な賑わい。
何でカネ払ってまで、雪を見に行かにゃならんのだ、ったく。
雪国じゃ、雪は最大の敵だわ。

今年の正月から、こんな状況はある程度は予想できた。
年末年始には、山陽・山陰方面の大雪がしきりに報道されていた。
これは多分“いたずら”で、その流れは必ずドカンと来るとは思っていた。

今年の正月、山陽方面からのメールで、ミニ雪ダルマや、
単なる穴ぼこ状態の(名ばかりの)カマクラの写真が添付されてきた。
雪やコンコンで、夢中になって遊んでる姿が自然に想像できた。
子犬じゃあるまいし…
雪は敵なんだよ、Yさん。解ってくれたかな?

31日も全面運休で、1日になっても列車ダイヤがメチャクチャ。完全にギブアップ状態。
そして2日、東京では午後からフッと暖かくなった。
こりゃ、あっちも雪が止む。

雪国に大雪が降ると、東京では空っ風が異常に冷たくなる。
31日はまさにその日だった。それが2日になって急に変わった。
これで雪も終わりか…

報道では、今度は雪崩警報の連続。
雪は積もっても困るが、溶け出してもまた困る。
2日、またもや実家からのTEL。
「もう大丈夫。雪崩が怖いからもう帰って来なくてもいいよ」
何だよ、ったく、もう疲れたわい。

一件落着!となったことで、昨年末交通事故で重傷を負った旧友&遠縁のMBが
思い出された。
昨年末、歩いて帰宅する途中、老人運転の乗用車に追突され、頭蓋骨陥没は治癒したが、
左半身にマヒが残る状態という。
中学・高校・大学が同じで、柔道4段、熱血の高校教師だったMBが寝たっきりという。
会えば口喧嘩ばっかで、互いに同じ空気を吸ってるのも嫌な存在だった。
が、こうなれば休戦状態。この大雪をベットの上でどう見てんだか。
切ないよな、ったく。ガンバレMB。

本文を書いているのは2月3日の節分。
何気に春の匂いがする。
いつものことながら、大自然の前では人間は無力なのであります。

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