2011年03月26日

円の対ドル最高値更新を検証する

「巨大災害後の円高・ドル安」については面白い符合がある。
これまでの円のドルに対する最高値は1995年4月19日の79.75円。
その約3ヶ月前、1995年1月17日に阪神淡路大震災が起きている。

阪神淡路大震災直後には100円台まで円安が進行する。
その3ヶ月後に“衝撃の80円割れ”が示現した背景としては、阪神淡路大震災直前の
94年末に、メキシコ通貨危機が起き、メキシコ通貨ペソの暴落により、メキシコ国外
へと資本が流出した。そしてその逃避先として円が選択された。

2011年3月の円高局面も状況が符合する。
リビアを始めとする不安定な中東・アフリカ情勢に加え、4月以降にはポルトガルや
スペインでの大量償還が控えている。
リスク回避のために円が買われる土壌にはあった...

2011年3月17日早朝の円高・ドル安の流れは、市場にピッタリ張り付いて逐一見ていたので、
その実態をお知らせしたい。
一連のマスコミでは、NY市場の終了間際となっているが、実はそうではない。
日本時間の午前6時~7時の動きに、NY市場の影響は極めて小さい。

その時間帯は、市場規模が極めて小さい豪・シドニー市場を中心とした動きであり、
従来から多少の資金の出入りで市場が大きく動き易い、「投機筋のハンティングの時間帯」
と言われてきた。

当日午前6時過ぎ、これまでの最高値であった79.75円がブレークされた瞬間、
次に出てきたレートが78円台。
荒れ相場特有の、スプレッド(売りレート・買いレートの開き)が極端に大きいため、
78円台はほんの数秒で通過、77円台に突入していくが、これもまたほんの数秒で通過、
次に現れたのが76円台だった。

まるでCGベースの物語のように述べているが、相場でいう“Climax”と言われる局面は
そんなものである。
その時、市場参加者は何を考えるかと言えば、これは75円突破も時間の問題で、
360円÷5=72円の可能性もないではない、と考えるのである。

たださすがに76円台では買いが出て、77円台に戻る頃から買い方・売り方の
強烈なパンチの応酬となる。
このあたりはプロボクシングの打ち合いを想像してもらえばいい。
とにかく殴らなければ(受け身になってしまえば)、間違いなく殴り倒されるのである。

かくして77円台の攻防が1時間ばかり続いて、日本のTV各局が“円の高値更新”の
テロップを流す8時台になると、さしもの怒涛の売りも収まり、77~78円台を行ったり
来たりの“ジャブの応酬”となる。結局、3月11日の終値は79円前後。

翌3月18日、日本時間午前9時ジャストに日本政府・日銀の市場介入が入り、
80円台を回復、結局は81円台での動きに回帰していく。

単純に言えば、PC画面上のこれだけの話だが、今回の円高の流れは、
79.75円に置かれた大量のストップロス(損切り)を壊しにかかった投機筋のなせる技と
考えるのが妥当なようである。

今後の円の動向はと言えば、70円台が“風通し”がよくなったこともあり、
テクニカル的にも更なる円高局面の要素が根強いが、さてどうなりますか…


2011年03月19日

巨大地震の後遺症

3月11日の午後の巨大地震から1週間が経過した。
過ぎれみれば、長いような、単なる一瞬のような、慌ただしい1週間だった。

今回の天災が如何にけた外れだったか。専門誌からの抜粋は以下の通りである。
1995年1月の阪神淡路大震災のマグニチュードは7.3。
死者・行方不明者6473人、負傷者は43792人。
木造家屋の倒壊の圧死が死因の8割近くを占め、大規模火災も負傷者を出す要因となった。

今回の東北関東大震災はマグニチュードが9.0。
当初発表されたマグニチュード8.8とは揺れが2倍違うという。
震源地を中心に、破壊は毎秒3㌔のスピードで広がっていくとされる。
揺れの時間も、阪神淡路が10秒だったのに対し、今回は3分続いた。
強さを比較すると、今回の地震は、阪神淡路の1000倍以上だったとされる。
人的被害は死者が2万人超は必至の状況で、5万人規模になるとの見方もある。
……………..

以降、首都・東京の環境も一変した。
13日夕刻、日本政府および東京電力は、原発事故を起因とする電力不足を大々的に訴え、
計画的に停電状態にする計画節電計画を打ち出した。
結果、週明け14日以降は、計画節電というテーマの中で、主力鉄道が“間引き運転”と
なった結果、退出勤の時間が読めなくなり、開店休業の企業が相次いだ。

当然のように大きく変わったのは繁華街の様子である。
世界に冠たる繁華街、銀座は、ネオンが最小限に抑えられ、往時の三分の一の明るさ。
(地元の者にしか分からない表現で恐縮だが)富山で一番の飲み屋街・桜木町の裏通り
の様相。とにかく、くら~ぃのである。これが天下のザギンかよ、ってな具合。

四丁目界隈に並ぶ有名デパート群は、営業時間を短縮するばかりか、照明を落とし、
エスカレーターも一部しか使えない。
軒並み並ぶ世界の有名ブランド店もほとんどが臨時休業。
いわゆるネオン街も、19日~21日の三連休を控え、14~18日も連続休業というパターン。
客が飲みに来るとか来ないとかという問題の前に、まず従業員(=ホステス連)が、
ザギンに辿り着くかどうかも、また帰りつけるかどうかも読めない状況。

また都内のスーパーからは、米・乾麺・缶詰・納豆・豆腐類が完全に消え、
早朝などでは入場制限をされる始末。
その他、ティッシュ、トイレットペーパーは影も形もない。
またガソリンスタンドでは「売る物がありません」の張り紙。

コンビニでは、おにぎり・パンのコーナーはきれいサッパリ空っぽ状態。
酒・飲料水のコーナーは灯りを完全に消している。
少々驚いたことに、自分の絶対的な嗜好品であるキリン・缶チュウハイ(ストロング)
がサッパリ、手に入らなくなった(!?)

自分たちは、通称「戦争(第二次世界大戦)を知らないこどもたち」である。
従って、爆撃を受けた後の市街地の様子は写真で見るしかない。
戦時中の爆撃された現場を実際に見た母親が、今回の巨大地震の残骸を見て
「爆撃を受けた後のようだ」と表現した。

確かに都内では、戦時中のような、心理的な“あせり”or“欠乏感”から来る
買占めシンドローム(症候群)に陥ったようである。
アラフォー以上のいわゆるオバちゃん連中の、血走った目は少々怖かった。

そして止めに、3月18日早朝、円は1995年4月19日の79.75円を軽々と更新、
76.25円という、理論値の世界に突入した。
巨大地震で損害を蒙った日本企業が、外貨資産を取り崩すとの思惑からだった。
専門分野なので前日から市場に張り付いていたが、75円はおろか、ひょっとして
360円÷5=72円までも行くか?といった勢いだった…

今回のブログを更新しているのは3月19日・土曜日の午後。
太陽燦々で、20度にもならんとする、春の日の様相である。
日本は大丈夫なのか?この状態はいつまで続くのか?といった小難しい問題は
考えたくない雰囲気である。

まだ時々ユラユラする。それももう慣れっこ(!?)になった。
あ~ぁ、あれこれ考えるのもはもう止めよ~、っと!!

2011年03月14日

タガの緩んだ日本を襲った大自然の脅威

ようやく余震も止まり始めた3月13日(日曜日)夕刻。
いつものように、いつものスーパーに買い出しに行った。
いつもなら“大量の商品陳列がウリ”のスーパーから、乾麺、缶詰、卵、豆腐類が
きれいサッパリ消えている。
そしていつもの薬局からは、ティッシュペーパー、トイレットペーパーが消えている…

3月11日午後に起きた巨大地震。マグニチュード9.0。
本ブログでは当初「100年に1回」という形容詞を使ったが、実は「千年に1回」という
形容詞を使うのが妥当だという。

巨大地震が起きた金曜日夕刻から、CMの消えたTVが愕然とする現実を伝え続けた。
岩手県から福島県のかけてのリアス式の太平洋沿岸は、人間の能力の限界を見せつける
ような大津波に何等なすすべもなく、一方的に攻められ、壊滅した。
死者・不明者は日毎に増大、死者1万人を超えるのは必至と言われ始めている。
回復に果たして何年かかるのか。3年か、はたまた5年か10年か…

そして福島県下の原発では、急場に炉心を冷やす装置が使えなくなった。
放射能が漏れ、建屋が爆発する中、半径20㌔以内の住民が避難する非常事態になった。
炉心が溶融する過去の重大な事故としては、1979年3月に発生した米ペンシルバニア州
のスリースマイル島原発、1986年4月の旧ソ連チェルノビイリ原発がある。
チェルノビイリ原発からは多くの死者が出て、大量の放射性物質がまき散らされた。
日本政府当局はそうした事態になるのを真っ向否定しているが、風向き次第では放射能が、
首都・東京にまで流れ来る可能性は否定できない。

国際都市・東京は、11日夕刻には数万人の帰宅難民が出る騒動になった。
都心の公共施設で夜を明かした方々も多かった。
そして13日夕刻、日本政府は、原発事故を起因とする電力不足を大々的に訴え、
計画的に停電状態にする計画節電計画を打ち出した。
結果、週明け14日には、計画節電というテーマの中で、主力鉄道が“間引き運転”となり、
出勤がガタガタになっている。

こうした一連の大混乱の中で、“携帯電話”に関する問題も浮上している。
昨今の携帯電話は、複雑な機能の様々な機種が出回り、ゲームや音楽視聴の娯楽サービス
は充実している。しかしそれは本来の電話の範疇ではない。
電話の持つ本来の意味とは「どんな時でも話ができる」ことである。
緊急時につながらない電話など、電話ではないのである。
なんのかのと理由をつける前に、とにかく「緊急時に話ができる状態」のための環境を
早急に整えるべきではないのか。

自分らは、通称「戦争(第二次世界大戦)を知らないこどもたち」である。
従って、爆撃を受けた後の市街地の様子は写真で見るしかない。
母親は戦時中の爆撃された現場を実際に見ている。
その母親が、今回の巨大地震の残骸を見て「爆撃を受けた後のようだ」と表現した。

1995年の阪神大震災、そして今回の巨大地震で、日本は1945年の敗戦時に戻った
のかもしれない。
1945年の敗戦時から「もはや戦後」ではないと言い方をされる復興がなるまで、
約10年の年月がかかっている。

55年体制打破を謳って誕生した民主党政権は、今回の巨大地震発生で、その脆さに
完全にダメを押されてしまった。
ただ非常事態となってしまった今となっては、民主だ自民だと言っている時ではない。
日常を一旦打ち切り、挙国一致の復興に向けての活動が必要な時である。

人間は所詮は弱い生き物である。大自然には勝てっこない。
しかし弱いから支え合うしかない。
長い災害の歴史が、日本という国家の地力を試している。

2011年03月12日

「100年に1回の大地震」体験記

3月11日・金曜日午後、いつものように週刊レポート作成に取り掛かっていた。
TVはBGMのようにいつもつけっ放し。
NHKの参院予算委員会の中継が流れている。

石川県選出議員の少々だるい質問と、ヤル気があるんだかないんだか、
菅首相の答弁がダラダラ続いていた。
内容は、菅首相に在日の方からの政治資金受け入れ問題。
予算委員会と言いながら、予算に関係ない質疑応答ばっかかよ、などと、
気の遠くなるような世界の情景が映し出されていた。

その日、午前中は輝くばかりの晴天だった。
しかしふと窓外を見たら薄い雲が出て、何気に怪しい雰囲気になっている。
何かやだな、薄気味悪いな、って思った瞬間、グラッと来た。

画面には地震警報を告げるテロップがデカく映ってる。
そしてNHKのアナウンサーの絶叫。
「このままTVを消さないで下さい!!」「冷静に行動して下さいッ!!」

最初は笑っていた。
そうか、こんなダルイ国会に、さしもの神様もお怒りになったか?

そのうち揺れが大きくなってくる。オオッ、まじかよ!
横揺れがものすごく、最初は横にある本箱を押さえていたが、そのうち部屋全体が
揺れたように思った途端、ガッシャ~ンの3連発。
もうシャ~あんめぃ、なるようにしかならんわい。
このまま建物もろともサヨナラか…

一発目のデカイ揺れが終わった後、おそるおそる部屋の巡回。
ダイニンングでは、コピー機、電子レンジがひっくり返り、皿が割れまくっている。
書類部屋は散乱、500冊ばかりある本がまるで残骸状態。
通称・衣裳部屋(!?)ではタンスはひっくり返り、足の踏み場もない。

TELはつながるのか??電気は??水は??ガスは??
TVがついてるから電気OK。水は、出た!!ガスは??だめか…
携帯は全く繋がらない。ただ固定電話はOKのようだ。

とりあえずは実家の母親にTEL。不思議にスッとつながる。
母親「大丈夫??」
自分「どこも怪我はしてない。コピー機が壊れたけど…」
母親「食料ある??」
自分「冷蔵庫が大丈夫だから、食うものはある 」

その後、3時間ほど大きな余震が続いた。動くに動けない。
こりゃ籠城だわい。腹が減っては戦はできぬ。何か食うとするか。
前日大量に茹でて、冷蔵庫にいれておいた冷やしウドンを無理矢理腹に押し込む。
味など全く感じない。明日からまた部屋の整理かよ…

今回の大地震で驚いたこと。それはPCメールが的確に使えたことである。
携帯TELもメールもできない中、的確に機能した。
関係知人にメールしまくった。「無事か??」

その後、続々と流れるニュースで、東北地区、特に気仙沼や大船渡界隈の大津波の
現実とも思えない凄さを、これでもかと見せつけられている。
マグニチュード8.8。100年に1回の大地震。
「100年に1回の金融危機」やら「100年に1回の大地震」やら…

次から次へと下される試練。クソッ!絶対に負けないぞ!!

2011年03月06日

「ネット革命」による秩序の崩壊

3月3日。ご存じお雛様の日である。
早朝の仕事も何とはなしに終わり、今日はお雛様だし、一杯やっかと、
言い訳にもならない言い訳しながら、朝から缶チューハイを飲っていた。
今日も元気だ!酒が美味しい!ってな至ってのんきな状況だった。

ところが午前10時頃、事務所から緊急TEL。
「TBSのNスタから緊急取材をしたい、って言ってきてますけど??」
はぁ~、何でオレが?何か金融界に大変化があったけか?ひょっとして例のドッキリか?

よくよく聞いてみると、大学受験のネット事件に関する取材だった。
確かに2001年2月に「インターネット犯罪者」という“翻訳本”は刊行している。
だからと言って、自分は単なる翻訳者。
その道の専門家でもあるまいし、ホントに自分でいいのか??

………………

中東の混乱の原動力になったのはインターネットだった。
交流サイト(SNS)「ファイスブック」を通してつながった民衆は、エジプトを始めとして、
盤石とされた独裁政権を次々と破壊に追い込んだ。

若年層が急増する中東や北アフリカではネット利用が爆発的に広がっている。
例えばエジプトのフェイスブック利用者は過去1ヶ月で11%増加、日本の2.2倍の565万人に
なったと伝えられている。
その他、チュニジアでは9%増の220万人、リビアも16%増の30万人に達したとされている。

1989年以降の旧ソ連・東欧の民主化革命の背景にはCNNなどのテレビの力あった。
今回はネットが主役になったことになる。
圧政や貧困に苦しんできたデジタル世代は、ネットで世界と自国の落差を目のあたりにし、
一斉蜂起したのである。

一人ひとりが「国際放送局」になれるネット時代の大波は、中東以外にも押し寄せている。
中国では「フェイスブックで世界を見よう」といったネット広告が増えているという。
中国政府はフェイスブックやツイッターの閲覧を禁じているが、国外のサーバー経由で
アクセスする外国企業のサービスを使い、規制をかい潜ることが可能になっている。
結果、昨年末に10万人規模だったフェイスブック利用者は、70万人に達した。

また税関査察の際はデーターが隠れて“空”に見えるものの、一定の時間経過すると
保存データを再生できる「ステルスUSBメモリー」と呼ぶ技術によって、韓国発の
ニュースが北朝鮮に流れ込んでいるとされる。

時を同じくして日本では、京大・同志社・早稲田・立教などの大学の入試問題が、
試験時間中に、ネットの質問サイト「ヤフー知恵袋」に投稿されるという事件が
起きたことになる。
専門家筋に拠れば、ペンやメガネに搭載した小型カメラで撮影した問題用紙の映像を、
外部に無線で送ることは簡単にできるとしている。

大学側では、「想定外」「体制再考」等の危機感を示しているが、公正第一であるべき
大学受験も、一連のネット革命に、既存の秩序を破壊され始めている。
大学入試に関する不正行為はこれまでも、替え玉受験を始めとして、倫理的なテーマと
して取り上げられてきた。
今回は当事者が一人で携帯を操作し、投稿したしたことが判明しているが、
デジタル世代(=日本では携帯世代)のネット日常化の大波は、アナログ世代には
想像もつかないスピードで進捗している点は認識せざるを得ない。

ネットは「あらゆる秩序に牙をむく」破壊力を秘める。
2011年7月、日本では地上デジタル化が完成する。
“(とりあえず)世界が変わる”とは予想できても、ここまで壊滅的とは想像できなかった。
混沌の世界をどう立ち直させるか。問題は深刻である。

……………….

午後2時から始まった取材は1時間程度で終了。
取材を受けることよりも、「二日酔い状態を覚ます」のに全精力を使った体はもう限界に
近かった。で、放送されたのは約20秒程度。
何なんですか、昨今のTV局の傍若無人さは。

自分の出番が終わった直後、田舎の旧友連からも「出るなら前に言っとけよ!」等の
お小言TELを頂戴したりしたが、
「専門家じゃないんだから…、結局はサシミのツマなんよ」と被虐的に答えておりました。

かくして今年のお雛様は、強烈なインパクトを残しつつ、去っていったのであります。


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