2011年05月29日

「察しの文化」の弊害

日本的な言い方の中で、命令形式(=禁止の形式)を避けながら、
一方で暗黙の協力を求める「(相手の気持ち)を察しろ」とする言い方がある。
「ご遠慮願います」
「ご理解とご協力をお願いします」
といった類の言い方である。

5月6日夜、
菅直人首相が突然記者会見し、中部電力に要請した、浜岡原子力発電所の操業停止。
菅首相自身が法的根拠がないと認める「お願い」である。
結局中部電力はその「お願い」を、「国の指示・命令」と判断して受け入れることになった。

千年に1回と言われる東日本大震災に関し、この「お願いの手法」が乱発されている。
5月13日、枝野官房長官は突然、金融機関に対し東京電力の債権放棄を要請している。
政府も一肌脱ぐから銀行も協力せよとの(実質的な)“強制”である。

そして枝野官房長官は、福島原発周辺20㌔~30㌔区域の状民に対して
「自主避難を積極的に促進する」との言い方も連発している。
自主避難って何?
結局は(国としての)命令はしないけど、「お願いする」というパターンである。

この自主避難に関しては、4月13日、
「避難地域は当面住めないだろう。それが10年になるのか20年になるのか」
とのコメントが、菅首相の発言として、内閣官房参与の口から伝わり大騒ぎになった。
結局は否定されたが、情報を十分に提供せず、住民にギリギリの選択を強いる格好と
なっている。

農産物の出荷自粛要請も、夏の節電も構図は同じである。
「ただちに影響はない」「安全だが念のため」という説明で、
政府は生産農家にゲタを預けようとした。
政府が不用意な発言をすれば風評被害は不可避なのは明らかだった。
そうした状況の中で、農家に対して作付すべきか、断念すべきかを強いたのである。

節電に関しても「それ、本当に必要ですか?」に代表されるフレーズで、
消費者に決断を強いている。
これまではオール電化を高らかに謳い、何でもかでも電気を使えと消費者に迫ったのは
誰だったのだろうか。
こうした自己本位の勝手な論理の中で、「自粛と委縮の悪循環」が起き、
街ばかりでなく、東電管内の人の心をも暗くしている。

大震災が起きて以降日本国民は、被災地を思い、事態の深刻さを理解しながら、
一連の「お願い政治」に黙々と協力してきた。
あからさまな政治批判も少なかった。
それが世界中から、日本人の美徳とも称えられている。
ただこのまま「お願い&ご理解」を繰り返す中で、的確な政策が出されないなら、
日本全体が進むべき方向をも見失ってしまう。

「市民派」を標榜し、長い野党暮らしの中で権力の横暴を批判してきた菅首相は、
一旦掴んだ権力を離すまいと、それだけに必死になっているように見える。
何か空しくなるような光景である。

こうした未曾有の危機には、一見横暴とも見える断固とした政策が示されてしかるべきである。
残念ながら菅首相は千年に1回の危機に首相の座にいるべき人物ではないようである。
結局は同じセリフにならざるを得ない。
「救世主はいずこに??」

2011年05月21日

「英断」という名の思いつき

菅直人首相が、巨大地震が発生する可能性が高いとの理由で、突如要請し、中部電力が
受け入れた浜岡電子力発電所の停止を、一部では“英断”と評価する向きがある。
確かに東海大地震起きた場合、浜岡がそのど真ん中に位置するのは事実である。

しかし「では地震確率がそれほど高くないと言われる地域は大丈夫なのか」という
議論になれば、今回の措置は“英断”と言えるのだろうか。
原発を抱える自治体の多くの首長は、定期点検を終えた原発の再起動に際し
「国が安全を確認する」ことを求めている。

一旦原発事故が起これば、国の命運にもかかわることを福島原発事故は世界に知らしめた。
首長や企業が「絶対安全」と保証できる話ではない。
ところが菅首相は、福島原発に関しても
「一義的には東電の問題であり、政府はこれを支援する立場にある」との原則を崩そうとしない。

日本政府(民主党政権)は、昨年改定したエネルギー基本計画で、
大々的に「原子力発電の推進」を掲げてきた。
その計画は、鳩山由紀夫前首相が2009年9月の国連総会で、日本の温暖化ガスを
2020年までに「1990年比で25%削減する」と公約して、世界中から拍手喝采を浴びたことが
背景になっている。

つまりは、
「温暖化ガスを手っとり早く減らすには原発を増やすしかない」との暗黙の了解があった。
鳩山前首相はまたぞろ「東日本大震災で全てが変わった」と説明するかもしれない。
しかしこの時の「25%削減」発言は“思いつき”の最たるものだった。

日本では5年続いた小泉純一郎内閣以降、1年も持たない短命内閣が続いている。
直近では、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫と4年で4人の首相を輩出している。
現菅内閣も、「震災による延命」であることは誰が見ても明らかである。

考えてみれば、ここ2年の民主党政権は「対策を連発する」ばかりの政権だった。
誰かに何かを言われたら「じゃあ」とばかりにアクションを起こす形式。
従って、「××本部」ばかりが増えていくパターンになっていった。

政財界では、日本にとって今回の最大の不幸は、
「千年に1回と言われる大震災が、菅内閣という劣化した内閣に起きたことだ」とする論調が
主流になり始めている。
確かに3月11日以降、5月になっても、国民が納得する具体的な施策が出されていない。

1年ごとに首相が変わる世の中に日本国民が慣れてしまい、考えるスパンが短くなっている。
政治家は今日・明日でしか考えないし、国民もまた長期的な発言を信用しなくなっている。
ポスト小泉以降、内閣自体が消耗品化する中で“刹那の世界”になっている。

今回の大津波は昨日まで存在していた光景を一瞬のうちにゼロにしてしまった。
その恐怖感は、日本人の精神的な常識をも変えつつある。
このままでは日本の経済の崩壊は勿論、文化さえ変えてしまう可能性を秘める。
日本の危機である。救世主は現れるのだろうか?

2011年05月15日

MBへの公開お見舞い状

5月13日金曜日。
東京は日中25度を超え、まさに新緑・5月、初夏の匂い。
銀座界隈は異常な人出だった。
連休明けは遠慮していたオトコどもが、堰を切ったようにドッと溢れ出ていた。
界隈全体に、な~んか甘~い匂いがしてた。
なんか異様な雰囲気だった。
人のことは言える立場じゃないけど、東日本大震災で、被災者の方々は大変な思いを
されてるのに、こんなんでいいんかい???

その日、行き付けの和食屋で、ムラの住人 (!?)と一杯飲ってた。
突然KからのTEL。
便利になったよな、まるでKが東京がいるような会話。
「よう、アオよ、お前のボトル飲んでいいか??」

故郷の行き付けのミニクラブからのTELだった。
「了解。勝手に使ってくれ!」
「得意の舟木一夫シリーズでも歌って盛り上がってくれりゃいいわさ」

MB元気か??
MBも一度そのミニクラブに来て、オレのボトルを使ってくれたよな。
「アオ、一杯もらうから。MB」ってメモつけて。
後日その店に出かけ、最初にそのメモを見た時、MBと名前が似てる、
どうにも嫌いなヤツと勘違いして、“何でアイツに飲ますんだよッ!!”
って怒ってしまった。
その剣幕に驚いた(中学の同級の)オーナーママが、
「アレッ!アオちゃん、MBとは遠い親戚じゃなかったっけ??」

MBさぁ、もうちょい分かるように書いてくれや。
お前なら仕方がないわさ。

そんな“事件”からもうかれこれ2年か。
昨年末に事故に遭い、リハビリ中と聞いている。
頭蓋骨が陥没したんだって?
大丈夫か?って質問されても、MBも返事に困るわな、ったく。

自分の母親もMBを子供の頃から知ってるので、
「MBちゃんにお見舞いの手紙を出され!!」って、再三の催促。

でもMBさぁ、改まって手紙を出すのもなぁ…
お前だってやだよな??
いかにもって感じの手紙出しても、シラけるだけだよな…

で思いついたのは、自分のブログ使って、つとめて明るいのをイッパツ、って思ったわけ。
MBとは誰のことか、周囲の者はみん~な分かってる。
だから、会話調で、飲んでる時のような、軽~い感じにしたいと思ったわけ。

正直言えば、お見舞いに行くのに怖気づいてる。
一時代を画した(!?)柔道猛者のMBが、リハビリなんて想像できないもの。
お前だってやだろ、そんな自分を見せるのはさぁ…
もし自分がお前の立場だったら、絶対にやだ。そんな姿見せたくない。

早く元気になって、また一杯飲ろうや!!
遠縁で、中学・高校・大学まで一緒で、会えば必ず意味のない口喧嘩してた。
特に、お前の口癖の「アオよ、まだ為替やってんのかよ?」にはいつも腹が立っていた。
何でお前にそんなこと言われなきゃならんのだ、って思ってた。
でもここまできたらそんなセリフも許すからさ。
いつもの、憎まれ口のMBを待ってる!!


2011年05月14日

節電の酷暑の夏。変わる日常生活

5月9日、
中部電力は臨時取締役会を開き、菅直人首相による浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)の
停止要請を受け入れることを決定した。

稼働中の4~5号機は数日中に運転を止め、津波対策の防潮堤が完成するまで
2年程度停止する。
今回の措置によって、東京電力管内に続き、トヨタ自動車など製造業の主力工場が集中する
中部地区でも電力供給が制約を受けることになった。

3月11日の東日本大震災を境に、日本の日常生活が大きく変わろうとしている。
まず原発事故による電力不足を受けた「夏時間の採用」の動き。
時計の針を一斉に早める”サマータイム”は、1990年代に一部国会議員が提唱した経緯がある。
ただ「残業が増えるだけ」とする反対論もあり、そのまま”たなざらし”となってきた。

しかし電力不足を背景に企業自らが動き始めた。
つらい(!?)早起きと引き換えに、これまでの「アフター5」が「アフター4」になる。
これが実現すると、働き方や暮らし方は劇的に変わる。
1時間長くなる自由時間は、「習い事」市場の拡大等、新市場の起爆剤になり得る。
とりあえずは(日本的な)深夜までの飲み会は減るのは間違いない。

また節電対策をきっかけに、自宅で仕事をする「在宅勤務」導入の動きも本格化する気配である。
モノ造りの業種は会社に行かざるを得ないが、元々IT関連の企業等では、わざわざ会社に行く
必要のない業種である。
朝起きて、身なりを整え、満員電車に揺られて勤務地に赴く。
考えてみれば無駄なエネルギーの消耗には違いない。

大都会・東京に企業が集中するからヒート・アイランド現象が起きるのである。
従って、本部は東京に残しておくとしても、電力不足の懸念のない、涼しい土地に仕事を
分散できれば、そこで仕事に従事すればいいとの発想も自然に生まれる。
つまりは「選択と分散」の動きである。

例えばIT関連の事業所は関東の一都三県に44%が集中し、全産業の24%を上回っている。
「東京にいないと情報に取り残のされる」との考え方からだが、電力不足を背景に、
そのIT関連企業でさえ、視線が地方に向かい始めている。
当然ながら、一般の製造業でも、一時的な避難ではなく、拠点の分散を検討し始めている。

日本政府は節電対策で、瞬間最大使用電力を15%減らす目標を掲げている。
結果、節電の影響で生産自体が数%低下するとする試算もある。
しかし想定外の暑さが新たな需要を生む可能性もある。
「夏季休暇の長期化」である。

日本企業の夏休みは1週間が主流である。
そして近場の観光地で慌ただしく過ごす「安近短」志向が定着している。
しかし今回の大震災をきっかけに長期休暇取得の流れが広がれば、外国人観光客の減少に
苦しむ観光業界の支えになり得る。

2011年3月11日は「日本の第三の敗戦の日」だった。
日本は変わらざるを得ない。
そして時代の転換期には、これまでの常識を”疑ってみる”ことも必要なのかもしれない。

2011年05月08日

ふるさとの話をしよう(2)「滑川のほたるいか」の話

自分の実家界隈は、明治時代から昭和40年代(1970年代)あたりまで、“滑川銀座”と
称していた。
銀座って??と言われる(笑われる)かもしれないが、
銀座という称号は、とありあえずはその区域最大の繁華街である、という意味である。

従って、滑川銀座に来れば、たいがいの日用品が調達できた。
その通りが通学路になっていたことから、明細を全部空んじることができる。
肉屋・魚屋・八百屋、菓子屋×2、呉服屋・洋服屋、本屋、薬局、電気屋、荒物屋、
理髪店×2、骨董屋、時計屋、傘屋、家具屋、質屋、内科医院・歯科医院、郵便局、
旅館、酒屋、飲み屋、銀行×3、そして映画館×2(!?)までもが揃っていた。
ところが、スーパーという米国発の最新システムが流入する1980年代から、
そのオールスターズの街から櫛の歯が抜けるように商店が消えて行き、今はものの見事に、
1軒の商店もなくなった…哀しいことに、自動販売機すらない。

その全盛期、祖母が寿司職人をどこからともなくスカウトし、実家の隣のスペースを
貸し与え、寿司屋を開業させた。
そして当時、実家の裏にあった戦前建築の木造三階建ての離れを住宅に供したのである。
祖父が地元の漁業組合長をしていた関係から、安価で魚を提供することができたからである。
それが“福寿し”である。

現在の福寿しは、その三階建ての離れで生まれた二代目、タカシが継いでいる。
当然ながら、タカシの小さい頃から知っていることにはなるが、タカシがもの心が
つく頃は自分が大学生になっており、余り接点はない。
親しかったのは今は亡き、末弟(三番目)である。同じ高校の野球部に在籍した経緯もあり、
何かにつけて、実の弟のように可愛がっていたらしい。

あんな人通りの絶えた街、過疎化のモデルパターンと言える旧滑川銀座で、
本当にやっていけるんかい、などと思っていたが、とにかく必死こいて続けている。
高校時代の同級生だった今の奥さんと結婚してから顔色が変わった。
一度、少々酔ったタカシにガツンと言われたことがある。
「本当に滑川に帰る気だったら、もっと真剣に、本気になって取り組んで下さいよ!!」
「オレにも家庭ができた。守らなきゃなんない。キレイごとはもう結構だ!!」

そのタカシが5月2日付の地方紙で、カラー写真つきの全五段で紹介されていた。
今までに見たこともない、ニコニコ顔のタカシが載っかっている。
「ほたるいかのちらし寿し」を発売した滑川・福寿しとある。
オオッ、タカシ、やったじゃん!宣伝効果バツグンだぜよ!

5月3日、いつものようにバランタイン12年のボトルを小脇に抱え、フラッと寄ってみた。
タカシには、自分の好きな銘柄は自分で持ってくるようキツく言われている。
「おう、タカシ!チョー有名な“ほたるいかちらし”食わせろよ!」
「残念!!ぜ~んぶ売り切れで~す!!」

いつの頃からか、東京・築地の有名寿司屋では、デカイ短冊に「滑川のほたるいか」と
表示されるようになった。単なる一般名詞の「ほたるいか」ではない。
“滑川の”という形容詞が絶対条件となってしまったのである。
そして通であればあるほど、滑川を「なめりかわ」と言い間違わなくなった。
すべりかわなどと読む者は、とりあえずは築地に来る者にいなくなった。
「滑川のほたるいか」が完全に“全国区のブランド”になったのである。

帰京した翌日の5月7日(土)、BSの巨人・中日戦を見ていた。
NHK・BSの野球中継は、CMもなく、また最後の最後までやるので、ほんと見易い。
とにかく野球を楽しめる。
そんな中、ごくごく親しくしている滑川市役所の重鎮・S氏からのTEL。
「青柳さん、“滑川のほたるいか”を日テレの全国版でやってる!!」

急遽、4チャンネルに入ると、なるほど、「旬ホタルイカ 春味パスタ&絶品ピザ」
と題した番組が放送されてる。
ゴールデン・タイムの全国版。こんなの自前でやれば二千万円也のカネが消えてく…

何でもいい、我が滑川が認知されれば…
これからも“隠れ応援隊”として滑川を宣伝しよう!!と心に誓ったのであります。

2011年05月07日

黄金週間雑感

黄金週間とは元々、5月の新緑の季節にかけて休みが続く“素晴らしい・心地よい1週間”
という意味だった。
ところが、最近では「黄金週間って、何?」って言われることが多くなった。
最近ではゴールデン・ウィーク=Golden Week、略してGWと表示されるようになっているが、
これは全くの和製英語で、外国人には通じない。
黄金週間(おうごんしゅうかん)という日本語の響き、何気に心地よくありませんか?

今年の黄金週間は2日~6日まで実家方面におりました。
(言わずもがなの)相変わらずの“酒びたり”の日々。
日中は海を横目で見ながら、何がしかの仕事をして、夕方から出陣!!ってパターン。
母親が「あんたはまるでフクロウだね」って言ってたけど、まぁそんなもんです。

今回の帰郷の最大の宿題は、姪の結婚式の詳細を詰めることだった。
「母親を結婚式会場の軽井沢までどうやって運んでいくか」が最大のテーマ。
時刻表とにらめっこして、なんとかなるっしょ、と納得できる案が出来上がりました。
姪にしたら人生最大のイベントには違いないけど、でも何で軽井沢なんだ??
全体の仕切りを任された孝直オジさんは、ホントたいへんですわ…

ところで、
福島原発事故ならびに風評被害で右往左往している福島県に、かれこれ10年以上も
お付き合いを戴いている獣医師さんがいる。
福島県では、その名が知れた超有名な獣医師さんだそうだが、会えばそんな雰囲気を
微塵も見せない。太い眉毛と、キンキラしたデカイ目ん玉が特徴の、コミック調のお方。
ヘンな自分がそう言うのもヘンだが、そのWさん、ほんとにヘン。
動物の手術をした後、必ず相場をしたくなる、ってご仁。
何で??って聞いても、それってオレの趣味だから説明の仕様がない、ってのたまう。

確かに、哺乳類の内臓という大自然と、相場という大自然は共通点があるには違いない。
でそのWさん、いつも(ぶっきら棒に)突然のようにメールしてくる。
今年の黄金週間も、「売っていい??」という、極限のシンプルメールが届いた。
Wさん、為替取引なんかやってる時じゃないっしょ、と飽きれ、しまいには笑って
しまうが、仕様がない。
こんな時だからこそ、為替取引をする余裕を持ちたいってことだろな、と納得する。

黄金週間は東京市場が休みとなるから、海外勢に思うさま揺さぶりをかけられるのが
例年のパターン。
今年も5月5日の海外市場で、ドル円が80円を割り込み、またユーロが対ドルで急反落
している。
まぁ、黄金週間だからどこかに行かねばならないという義務はないし、
為替三昧もそれなりの過ごし方だとは思う。

ところで、今年の黄金週間に地元の飲み会でヒートアップし、盛り上がった最大の話題は
「今後の滑川のポジション」についてだった。
千年に一度の大震災の中で、我が滑川(なめりかわ)は千載一遇の絶好のチャンスを
迎えていると思う。

東北地区の本格的復興には最短で10年、最長で20年はかかると思う。
東北地区に散らばっていた大企業の子会社は、その行き場を探して彷徨している。
ここぞと、富山県、というよりは滑川の環境の安全性をアピールすべきだ、と思う。
空き缶のような日本国政府に頼っても仕様がない。
優秀な人材がきっちりラインアップした滑川の仲間たちで何とかできないものか…

立山連邦に守られ、5千米の深海がガードし、諸般の災害に滅法強い。
水が美味い、米・野菜の農産物は安心、魚は春夏秋冬、年中不自由しない…
そして北陸新幹線ができれば、東京から2時間弱。
これ以上の環境って、そうそうあるもんじゃない。

ただひとつ足らないとしたら、そういう状況をアピールできてない、ってこと。
“がんばろう日本!!”が最近のテーマになっている。
現在必要なのは、(旧来の状況に戻す)“復旧”を目指す闇雲な頑張りでなく、
将来的な展望を明確に描き、将来に向けての基盤を創るための頑張りである。
….

今回は黄金週間明けにつき、あてどもなく、テーマを絞ることもなく、日記調にて
綴ってみました。
今週からはまた新たな気持ちで、前向きに、攻めの姿勢で臨みたいと考えております。


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