2011年07月31日

1971年から40年のサイクルの符合

2011年7月24日正午、
地上デジタル放送への完全移行(東北3県を除く )が実施された。
地上デジタル化への移行で、高画質の番組が楽しめ、ニュースや天気予報の文字情報も
見られる。
デジタル化で余った電波は、携帯電話サービスに有効活用される。

多分、時代の要請でもあり、世の中の全てが便利になるのであろう。
とはいえ、番組の内容はアナログもデジタルもさして変わりがないように見える。
歴史的な進化と言われても、今一つ高揚感がない。

テレビが次に向かうのは本格的なインターネット時代と言われている。
そして米アップル最高経営責任者(CEO)のスティーブ・ジョブズは
「パソコン時代の終焉」
「スマートフォン(高機能携帯電話=スマホ)の新時代の到来」
を宣言している。
こうした急変に、果たしてアナログ人間は随いていけるのだろうか。

自分はギャン理論を研究し始めて25年、
今では日本で指折りの(マニアックな)研究者と言われてきた。
ではギャン理論の根幹をなすサイクル理論から「現状の変革現象をどう捉えるか」
について私見を述べたいと思う。

今から40年前に何が起きたか。
1971年8月15日、米ニクソン大統領は突然のタイミングでテレビ演説を行い、
物価と賃金の凍結、輸入課徴金の導入、そしてドルと金の交換停止を発表する。
世界中がハチの巣をつついたようになり、日本でも外為市場でドル売りが殺到し、
株は暴落する。
いわゆる「ニクソン・ショック」である。

公定価格で金に結びついていた米ドルと、主要通貨が固定レートでリンクされた
「ブレトンウッズ体制」が崩壊したのである。
それから以降、世界経済のパラダイムが一変する。
翌72年、シカゴ商品先物取引所が、円、ポンド、マルクなどの7通貨の先物を上場する。
そして73年には世界の主要通貨は変動相場制に移行する。

大々的には伝えられていないが、
同71年にはIT(情報技術)の分野でも重要な出来事が起きている。
米インテル社が世界初のマイクロプロセッサーを開発し、
それまで単価を表示する記号だった「@」が電子住所の記号として初めて使われている。

「コンピュターの頭脳を1つのチップに収めた」マイクロプロセッサーがなければ
パソコンは生まれず、パソコンなくしては現在のようなネット社会もまた存在しなかった。
パソコン基本ソフトのマイクロソフト社を創業したビル・ゲイツがマイクロプロセッサーの
存在を知るのは72年の夏のことだった。

かくして71年を「起点」として、情報化と市場化が相乗効果で進捗していくことになる。
価格情報のネットワークである「市場の領分」が拡大し、世界が1つの市場に向かう
グローバル化が爆発的に進んでいった。
好むと好まざると、金融機関のトレーディングルームは情報機器の展示場のような様相を
呈していったのである。

振り返って、この40年の世界の政治や経済上の大きな出来事、2度の石油危機も
ベルリンの壁の崩壊も、ユーロの誕生も、リーマン危機も、そして今回の東日本大震災も、
70円台の円高定着も、地上デジタル放送への完全移行さえも、
その全てが71年を起点にしていると思われるのである。


2011年07月23日

「国際標準化」を成し遂げた、なでしこジャパン

7月18日早朝、5:00PM頃。
リンリンと携帯電話が鳴った。
この時間帯にTELしてくるのは大学の先輩のIさんしかない。

「Iさん、お早うございます」
「あおさん、今、何してる??」「為替のことで少々聞きたいんだけど…」
「何してるって?? サッカー見てますよ、サッカー!!」
「サッカー???どこの???」

IさんからTELがあったのは、サッカー女子ワールドカップ・ドイツ大会の決勝、
それも後半に米・モーガンにシュートを決められた直後だった。
そのタイミングを見計らってのIさんからのTELと思った。

剣道6段のIさんは、剣道以外には全く興味を持たない、全く絵に描いたような
トラッドのワセダマンではある。
そうか、女子のサッカーなど、全く興味ないか、そうか…

サッカーで日本代表チームが国際大会・決勝に進出するのは男女を問わず初。
「なでしこ」とは秋の七草のひとつで、花言葉は「情熱」「大胆」。
2004年に公募で決まったと言う。
考えてみれば大和撫子になぞらえた“わざとらしい”ネーミングではあった。

遡って、日本のサッカー界に「女子代表」が誕生したのは1981年。
最初の国際試合は同年6月に香港で行われたアジア選手権。
以来30年、ついに世界の頂点に立ったのである。

今回の決勝戦で印象的だったのは、何と言ってもPK戦。
PK戦に入る前、円陣を組んだなでしこには、なぜか全員に笑い顔があった。
まるで緊張感が見られない。そして3対1で日本が勝った。
奇跡が起こった!!
踏まれてもへこたれない、自生の強さを持つ、なでしこの本領が発揮された決勝だった。

「日本のサッカーを日本化する」との名言を、就任会見で吐いたのは
元男子日本代表監督のオシム氏だった。
なでしこはオシム氏の言う日本化の具体例を、不完全とは言え、
W杯という最高の舞台で披露したことになった。

19日以降の日本を挙げての大騒ぎはご存じの通りである。
連日連夜のTV出演である。
米国でのラブロマンスを暴露されてしまった澤 穂希とそのおかぁちゃん、
ショートカットにピンクのヘアゴム、ネールの女王・川澄奈穂美、
真面目にやればやるほど漫画チックに見える乙女走りの鮫島彩、
元モデルの母親を持つ丸山桂里奈等など…
ピッチを離れれば、ごくごく普通の(可愛い)女性たちではある。

これからのなでしこは、世界各国から指標にも標的にもなる。
つまりは「日本の良さを徹底的に追及したら国際標準になった」ということになる。
昨今の日本は何に関しても負け犬状態となっている。
そうした日本の負の部分を覆すような快挙だった。

くだんのI先輩からの3時間後のTEL。
「やぁ、あおさん、女子サッカーも面白いねぇ、興奮したよ!!」

ついでにもうひとつ、ラジオで聞いた(菅首相宛てのキツ~イ)川柳を一句。
「なでしこに 見習うべきは 早いパス」


2011年07月18日

We are one

7月16~18日の三連休。
日本列島は熱風が吹きまくり、連日熱帯夜の毎日となった。
超大型台風も接近した結果、異常に蒸し暑い。

17日の日曜日などは朝から5回もシャワーを浴びる羽目に。
なんせ蒸し暑いのは大の苦手。すぐに体中がベタベタになる。
髪があること自体が面倒になり、発作的に丸刈りにしようと思うことさえある。

この三連休を目当てに日本各地ではいろんなイベントが開催されている。
しかしこんなに暑いと、出かける気さえしなくなる。
そんな“出不精”の自分にとって最大のイベントが、日本時間18日早朝の、
サッカー女子ワールドカップ・ドイツ大会の決勝戦だった。

サッカーで日本代表チームが決勝に進出するのは勿論史上初。
なでしこJAPAN。「なでしこ」とは秋の七草のひとつで、花言葉は意外にも「情熱」。
公募で決まったという。
ただ考えてみれば大和撫子になぞらえた“わざとらしい”ネーミングではある。

決勝の対戦相手は(こともあろうに)因縁の米国。
日本対米国の過去の戦績は、日本の24戦21敗3分け。
過去の戦歴からは「全く歯が立たない」「勝つ見込みがない」ってことである。
これまでの歴史を振り返れば、「神風特攻隊VS大型空母」の図式ではあった。

そして事実、両チームが並ぶと、中学生VS大学生の様相。
フィジカルでは、少なくとも見た目には、圧倒的に米国有利である。
なでしこJAPANは、神風特攻隊は言い過ぎにしても、良く言って小回りの利く駆逐艦。
その駆逐艦は、ホームのドイツやスウェーデンといった欧州製・大型空母を撃破しての
決勝進出で、どん詰まりの決勝の相手はランク第1位の米国だったことになる。
腕白という名の180㌢を超える長身のエース・ストライカー(実はワンバーグという名)
がいたりして、どう見ても“日本惜敗”の図式を描くのが普通のパターンだった。

7月18日、午前3時。
NHKBS1がフランクフルトからのライブ中継に入る。
実況担当はベテランの野地俊二アナウンサー。
BSのゴルフやサッカーなど、スポーツ中継専門の熟練アナウンサーである。

野地さんの“にっぽん、せんせ~(日本、先制)”というセリフがとっても好きである。
熱狂するでなく、かと言って冷めているでなく、乾いた感じがとっても心地よい。
今日も野地さんの、例のセリフが聞けるかな、などと見入っていった。

前半戦は日本は押されっぱなし。
チッチャィのがデカイのにすっ飛ばされる、って図ばかりが目立つ。
通常だったら2点は入っていたろう…
ただ米国の放った15発の強烈なシュートが枠の中に入らない。
こりゃ、ひょっとして勝負の女神は日本に向いているのか???

後半に入ってセンセ~(先制)したのは米国だった。
モーガンの左サイドからの豪快なシュートがゴールネットを揺らす…
残り時間を10分を切り、米国の勝利が濃厚になったところで、
宮間がドサクサに紛れてねじり込む。日本独特の泥臭い得点だった。そして延長戦。

延長戦前半、エースの腕白(ワンバーグ)にヘッドで合わされ2対1。
ところが後半、あと3分になったところで、日本のエース澤・穂希(さわほまれ)が
コーナキックから魔術師のようなシュートを叩き込む。これで澤の得点王も確定!!
あれよあれよという間にPK戦である。

PK戦に入る前に円陣を組んだなでしこには、なぜか全員に笑い顔があった。
ありゃ、緊張感がないのかよ…そして3対1で日本が勝った。
奇跡が起こった!!

ゴールド・シャワーの煌めくような表彰式を見ながら、
「We are one」=「われわれはひとつ」という大震災向けの標語が思い浮かんだ。
東日本大震災という未曽有の試練を与えた神が、日本に元気の素を与えたように思った。
頑張ろうニッポン!!おめでとう、なでしこ!!そしてありがとう、なでしこ!!

2011年07月17日

「政治家・菅直人」の研究

日経平均株価が一旦とは言え1万円回復し、
震災後の日本経済に薄明かりが見え始めてはいる。
しかし日本国民はこの上昇がいつまでも続くとは思っていない。
テクニカル的には明らかに「戻り売り=戻ったら売り」のパターンといえる。

日本存亡の危機の直接のきっかけは震災だった。
ただここ4ヶ月の間に炙り出されたのは政治が優先順位をつけて危機を解決できない
という、より本質的な問題だった。
次々と空手形を切っても後ろめたさの自覚がない鳩山由紀夫前首相、
執念はあっても政策的な理念が感じられない菅直人首相。
今回は菅直人という政治家について分析してみたい。

菅首相は重大な思い違いをしているように見える。
まず第一に「首相は何でもできる」という盲信である。
過去の多くの首相は、政界の最高ポストに上り詰めても、思うように事が運ばない
権力の限界に悩んできた。

周囲は敵だらけで、隙あらばと跡目を狙う者ばかり。
無理を通せば敵を増やすだけだから、ある意味では古典的な手法の根回しも必要だった。
市民運動から身を起こした菅首相は、その種の権力からは最も遠かったからこそ
「首相というポストには無限の力があるのだ」と、
素朴に、そして素直に思い込んでしまったのかもしれない。

2番目に「思いつき政治」あるいは「食い散らかし政治」と言われる主体性のない
至ってランダムな政治手法である。
菅首相は、小泉首相が5年にわたって政権を維持したのは
「サプライズを起こし続けたから」だと信じていると言われている。

しかし小泉首相には郵政民営化に関して「持論としての長い歴史」があった。
確かに力づくの部分があったにせよ、結果として実現した。
菅首相は「郵政解散」を真似て「脱原発解散」に打って出るとの噂があるが、
小泉首相と菅首相との間にはプロとアマチュアの差があるのは否めない。

三番目の誤信は、
「首相を辞めさせるには内閣不信任案を可決させるか、自ら辞任を表明するしかない」
とする論理である。
今国会では「ペテン師」呼ばわりされながらも、不信任案を凌いだ。
自発的に辞めさえしなければ政権は続くと考えているように映る。

日本国民は菅首相を支持しているのではなく、未曽有の大震災にもかかわらず、
政争に明け暮れる現政界に呆れ果てているだけのことである。
そしてまた突如として表面化した「主役・松本龍・政界伝統の失言辞任劇」に、
完全にしらけ切っている。

確かに菅首相が首相の座を射止めたのは、鳩山由紀夫政権の間に何もせずにジッと
待っていたからである。
今回の一連のドタバタ劇の中でも、「待てば必ずいいことがある」と思っているようにしか
見えないのである。

震災から4ヶ月。
暑くて厳しい夏を迎えても、がれきの町は復旧の糸口さえも掴みかね、
福島原発の周辺住民はあてどなき避難生活を送っている。
被災地の方々のご苦労を思う時、
たまたま手に入れてしまった権力を振り回す権力成金・民主党に苛立つ毎日である。

2011年07月11日

「夏の軽井沢の結婚式」の物語

7月9日。姪の結婚式。
前日8日の金曜日夕方から軽井沢入り。
東京から長野新幹線で1時間チョイの行程。便利になったよな、ったく。
リゾート軽井沢だから涼しい、って皆が言う。
そんなはずはございません。東京とはさして大差ない30度超の世界。

1980年代のバブル時代、ゴルフのパック・ツアーで何度も行ったプリンス系ホテルに宿泊。
そして母、弟、姪、甥とホテル内にある中華料理屋での食事会。
中華の回転テーブルで母親と食事したくて、中華をリクエストしたのは自分だった。

明日には“花嫁のパパ”になる弟が、なぜか最初から苛立ってる。
いつもと違う、こりゃまずいな、ってことで、生ビールを手始めに、ガンガンオーダして、
ガシガシ食べて…「何も喋りたくなくなる状態」が早々に仕上がる。

疲れた!!もう部屋に帰って寝るぜ!って調子のお開きに。
こんな夜はユッタリと飲むのが普通だろうに。
今日は姪の“最後の食事会”ではないか…
飲むときは飲む、食べる時は食べると“両刀使い”のできないのが自分の“特性”。
まぁ明日もあるわさ、とばかり部屋に帰る。

ドスンとばかり熟睡して、目が覚めたのは11時過ぎ。
なんだ朝じゃないのか…
気がつけば、広い部屋にボソッとした自分がいる。
弟の気遣いで、相当“高価な”部屋が用意されてる。
こりゃあいつ一流の“嫌味”だな…そうに違いない。
どうするさ、こりゃ。“長い夜”になるなぁ…

物書きの特性として、手持ち無沙汰になると何か書きたくなる。
ところがいつものPCがない。どうする???

思いついたのが携帯。で、あれだけ嫌っていた携帯メールに挑戦(!?)
当然説明書もなければ、教えてくれる人間もいない。
エエイッ~ままよとばかり、自己流で始めた。
それから格闘すること、約1時間。
最初の携帯メールを出すことに成功!!!

メールを出された相手には悪いけど、“練習中”ということで内容を無視してもらうことに。
出した(全く意味のない)メールが10通余り。
かくして、曲がりなりにも携帯メールが出せるように相成りました。
これを称して“軽井沢の奇跡”!!!

なんやかやで結婚式当日。
早朝からいい天気。まさに夏の軽井沢の風情。だが異常に暑い!!
唯一の姪のためにと、新調したタキシードの重装備は、“拷問の世界”へと誘う。
式場に到着する段階で、下着がベトベト状態で、上着が脱げない状態になっている。
汗をかかなかったのは多分10分程度。まさに“分殺”。
こりゃキツ過ぎるぜよ、一体今日はどうなるんだ???

著名な教会での結婚式。
花嫁のパパは事前に歩行練習なんか繰り返したりしてたっけ…
そして牧師さんの言葉に涙流したりしてる…
そうかお前は昔からロマンチストだったんだよな…

結婚式の後はお決まりの披露宴。
結婚式とは儀式なのか、仲間の集うパーティなのか。
軽井沢風のガーデン・パーティ形式の披露宴は、ただひたすら長いように感じた。
フランス料理がほんの少しずつ、永遠に出てくるような気がした。
タバコは吸える。但しカンカン照りの庭でどうぞ!!って具合。

全ての予定を消化したのは午後2時あたり。
早々に重装備を解きたい。そればかり思ってた。
悪いけど先に帰るわ!!って早々にホテルに戻る。

Tシャツ姿に着替えて、一息ついたら突然の豪雨!!
なんだかなぁ… こんなに速攻で帰ってよかったんか??

慣れないモーニング姿で自分以上に汗みどろになっていた花嫁のパパさん、
本当にご苦労様でした。
気の利かない、自分勝手の兄貴でゴメン!!
でもやっぱり軽井沢の結婚式って、自分には合わないわさ…




2011年07月10日

「意味不明な円高」を検証する

1㌦=80円前後の円高が続いている。
「日本の国力が衰えている」といわれる中で、なぜ円は長期的に上昇を続けてきたのか。
今週は「購買力平価」ならびに「実質実効レート」をベースに検証してみたい。

まず購買力平価は
「為替レートは2つの国の通貨の購買力(モノを買える価値)が同じようになるように決まる」
のを基本としている。
言葉を変えて言えば、
インフレ率の高い国の通貨は、同じお金で買えるモノが少なくなるので、
長期的には価値が下がる。

この論理から言えば、
「低いインフレ率を反映した結果、円の価値は相対的に上昇してきた」のである。
例えば、90年以降の物価上昇が日本では1割弱。逆に米国では7割。
これほど歴然とした差があれば、円高・ドル安の流れになるのは自然だった。
そうでなければ、日本人は値上がりした米国商品を買えなくなっていたのである。

但し、この購買力平価の考え方は、様々な要因が入り乱れて動く短期予想にはそぐわない。
しかし長期的予想においては不可欠な、重要な要因となっている。
「為替はモノとモノとの交換価値なので、長期ではインフレ率によって左右される」
からである。

では購買力平価から考えた長期の為替予想はどうなるのだろうか。
「日本のインフレ率が相対的に低い状況が続くなら、少子高齢化や東日本大震災で国力が
弱体化しても、長期で円高基調が続く」ことになる。
但し、物価下落の要因となっていた賃下げが限界に来ているを考えれば、転換点も近いと
考えることはできる。

購買力平価と同じようにインフレ率の格差を調整して算出された為替レートが
「実質レート」である。
これをユーロや人民元など多くの通貨を貿易量に応じて加重平均したのが
「実質実効レート」である。

今回の円高は「95年以来の円高」と言われているが、実質実効レートでは
95年よりは3割程度円安であり、上昇リスクは残っていることになる。
80円の3割とは約24円。
理論上とは言え、55円程度の円高・ドル安の可能性が残っていることにはなる。

いずれにしても、購買力平価の考え方が理解できれば
「高金利通貨に投資すると得とは言えない」ことが解ってくる。
高金利の国はインフレ率が高いことが多く、
「通貨の急落で高金利のメリットが失われるリスク」が付きまとうからである。

但し、以上の考え方は「基本データに沿って、金融市場が正常に機能する」ことを
前提としている。
しかし現在の世界経済には、社会主義市場経済と言われる極めて異質な経済システムを
敷く、“中国という不純物(紛い物)”が控えている。

欧米もそして日本も、市場経済という魔物にさんざん苦労してきた。
しかし中国は、市場経済の負の側面、つまりは“暴力的な行き過ぎ”を経験していないし、
拒否しようとさえしている。
結局、21世紀の異質な大国・中国の動向からは目が離せないのである。

2011年07月03日

波乱万丈・欧州統合通貨ユーロの物語

ユーロ創設の原点は、1989年のベルリンの壁崩壊に伴う東西ドイツ統合がきっかけである。
巨大化するドイツをEUの中にいかにとどめるか。
当時のミッテラン仏大統領の主張を受け、コール独首相が選択したのは
「ドイツの欧州」ではなく「欧州のドイツ」だった。
その証が最強通貨マルクを放棄するユーロ創設だった。

第二次大戦後、欧州統合が順調に進展してきた背景には、
日本と競うように世界の経済大国となったドイツの存在があった。
そのドイツの譲歩は欧州統合の根幹の原動力となり、結局はドイツの国益にもつながった。

1999年のユーロ創設から10年。
ユーロは順調だった。
すぐに崩壊するといった米国の経済学者等の懸念をよそに結束を維持、
ユーロはドルに次ぐ国際通貨となり、ギリシャ、スペイン等の南欧の成長率も高まり、
通貨統合は皆が幸福になる原点と見られた。

2009年、ユーロ首脳は世界に向けて高らかに、通貨統合10周年を祝った。
リーマン危機も乗り越え、ユーロの繁栄は続くと思われた。
しかしその直後に、ギリシャの財政危機が起こり、物語は悲劇風に展開し始める。

ユーロの物語の最大の特徴は、とにかく登場人物が多彩なことである。
メルケル独首相、サルコジ仏大統領、トリシェECB総裁、パパンドレウ・ギリシャ首相
など、多士多彩な人物が、それぞれの国や組織の事情で、異なる意見を公の場で公表する。

かくして、通貨と金融政策はひとつだが、財政政策はバラバラというユーロの特殊構造の中で、
外から眺める第三国が欧州の本音が見えない中、「混沌としか映らない状況」を醸成し、
結果的に市場の不安を増幅する結果となった。

ユーロの物語の中で、もうひとつの特徴は「小田原評定」になり易い点である。
ユーロ圏の首相や財務相らが頻繁に会議を重ねるが、なかなか結論が出ない。
市場が混乱し、皆が疲れ果てたところで一応の対策を出し、「ユーロの結束」で締めくくる。

今回のギリシャ問題も、最終的にはいつものパターンで7月半ばまでには決着されると
思われる。
しかし欧州はギリシャの他、アイルランド、ポルトガル、スペイン、イタリアといった
“爆薬庫”を抱える。
全てが揃って上手く進む状況にはない。

こうした環境下、巷間では「ユーロ解体」の話も絶え間なく言われ続けている。
「ユーロ資産が消滅する」がごとくの論調だが、実際には、
「統合通貨ユーロを廃止し、元々の各国通貨に回帰する」という意味である。

しかし「たゆたえど沈まず」というEUの根幹精神に則って、ユーロの解体は回避される。
最後の最後にはユーロ圏は結束する。
そうした幾多の危機を乗り超えて欧州は更に強くなっていく。

ただそこに至る過程で、市場は揺さぶりをかけ続けられることになる。
ユーロの物語は始まったばかり。
長い目で見続けるしかなさそうである。

カテゴリー

アーカイブ

最近のコメント