2011年12月25日

東京・佃、クリスマスの風景

本ブログにアクセスを戴いている皆様、メリークリスマス!!
クリスマス休暇3連ちゃん、いかがお過ごしですか?

こちらは変わらず、酒浸りの毎日であります。
何やかやかと物入りで、クリスマスは“苦しみます”の日々であります。
天皇誕生日を交えた3連休にした結果、世の中が変にエキサイトしていると感じて
いるのは私だけでしょうか…

自分の住まいする東京・佃は、現在は近代的な高層マンションが乱立する町とは
なっていますが、昔からの下町。
そんな海外のお祭りに与(くみ)するかよ、といった“空威張り”をする町であります。
従って、銀座界隈がクリスマスモード一色になっても、敢えて何もせず、平静を装うと
いった“空威張りの江戸下町情緒”が漂っております。

そうした雰囲気の中で、自分の住まいから20秒、要は隣にある小さなワンコインバーが
突然閉店しました。

今から約半年前、豆腐屋の倉庫を使っていつの間か開店し、変な若いあんちゃん二人が
呼び込みをやってる…
薄暗い中に、変に煌びやかなネオン装飾をしていることもあって
“何だこれ!?”“あっやしいな”“ぼったくりか?”と思いつつ、
最初は通り過ぎるようにしておりました。

しかしある日、酔いに任せて、エエイッツままよとばかり入ってしまいました。
ボクシングの亀田興毅に似た坊主頭のにいちゃんと、
青森弁丸出しの素朴な感じのする20歳前の坊やがやるそのバーは、
全てが500円、つまりは1杯飲んでも500円、つまみを食べても500円。
つまるところのワンコインバーでありました。

そして流す音楽が、全て60年代から70年代のJ-ポップ。
出てくる楽曲はぜ~んぶ歌える…
何でこんな曲ばかり流すんだよ、と聞いたら、オーナーの趣味だという…
ふ~ん、そうなんだ、でもあんたら、こんな曲ほんとに知ってんのかよ…

そのうち、美味しい豆腐とドライフルーツのつまみが好きで、週2~3回通うようになり、
バーの名前が“ペルシャ猫”という名前であることも分かってきました。
ペルシャ猫?ざけんなよ!“のら猫”にすればよかったんじゃないのか、
などと笑っておりました。

最寄りの営団地下鉄・月島駅を行き来するにはどうしてもその店の前を通らなければ
ならず、気がつけば、店の前を通る度に青森クンが顔を出し、
“寄ってかないんですか?”と聞かれる毎日なってしまっておりました。

最後に行ったのは12月の初旬だったろうか。
店が超満員になってる。
“おいッ、どうしたんだよ?”と笑って聞いたら、“貸切です、ごめんなさい”と
亀田興毅似のあんちゃんが答える。
ふ~んそうなんだ、この店も有名になったもんだ…

そしてクリスマスソングが流れる頃になって、店が閉めたままになってる…
あいつら、風邪でも引いて寝込んでるんかな…
そして今回のクリスマス3連休。
店の前に小さな黒板に
「佃の皆様、お世話になりました。また必ず戻ってきます。I’LL be back someday.」

なんだよあいつら、へんなカッコつけやがって…

時期を同じくして、10年超馴染んだ、歩いて10秒の、つまりは隣のコンビニも閉店して
しまった…
パジャマでタバコ買いに行けないじゃないかよ…

かくして東京・佃は、何事もなかったように、また正月を迎えます。


2011年12月24日

「ドル建て日本国債発行」の可能性を検証する

日本国債は日本の個人資産で賄えているから大丈夫だと言われてきた。
ではその個人資産とは何か。
それは日本国民の、日本の銀行に対する預貯金である。
日本の銀行(郵貯を含む)は、大口の貸出先もないまま、半ば強制的に日本国債を
買わされてきた。

現在、発表されている(通常引用されている)日本の個人資産は1,400兆円。
しかしその1,400兆円は住宅ローン絡みの資金も多く、東日本大震災や、
日本の空洞化経済による住宅ローン不良債権化の波が押し寄せている。

要は日本の個人資産1,400兆円は、(あくまで推定だが)20%減の1,200兆円程度に
まで減額してしまっているのではないか。
そして毎年50兆円の恒常的な赤字国債の発行、また今回の東日本大震災の復興資金と
して総額100兆円程度の資金が必要と考えれば、日本がこれまでに積み上げてきた
借金1000兆円を含めて、日本の財政はほぼイーブンに近くなってしまっているのでは
ないかとも考えられる。

あの慎重居士の野田首相が増税路線一直線なのは、
日本の財政事情が必要以上に逼迫しているのではないか、と考えても不思議ではない。
結論的には、日本は、財政赤字を海外に頼らざるを得ない状況に近づいているのでは
ないのだろうか。

いずれにしても21世紀は、米国ドル、欧州ユーロ、中国元のいずれかの支配下に
入らざるを得ず、究極の三択の世界に入るものと思われ、
その中で最終的な選択を強いられるものと思われる。

日本の財政が逼迫すれば、その資金を充填せざるを得ない。
その矛先はまず、世界第二位の保有高を誇る米国債にも向かう。
ご存じのように、現在の米国には債務返済できる状態にはない。
仮に無理矢理請求すれば、日米安全保障条約は破棄され、日本は丸裸になる。
と当時に、米国債の大暴落となり、世界経済自体が崩壊する。

こうした中で現在、財務省が「ドル建て日本国債」を密かに計画していると噂されている。
日本が「ドル建て日本国債」を発行するには「米国の庇護」が絶対条件である。
この根幹のシナリオの中で考えられる条件は以下のようになると思われる。
「日本の流通通貨は、円を廃止し米ドルとする」
「日本の、米国債返還請求権の放棄」
「日本の隠し資産(いわゆる埋蔵金等のプラス資産や、隠れ借金等のマイナス資産等)を
洗いざらい探り出し、日本の財政事情を明確化する」

最終的には
「日本は米国の(実質上)米国の支配下に入る=米国の金融方針に沿った国になる
=属国になる」ことになるが、
第二次大戦以降、営々と築かれてきた官僚制度も必然的に崩壊することにはなる。
最近頓着されているTPP(環太平洋経済連携協定)も、結局は米国を中心にし中国に
対する包囲網、もう少し明確に言えば米国を中心とした軍事同盟と捉えれば納得がいく。

結局、日本がこのまま生き残るためには、「日本国内でドルが使われる世界」を
容認せざるを得ないものと思われる。

ではその時期はいつか。
このままであれば2015年が重大なテーマになるものと思われる。


2011年12月18日

世界経済は固定相場を目指す!?

今から40年前の1971年8月、
ニクソン米大統領が突然のタイミングで金とドルの交換を停止した。
1オンス=35㌦の公定価格で金と結びつくドルに、各国通貨があらかじめ決められた
交換比率(平価)でペッグするという、(米ニューハンプシャー州の保養地の名を冠した)
「ブレトンウッズ体制」が崩れた瞬間だった。

ニクソン大統領の表明以降、従来の交換比率は通用しなくなった。
しかし主要10ヶ国は、長く馴染んだ固定相場の修復を目指した。
各国通貨の平価を決め直す場所に選ばれたのが、
ワシントンの観光名所であったスミソニアン博物館だった。

議長のコナリー米財務長官は日本に対して18%の円の切り上げを求めた。
ところが、水田三喜男蔵相は17%未満に拘った。
「17%は昭和初期に金本位制に復帰した際の切り上げ率で、日本には不吉な数字。
不況になり金本位制を復帰を決めた井上準之助蔵相は暗殺された」
という、論理にならない論法だった。

かくして1971年12月、
実は参加国中で最大の切り上げ幅・16.88%の切り上げ率の1㌦=308円が決定される。
しかしニクソン大統領が「ブレトンウッズにも匹敵する合意」と自画自賛した
スミソニアン体制は1年もたたないうちになし崩し的に崩壊していった。
そして1973年3月までに主要通貨は変動相場制に移行していくことになる。

そのスミソニアン合意では、「許容する為替相場の変動幅を平価の上下2.25%に広げる」
ことも合意されている。
しかし西独、仏、イタリアなどの欧州6ヶ国は仲間内で、
「互いの通貨の変動幅をその半分にする」ことで合意している。
「トンネルの中のへび」と言われるユーロのルーツである。

1973年の変動相場制に移行して以降、通貨の値段が上下動するようになり、
必然的にリスクヘッジや投機の動機も生まれる。
変動制移行が通貨先物取引の拡大等、世界経済の「金融化」を進めていくことになった。
英・国際経済学者スーザン・ストレンジが強調するがごとく、
変動制移行は「カジノ資本主義」の元凶だったことは否定できない。

地続きの欧州各国が、為替変動や両替の面倒を避けて「究極の固定相場制」である
単一通貨を選択したのは、ある意味で理に適っている。
ただ「固定相場制」「国境を越えた自由な資本移動 」「各国の金融政策の独立」が
同時になり立たないのが現在の世界経済の実態ではある。

ユーロの金融政策はフランクフルトにある欧州中央銀行(ECB)に一本化され、
ギリシャ、スペイン、ポルトガルなどの国々が、独並みの低金利で資金を調達できる
ようになり、バブルや財政規律の緩みが生じる結果となった。

現在の欧州動乱の元凶は、やはり変動相場制移行にあった。
混乱は簡単には収まりそうにない。
ユーロ消滅か、などと、ユーロ資産そのものが消えてなくなるかの如くの表現をされ
始めている。

しかし近代経済の一連の流れを復習してみれば、近い将来消えゆく通貨は日本の円であり、
ユーロが漫然と死を待つことはあり得ない。
日本の円が消えゆく可能性については後日、論述したいと思っているが、
とりあえずは冷静に対処したい局面である。

2011年12月10日

吹き荒れる橋下旋風と、今後の日本の政治

注目されていた11月27日の大阪ダブル選挙。
開票が始まった午後8時、NHKでは大河ドラマの開始と同時に“橋下当確”の
速報テロップが流れた。
開票0%で当確?とは思ったが、橋下徹代表率いる「大阪維新の会」は圧勝した。

大阪市庁舎は中之島という場所にあるため、大阪市役所労働組合約500名と、
大阪市従業員労働組合の約7000人の組合員を中心に、
現役およびOBを含めて“中之島一家”と呼ばれてきたそうである。

今回の市長選挙では、橋下氏が(強引に)導入しようとした
「職員基本条例案」と「教育基本条例案」が最大のテーマとなった。
上記2例案は、市の職員や教員を5段階で相対評価し、
2年連続で最低のDランクの場合、処分対象にするというもの。

こうした流れに危機感を持った“中之島一家”が一丸となって平松前市長の支援に回り、
総力戦で挑んだものの、あえなく敗北を喫することになった。
選挙前では橋下氏が市長になれば、数百人単位で職員が辞表を提出すると言われていた
ものの、今のところ誰も辞表を出していない模様である。

今回の市長選挙では60.92%という投票率も注目された。
普段は選挙には無関心の、若者や女性層が投票に行ったのは確かなようである。
そうした“無関心層”が「維新の会に大阪を変えて欲しい」と意志を明確にしたのである。

ファシズムをもじってハシズムと揶揄される橋下氏の政治手法は「数の論理」。
勝てば官軍という姿勢は、確かに民主主義社会の風情ではない。
もし今後、大阪都構想を推進する上で市議会が障害になると思えば、リコールという
強硬手段さえ取りかねない。

地方自治体は「(一種の)大統領制」である。
首長が財政の主導権を握れるからである。
しかしこれまでの首長はナアナアの感覚でやってきたし、
議会との対立の図式などがあって、十分に機能することがなかった。
石原慎太郎東京都知事も、河村たかし名古屋市長も改革に邁進したが、
対立する議会の存在があり、一定の制限を受けてきた。

ところが今回の大阪では、大統領制の力と怖さを知った人間が議会まで牛耳り、
それを最大限に利用しようとしている。
橋下氏は、一連の環境を一気に変えようと試みているのである。
“面白がり”の大阪人が、橋下氏に“一度やらせてみよう”となった。

元々大阪人には自発的なエネルギーがあった。
例えば世界最古のコンクリート建築である大阪城天守閣は
「大阪には大阪城が必要だ」と、市民が再建したもの。
そうした底知れないエネルギーを阻害していたのが府庁や市役所に巣食う役人だった。
橋下氏は、一連の“大阪を斜陽都市にした”大きな壁に挑戦していることにはなる。

「大阪維新の会」に国政が追随しようとする雰囲気が出始めている。
確かにこのままスンナリといくほど問題は簡単ではない。
しかに現在の日本に巣食うドンヨリとした閉塞感を一新するには、
橋下氏のような“(劇薬に近い)蛮勇”が必要なのかもしれない。

2011年12月05日

RAILWAYS

約20年振りに映画館に行った。
銀座近くの有楽町マリオン。丸の内ピカデリー。

ここ20年、見たい映画は全てDVDで見ていたし、大概の邦画は1年も経つとTV放映されてた。
今回の映画もどうせ1年も経てばTVでやるだろう…
明るいうちに劇場に行って、暗い中で何で映画を見る必要があるんだ…

ところが今回は、実家方面のSさんから“熱烈”メールが来た。
メールの詳細は省略するとして、内容は「近年にない出来栄え。感動すると思う」云々….
そうですか、そんじゃ行ってみますか、主演は(山口百恵の相方)三浦友和でもある
ことだし…

「RAILWAYS」公開初日の12月3日(土)、劇場へと出かけた。
約八割の入り。でもさすがにロビーは混雑してる。
入った途端、ここは富山か?と思うくらい富山の匂いで溢れてる…,
どこが?と、聞かれても言葉に窮するが、ニュアンスが全て富山である。
標準語を使ってはいても、どこがか富山、雰囲気が富山、 そんな感じである。

30分程度の予告放映の後、いざ上映開始。
しょっぱなから黒部川を渡る地鉄電車の風景が始まる…

地鉄電車、正式には富山地方鉄道。
電鉄富山→宇奈月温泉(本線)、電鉄富山→岩峅寺(上滝線)、寺田→立山(立山線)で
成り立つ地鉄は、完全に富山・呉東地区の生活と密着している。
本線は、高校時代の通学電車だった。
そして岩峅寺には(入り婿だった)亡父の実家がある…
今でも、何かあれば宇奈月温泉で宴会、ってパターンとなる…

富山全体の風景を描くはずの今回の映画も、
(地図上で東京から見て右半分の)富山県・呉東地方の人間しか解らない雰囲気や
地名が連発される。
こんなの他県の方々に見せても、まず解ってもらえないなぁ、って感じの展開である。

ストーリーは、ごくごくありきたりの定年を直前に控えた夫婦の葛藤を描いている。
職場が地方鉄道の運転士だった、ってだけの話である。
この年代になると、当然のように女性が強くなる。
何で今更?ってスタンスで、怖いものなし、って状態になる。
そんな40代後半から50代前半の主婦の姿を、余貴美子が好演している。

でもやはり主演の三浦友和が目立っていた。
伝説1970年代の伝説の歌手・山口百恵の相方としてしか注目されなかった三浦友和が
定年間際の独特の“加齢臭”を醸し出している。
そしていつの間にか“背中で演技”するようになっている。

何度も言ってしまうが、
今回の映画は富山・呉東地区以外の人間に理解しろと言っても、
無理な部分が多かったように思う。
どんなに北アルプスと日本海のコントラストが美しくて、サクラの季節がいかに凄いかを
見せたとしても、あの独特の匂いを嗅ぎ取るのは無理と思う。

但し、今回の映画は富山県・呉東地区を、根っこから紹介するためのCM映画としては
最高の出来栄えと思う。
映画が終わって、劇場を出て、郷土料理を食べに行った。
そんな映画だった。


2011年12月03日

読売巨人軍の内紛に見る日本の企業統治

1960年~70年代、「巨人、大鵬、卵焼き」というキャッチコピーが流行った。
日本国民の誰もが(その三つを)好きという意味だった。
ご多分に漏れず、自分は巨人軍のファンであり、主砲・長嶋茂雄に憧れた。
その背番号3を、例えば風呂屋や学校の下駄箱の番号に競って追及した。

巨人軍は、
(富山県出身の)読売新聞の初代社長・故正力松太郎が創設したプロ球団である。
毎日、朝日新聞が中等・高校野球をバックに購買部数を伸ばしたのと同様の論理で、
読売はプロ野球を推進していった。
読売巨人軍は、プロ野球の盟主として君臨するに至るための、
いわば“(読売の)広告塔”の役割だった。

今回の内紛は、巨人軍コーチ人事を巡り、
清武英利・球団代表兼ゼネラルマネジャー(GM)が、渡辺恒雄球団会長を批判し、
解任された“(単なる読売内部の)ゴタゴタ”である。
清武氏は、解任はコンプライアンス(法令順守)違反を隠蔽するための報復措置で
あるとして、訴訟を提起する構えである。

元々ゼネラルマネジャー(GM)とは、
米大リーグで使われ始めたポジション(人事的地位)である。
その基本的な役目としては、選手・コーチ・監督の人事権ならびに
関連予算の編成・執行権を行使することにある。
GMが一度決めた人事を、オーナーが“鶴の一声”でひっくり返すことはあり得ない。

一方、チームの敗退の責任はGMがとることになる。
今回の騒動の中で、清武氏は自らの責任について一度も語っていない。
清武氏はコンプライアンス(法令順守)違反云々を言う前に、
GM制度の本質を理解していなかったことになる。

ただ清武氏は犠牲者と言えなくもない。
日本の球界は素人に球団の編成やGMを任せている。
親会社から球団に来て実権を握り、マスコミに囲まれる。
そうするうちに自分を野球の玄人と思い込むようになり、
まるで監督かオーナーになったような気になる。

まして読売巨人軍は(往時のような絶対的なものではないにしろ)
依然として人気球団であり、露出度も高く、ごくごく自然に増長してしまう環境にある。
そうならないための(人間として)冷静に対処する努力は並大抵ではない。

今回の騒動が単なる“内ゲバ”かと言えば、それだけの話ではない。
日本のプロ野球の根幹に関わる問題をはらんでいる。
今回の泥仕合で曝け出されたのは、
株式会社読売巨人軍のコーポレート・ガバナンス(企業統治)の未熟さである。

結局、読売グループにとっては、清武氏のGM就任は“人事異動”の一環だった。
だから「GMの権限と責任」も、そして「契約年数」も明確にしていなかった。
一連の取決めがあれば、(少々残酷な言い方だが)
GMの仕事振りが気にいらなければオーナーはクビをきればよかった。
クビを切らないなら任せる。
単純な解決ができたはずである。

日本の伝統的な“鶴の一声”が効く世界も、そろそろ限界のようである。

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