2012年04月28日

居酒屋の経済学

酒を(本格的に)飲み出したのは、当然ながら大学時代である。
今は亡き叔父が、銀座・ソニービル近くの外堀通り沿いにやっていたスタンドバーで、
今日は入学のご褒美だ!!ご馳走してやる!!さぁ飲め!!
と出されたのがサントリー・オールドのコークハイ(ウィスキーのコーラ割り)だった。
それが自分の酒人生を決定的にした。

以来、サントリー系ウィスキーのハイボール(ウィスキーの炭酸割り)一筋の人生である。
つい最近、サントリー角瓶の炭酸割を、これをハイボールと呼ぶんだと、
あたかも新商品の如くの扱いをしているが、
元々は1970年代前半から営々として飲まれてきた“伝統的な”手法である。
今更何言ってんだか、って思う。

自分の学生時代はほんとにあきれるほど、浴びるように飲んだ。
そして吐いては強くなっていった。
こんな言い方をすると世の教育ママ連中には眉を顰められるとは思うが、
吐くほど飲むからアルコールに対して免疫性ができるのである。
当たり前の“実戦論”である。

ワセダの街、高田馬場は学生に対して至極寛大だった。
高い酒を安く、またつまみも高級なもの、
言葉を変えれば、酒に合うような“(通の)大人の味”をさりげなく供してくれた。

そんな環境で育ったせいか、酒を飲む時は余り食べない。
そして食べる時は飲まないという習性が身についてしまった。
自慢じゃないが、食べながらダラダラ飲むなんて芸当は自分にはできそうにもない。

1980年代後半から居酒屋チェーンが流行り出した。
「(ダラダラ)食べながら飲む」ことをテーマにしているから、とにかく酒が薄い。
その薄さは、自分のような呑兵衛にしてみれば“酒の味のする水”である。
つまみも、生ものは全くの問題外。
メニュー全体が「電子レンジでチン」のパターンのオンパレードだから、
脂っこいだけで、さっぱり美味くない。

一時大流行した「村さ来」「つぼ八」「和民」などの有名チェーンを、
とりあえずと行ってみたが、期待にたがわずガッカリするばかりだった。
こんなんじゃそのうち若者も離れていくわ、などと思っていた。

予想に違わず、居酒屋市場は1992年の約1兆4600億円をピークに減少しており、
2010年には9946億円まで落ち込んだ。
市場関係者では、若者のアルコール離れを原因に上げているが、
その実は市場関係者が若者に“本当の酒の味”“本当の酒の飲み方”を教えなかった
ツケがきているのだと思う。

現在住まいしている佃界隈は、銀座・六本木に近く、築地市場も近い。
日本で一番美味しいサカナが集まる築地のすし、
というより酒のつまみは極端に安価で最高に美味い。
特に“まかない”で出された料理を供されると、酒がドンドン進んでいく。

若者が酒離れをしているのではないと思う。
そうした安価で美味しいつまみがあると知れば自然に若者はついてくる。
日本式の想定内の考え方では何も変わらないのである。


2012年04月21日

「柔道はもはや日本のお家芸ではない」という不都合な現実

この4月から中学で武道必修化がスタートした。
柔道、相撲、剣道の三種目から学校が選択するのだが、読売新聞の調査によれば、
およそ7割の学校が柔道を選択するという。
では現状の日本における柔道に係る環境はどうなっているのであろうか。

名古屋大学の調査によれば、1983年度から2010年度28年間で、
柔道に絡んだ事故で114名が死亡したとしている。
年平均で4名以上が死亡していることになる。
これは他のスポーツに比して異常に高い数字であり、
その他にも深刻な高次脳機能障害、つまりは植物状態になっている子供たちが
多数いるという。ではその対策は万全なのか。

日本の柔道は、1882年(明治15年)5月、
日本伝講道館柔道として嘉納治五郎によって創始された。
その10年後、嘉納治五郎は、
一高(現在の東京大学教養学部)校長、
高等師範学校(現在の筑波大学)校長、
そして文部省参事官(文部省大臣官房図書課長)を兼務するようになっていた。

結局、嘉納治五郎にとって柔道とは、教育に奉仕するものだった。
従って、既存の柔術のように、首を絞めたり、関節を折ったりする寝技は教育とは
いえないとし、足技、投げ技を中心とすることで見た目を美しく、
かつ勝敗を分かりやすくし、退屈に映る寝技には制限を設け、
関節技も肘関節だけに限定することによって安全性を高めた。

以来約130年、日本の柔道は立ち技に特化した講道館柔道に固執してきた。
しかしその講道館柔道は、1964年の東京オリンピックの無差別級で、
オランダのヘーシンクの寝技を中心とした柔道に敗れる頃から
世界における“立ち位置”に変化が出始める。

柔道の世界的な発展に最も寄与したのはフランスだった。
1930年代にフランスに伝わった柔道は、護身術にもなり、
その上しつけや礼儀作法まで学べる柔道を信頼し、国民の中に浸透していった。
2012年現在、フランスの人口は日本の約半分の6500万人。
しかし柔道人口は日本の18万人に対して3倍以上の60万人を数える。

そのフランスでは
「基礎体力が出来上がるまでは受け身と寝技のトレーニングを重視する。
つまりは首の筋肉がしっかりすれば、事故は確実に減る」
を基本とした指導法を採っているとされる。
つまりは日本の考え方と真逆である。

講道館を創始した嘉納治五郎は「自他共栄」「精力善用」を唱え、精神修養の
重要性を説いた。
そこには柔道が精神を鍛え、立派な人間をつくる教育的な武道であるとの
主張があった。
そうした創始者の精神は、時代の推移と共に、結果的に日本ではなくフランスに
受け継がれたのである。

頑なに考え方を変えようとしない日本の柔道はかってない危機の中にある。
女子はともかく、男子は、1988年のソウル五輪以降、多少の波はあるものの、
徐々に低下していった。

本当に残念ながら、世界のスポーツとなった柔道は、もはや日本のお家芸ではない。
世界の潮流を認識し、根幹の考え方を変える時期である。
今回の必修化により日本の柔道が再生するか否か。
ある意味での転換点には違いない。
 

2012年04月14日

260億円の経済効果 -MLB(米大リーグ)の光と影-

4月9日(日本時間4月10日)、
米大リーグ、テキサス・レンジャーズのダルビッシュ有がシアトル・マリナーズ戦で
初先発した。
5回2/3、110球を投げて被安打8、失点5だったが、打線が奮起、11-5で初白星を手にした。

日本のファンにとっては“目玉”になったイチローとの対決は4打数3安打。
速球が高めに浮き、得意のスライダーも決まらない。
オープン戦で不安視された部分が、晴れの舞台でそのまま出る格好となった。

特に4安打3四球と荒れた1回は、5番打者まで初球が全てボール球。
カウントを整えるのに四苦八苦。
ただ3回を無失点で切り抜けると、4回、5回は三者凡退。
イチローに3安打目を許し、6回途中で降板した。

月曜にもかかわらず約4万2千人が詰めかける盛況。
そして前評判とはだいぶ違う大物ルーキーの降板にも、
スタンディング・オベーションで温かく見守った。
そうした状況を目にした日本人がむず痒くなる(!?)ような、丁寧過ぎる扱いだった。

当日の試合の模様は、日本の国営放送・NHKが午前9時から全国放送した。
視聴率はこの時間帯では脅威の9~10%を記録した。
今や日本のエースとなったダルビッシュに対する注目度を表すような数字ではあった。

入札金を含めて1億1千万㌦(85億円)という巨額のカネが動いた。
確かに今の日本の球界で、ダルビッシュを超える投手は見当たらない。
いるとすれば、楽天の田中将大くらいだが、球速ではなく8種類と言われる多彩な
変化球で、メジャーを制覇できるか否か。
金額に見合うだけの活躍ができるか否か。

今回のダルビッシュの移籍により260億円の経済効果があると試算されている。
放送権料、様々なグッヅ、旅行等を含めてのものと思われるが、
果たしてそれだけの巨額の効果が出るのか否か。

IT化が顕著に進んでいる昨今、世界中のスポーツが楽しめる時代。
“日本では云々”という世界ではない。
世界の一流の選手が競う中で、その中身(コンテンツ)が問題になっている。
「日本の野球が下に見られるのがすごく嫌だった」と臨んだメジャー挑戦ではあった。
ただ見ている側、特に日本人はハラハラするだけだった。

1995年の野茂英雄から始まったメジャー挑戦から17年。
数々の選手メジャーに挑戦していった。
しかしイチローを除く野手の影は薄い。
ワールド・シリーズでMVPを獲得した55番・ゴジラ・松井は移籍先さえ決まらないまま
現在に至っている。
また投手にしても、ドジャースからヤンキースに移籍した黒田博樹以外は
不振が目立っている。

スポーツという本来は純粋であるべき世界を、全てカネで換算するという、
米国式のビジネス・スタイルにシラける部分は否めない。
たかが野球、されど野球である。
日本を代表する大エース・ダルビッシュに、そうしたモヤモヤを吹っ飛ばしてほしい。


2012年04月08日

サクラサク

4月8日、日曜日、東京は快晴。そしてサクラが満開であります。
道行く人々の顔が全て穏やかで、サクラが咲くとなぜこんな雰囲気になるんだ、
といった、“ニッポンのハル~”の独特の風情を見せております。

サクラに関する話は一旦止めにして、今回はまず、お礼を申し上げなけばなりません。
約2年振りに刊行した「2015年 日本円完全消滅」が好調なスタートを切り、
3月30日付・三省堂・有楽町店・ビジネス部門・第二位にランイクイン致しました。

なぜ有楽町がポイントかと言いますと、ここ5年の銀座・有楽町は、
今や日本の情報発信基地になっているからであります。

ご存じのように最近の銀座・有楽町は世界有数のブランド各社が乱立し、
ユニクロが新規開店してからはまさにヒートアップしております。
週末ともなれば近在近郷から、ひょっとしたら全国から、10代後半から20代前半と
おぼしき女性軍団が集合し、そうした女性軍団が溢れれば、ついでに若い男性軍も
集合するといった、いわゆるスパイラル現象を起こすに至っております。

結果的に銀座・有楽町界隈は、10年前までは考えられなかった若者のテーマパーク
になり始めており、マロニエ通りの出発点、JR有楽町駅前の交通会館1F・2Fにある
三省堂書店・有楽町店は、いつも人で溢れかえっております。
ここ数年の動きを見ている中で、今度刊行した場合、最大のターゲットは
三省堂・有楽町だッ!と考えておりました。
従いまして、今回のランクインは望外の喜びであり、有難いと思っている次第です。

今回のランクインに関しましては、
銀座クラブ村、通称ザ・ムラの、経営者・マネージャー・おネェ様等の方々に、
絶大なるご支援と、ご足労を戴きました。
「青柳は、単なる酔っ払いじゃなかったんだ!?」ってことがお解り戴けたこと
でも十分効果があったと思う次第ですが、ここまで来たら“狙うはただ一つ”と
考えております。
以降も変わらぬ熱いご支援を賜りたく、よろしくお願い申し上げます。

またこれから地方へと展開していきます。
本ブログにアクセスを戴いている方々にも、絶大なるご支援を戴きたく、
よろしくお願い申し上げます。

長い前置き(お礼)になりましたが、サクラの話の続きです。
7日の土曜日、テレビなどで、東京のサクラ満開!!と連発していたことから、
やおらサクラ見物に出かけました。
出かけると言っても、歩いて約1分の隅田川沿いのサクラを見物するだけのことですが、
ものの見事に咲いております。
佃に住まいし始めた頃にはスカスカだったサクラの木が、15年以上過ぎますと、
枝垂れ状態になっているのもあり、まさにサクラゲート状態になっております。

ただ如何せん、7日は寒過ぎました。
花よりダンゴと言いたいところではありますが、寒空の中で震えながら飲んでも
致し方ありません。そそくさと引き上げてきました。

なす術もなく、もやし5袋入りの焼きそば(軽~く3人前超)つくって、
さながら冬眠明けの熊のように、ムシャムシャと平らげてしまいました。
なんちゅ~花見だ!!と後悔しながら、目覚めた翌8日。
まさに花見日和となったという次第です。

なんだ結局は、サクラに絡めて本の宣伝してるだけじゃねぇか?ってですか?
はい、その通りであります。結局は本の宣伝になりましたです。
しつこで申し訳ありませんが、何卒よろしくお願い申し上げます。

「日本円は消滅する」という不都合な結末

お陰様で、約2年振りに刊行した「2015年 日本円完全消滅」は、
ある程度インパクトをもって受け入れられている。
(3月30日付・三省堂・有楽町店・ビジネス部門・第二位にランイクイン)。

今回は戦後の金融の歴史からその可能性を論証したい。

第二次世界大戦終了時、
全世界の国内総生産(GDP)の40%を占める唯一の超大国であった米国は、
「金(GOLD)によって価値を保証されたドルを国際基軸通貨として機能させる」
金ドル本位制、および「各国が自国通貨の価値をドルに固定する」固定相場制を
2本の柱とするブレトンウッズ体制を構築、戦後四半世紀の間、
世界経済の復興・発展を主導した。

しかし1971年、米国はドルの金保証を撤廃し、固定相場を放棄する。
戦後の25年、世界経済を支え続けた結果、体力を消耗したのである。
以降、世界は
「価値保証のないドルを基軸通貨とする」ドル本位制と、「変動相場制の時代」へと
入っていく。

そして現在まで、
「米国ドルを中心としたシステムは長続きせず、いずれドルは暴落する」という
危惧を持たれながら、金融市場は動いてきた。
しかしその危惧は現実のものとはならなかった。

第一の理由としては、
米国は基軸通貨国として対外赤字のファイナンス(資金繰り)を考慮することなく
成長を維持できた。
一方輸出国は、米国の強い輸入需要のおかげで輸出中心型の成長を維持し、
獲得したドルは米国債を中心としたドル資産に投資した。
世界は、いわゆる“(危うい)ウィンウィン”の関係を暗黙のうちに了解してきたのである。

第二に、
たとえ赤字が増え続けようと、総合国力における米国の覇権的地位は不変だったし、
それを脅かす国もなかった。また基軸通貨としてドルに代わる通貨もなかった。
いかにドルの暴落リスクが叫ばれようと、市場がドルを捨て去ることができなかった。

第二次大戦以降、世界は一貫して米国を覇者として受け入れてきた。
ソ連との対立、日独の台頭、欧州の向上があっても、これらの対抗勢力は
米国にとって代わろうととする能力も意図も持っていなかった。

しかし、そうした資本主義世界に敢然と挑戦し始めたのが中国だった。
ラフに言えば、米国の衰退と中国の興隆は歴史的必然であるのかもしれない。
リーマン・ショック以降の米国の苦境は、中国の台頭の妥当性を裏付けた格好と
なっている。

最近の中国は、ドル基軸体制に対する批判を展開する一方で、
人民元の国際的利用の拡大に向けた長期計画を始動させている。
しかし忘れてならないのは、中国が抱える難問の数々である。
「輸出超過と過剰供給」「過大な外貨準備の蓄積とそれに伴う過剰流動性」
「資産バブルとインフレ」「公的部門を中心とした特別利益集団」等など…

総合的に考えれば、20世紀後半のような絶対性はないにしても、
現状のドル基軸体制が崩壊する可能性は薄い。
そして米国ドル・欧州ユーロ・中国・元という三大通貨時代の中で、
日本円は単独で生き残れるはずもなく、いずれかの通貨に吸収される。

この究極の三択の中で、日本が選択する道は米国ドルしか考えられないのである。

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