2013年01月26日

第48代横綱大鵬の時代

1月12日(土)午後3時過ぎ、NHKの大相撲中継を見ていた。
十両の取組だったが、他局の“お笑い芸人”のばか騒ぎの番組を見るよりはといった
“消去法”の選択だった。
突然“元横綱大鵬死去”のテロップが流れた。
エエッと思った、あの大鵬が…

1940年、樺太の敷香(現サハリンのポロナイスク)生まれ。
16歳で二所ノ関部屋に入門。
6連覇二回、全勝優勝8回、45連勝、優勝回数32回など、数々の大記録を樹立。
1961年、柏戸と横綱同時昇進を果たし「柏鵬時代」を築いた。

1971年、31歳で引退。
一代年寄を許され「大鵬部屋」を創設するが、36歳の時に脳梗塞で倒れる。
若年時の脳梗塞発病にはそれなりの(確固たる)要因がある。
大鵬の場合も“酒”だったと思われる。
夏場には、(水代わりに)キンキンに冷やした日本酒1升瓶の半分以上を飲み干す、
無類の(異常な)酒好きだったのは有名な話ではある。

一羽ばたきで何万里も飛ぶと言われる「(想像上の鳥)大鵬」とは、
中国の古典好きだった師匠の二所ノ関親方(元大関佐賀ノ花)が長年温めてきた
四股名だった。近来稀に見る無類の、素晴らしい四股名ではあった。

大鵬が主役だった昭和30年代は読売巨人軍がON(王・長嶋)を要して9連覇した
時代でもあった。
必然的に「巨人・大鵬・卵焼き」という流行語が生まれた。
子供が好きなものばかりであると揶揄した表現だったが、
昭和30年代の世の中は、“安定したもの”あるいは“絶対的なもの”を求めた時代であった。

1964年の東京五輪を前後して、日本は高度成長時代へと突入していく。
戦後10年を経過したばかりで、一類の不安感がある中で、
ある種“絶対的なもの”が求められた時代であった。
テレビ受像機が家庭に定着し、
家庭でくつろぐためには(水戸黄門の葵のご紋のような)“絶対的な勝利者”が
必要であった。
それが巨人であり大鵬だった。
マンネリと言われようが何と言われようが、巨人も大鵬も負けてはならなかった。

世界に外為市場もなく、つまりは外国為替という範疇の業務もなく、
日本の銀行は全国津々浦々、どこに行っても扱う「預金を集めて貸し出す」商品は
同じだった。
護送船団方式と言われた“銀行第一主義”の当時の雰囲気にも、
巨人と大鵬が“必需品”だった。
(最近のNHK大河ドラマのテーマ)“ならぬものはならぬ”ガチガチの時代であった。

05年の定年後、相撲博物館館長を務め、08年に退任。
04年に紫綬褒章受章。
09年に相撲界初の文化功労者となった。

平成生まれの若者に大鵬と言っても分かるまい。
現在の(モンゴル出身の)横綱白鵬の四股名は「柏鵬時代」からきていることも
分かるまい。「柏」の「木」を取れば白鵬になることも…

かくして静かに、静かに昭和の時代がはるかかなたに過ぎ去っていく。
日本は果たしてどこに向かうのか。
時代の変わり目とは、「少しずつ積み重ねていくもの」であることが解り始めている。


2013年01月19日

1㌦=90円に到達した円の動向

対ドルの円相場は1月17日に90円に到達した。

11年は16年振りに過去最高値を更新する1㌦=75円32銭をつけたが、
12年には一転して10円超も円高修正が進んだ。
対ドルの円相場が年間で下落するのは3年振り。
政府の円売り介入も実施されず、円高圧力が和らいだことを裏付けた。

円安の流れに拍車をかけたのは安倍首相。
衆院解散した11月半ば以降、デフレ脱却と円高対策を掲げて衆院選挙で圧勝。
日銀に大胆な金融緩和を迫る政権の姿勢を見て、海外の投機マネーが急激に
円売りに動いた。

12年はこうした投機マネーの動向に加え、実需マネーの構造変化も決定的になった。
燃料輸入の増大で、12年の貿易赤字は過去最大の7兆円規模となった。
赤字が増えれば輸入企業が海外に支払うための円売り・外貨買いが増え、
円安要因となる。
こうした国際収支の構造変化は10年に一度あるかないかの事象である。

かくして、
デフレ克服・円高是正を目指す「アベノミクス」は市場の光景を一変させた。
しかし金融緩和と財政出動に傾斜したアベノミクスは日本経済にとって大きなカケであり、
今後の日本の大きなリスクでもある。

それにしても安倍政権の日銀に対する態度は政治と日銀の適切な間合いを逸脱している。
習政権下の中国でさえ「人民銀行にどれだけ独立性を認めるか」が改革の目安とされて
いるのに、安倍政権の姿勢は誘導どころか“指令”である。

最悪の財政赤字国でありながら、さらに財政出動に頼るのも大きな問題である。
人口減少下での公共投資拡大は後世に無駄(ツケ)を残すことになる。
膨らむ財政赤字を日銀の国債購入で賄うとみられてしまえば、
日本国債金利はいずれ上昇する。

安倍政権と日銀は2%の物価目標を政策協定(アコード)にする構えだが、
しかしこれで日本経済が「長きデフレ」から脱却できる保証はない。
「成長なくしてデフレ脱却なし」とみるのが妥当である。

かくして今回の円安傾向はアベノミクスが要因でなく、日本の政権、経済など
日本全体に対するマクロ的な失望感から出ていると考える方が妥当なようである。
では今後の上値目標をどのように捉えていったらよいのだろうか。

1㌦=360円から始まった円は段階的に円高に進行してきた。
360円の二分の一が180円、三分の一が120円、四分の一が90円、五分の一が72円。
11年の75円32銭は72円に近似する。
相場の「5」は相当強力に機能する。
従って、75円32銭で長期的な底打ちとみるのが妥当なようである。

90円に到達した今、巷間では大きな上値目標は100円とされている。
しかし、理論的にみて以降目指す値段は100円ではなく120円ということになるが…

2013年01月12日

マグロ狂想曲

東京都中央区築地。
世界最大の魚市場である築地市場がある場所である。
従って寿司屋のメッカでもある。
日本最大の寿司屋のメッカであるということは、
世界最大の寿司屋のメッカであるということである。

築地は晴海通り沿いにあるが、(新橋から続く)昭和通りを挟んで、
日比谷寄りと晴海寄りとでは値段形成が全く異なる。
(全く酒を飲まないとして)一人当たりの客単価は日比谷寄りが約2万円。
築地寄りが約3千円。
なぜにそうも違うのか。

結局、日比谷寄りの寿司屋は銀座のクラブ街を意識した(模した)ものであり、
晴海寄りの寿司屋は単純に美味しい寿司を堪能する場所として形成されているからだろう。
それが端的に表れたのが3.11東日本大震災直後だった。
安価で安い寿司を提供する中小の店が2週間も経たないうちにバタバタ閉店した。
東北地方から来る安価で新鮮な寿司ネタが全く手に入らなくなったからである。
それこそ怖いくらいにアッという間だった…

その築地は、2013年4月の歌舞伎座の新装に沸いている。
銀座4丁目の三越銀座店から築地4丁目交差点にかけて乱立する寿司屋街は、
特に中高年層のファンで今から沸きかえっている。
明治座も近いとはいえ、中村勘三郎の死から特にその傾向が強くなっているようだ。
松竹の社運を賭けた一大プロジェクトが大成功の兆候を見せている。

その築地で、「マグロ1億5540万円」が日本中の話題となった。
青森・大間産222キロのマグロが1億5千万円余。
キロ単価で70万円。落札したのは「すしざんまい」を展開する喜代村(東京・中央区)。
「板前寿司」を展開する香港資本のすしチェーンと競いあってのセリ勝ちだった。

落札額に基づくと、1貫あたりの原価が2~3万円。
外食店の一般的な原価率3割を当てはめれば販売価格は6~10万円が妥当。
しかし、(ファミレスに近い至ってカジュアルな)すしざんまいでは赤身一貫128円からと、
通常の定価で販売した。
マグロ一匹の収支としては当然ながら大赤字。

ただ巷間では「マスコミの露出を広告宣伝費に換算すれば数億円以上」と見ている。
5649万円を投じて初セリで最高値のマグロを落札したすいざんまいの2012年9月期の
売上高は192億円で前期比30%増。
新規出店を除いても燃焼30億円を押し上げる主因になった。

大手開店寿司の広告宣伝費は売上高の2~3%。
喜代村がマグロ1匹に1億円以上をかけても元は取れるという勘定になる。
個々の経済合理性に従って動く人がいる限り、価格が上がるのはセリの宿命。
とは言えマグロ一匹1億5千万円は異常というしかない。

築地の寿司は安くて美味しい。
漁村に生まれ育った自分でも、築地のマグロは絶対だと思う。
築地市場の移転問題が頓着されてはいるが、
歌舞伎座の新装に沸く寿司屋街・築地は不滅だと思う。
そして今回の初セリの値段1億5千万円という値段も、
以降破られることのない不滅の記録となろう。

たかがマグロ、されどマグロ…

2013年01月04日

謹賀新年

本ブログにアクセスを戴いている皆様、
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

皆様はどのようなお正月を過ごしていらっしゃいますか?
自分は今、恒例により実家におります。
今年の冬は特に寒く感じているのは自分だけでしょうか?

帰郷した1日は部屋全体が完全に冷え切っており、畳がない部屋のせいか、
また3か月ほど部屋を使っていなかったせいか、床からくるジワジワした寒さが
異常でした。
日頃から寒さには強いと公言していた自分ですが、さすがにギブアップ。
厚手のジャージやら、厚手の靴下やらで、まさに“縫い包みのクマ”状態でした。、
この3日、エアコンをつけっぱなしにしたおかげで、ようやくその寒さが
薄らいでおります。

2日は雨もあり雪が消えましたが、3日になって起きるとまたまた銀世界。
気まぐれな自然の中で、エアコンなどなかった昔はどうしてたんだろうなどと、
変な意味で昔を懐かしがっております。

ところで2012年はロンドン五輪や、安倍第二次内閣成立など、いろんなことが
ありましたが、自分にとって一番インパクトがあったのは「松井の引退」でした。

巨人で10年間、MLBで10年間、(プラス金沢星稜高校の3年)、
合わせて20年超の間、松井から元気をもらっておりました。
その松井が引退….
自分が会社を興して20年、その奇妙な符合もあり、しみじみ「松井引退」の意味を
考えておりました。
ひとつの時代が終わったか、などと…

日本時間12月28日午前7時からの引退会見。
紺のスーツをピシッと着た松井は、多少太ったかなとは思いましたが、
引退理由として「巨人の4番の意味」を語り、長島永久名誉監督の個人指導など、
時折涙を浮かべての発言で、ボロボロになるまでやらなくて正解!さすが松井!
などと感じ入っておりました。

とは言え、切ない気分は拭いようもなく、朝酒を飲り、
挙句、夕方からは松井のヤンキース仕様の55番のユニフォームを持参して飲み屋街を
徘徊しておりました。
笑うなら笑え!!といった、ある種やけくその気分でした。
実際、子どもっぽいと冷笑されてはおりましたが…

その後、2013年3月にはミニラ(ゴジラ長男)の誕生、大学進学への意向、
高校野球の監督志望などの報道があり、そうか松井の人生はこれからなんだと
気持ちを入れ替えております。

スポーツ僻地の北陸の“輝ける星”は、多分「次代の星」を育成してくれることで
ありましょう。
巷間では、英語に不自由しなくなった松井がNYエリアの大学にゆくのか、
桑田のように早稲田に行くのかと、かまびすしい限りではありますが、
ミニラがNYで誕生して、ミニラに米国籍が付与された段階で方向を定めるものと
思われます。

かくして2013年が明けました。
本年も淡々と自分の考え、想いを綴っていくつもりでおります。
どうかよろしくお願い申し上げます。

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