2013年02月23日

円安・株高の流れはいつまで続く!?

外国為替市場で円安のスピードが緩み始めている。
2月16日からモスクワで開催された20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議で、
日本が円安誘導をしているとの批判は回避されたが、円安が加速すれば批判が再燃する
との思惑があるからである。

海外の投機筋間では、これまでの円安で得た利益を確定するための手仕舞いの動きも
目立っている。
ジョージ・ソロス率いるソロスファンドは、昨年11月以降の円安局面で
約10億㌦(930億円)の利益が出たと報じられた。

また投機筋の動向を示すシカゴ・マーカンタイル取引所(CME)の通貨先物の
「非商業部門」で、2月12日時点の円の売り越し額は7663億円と、
12月11日の6割強に縮小した。
あのジワジワした円安の流れにソロスがいたこと、
そして手仕舞ったことを考えれば、“一勝負あり”の感は否めない。

G20終了後の記者会見で麻生太郎財務相は、
「一番の成果は、通貨戦争と煽られるのを抑えられたことだ」と述べたが、
名指し批判という最悪の事態は免れたものの、
新興国を中心に円安誘導との批判があったのは事実である。

また一時は急激な円安に苦言を呈した独仏等も、矛を収めた格好にはなっている。
主要国が泥仕合に陥れば、金融市場の大混乱しかねない状況だった。
G20の声明は「通貨の競争的な切り下げを回避する」といった“玉虫色”で、
何を言いたいのかハッキリしてはいないが、融和を演出することで各国の利害が
一致したようである。

議長国ロシアも「G20は日本の政策に理解を示した」などいった援護射撃をしたが、
先進国に類をみない、ある種自分勝手で自己中心的なアベノミクスが、
再び混乱の引き金になる恐れは消えてはいない。

いずれにしても日銀人事とG20会議という2つのイベントは、
安倍晋三首相の就任から一本調子できた円安・株高の「安倍相場」にとって
「事実上、初めてのカベ」だったのは間違いない。
衆院解散から3ヶ月、政権交代から2ヶ月。
数年ぶりの大相場の熱がいくらかは冷めるタイミングではある。

テクニカル的に見てみると、円絡みの通貨ペアのすべてで、日足・週足のチャートが
機能していない。
これは無理矢理の押し上げ(円の押し下げ)相場となっているからである。
逆に考えれば急落(円高)リスクを抱えるということにもなる。
ユーロ円しかり、ポンド円しかり、豪ドル円、スイス円も全て急落(円高)リスクが
明白になっている。

アベノミクスが効果を保てるのは6月の参院選までと見る。
当の安倍首相も、無理矢理の“相場操縦”に限界があるのは当然ご存じのはず。
参院選に勝利した後は、“あとは野となれ山となれ”パターンではなかろうか。
ただそうした日本の投げやりの政策を嫌気した円安になる可能性は残っているが…

PS.
全く余談だが、会議に出席した時の麻生財務相の黒いロングコート、水色のマフラー、
黒い帽子を斜めに被ったい(渾身の)いでたちが、
米ウォールストリート・ジャーナル紙に「ギャング・スタイル」と“褒められて”いる。

ちなみに襟に毛皮(30万円)がついたコートは合計で80万円、
スーツは有名テーラ製で30万円、帽子はイタリア製で10万前後、
靴もオーダーメイドで20万円、マフラーはカシミアで3万円、
なんやかやで合計150万弱はかかっているそうである。

2013年02月16日

日本に商品先物市場は必要か

2月8日、東京穀物商品取引所(東穀取)は全ての上場商品の取引を終えた。
最終日の売買高の合計は3961枚で最盛期の50分の1の水準だった。
1952年に開所以来、60年余の歴史に幕を閉じ、
2月12日には工業品と農産物の商品先物を取引をする「東京商品取引所」が発足した。

東穀取の年間売買高は1997年に2812万枚と最高を記録した。
しかし個人投資家への営業規制などが逆風となり、2012年は160万枚と急激に落ち込んだ。
2011年には72年振りとなるコメの上場を果たしたが、大勢を挽回するまでには
至らなかった。

先物市場全体を眺めてみると、2012年の売買高は2729万枚。
10年前と比較すると8割の大幅減。
00年には東京工業品取引所(東工取)の売買高は世界第三位ではあったが、
12年には12位までランクを下げている。

1970年代には20あった商品取引所の数は年度内に2に減少する。
また一連の改革論議の中で、
証券マネーの呼び込みによる市場再生の切り札とされてきた「総合取引所」への合流は、
商品特有の現物受け渡しの問題があり、時間がかかる見込み。

世界を見渡せば、商品先物市場は活況で、00年以降、投資ブームや資源高を背景に、
売買高は10年で9倍に膨らんでいる。投機マネーの流入は勿論、資源会社、航空会社、
農家などの実需家も参入して、産業インフラの機能を活用している。

では日本はどうかと言えば、東工取の参加者名簿には住友金属鉱山、ブリジストン、
横浜ゴムなど、錚々たる企業が名を連ねているが、売買はほとんどない。
市場の厚みがないのが最大のネックとなっている。

資源価格の乱高下や食品需給の激変で、素材や食品企業を取り巻く経営環境は厳しい。
ヘッジ(保険つなぎ)取引のほか、資源価格の形成や資産運用の場としての先物は
重要な位置にはいる。
かくして「日本国内に商品先物市場は必要か」論議が活発となってはいる。
ではなぜ日本の土壌には商品先物市場が健全に定着しないのか。

それは多分、戦後生まれた商品取引員(=先物会社)の強引な営業手法、
あるいは「赤いダイヤ」として一世を風靡した小豆を代表例とする相場手法(仕手戦)
の荒っぽい雰囲気が、投資家離れを起こしているようである。
また商品先物業界・経営者連の
“(世界に例のない日本固有の、ある種いびつな)先物屋スタイル”も骨身に染みて
嫌気されているのも間違いないようである。

しかし業界は、世界的にIT時代が進捗する中で、
営業マンが介在する従来の営業スタイルから、否応なく脱皮することが求められている。
「日本に商品先物市場が必要か」という問いに対する答えは「(絶対)必要である」になる。
商品先物市場は、市場経済を旨とする現代の先進国には必須である。

FX取引が予想以上に浸透している現在、商品先物市場が(健全に)根付くのも
時間の問題だろう。
これから10年も経てば世代交代も急速に進み、おそらく2020年あたりまでには
生まれ変わった商品市場が出来上がっているものと思われる。
これも時代の要請である。


2013年02月10日

「不惑」を迎えた「変動相場制」

為替の値決めを市場に委ねる「変動相場制」に移行したのが1973年2月14日。
今から40年前のバレンタインデーだった。
当時に「バレンタインデーの概念」があったかどうかは定かではないが、
とにかく変動相場制は「不惑」を迎えた。

通貨が動く。
今は当たり前の概念だが、戦後の20数年は「固定相場制」だった。
戦後の国際通貨を決めた会議の開催地・米ニューハンプシャー州の保養地にちなみ
「ブレトンウッヅ体制」と呼ばれた仕組みは、
1オンス=35㌦の公定価格で金(GOLD)に裏付された米ドルに、各国通貨が、
例えば1㌦=360円など、決まった値(平価)くぎ付け(ペッグ)されていた。

ところが欧州や日本が力をつけ、米国の国際収支赤字が積み上がると、
71年8月、ニクソン米大統領は、ドルと金の交換を一方的に停止する。
金価値の保証がない通貨の固定相場制は論理的にあり得ない。
しかし当時は
「ドルを切り下げれば米国も国際収支が改善する」
「公定相場は維持した方がよい」
との考え方が先行した。

しかし71年暮れ、
ワシントンのスミソニアン博物館に主要10カ国の蔵相(財務相)が集まり、
固定相場を手直しする。
円は17%弱切り上げられ308円になる。
しかし市場では弱い通貨は売られ、日独はドルの買い支えに明け暮れることになる。

こうした中、73年に入って(後にFRB議長となる)ボルガー財務次官を中心に、
再調整の根回しが行われる。
米国の調整案は、ドルの10%切り下げ、
円の10%の切り上げ(対ドルでは20%の切り上げ)、
欧州通貨据え置き(対ドルでは10%の切り上げ)だった。

しかし再調整ではらちが明かないという議論になり、「フロート(変動)した方がよい」
との流れになっていった。
第二次大戦が終了する1945年以来、20年超続いてきた戦後の国際秩序が終りを
告げた瞬間だった。
価値保証のない米ドルが基軸通貨になり、
以降現在まで米ドルを中心とした変動制が続いている。
40年。まさに「不惑」を迎えている。

この40年の円の歴史は、
「ドルやユーロが下落する時、急騰して調整弁になってきた」歴史だった。
85年のプラザ合意、87年のルーブル合意は
「主要通貨間である程度の幅を持つ均衡為替水準に対する合意」だったが、
国際流動性が膨大になってしまった現在、
相場を人為的に中長期にコントロールするのは不可能になっている。

現在の為替市場では、日々、気の遠くなるような金額(実質には“京”円単位)が
IT機器の中で踊り狂い、その正体(実態)を見せない。
「カジノ資本主義」と揶揄されながら、その“終りの兆候”さえも見せない。
為替市場は果たしてどこへ向かうのか。

「不惑」を迎えた変動相場制にほぼフルカバーで携わってきた。
バレンタインデーが為替市場の誕生日!?
思えば遠くに来たもんだ…
と、しみじみ思う。


2013年02月03日

アルジェリア人質事件を考える

太平洋戦争勃発直後、
旧日本軍はスマトラ(現インドネシア)の製油所を真っ先に制圧した。
設備の復旧・運営は迅速だった。
それが日本の海外でのプラント建設の源流となっている。

第二次大戦以降、
原油や天然ガスを掘り出したり、石油化学製品を生産するプラント建設で、
日本は存在感を高めていった。

世界で開発が進む液化天然ガス(LNG)の製造設備は、
日揮と千代田化工建設の日本勢を含む4社が世界市場の8割を押さえる。
日本企業は膨大な部品を扱い、多くの作業員を動員して納期通りに完成させることを
得意としてきた。
資源国の経済成長を日本の技術が支えてきたのである。

そうしたプラント建設の世界に「アルジェリア方式」というやり方がある。
「軍隊が建設や操業にあたる外国企業を守る」スタイルを指す。
1990年代にアルジェリア全土で吹き荒れたテロの下で、
国家経済を支える資源輸出を続けるために同国政府が導入した方式である。
このアルジェリア方式はテロや騒乱が隣り合わせのプラントビジネスで
最も確実な安全確保策とされてきた。

今回、その安全神話は吹き飛んだのである。
今回の事件はグローバル化とテロ遭遇の危険が表裏一体であることを示した。
国際テロ集団の活動は拡散し、多様化している。
アジアやアフリカなど豊かな資源があり、成長力のある新興国市場ほど治安面の
リスクが高いのが現実である。
一方、国際競争の場では「リスクがあるから進出しない」のではなく
「リスクどう抑えこむか」がテーマになっている。

争奪戦の舞台となりながら、日本が周回遅れの市場ががある。
フセイン政権が崩壊から、この3月で10年を迎えるイラクである。
世界有数の産油国でありながら、長年の混乱で様々なインフラが老朽化し、
その更新や新設の需要はインドネシアやベトナムに匹敵する。
「テロで犠牲者が出ると会社は持たない」と及び腰の日本企業を横目に、
欧米や韓国などの企業が着々と足場を固めている。

日本における諸般の論調は「卑劣なテロを憎む」である。
確かに無差別の殺戮を繰り返すテロは憎むべきではある。
だが、果たして日本的な話し合い(=外交)で「テロ」に対決できるのだろうか。
「基本は悪」と「基本は善」の相反する国民性の中で、
日本式のヤワな方策で対決できるとも思わない。

世界は「やなら止めろ」というだろう。
「ビッグビジネスにリスクは付き物」と捉える世界の風潮の中で、
「従業員の生命を守るための危機管理を相手国に任せようとする」
日本的な机上の空論は空しい。
「(どんなに環境が変わろうとも)憲法第9条は死守する」とする、
日本のどこかのミニ政党の(時代遅れの)主張に似ている。

今回の事件が起きた時から自分の頭の中では、
1960年代から歌われ続けている「カスバの女」という曲の
「ここ~は地の果てアルジェリア…」のかすれた、そしてもの悲しい歌詞&メロディが
流れ続けている。

時代の大きな流れの中で、技術立国・日本の行くべき道はやはり険しい。

カテゴリー

アーカイブ

最近のコメント