2013年04月27日

爆走するユニクロ、恐るべし

今年のマスターズは、豪・アダム・スコットがプレーオフの末制覇した。
豪の英雄、ホワイト・シャークと揶揄されたグレグ・ノーマンも果たせなかった
夢をかなえた。
アダム・スコット??
米ツアー通算8勝してはいるが、余り馴染のない名前ではあった。

それ以上に驚いたのは、そのアダム・スコットが着用するボロシャツの左胸に、
「ユニクロ」というカタカナの文字が躍っていたことだった。
マジか??
カタカナのロゴだし、あの(日本の)ユニクロだよな?
まさかな??

その疑念は日経にデカデカと掲載された宣伝で晴らされた。
『マスターズ優勝おめでとう。アダム・スコット選手。
その瞬間、あなたとともにいられたことを、うれしく、誇りに思います』
言葉遣いは優しいが、
どうだ!!とばかりの、誇らしげで上から目線の言い様だった…

昨年あたりから銀座・中央通りの人の流れが変わった。
原因はユニクロが開店したからである。
“老舗の高級店が売り”の銀座にユニクロが大々的に進出したことで、
10代後半から20代前半の若者が我が物顔で闊歩するようになった。
ここは渋谷か?と思わせるくらい、銀座はカジュアルな街になった。

有楽町・イトシアを起点として、新装なった歌舞伎座まで、大々的な銀座改造は
ほぼ完成した。
世界中の有名ブランド店が乱立しながら、たばこが吸え、通りに灰皿のある街は、
世界中探してももはや銀座しかない。
その大銀座の一角にどっかりとユニクロがいる。

山口市に本社を置く地方企業・ファーストリフティングは2013年8月期に
1兆円企業となる。
全国区に躍り出た原動力は「(服づくりの)革新性」。
1998年、当時1着1万円以上が当たり前だったフリースを1900円で発売、
「フリースブーム」を巻き起こした。
以降国内の衣料品市場ではユニクロが先行し、他社が追随するという
構図が続いてきた。

昨年の本ブログで、
「服は部品」であり「究極の普段着を作る」とするユニクロの理念は
今後も通じるか否か、というテーマで論じてみた。
自分としては懐疑的だった。
ユニクロの商法の基本は、「(売れ筋を追いかける)使い捨て」であり、
「洗って何度も着る」をテーマにしていないように思ったのである。
ユニクロ商法=柳井商法は果たして次代に通用するのか?

そんな自分も、
アンダーにユニクロ製のワンコイン(500円)Tシャツを着用している。
(宣伝するわけではないが)着やすいし、洗い負けしない(!?)。
そして今回の快挙である。
ユニクロそのものを考え直さざるを得ない状況となった。

今年、豪州に進出するユニクロは、
プロゴルファーのアダム・スコットを豪州での広告塔に選択した。
4月に契約したばかりという。
そのアダム・スコットがマスターズで優勝した。
ある種奇跡に近い展開である。
契約金は明らかにされていない。推定で年間5千万円程度と思う。
そして今回の宣伝効果は少なく見積もっても20億円は下るまい。

アダム・スコットを選択したのは柳井正という経営者ではないと思う(多分)。
柳井正という経営者の凄さは、アダム・スコットの潜在能力を見出す能力を
持った人間を選び抜く力と思う。

恐るべしユニクロ、(“運”まで味方にした)快進撃が続いていく…

2013年04月20日

鉄の女・サッチャーの時代

4月8日、
「鉄の女」と呼ばれたマーガレット・サッチャー元英国首相が亡くなった。
87歳だった。

今から30年前の1980年代、自分は金融市場の最前線にいた。
当時金融市場に絶大な影響を与えた人物と言えば、
米・レーガン大統領と英・サッチャー首相だった。
特に英国史上初の女性首相となったサッチャー首相は、
自分にとって忘れられない人物である。

最初にその名を耳にした時、クスッと笑ってしまった。
自分の母親の名は「幸子」。
そして今は亡き祖母が母を「サッちゃん」と呼んでいた。
その呼び方が絶妙に似通っていたからだった。
しかも母親とほぼ同年代であり、あろうことか「鉄の女」と呼ばれるに至って、
母親との共通点(!?)を見出し、益々親近感を持っていった。

1925年、英イングランド中部に生まれた。
オックスフォード大学卒業後、59年に下院議員として初当選。
75年に保守党党首に選ばれ、79年の総選挙に勝って英国史上初の女性首相に就任、
以降11年にわたり英国首相として君臨した。

11年余りの政権運営は剛腕そのものだった。
82年のアルゼンチンとのフォークランド紛争では軍艦を派遣する“力の外交”を展開、
「閣僚は私に従う限り、何を言おうと構わない」主義を貫いた。
合意形成を重んじた英国の伝統政治に背を向け、在任中にクビにした閣僚は
10人を超す。

サッチャー氏が「鉄の女」と呼ばれる所以は、反共産主義のスタンスを徹底した
ことにもある。
同じ保守主義者としてレーガン米大統領と盟友関係を構築。
84年にはソ連共産党書記長になる前のゴルバチョフ氏を英国に招待するなどして、
改革を側面支援した。
要は「東西冷戦の終結」に向けての活動を続けたのである。

サッチャー氏の最大の功績と言えば
「ビッグバン(金融大改革)」に代表される「政策による金融業の育成」だった。
世界中から資金を集めて金融で稼ぐ英国モデルは、ブレア元首相という後継者を
得て、90年代から16年にも及ぶ「長寿景気」につながった。

自由と競争を重んじ、外国の金融機関を呼び込む流れは「ウインブルドン現象」
と呼ばれるようになった。
ロンドンの金融街・シティを、英国の競技場で外国人選手ばかりが活躍する
テニス大会になぞられた論評だった。
ロンドンは今も外国為替市場取引で世界一を誇るなど、金融立国のポジションを
確保している。

英国「サッチャリズム」と米国「レーガノミクス」は、以降の先進国の経済政策の
方向を決定付けることになった。
しかし、2008年の金融危機以降、英国を起点広がった金融自由化の流れは転機を
迎えている。
主要国は金融危機後の経済を支えるため、財政出動を膨らませた。
経済は政府頼みに逆戻りし、政府の過大債務が金融市場を不安にしている。

かくして「サッチャーの時代」は終わった。
世界はこの先どう進んでいくのだろうか…


2013年04月13日

「異次元の金融緩和」で日本は大丈夫か?

日本銀行は、黒田東彦新総裁を中心に「異次元の金融緩和」で
デフレから脱却して物価上昇率2%を目指す「リフレーション政策」を実行に移した。
市場は大幅な金利低下と円安・株高反応した。
とりあえずは市場にデフレ克服期待を抱かせることに成功した。

ただこのリフレ政策の有効性を巡っては、経済学者の間でここ15年にわたり
議論が続いてきた。
理論上の決着はついていない。
最終的には“神学論争”の様相を呈している。
結局、日本政府・日銀は見切り発車をしたことになる。

「デフレは貨幣的な現象である」とするリフレ政策は、
「物価は世の中に出回る通貨の量と比例して変化する」という
「貨幣数量説」の立場を採る。
大胆な金融緩和で貨幣の量を増やせば物価は上昇し、
デフレから脱却できると主張するのである。

この貨幣数量説は18世紀には登場した古典的な理論で、
根本的な考え方は単純である。
例えば世の中にあるモノの量が変わらず、通貨の量だけ2倍になれば、
モノに比べて通貨の価値は半分になるとする。
要は、100円で買えていた商品は200円出さないと買えなくなるので、
物価は2倍になると考えるのである。

経済学者ミルトン・フリードマンが再評価し、
1970年代から先進国に採り入れられるようになり、
日本では安倍晋三首相が昨年12月の衆院選で掲げ有名になった。

だが、この論理には“現実にそぐわない”矛盾点も多々ある。
「通貨の量」は「お札」の枚数に単純に比例するとは限らない。
例えば通貨(=お金)が人から人へと移っていく速さも「(世の中の)通貨の量」に
影響する。
お札の枚数が変わらなくても、取引が活発でお金の回りがよくなれば、
通貨が増えているように見える。

こう考えれば、デフレとは「 人々がお金を使わなくなっている」状態と捉えた方が
説明し易い。
お札の枚数を増やしても、その流通速度が落ちれば物価が上昇しない可能性がある。
「物価の変動は貨幣現象ではなく、世の中全体の需要と供給で決まる」との考え方もできる。

こうした量的緩和の効果について複数の実証研究が行われてきた。
ただ「効く」「効かない」の正反対の結果が出て、決着はついていない。
確かに円安や株高になっており、輸出企業の業績回復や、株高で利益を享受した
個人の消費拡大が指摘されてはいるが、それだけで物価が上昇するとは限らない。

「先行きが分からない時は、自分で主体的に考える。」
「論理的に結論が出ない時は、“こうあるべきだ”と決めてしまって、
次の手を打つしかない。」
「それで、万一、結果が外れても仕方がない」
とするのが黒田新総裁の人生観だそうである。

黒田新総裁の「市場の期待に働きかける」という言葉が
「中央銀行が市場を思い通りに動かす」という意味とするなら、
それはとてつもなく大きい間違いと思う。
何故なら市場は大自然だからである。
大自然を人間の手によって支配することは不可能である。

かくして日本は、大上段に振りかぶって“(無謀で)壮大な実験”に取りかかった。
もう逃げられない。
考えたくはない。
が、失敗すれば間違いなく日本は(ギリシャやキプロスのように)崩壊する...

2013年04月06日

「ミスター+ゴジラに国民栄誉賞」の裏側

4月1日午後3時、センバツ高校野球の実況を見ていたら突然テロップが流れた。
またどこかで地震か?
と思ったら「長嶋茂雄氏と松井秀喜氏に国民栄誉賞」ときた。
4月1日でもあり、
「(趣味の悪い)エイプリル・フール」かと思ったら、そうでもないらしい。

長嶋茂雄・読売巨人軍永久名誉監督に対して「長嶋茂雄氏」は納得できても、
日頃から松井、松井と呼び捨てにしているゴジラ松井に「松井秀喜氏」の呼び方に
少々戸惑った。
とにかくめでたいことではある。
だがしかし、なぜ今なんだ...なぜ松井が...

ミスタープロ野球(=ミスター)こと長嶋茂雄氏は、
1958年(昭和33年)に立教大学から巨人入り。
首位打者6回、打点王6回、本塁打王3回。
監督になってからもリーグ優勝6回、日本一が2回。
昭和34年の対阪神の天覧試合でのサヨナラ本塁打や、
1974年(昭和49年)の引退式での「巨人軍は永久に不滅です」の言葉は有名。
今や伝説の“記憶に残る”選手・監督。

かたやゴジラこと松井秀喜氏は、
1993年、金沢・星稜高校からドラフト1位で巨人軍入団。
本塁打王3回、打点王3回、首位打者1回。
2003年にFAでNYヤンキースに移籍。
09年のワールドシリーズでは日本人初のMVPを獲得。

プロ野球選手の国民栄誉賞は、1977年に本塁打の世界記録を達成した王貞治、
1987年に連続試合出場の世界記録した衣笠祥雄以来のことである。
確かにミスターの受賞は、国民栄誉賞の目的からすれば、もらえて当然だろうし、
遅すぎた感は否めない。当然と言えば当然ではある。

しかし松井に関しては納得いかない部分がある。
ここ20年のプロ野球界では、
日本人選手のMLB挑戦のパイオニアであるトルネード・野茂英雄や、
MLBで10年連続200本安打を達成したイチローこと鈴木一朗もいる。
松井はそうした選手を完全に凌駕したとは言い切れない。
本音で言えば、今回の受賞は“ミスターの付録”あるいは“ミスターの介護役”の
感は否めない。

言っておきたいのは、自分は自他共に認める“北陸の星・松井”のマニアである。
松井のヤンキース入団と時を同じくして、ヤンキース仕様のユニフォームを
作ってしまったほどの熱狂的ファンである。
ゴジラの長男・ミニラ(名前が公表されていないから、この呼び方は致し方ない)も
誕生し、近い将来、巨人軍の監督、あるいは母校・星稜高校の監督の姿を楽しみに
している一人である。

今回のダブル受賞は、現政府の政治的な思惑が先行しているのは明らかである。
アベノミクス効果から株価は上がり、円安も進んだ。
そして支持率も70%を超えたまま推移している。
この流れを参院選まで持ち込もうとする戦略がミエミエ。

つい最近亡くなった稀代の大横綱・大鵬さんにしても、今回のミスター+ゴジラも
体よく政治の道具にされている(ように見える)。
「広く国民に愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった者」
の栄誉を讃えるための国民栄誉賞。
今や“贈る政治家のための賞”になっていると感じるのは自分だけだろうか…

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