2013年05月30日

欧州・港町の風景(3)

北アフリカ洋上の最初の朝は雨だった....

今、北アフリカ・チュニジアにおります。
2日かかって到着しました。
一日目の洋上は雨。
なんだか地の果てに行くようで、うら寂しい思いがしましたデス。

そして2日目、チュニジア・ラ・グレット港に到着。
そう大きくはない港には、ラクダが闊歩しております。
”おおっ!楽だ!”などと、うん十年前のだジャレを言って、冷笑されております。

昨晩の船内では船長主催のカクテルパーティ。
いわゆるフォーマルディと相成りました。
たかだかクルージングの中の”単なるパーティ”、
そんなのジャケットをつけりゃいいんだろ?などと思っておりました。

ところがどっこい、クルージングそのものが欧州の貴族の流れを汲むだけあって、
相当にレベルが高い。
白のダキシードや、肌もあらわな原色のカクテルドレスのオンパレード。
ノーネクタイで行った自分が、こりゃ見くびったわぃ、失礼致しやした、
と思うくらいのレベルの高さ。
参りましたというより、さすがは伝統を大事にする欧州だわ、などと感心しておりました。

このカクテルパーティは18Fにある「トップセイルラウンジ」で開催されました。
調度品はもちろん、絨毯から使うグラスまで、見たこともないような見事な品の数々。
白髪の船長が、テーブル毎に挨拶をして回られる。
「楽しんでますか?」「何かご不満はありませんか」などと、グループ毎の言語、
といっても、日本語ではありませんが、流暢な英語で対応される。
そこそこ対応したものの、「もうこれ以上聞いてくれるな、ボロが出る!」といった、
まことな冷汗一斗の世界。
まずは参りましたです。

そしてこのパーティで分かったことは、
今の自分たちのフロアに3組の日本人がおられたという点。
妙齢の、余裕綽々の、豊かな生活をしてるのが一目で分かる方々ばかり。
その人となりは醸し出す雰囲気で、一目で分かるもんです。
ある方に至っては、英語の質問は当然として、フランス語、スペイン語の質問にも
流暢に答えておられました。
(かくゆう自分は、とりあえずフランス語、スペイン語であることぐらいは解ります)

では一体、我々のグループは何なのか。
実は男ばっかの3人グループであります。
物理の先生をしておられ、最近定年退職されたKさんとその弟さん、そして自分。
全くの女っけなしで、こういったフォーマルなパーティでは随分と引け目を感じます。
なんだ、お前ら相手がいないのかよ、といったある種の蔑視の目がやはりきつい。
まぁ仕様がないです。

で、その元物理の先生、今回の旅行で”何か”に目覚められたご様子。
ジムに頻繁に通うやら、専門的な本を目をギラつかせて読み漁るやら、
初期のがんを克服されたばかりとは思えない精力振り...
Kさん、一体何が起きたんですか、そんな青年になってまって???

チュニジアに到着してPCメールができるようになり、こうしてブログを更新しております。
(残念ながら携帯メールは不可のようです)
こんなの、30年前には考えられなかったことであります。
世界は日々進歩しておりますです、皆々様。

明日はイタリア・チビタベッキア、明後日はイタリア・ジェノバ、となっております。
イタリアに入れば、PCメール、携帯メールに不自由しないはず。
連日にわたって更新しようと考えております。

ではまた!です

2013年05月28日

欧州・港町の風景(2)

今は、アフリカ至近のスペイン・バレンシアにおります。
今朝入港しました。

欧州の港町というタイトルで綴り始めものの、どこへいっても港町は港町、
そう大した違いはありません。
はっきり言ってしまえば、地中海そのものが自分の地元・富山湾と似てるって言っても
言い過ぎではないようです。
富山湾では能登半島が見え隠れするのが”売り”ですが、全く似てる。
つまりは、地中海を富山湾の拡大版、瀬戸内海の拡大版と考えれば、
な~んだそんなもんかよ!という論理が成り立ちます。

ただし、燦々と輝く太陽の美しさ、特に夕日の美しさは格別。
そしてその夕日を最大限に利用しているのが地中海クルージングとなるようです。
夕食時の夕日は”最大のおかず”になります。何で、も美味しくなる...

欧州北部では、特に冬季の日照時間が極めて少ない。
つまりは太陽に対する限りない願望があります。
人々は陽光を求め南下する。
それが欧州では地中海ということになるようです。

こうした環境下で、気温20度前後でも、人々は競ってプールに入ろうとする。
老若男女を問わず、肌を太陽に晒そうとする。
「太陽を浴び」
「美味しいものを食べ」
「側に美女を侍らす」
これが、セレブならずとも、一般的な願望になっているようです。

今回乗船したスプレンダ号は戦艦大和と同じ排水量の7万トン。
18階建てになっています。
(前回は8階建てと申しましたが”大きな”間違いです)
その浮かぶ巨大なホテルは、内部が全くの迷路状態。
乗船して3日目になった今でも、道に迷います。

上層階ほど値段が高く、従ってセキュリティがことの他厳密で、
16階にある自分の部屋になかなかたどり着きません。

そして食事をする場所、食後の酒を飲む場所も厳密に区別されています。
バーは、こりゃ凄いわ!の一言。こんなセレブな世界にいていいんかい?
ってなという気分にさせてくれます。
ただフレンチなのかイタリアンなのか区別のつかない無国籍料理を供されても
ひたすら困惑するばかり。
「美味しいか?」と問われ(仕方なく)「美味しい」と答えてはおりますが、
脂っぽい料理にはへきへきで、3日目にして、
「ご飯+味噌汁+のり+肉じゃが+漬物」の世界が恋しくなっております。

また毎日、毎日、有名な港に寄港し、ツアーが組まれておりますが、
ああいった団体行動は嫌いで、不慣れな自分には当然ついていく意志はなく、
断固拒否しております。

ジムでたっぷり汗を流し、日光浴をし、夜の酒に備えるという日々であります。
まずは「こんなことしてていいんか?」という”究極の贅沢”だとは思います。
野良犬の「黄金の時間」ではあります。

不満は以下の3点であります。
①トレーニング用のバット持ち込みを拒否されたこと。
②「歯ブラシ+チューブ」の”歯磨きセット”が準備されていないこと
③部屋用のコーヒーが用意されていないこと

ふ~ん南欧の人々は歯を磨く習慣がないんかい、コーヒを飲まないんかい、
酔っ払いは必ず暴力を振るうと思っているんかい、などと、自嘲気味に考えております。

お陰様で②の歯磨きセットはようやく調達致しました。爽快そのものです。
①はジムで走りこみでカバーし、③は水を飲み、果物を摂取することで我慢することに
致しました。

でも、
思いっきりバットの素振りをしたいです!
冷やし中華が食べたいです!!
アイスコーヒーが飲みたいです!!


2013年05月27日

欧州・港町の風景(1)

今、スペイン・バロセロナに入港したところです。

25日(土)12時成田を発ち、現地時間・午後5時に仏・ドゴール着、
トランジットしてマルセイユに着いたのが現地時間8時。
約15時間の旅を経て、仏の伝統港・マルセイユに着きました。

エールフランスの機内は、エコノミー(往復10万円)とは言え、意外と安楽。
多分、外国人仕様で10㌢ばかり幅広であったのが要因と思われます。
どこかの極東の島国の御用会社のツルのマーク航空の”家畜扱い”とは
違うとは思いました。
たった10㌢の差が、大きな違いを生んでいる...

機内食は、どうせ不味という先入観があったせいか、まずまずってところ。
酒類は一切飲まず。飲めば”地獄の”たばこ飢餓感に襲われます。
酒さえのまなきゃ、たばこは吸いたくない。
こんな簡単な理屈、どうして見つけなかったのでしょうね...

昨年、意を決して豪州に行った際、「機内では決してアルコールは口にしない」
という目標を達成して、今回の30年振りの欧州旅行につながっております。
要は、(短時間の禁煙は)”覚悟”が大事ででございますぞ、愛煙家の皆々様。

マルセイユは南仏伝統の港町。
確かに建物も古い。古めかしい(ボロボロの、名ばかりの)高速道路も走っている。
ここかしこに昔日の面影は見てとれます。
ただ悲しいかな、シャッター通りも目立ちます。
そうか、この状況は世界中同じなのかなと思いました。
昔日の”黄金の日々”の常識の中で、世界の潮流から遅れている。
これは実家のある(富山県)滑川市にも共通するものと思います。
歩く人々の目に輝きが見えないのであります。

そして26日、マルセイユから乗り込んだのが8階建てのデカイ客船。
聞けば、あの戦艦大和と同じ規模という。
収容人員は、従業員を含めて2500人。とにかくどデカイ。

この際と、エイヤッと選んだのが最上級の、先端の最上階の部屋。
まぁ、部屋もホントにどでかい。トータルで(目分量)25畳。
8畳ほどのサンルームのついており、ダブルベットも3畳ほどある。
こんなデカイベット、一人で使うんかいなどと苦笑するばかり。
こりゃ無茶な贅沢をしたわい、とある種の後悔を致しましたです。

マルセイユを出航後の地中海は、午後8時過ぎだというのに太陽が燦々。
スカイブルーの空、群青色の海。
これこそ”青さんワールド”
ええいとばかりパンツ一丁でひなたぼっこをしておりました。

脂っこい味の濃い食事の後、とりあえずPC関連の整備。
DOCOMOの皆様の仰せの通り、全く問題ありませんでした。
携帯は日本国内同様につながる、PCも楽々...
通信機器の進歩には驚くばかりでありました。

そして今、スペインの伝統港・バロセロナ。
見る風景はマルセイユと同じ。
何かどんよりとしておりますです。

かくして8拍9日の地中海1周の旅が進んでおります。
しかしかくゆう自分といえば、東京にいる時、実家・滑川にいる時と
全く同様の、PCと格闘し、少し運動して、美味しい酒を飲む生活。
なんら変化がありません。
これって、大枚のカネを使って旅行する必要があったんかいな??
などと考えております。

ここ1週間、引き続き、日記風に綴って参ります。
アクセスを戴いた皆様を退屈させないよう頑張ります。
暇の折には当ブログを覗いて下さいませ。

2013年05月26日

今、フランスにおります。

突然ですが、今、フランスにおります。

約30年振りの欧州です。

今年は会社設立20周年、ユーロ生誕15年。
あらゆる意味で、転換期と思われます。
しっかり見届けて来たいと考えています。

ただPC環境が万全と思えませんので、
確信が持てましたら、しっかりした長めのプログを
お届けしたいと考えております。
面白い内容のものをお届けしたいと考えております。
どうかご期待下さい。

とりあえずはご挨拶ということで、ではまた!です。

2013年05月19日

プロ野球のビジネスモデル改革

米メジャーリーグ野球(MLB)は過去に二度、革命的な変化を起こしている。

一度目は1919年、ベーブ・ルースの出現によって起きている。
それまでは、どんな強打者でも10本程度で記録にも残されず、
評価もされなかった「偶然の馬鹿当たり」を、ルースは29本も放ち、
翌年は54本を放つに至って、ファンは考え方を変えた。
野手の頭上を遥に超える打球を「卑怯な打法」と断じ、
タイ・カップ式の守備の間を抜く狙い打ちこそ「野球の王道」とするオールドファンも、
考え方を改めざるを得なかった。
かくしてホームラン時代が幕を開けた。

それは四半世紀遅れて日本にも伝わり、
終戦直後の青バット・大下弘&赤バット・川上哲治以来、中西、野村、王などを経て
現在につながる。

二度目の革命は1997年。
アスレチックスのゼネラルマネジャー、ビリー・ビーンがもたらすことになる。
野球の様々なデータを再分析した「セイバーメトリスク」を基本にチームを編成、
打者や投手に対する新しい評価基準と、戦略的に対する新しい考え方を実践し、
ヤンキースの三分の一の選手年棒で同等の成績を残した。
以降はこの考え方が採用され、現在の黄金の時代を迎えるに至っている。

さて日本のプロ野球はどうか。
「プロ野球は巨大なスポーツ・ビジネスである」
という絶対的なテーマを認識しないまま、誰がリーダーシップを取り、
どんなビジョンを持つべきかも考えないまま、
漫然とした親会社の利益中心の活動の中で、停滞したままになっている。

5月5日の東京ドーム。
背番号55・ゴジラ松井がマウンドに立ち、
背番号3・ミスター・長嶋茂雄が打席に立つ。
そして捕手は原辰徳・巨人軍監督。
審判が(背番号96)96代内閣総理大臣・安倍晋三。
ミスター+ゴジラの国民栄誉賞同時受賞に対する豪華絢爛のセレモニーに、
日本中が沸きに沸いた。
この際自民党の思惑はしゃ~ない、いいものはやはりいい…

かっては、読売グループにとって巨人戦は最高のキラーコンテンツだった。
しかし現在、テレビの視聴率は二桁を割り込み、地上波放送もほとんどなくなった。
読売の戦略上も、巨人戦チケットの威光は年々低下している。
巨人戦凋落のきっかけとなったのが
ゴジラ・松井のメジャー移籍(NYヤンキース移籍)だったのは認めざるを得ない。

「人気復活の起爆剤はゴジラの巨人復帰しかない」
「少なくとも他のチームのユニフォームを着ることは絶対に阻止しなければならない」
とするのが読売関係者の考え方だった。
そして今回の国民栄誉賞受賞は、
あくまで官邸主導で、読売主導ではないと強調はされている。
しかしどうにも怪しい、と考えるのは自分だけではあるまい。

仮に官邸主導であるにしろ、
ゴジラが55番のユニフォームを着けて東京ドームに現れたということは、
「55番という“栄光の背番号”を、二流の新人(大田泰示)に与えてしまった」
巨人軍首脳の(迂闊な)凡ミスを(ミスターの介添えで)許したということであり、
ゴジラの巨人軍監督の可能性が濃くなったと見るのが妥当なようである。

しかしミスター+ゴジラだけで日本のプロ野球は変貌するか。
何となく
「変わるのはいつ?」
「それは今でしょ!!」
のフレーズが浮かぶが、さて....


2013年05月11日

地方銀行が”従来の銀行”で生き残れるか

今年に入って、大手スーパー・イオンの銀行開業が(急激に)話題になり始めている。
謳い文句は「年中無休。窓口業務は午後9時まで」。
異業種として金融に初めて本格参入したのはソニー銀行。
ご存じの通り、日本初のネット銀行である。
送金(外国送金含む)等はネットで、現預金の出し入れはセブンイレブンを中心にした
コンビニでやるといった(画期的な)業法である。

こうした異業種の金融参入と共に、
「銀行とは一体何か」
「銀行とはどうあるべきか」
のテーマが大きく変化し始めている。
ATM(自動預金受払機)の大々的な普及により
「銀行業務は午前9時から午後3時まで」という概念はとっくの昔に崩れ去ってはいるが、
年中無休・午後9時まで営業となれば、「銀行そのものの概念」が変わり始める。

確かに銀行は、個人預金の出し入れ(リテール業務)の他に、法人を中心とした貸出業務も
重要な業務ではある。
こうした背景から地方銀行は
「地域経済に密着する」あるいは「規模の拡大のメリットを享受する」という言い方ができ、
また通用してきた。

ところが21世紀に入ったここ10年、新幹線を中心とした交通網の整備によって、
地方に拠点を置く必要性がなくなってきている。
また新幹線整備は(経済の)トンネル現象を起こし、地域経済そのものに資金需要が
減退している。

地方銀行の最大のネックは、
近代金融の根幹スキムであるべき「金融市場参入」を放棄している点である。
為替取引をしていない(為替市場に参入できない)のに外貨預金を売る、
株式取引をしていないに投資信託を売るといった等の、
近代金融にあるまじき本末転倒の事態を引き起こしている点である。

かくして
「預金は減る」
「貸出先が見当たらない」
「リスクは負いたくない」
といった(三重苦の)劣悪な環境の中で、国債依存に頼らざるを得ない状況に
なっていった。
地銀全体の国債保有額は過去10年で倍増、40兆円規模になっている。
長めの国債保有率が高く、償還までの残存年数は平均4年強と、
大手行の平均2.5年より長い。

そして今年に入っての日銀の異次元緩和である。
日銀が長めの国債を買う方針を打ち出すと、長期ゾーンの国債の利回りが急低下。
「余った資金を国債で運用しておけばある程度の利益が上がる」局面は終わった。
さてどうするか。

21世紀に入って地銀は、黙っていても預金だけは集まるといった幸運があった。
”地元の盟主”と標榜するプライドが保たれた要因だったが、
ソニー銀行やイオン銀行の進出で、その牙城も崩されるのはもはや時間の問題。

これから先、またぞろ無理矢理の(無駄な)吸収合併劇が頻発するだろうが、
「銀行自体のビジネスモデルが大転換している」状況において、
地銀の生き残りは極めて難しい。

ネットが完全に根ついた今、銀行業そのものが変わる時期。
三菱東京UFJ、三井住友、みずほの三大メガバンクの時代の定着と共に、
地方銀行の使命は稀薄になり始めている。
これも時代の流れだが、さて…


2013年05月04日

ほたるいかのフルコース

日頃から本ブログにアクセスを戴いている皆様、
今年は“中抜け”となっていることから中途半端の感は否めませんが、
大型連休(通称・黄金週間)を如何お過ごしですか?

私は例年通り、実家方面におります。

帰ったのが2日。
誠に寒い日で、最寄のJR駅を降りた途端、こりゃ世界が違うわと思った次第。
東京駅では「如何に汗をかかないようにするか」がテーマだったのに、
実家方面ではコートにマフラーの世界。
で、ジーンズのハーフを着用していた自分は当然のように奇異に見られました。
いい歳こいて、何やってんだあんた?ってな雰囲気。
え~えそうです、どうせ私は変わり者でございます。

実家方面は相変わらずでございます。
ひと通りが全くと言ってなく、午後7時を過ぎれば、母親との「二人の世界」と
相成ります。
日頃から酒三昧の世界にいる自分が、なぜ缶ビール2本でダウンするのでしょうか。
多分、幼き頃から思い知らされた母親の威力に委縮しているとしか思えません。
6時頃から食事を始めても、7時半には「もう寝るわ!」ってなことに。
「もう少し飲まれ!」と言われましても、アルコールが入っていきませぬ。

で、ズコンと熟睡し、やおら12時半位に目覚め、後は朝まで市場をお友達に
ずっと起きているという次第。昼夜逆転もいいとこ、であります。

ところで本題。
自分の実家のある滑川は、ほたるいかで有名。
(実は売り物が、ほたるいか“しか”ありませんが…)
最近ではすしの“大産地”東京・築地でも、ほたるいかに関しては“滑川産”と
いうロゴがつくようになっております。
要は「滑川のほたるいか」はもはや日本のブランド。
もう少しオーバーなロジックを展開すれば、「築地」は世界のブランド、
従って「滑川のほたるいかは世界のブランド」ってことに相成ります。
また最近では、携帯だろうがPCだろうが、「なめ」まで入力すれば
「滑川」に変換されます。
お疑いなら、一度試してみて下さいませ。

世界の滑川だ?少々オーバーだろうが?とおっしゃるかもしれません。
ごもっともでございます。
しかし2015年の北陸新幹線完成を目前に、悲しいことに、我が滑川では
何らの施策もされておりません。
ここ一番、故郷の大宣伝をしておかねばと思っております。
皆様、滑川は今や“世界のNAMERIKAWA”ですぞ!!!

そして4日、知人から「ほたるいかを食べたい」とのリクエストあり、
以降も宣伝するからには、ここはひとつ“ほたるいかのフルコース”なるものを
経験しておかねばなるまい、と老舗の専門店に出向きました。
あんなもん、フルコースになるんかい?などと小馬鹿にしておりましたが、
何の何の、それはそれで見事な流れでありました。

付き出しから始まって、刺身、かま揚げ、酢の物、煮物、てんぷらまで、
フルコースと銘打つだけあって、これでもかの、ほたるいかのオンパレード。
特別メニューに「ほたるいかのしゃぶしゃぶ」まであるそうな。
酒を飲むと、さっぱり食べることができない自分も、頑張って完食致しました。

聞けば最近では、昼食の団体客から、海外からの観光客も多いとか。
ふ~んそうなんだ、でも昨今のネット社会、何でもっと上手に宣伝しないんだろ、
もうちょい何とからならないんだろか、などと考えておりました。

新幹線の開通でトンネル現象が顕著となるのは目に見えています。
強烈な逆風が吹く中で、遅まきながら滑川も生き残る道を模索するしかありません。
不肖私も、滑川が老人の街、置いてきぼりの街にならないよう、微力ながら全力を
尽くしたいと考えております。
「ほたるいかの街・なめりかわ」をどうぞよろしく!!


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