2013年12月29日

TV番組から回顧する2013年

岡目八目。今年のテレビ番組から2013年を回顧してみたい。

日本でテレビ放送が本格的に始まって60年、
地上デジタル放送開始から10年にあたる2013年は、
放送界の転機であったのかもしれない。
最大のトピックスとしては「あまちゃん」「半沢直樹」のヒット、
そして「東北楽天イーグルスの躍進」だった。

合わせて数百点にのぼる関連商品が生み出され、
「じぇじぇじぇ」「倍返し」といったセリフが流行語大賞に選ばれるなど
社会現象となり、テレビ離れといわれる放送界は一息つく格好となった。

ただ一方で、
1982年放送開始のギネスブック登録までされたフジテレビ「笑っていいとも!」や
TBS「はなまるマーケット」の来春での終了決定など、
各局は時代の変化や視聴者層の変化に更なる対策を迫られている。

考えてみるに2013年は、総じて「頑張ろう東北」がテーマになったように思う。
「あまちゃん」は北三陸が舞台であり、
NHKの大河ドラマ「八重の桜」は福島・会津が舞台となり、
プロ野球楽天は仙台が舞台となった。
遅々として進まない3.11東日本大震災の復興に、日本全国各地から国民全体が
声にならない声を上げた格好ではあった。

「会津は逆賊ではない!」がテーマとなった「八重の桜」は、
明治維新成立の裏で“捨石”となった会津の姿を明確に描き出し、
それはあたかも福島原発事故を巡る一連のゴタゴタを連想させるものだった。
東京電力(=政府)が江戸幕府であり、原発の被害に遭った地区住民が会津藩と
考えれば、現状をシリアスに皮肉るシナリオであった。

東北楽天イーグルスの初優勝は“頑張ろう東北”の流れに拍車をかけ、
TV桟敷を熱狂させた。
久し振りに野球の醍醐味を味あわせてくれた。
立役者はエース・田中将大。24勝ゼロ敗。
文句のつけようのない完璧なMVP(最高殊勲選手)だった。

新球団の船出は惨憺たるものだった。
最初の試合こそ岩隈久志の完投で3-1で勝利したが、2試合目は0-26で大敗。
その後も負け続けて初年度は38勝97敗1分け。
各球団から寄せ集めた集団はとてもプロとは言えなかった。
まさに“お荷物”だった。

そんなボロ球団を立て直したのは、名匠(名将)・野村克也監督。
初代が田尾安志、二代目が野村克也、三代目がM.ブラウン、4代目が星野仙一。
現監督の星野さんには悪いが、はっきり言えば“いいとこ取り”。
根幹の土台は野村さんの手によるものと思う。

3.11東日本大地震から約3年、日本全体に東北支持の流れにつながり、
その流れの中に楽天の優勝があった。エース田中将大はMLB移籍がほぼ決定、
楽天がこのまま勝ち続けることは考え難いが、3.11東日本大震災に絡んで、
今年の楽天の活躍は間違いなく歴史的に評価されるものと思う。

近年、テレビ視聴者が高齢者中心になってきていると言われているが、
今年のヒット作は必ずしも高齢者が生み出したものとは言えない。
要するに“中身”である。
中身がよければ老若男女はテレビに目を向ける。
簡単なロジックと思うが…さて来年は???


2013年12月24日

「(本格的な)おもてなしの店」が消えてく...

今年の流行語大賞は「じぇじぇじぇ」「倍返し」「(やるのはいつ?)今でしょ」
そして「おもてなし」。
特に「おもてなし」は、今年「和食」が世界無形文化財に登録され、
2020年東京五輪決定の“決め手”となったことから、
2013年を語るには特に印象深い言葉になった。

「もてなす」とは「ご馳走する」「手厚く取り扱う」(角川国語辞典)。
この「手厚く取り扱う」のは簡単そうに見えて、簡単なことではない。
一時的にできても、それを(さりげなく)恒常的に行うのは容易なことではない。

銀座コリドー街(銀座6丁目)の入口、帝国ホテルへのガードの手前に
「HIDORI」という二階建ての和食店がある。
創業は2002年。今年11月に創業11周年を迎えた。
そして自分はこの店に週二ベースで足掛け9年通った。

この「HIDORI」はカレーのルーやおでんの素で著名なSB食品の直営店。
山崎達光会長(当時)が、ヨット絡みの親友で俳優の故石原裕次郎と飲み歩いた当時の
待ち合わせした和食店をモチーフにしている。
さりげない大人のもてなし、それがHIDORI流と思う。

世界の有名ワインが取り揃えてあり、日本酒も渋い銘柄が多数。
料理の味付けはどちらかと言えば関西風の薄味。
メニューには京都発の湯葉などもあり、魚・肉料理の双方が楽しめる。
仕上げは茶そば、稲庭うどん。お茶漬けも各種取り揃っている。
客単価は3000~5000円。
例えば男二人でしこたま飲んでも1万円を超えるかどうか。
世界の銀座という場所柄を考えれば、まずは安価な部類に入る。

山崎会長は日本セーリング連盟(ヨット連盟)会長もしておられたから、
日本中のヨット仲間が集った。
また創業当時のSB食品は瀬古利彦を中心とした陸上部の全盛時であったから、
そうしたスポーツ選手も数多く見かけた。
喧噪の中に”(大人の)渋さ”があった。

「HIDORI」と聞くと、”焼き鳥屋??”を連想されると思う。
最初は自分もそう思った。
しかし「HIDORI」は純粋な和食レストランで、焼き鳥はメニューにない。

なぜそんな“まぎらわしい”ことを…??
種を明かせば、SB食品の由来が「SUN&BIRD」。
SUN=太陽、BIRD=鳥。
「ひ(陽)+とり(鳥)」で「ひどり=HIDORI」となった。

ワセダの大先輩山崎会長との出会いがあり、
銀座の和食に腰を据えて通った(正確には”通わせてもらった”)のは
この「HIDORI」が最初だった。
由緒正しき銀座の雰囲気、言葉を代えれば、
日本伝統の「もてなす心」や「おもてなしの心」を徹底して学んだ。

通い始めて3年も経つと「青柳シート」や「青柳グラス=マイグラス」が与えられ、
普通はやらない「ボトル・キープ」さえ許された。
”免許皆伝か?”と言って、店の従業員に笑われた(苦笑された)。

その由緒正しき和食店が12月27日をもって閉店する。
詳しい事情は知らないが、SB食品本社の強い意向らしい。
さてこれからどこを本拠地にするか。
考えるとしんどくなる。
苦い年の暮れである。


2013年12月14日

消えた日本の喫茶店文化その後

消えた日本の喫茶店文化その後
喫茶とは「茶を飲むこと」(角川国語辞典)、
喫茶店とは「飲み物・菓子・軽い食事を飲食させる店」(同前)とある。

街中から喫茶店が消え始めたのはいつの頃だったろうか。
考えるに1980年代前半あたりからだったと思う。
それまでは、「茶を飲む」とは「コーヒーを飲む」が一般的だった。
「お茶する?」とは「コーヒーを飲みに行く?」とほぼ同意語だった。

そして喫茶にはタバコが付き物だった。
20世紀後半あたりから禁煙ムードが拡大、
現在ではあたかも“犯罪のような”扱いをされるようになった。
その禁煙ムードも喫茶店を消滅させる大きな要因のように思う。

概念論はともかく、街中の喫茶店を(実質的に)駆逐したのは
セルフサービスのカフェが根付いたからだった。
先鞭を切ったのはドトール。
1983年にスタートしたドトールの形式は徐々に拡大、
マクドナルドやスターバックスが後を追う格好となった。

喫茶店のコーヒーは、過去も現在もラーメンの値段とほぼ同じと思う。
自分の学生時代、ラーメンは確か120円前後。
コーヒーの値段もそのレベルだった。
1980年代はその値段が500円前後に上昇していた。
殴り込みをかけたドートールはコーヒー一杯を200円前後で販売した。
ただひたすらコーヒーを飲みたい者は、その安さに流れていった。

たばこの歴史も喫茶店と同様だと思う。
喫煙が当たり前だった1970年代から、
1980年代に入るとセルフサービスのカフェでは分煙となり、
ついには店内全面禁煙となった。
今ではタバコを吸うなら屋外へどうぞというスタイル。
(ご存じのように)NYでは屋外での喫煙も「NO!!」のサインを出している。

こうした「安さ・禁煙」が売りのコンビニ・カフェの流れを変えたのは
スターバックスだった。
客単価を600円前後と少々高めに設定、コーヒー類の品質の高さと、
ゆったりした内装、無線LAN環境を備えた「居心地のよさ」も“売り”にした。
確かに新鮮だった。

かくしてスターバックスは、自宅でも学校・職場でもない、
そして一流ホテルにもない「(カジュアルな)居場所」を提供することで
消費者の支持を得て日本全国を席捲、スタバの愛称で呼ばれるようになり、
日本独特の文化とまで言われるようになっていった。

自分の場合、コーヒーはアイスコーヒ一本槍。
「夏でも冬でも、アイスコーヒ」である。
ただ日本以外ではアイスコーヒーは楽しめない。
一見英語に見える「アイスコーヒ」は実は日本の造語である。
シアトルを本社とするスターバックスは、そのアイスコーヒも日本仕様にしている。
違和感がない。根付くはずである。

ただその勝ち組スターバックスにも異変が見える。
今年10月の売上は前年同月比1%減と15カ月振りに減少した。
危機感を感じた同社は、店内調理のパンやジュース、酒類も提供することを企画、
今年から開始した住宅街中心の高級店で“実験”を開始している。

セルフサビースカフェ各社は、かって自らが駆逐していった喫茶店を見直し、
更なる進化を図ろうとしている。
1960年代から1970年代を謳歌した「日本の喫茶店文化」は消滅した。
そして「喫茶店」はもはや死語になりつつある、残念ながら…


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