2014年05月31日

大入りの夏-復活の兆しを見せる大相撲人気は本物か-

自分のランニングコースの定番は隅田川沿いのコース。
最長コースは佃大橋から浅草・桜橋まで、往復約25㌔。
それはあくまで調子のいい時で、通常は佃大橋から両国橋まで、往復約10㌔。
両国橋では(浅草方面に向かって)河岸の左から右にターンしなければならないので、
両国橋が大きな分岐点になっている。

このコース、
東京スカイツリーが完成した後は、世界に誇れるランニングコースになったと思う。
ゼロメートルが続くので、まるで水の上を走っているような錯覚に陥らせる。
そして春夏秋冬、隅田川は江戸前の独特の風情を見せる。
春の桜も格別だが、初夏のさわやかな風が水面を走る5月も快適である。
そんな皐月の両国国技館で開催されるのが5月場所=夏場所。

前置きが長くなったが、今年の夏場所は熱かった。
というよりも突然のように人気が回復した。
東京場所としては若貴ブームに沸いていた1997年以来、
17年振りに大入りが10日間となった。

きまぐれに相撲を見に行くかと、試しに国技館にTELしてみた。
午前8時で満員札止めとのこと。
正直驚いた。一体何が変わったのだろう。

八百長問題に揺れ、大相撲の存続まで問題にされたのは3年前あたりだったか。
大相撲という日本独特の文化は消してはならないと、
部屋制度を中心とした古式然とした体質改善が大々的に問題にされた。
とは言え、米大リーグ(MLB)に絡み始めた日本のプロ野球や、
もはや無国籍の世界のスポーツ・サッカー等に競合できるはずはないと思っていた。

角界と呼ばれる日本オンリーのスポーツも、平成になったあたりから門戸を開放し、
アジアならず欧州やアフリカの力士もいる昨今である。
そして3横綱時代になった現在、白鵬・日馬富士・鶴竜の3横綱が全てモンゴル出身と
いう、本末転倒の“異常な”世界になっている。

日本人以上に的確に日本語を話すモンゴル・3横綱をみるにつけ、
日本の相撲は一体どうなるんだ、という危機的な意識があった。
とにかく勝てない。なぜか土壇場に弱い。
そのあたりの漫然とした危機感は、日本人全体が持っていた共通認識だと思う。

面白くない、日本人力士が活躍しないとなれば、座席のガラガラも当然。
座席の半分も埋まらない日々が続いていた。
TV中継でも、そうした“閑古鳥”状態を避けようと、
敢えて全体を映し出すこともしなかった。寒々とした風景が続いてきた。

(日大相撲部出身の)遠藤という、
いかにも和風の新進気鋭の力士が出てきたことがきっかけとなったのは間違いない。
だがここ5年以上、日本人力士の優勝はない。
従って、日本人横綱は出ていない。
モンゴル人力士を中心とした世界が続く気配ではある。
「大学から入門しても三役くらいまでは早いけど、それ以上は伸びない」
「それは指導が悪いから」との声も聞こえてくる。

何でまた相撲人気が出始めたのだろうか。
余りに画一化されたデジタルな世界に飽きたからか?
単なる一時的な懐古なのか?
相撲という限りなくアナログな世界への興味が継続するのか?
日本相撲協会に抜本的な対策はあるのか?

今回の人気、なぜかアベノミクスの感覚に似ている。
一時的な現象に終わらないことを祈りたい。


2014年05月24日

「集団的自衛権」の検証

最近論議されている「集団的自衛権」とは一体何か。
憲法解釈を巡る論議なので簡単ではないが、
ざっくり言ってしまえば以下のようになるではないか。

町内会に金持ちの絶対的権力を持つおやじがいて、町内のならず者などに目を光らせ、
守ってくれていた。
しかし最近めっきり金回りも悪くなり、体力も衰え、すっかり弱気になり
「力を貸してくれ」というようになった。

だが我が家には
「(町内会費等の資金は出すが)よその家の争いには手を出さない」との家訓があり、
長年にわたり騒動には距離を置いてきた。
ただ、何もしない家が町内で我が家だけになり、家族の中から、
「町内の付き合い上、これまでのようにはいかないだろうと」の声が上がり、
家訓を巡って論争になっている。

「国家の自衛権」には二種類ある。
「個別的自衛権」と「集団的自衛権」である。
「個別的自衛権」とは、自国が他国から攻撃されたり、侵略された時に自国を守る
権利である。
日本国憲法では「戦争の放棄」を定めているが、
自国を守る権利まで放棄したわけではないと解釈されている。

一方「集団自衛権」とは、自国と仲のいい国が他国から攻撃された時、
自国が攻撃されたのと同じと考え、他国に攻撃する権利とされている。
この「集団的自衛権」については国連憲章・第一章第一条で、
侵略行為などがあった時、国連加盟国が「集団的措置を採ることが可能である」
と明記している。

この国連憲章について、
(内閣での憲法解釈に責任を持つ)内閣法制局は
「国家である以上日本も自衛の権利は保持し、また集団的自衛権の権利も保有している」とする。
しかし日本国憲法第9条で
「武力の行使は、国際紛争を解決する手段永久にこれを放棄する」と定めることから
「集団的自衛権は行使できない」と判断してきた。

安倍政権は、上記の内閣法制局の解釈を変え、「集団的自衛権を行使できる」ように
しようとしている。
安倍政権は「我が国を防衛するために必要最小限の範囲内」との制限の条件を
付しているが、「必要最小限」という”曖昧な”表現を巡って論議が白熱化している。
どの程度なのか、少しづつ拡大解釈されるのではないかとの不透明感は残る。

日本は日米安全保障条約で、中国や北朝鮮等の国々から軍事的脅威から庇護されている。
そうした条件下で、
「米国が他国と紛争になった場合、(同盟国の名目で)ズルズルと戦争に巻き込まれる」
リスクを恐れているわけである。

第二次大戦戦後70年を経過し、
「戦争で一人も血を流していない(死者を出していない)国が日本である」
「だから、何がなんでもその方針を踏襲していくのだ」
というスタンスは、余りに虫が良すぎる話ではある。
米国から
「日本のために自国の軍隊の血を流すのか」と反論されれば、どう答えるのであろうか。

自分はタカ派でも何でもない。戦争は避けねばならない。
が、現在のような混沌とした世界情勢の中で、
「リスクは共有しなければならない」が(至極順当な)結論になろう。

2014年05月18日

北陸新幹線は北陸経済を活性化させるか

2015年春、東京と金沢を結ぶ北陸新幹線開業がカウントダウンに入っている。
北陸新幹線は長野新幹線が金沢まで延伸し、東京・富山間を2時間10分、
東京・金沢間を2時間半で結ぶ。
北陸はこれまで首都圏とは新幹線(上越新幹線)と在来線を乗り継ぐ必要が
あったが、越後湯沢or長岡で乗換をすることなく直通することになる。

自分の地元富山には、富山駅の他、
「黒部宇奈月温泉」「新高岡」の2つの新駅が誕生する。
速達型の「かがやき」と、停車駅が多い「はくたか」(従来のL特急と同じ名称)に
名称が決まり、富山・金沢間にはシャトル列車「つるぎ」も走る。

年間輸送能力は1800万席(月間150万席、1日当たり5万席)。
日本投資銀行によると、新幹線開業で、首都圏からの観光・ビジネス客は
富山県で21万人、石川県で32万人増加すると想定している。
またこれに伴う経済的な波及効果は
富山県で88億円、石川県で124億円が見込まれるとしている。

富山県の場合、観光のテーマとして思いつくのは以下の3点だろう。
「立山黒部アルペンルート」を筆頭に、
「八尾おわら風の盆+五箇山集落」「ほたるいか」あたり。
ただこうした観光は季節的要因による変動が大きく、安定的と言えるかどうか。

ホテル関係では、東急ホテルが金沢で改装工事を開始したり、
日英企業の合弁であるIHG・ANA・ホテルズジャパン(東京・港)の金沢進出、
オリックス不動産の宇奈月ニューオータニホテルの買収などが言われている。
温泉地・宇奈月の場合、バブル期をピークに、現象傾向が続いている。
盛り返しは簡単ではない。

ビジネス面を考えれば、北陸三県では大都市と比べ割安にオフィスや工場用地を
借りられるのが最大のメリットだが、企業の進出の可能性は未知数。
”世界的な大企業”YKKは、その発祥地である黒部市に本社機能の一部を
移転させるとしているが、どうみても“新幹線開業お祝い”の色合いが濃い。

悲観的なことばかり言っているが、整備計画決定から約40年、
”悲願の”新幹線開業だが、少なくともバラ色の世界ではない。
地元の中小の老舗の消滅現象が著しく、過疎化現象が更に激しくなることは必至。

抜本的な対策は全く練られておらず、あきらめ感が蔓延する中、
更なる空洞化現象は避けられない。
ごくごく当たり前にコンビニが蔓延し、旧市内からは中小の小売が消滅、
街が街でなくなっている。
特にこれからは”繊維関連産業”は壊滅と思う。
品揃えが悪く、サイズも揃っていない店が生き残っていけるわけがない。
「買い物は東京で!!」が合言葉になろう。

では「抜本的な何か」とは何か。
従来型の施策では通用しないのは間違いない。
従来型の政治家が跋扈する中で、具体案も描き難くなっている。
中央と地元の温度差は大きい。
まずはこれまでの常識論を変え、温度差を小さくすることから始めねばなるまい。

大きな時代の転換期。
完膚なきまで壊滅した後、手探りで何かが始まる。
残念ながら、現状ではそれしか言い様がない。


2014年05月10日

日本の伝統技術をどう継承していくか

実家は築50年。
確かに丈夫で、今すぐにどうのこうのはないにしても、立て直し(リメーク)の
時期に入っている。
実家の間取りは自宅での冠婚葬祭をイメージしていた。
だが、現在の世の中に50年前に予想したような住宅の機能が必要でなくなっている。
昨今のテーマは、「いかにコンパクトにまた住み易くするか」になっている。

そして実家における最大の難関は蔵(土蔵)だった。
火災を前提として壁が必要以上に厚く頑丈になっている。
一体何が入っているのか。
果たして必要なものなのか。
いざ壊すとなると、必要以上の時間とエネルギーと費用がかかることになる。
さてどうするか。

こうした数々の難問を解決する方法が意外に簡単に見つかった。
「もったいない」主義を掲げ、既存の古い住居を快適にしかも現代風にリメークする
ことを得意とする業者が見つかったのである。
「蔵を壊す必要がない」。
まさに発想の転換だった。

昨今では理系人間を育てようとする機運が高まっている。
グローバル競争を勝ち抜くには技術革新を生む優秀な理系頭脳が欠かせない。
ただ理工系の志願者は生命科学や環境技術になどに集中し始めている。

かたや従来の土木や電気・電子、金属、繊維といった国内の産業を支えてきた
基盤技術で、定員の縮小や廃止が相次いでいる。
こうした学科は「絶滅危惧学科」と呼ばれるようになり、
経団連などの経済団体は危機感をあらわにしてきた。
こうした分野は新たな成果が出難いし、外部資金を得られず研究が先細りする。

平成13年春の工学部と理学部の入学者数は10年前に比べて1割ほど減った。
一方、医学や薬学などの保健系の学部は約7割増えている。
成績上位の高校生ほど医学部を目指す。
ただ生命科学や環境技術などの先端分野の産業は発展途上で採用数は多くない。
要するに企業が求める分野と学生との進路はすれ違っていることになる。

米オバマ政権は国家戦略として理系人材育成の充実を掲げる。
オバマ政権が掲げる「STEM(ステム)人材」とは、
科学・技術・工学・数学の英語の頭文字つないだ言葉で、
産業競争強化策のキーワードになっている。
今後10年間でステム人材を100万人増やす目標を掲げている。

この政策の中では、「出る杭(くい)を伸ばす教育」も実践されている。
才能ある子供にはレベルに応じた教育が施され、飛び級や飛び入学で大学に進学する。
中国では「超常教育」が実施され、韓国でも英才教育振興法が施行されている。
こうした世界的な流れの中で、具体化はしてはいないが、
日本の安倍政権も理工系人材育成戦略をつくると発表して久しい。

確かに世界に先駆けて「はやぶさ」を飛ばす宇宙工学等の先進技術も大事には違いない。
ただ「(長い時間をかけて醸成されてきた)日本の伝統技術とは何か」を考えるのも
必要と思う。
大地に根を張った“いぶし銀”の伝統を継承していくのも大事な時代であろう。


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