2014年07月26日

「個人情報保護」の本当の意味

ベネッセ・コーポレション(以下ベネッセ)の情報漏洩事件が世の中を騒がしている。
おおよその顛末は以下の通りである。

ベネッセでは2070万件の顧客情報が保管されたデータベースの補完・管理を子会社に
委託していた。
さらにこの子会社は外部の会社に再委託。
その再委託された会社に勤務するシステムエンジニアが名簿業者に売却した。

ベネッセから持ち出された顧客データは名簿業者間で転売を繰り返され、
最終的にソフトウエア会社「ジャストシステム」が入手。
同社はそれをダイレクトメールの送付などに利用した。
ベネッセの顧客からすれば、登録した覚えのない会社からダイレクトメールが届いて、
事件が発覚した。

問題の発覚を受け、新聞、テレビ等では連日の大報道合戦になった。
背景にあるのは2005年4月に全面施行された個人情報保護法。
この法律の立法趣旨は、
行政や企業に「個人情報の適正な取り扱いを求める」ことにある。
そして個人情報を第三者に提供する場合は、当事者の同意が必要となっている。

ただここで考えなければならないのは、個人情報保護という言葉だけが独り歩きし、
「個人に関わる情報は全てが秘匿されねばならない」といった、
“過剰な考え方”が広がり、定着してしまったことである。
つまりは個人情報保護という本来の考え方からかけ離れた存在になってしまった。

かくして国民の間に巣食った(間違った、過剰な)認識が「個人情報の過保護」を
生み出す結果となっている。
上げればきりがないが、例えば、
幼稚園・卒園名簿への写真掲載を拒否したり、
スポーツ各大会で氏名掲載の拒否があったり、
大学の卒業生名簿の発行を止めたり、
病院の外来患者を番号札の番号で呼び出すようになったり等々、
従来では考えもおよばなかった“歪み”が出始めている。

確かにストーカー行為や、誘拐・拉致・監禁事件も後を絶たず、
無防備のまま放置することもできない世の中ではある。
しかし「プライバシーを守ることが正義である」との考え方が先行し、
「個人情報を完全に遮断」し、「人間関係を否定」すれば、
コミュニティ(地域共同社会)が壊れるのもまた事実である。

都会のマンション生活では、隣人が誰なのか、どういう職業の人間なのかは勿論、
男女の区別さえ定かではない。
回覧板のような制度はなく、必要な情報はフロントの掲示板で入手できるようには
なっている。それが当たり前と思ってはきた。
だが、本当にそれでいいのか。
何か怖い…

ベネッセでは今回の事件のお詫びとして200億円を用意しているという。
一人当たり500円から1000円の計算だが、それをもらってどうするのだろう。
果たしてそんな費用が必要なのか…

ネット上では、さして必要と思われないものを含めて、
毎日、おびただしい情報が流れてくる。
いつどのようにして自分のアドレスを知ったのか??
不必要なダイレクトメールが郵送されて来れば捨てれば事済む。
メールは消去すればいい。
無暗に敏感になり過ぎと思うが、さて…


2014年07月19日

W杯・独優勝で垣間見えた政治・経済の潮流

6月12日(現地時間)から始まったワールドカップ(W杯)サッカーは、
約1ヶ月、7月13日(現地時間)に終了した。独の優勝だった。
1930年に始まったW杯において、南米、北中米で行われた過去7大会で、
欧州勢は優勝したことがなかった。
その意味ではマリオ・ゲッシュ(23)の決めたゴールは歴史的に残るゴールとなった。

今回の独の優勝を可能にしたのは、サッカービジネスの世界で、欧州の独走状態が
続いてきたことにある。
ピッチ上の「欧州対南米の対決」は続いているようには見えたものの、
その実「ヒトやカネが欧州に一極集中している」のが大きなポイントだった。

欧州勢を除く出場19チーム437選手の中で、「欧州組」は約6割に達する。
結局、欧州から見れば、
「世界の優秀な選手は全て自分のリーグにいる」という自負があり、
どこかで“見下ろして戦っていた”点は否めない。

ところで、優勝した独には見逃せない特徴があった。
「今大会でプレーした18人のうち3分の1が二重国籍だった」という点である。
独は1990年に3度目の優勝を遂げた後の2大会はベスト8止まり。
独協会は低迷を機に、それまでの育成や強化の方向を転換した。
2000年の国籍法改正が大きな転機となった。
二重国籍の選手の持つテクニックや独特のリズムを積極的に代表に取り組むことで
復活につなげたことになる。

現在の独では、草の根で楽しむ人々を含めれば国民の5分の1が「サッカー選手」の
肩書を持つと言われる。
その意味でも(独における)サッカーの持つ力は大きい。
54年大会の初優勝は、敗戦国としての独に復興の希望の光となった。
90年の優勝は東西ドイツの統合の直前で、国民に統一国家として歩む勇気を与えた。

現在の欧州各国では雇用不安などを背景に、「移民への排他的感情」が残っている。
その意味でも今回の独の優勝は、
独が遂行した「多民族融合社会に移行した成果」として歴史に残ることになった。

サッカー王国・ブラジルも大きな転機を迎えた。
国際試合では「80年振りの7失点」、「94年振りとなった6点差」となった
準決勝での対ドイツとの敗戦、競技場になぞらえて「ミネイロンの惨劇」は、
1950年にブラジル開催の4回大会でウルグアイに優勝をさらわれた
「マラカナンの悲劇」と同様に大きく取り上げられている。

ブラジルが「サッカー王国」のプライドを捨て、失望感をエネルギーに変え、
50年当時のように「再度世界の頂点を目指す」という理想に燃えて
出直すことができるかどうか。

いずれにしてもイタリア(18回)、スペイン(19回)の大会王者が1次リーグで
敗退したように、出場チームの力量の接近は目覚ましい。
それだけに、4チーム合わせて勝ち点3しか取れなかったアジア勢は、
抗弁の材料は全といってない、残念ながら…

今後は否応なく「国籍を問わないボーダレスの世界への対応」を迫られることになる。
ただ問題は簡単ではない。
サッカーという歴史を積み重ねてきた奥深いスポーツに(本気に)対応するには
更に相当の時間が必要なようである。


2014年07月13日

隅田川・14の橋が語る首都・東京の風情

東京・隅田川とは一般的に、浅草・桜橋から浜離宮・恩賜公園に至る流れを言われる。
今年5月には最下流に15番目の「隅田川橋りょう(仮称)」が架けられた。
実際に通れるのは2016年からで、20年の東京五輪の玄関口となる。

隅田川には個性的な14の橋が架かっている。
そしてそれぞれの橋には架けられるに至った必然性もある。
そうした橋を知ることは日本の首都・東京の発展の歴史を知ることでもある。
今回は桜橋から恩寵公園に至る橋を辿ってみたいと思う。

最上流にあるのは桜橋。
台東区と足立区の境界線に近く、毎年5月には隅田川・早慶レガッタが開催され、
桜橋・両国橋がそのコースとなる。
毎年行われる隅田川花火大会のスタート地点でもある。

言問橋(ことといばし)。
橋自体はまことに地味。
ただ桜橋・言問橋間は桜の名所として特に有名である。
今から約50年ほど前、こまどり姉妹(=現在も現役)という演歌デュオが、
その歌唱の中で取り上げ、全国的に有名になった。

吾妻橋。
浅草寺に近く、最近ではアサヒビール本社ビルの独特のモニュメントも有名。
定期観光船や、多くの屋形舟のスタートとなるのが吾妻橋である。

駒形橋→厩橋→蔵前橋。
この三ツの橋も至って地味。
駒形橋近くには老舗・駒形どぜう(どじょう)があり、
故池波正太郎が著作で何度も取り上げて有名になった。
両国国技館が完成する前には、蔵前橋至近の仮設国技館で大相撲が開催されていた。

両国橋。
江戸・明暦の大火の後に架けられ、幕府が維持・管理した。
両国は、国技館が完成以降は大相撲のメッカとなっている。
両国橋から次の新大橋までが浜町公園に沿っており、
河岸を上がれば日本橋の繊維問屋街となる。

新大橋。
モダンなデザインで有名な新大橋は、江戸時代からあった橋で、
深川に住んでいた松尾芭蕉が句に詠み、歌川広重が浮世絵の題材にした。

清洲橋→隅田川大橋。
ドイツのケルンにあったつり橋をモデルにしたとされる清洲橋は1928年完成。
永代橋と同様に耐震性を重視して設計されたとされ、現在の基準からも高い耐荷力を
持つとされる。
「荷車の時代」から「トラックの時代」を見据えた設計だった。
下流にある隅田川大橋に立つと、東京スカイツリーを背景に清洲橋の優雅な眺めを
楽しめる。

永代橋。
1926年完成。
橋脚と橋脚の間が100メートルを超える堂々としたアーチ型の橋で
「関東大震災」以降の橋梁大型化のモデルケースとなったもの。
永代橋を渡れば、日本橋の証券街に辿り着く。
旧山一証券は永代橋付近にあった。

中央大橋→佃大橋→勝鬨橋。
この三つの橋が象徴するのは臨海地区の発展の歴史である。
月島・晴海などのアクセス向上のために架けられた。

隅田川沿いに住み出して20年を超えた。
大都会・東京での生活の最長記録を更新し続けている。
「何がそんなにいいのか?」と問われれば、明確な答えは出ない。
だが何か魅力的である。淡々とした流れを見ると、いつも癒される。
もはや離れられないと思う。

2014年07月05日

またまた世に問う「やってみなはれ」主義

6月23日、サントリーホールディングス(HD)は、
ローソンの新浪剛史会長(55)を10月1日付で社長に招く人事を発表した。
佐治信忠会長兼社長(68)は代表権のある会長に専念する。

サントリーの発祥は、
鳥井信治郎氏が1898年に大阪市で始めたぶどう酒販売の「鳥井商店」。
鳥井信治郎氏の後を、次男で母方の姓を名乗る佐治敬三氏が継ぎ、
同氏の長男である佐治信忠氏が01年から4代目社長を務めてきた。
創業家出身者以外の経営トップは史上初のことになる。

サントリーHDの2014年12月期の当初の業績予想は、
売上高で前期比9%増の2兆2200億円。
これに5月に買収した米蒸留酒大手ビーム(現ビームサントリー)の約2000億円の
売上高が加わると、キリンホールディングスを抜き、国内の食品・飲料企業で
最大手になる見通しになっている。

佐治信忠現社長兼会長は、00年後半から欧州やアジアで買収を加速した。
09年にはキリンホールディングスとの経営統合を仕掛け
「世界で戦える総合食品・飲料グループ」を目指したが、結局は2010年に破談した。
だが今年5月の1兆6千億円を投じたビーム買収で、英ディマジオなど、
世界的な酒類企業と互角に戦う切符を得ている。

一方、43歳で三菱商事からローソン社長に転じた新浪剛史氏は、
12年間で国内店舗数を4000店増やしたほか、
女性をターゲットにした健康志向の「ナチュラルローソン」や、
生鮮コンビニ「ショップ99」を傘下に収め「ローソンストア100」などの
チェーン展開する独自の発想で同社を成長させた。

佐治・新浪両氏は、慶応大学の先輩・後輩の仲。
また佐治氏がカリフォルニア大学ロサンゼルス校、新浪氏がハーバード大と、
米国の大学留学というキャリアも同じ。

同業者の新浪氏に対する評価は
「常識を知らない」
「奇をてらい過ぎ」
といった冷ややかな評価があるのも事実である。

しかし新浪氏には「常に新しい取組に挑むことが大事」とする自由な発想が源泉と
なっており、新事業開拓につながっている。
佐治氏はこうした発想・行動が、サントリーの「やってみなはれ」の精神に通じる
との評価を下している。

プロ経営者を招くことは欧米では一般的だが、日本企業では企業文化の継承などを
重視し、生え抜き人材をトップに起用することが多かった。
ただ、グローバルな市場で競争が激化する中で、幹部を長期間かけて育てる余裕は
なくなっている。

ビーム買収から以降、
サントリーの“無謀とも思える”積極策に危惧を抱く向きもあるにはあるが、
同社の日本経済に新風を吹き込もうとするスタンスに総じて好意的である。

ここを先途の一気呵成の攻めに入ったサントリー。
またまた世に問う「やってみなはれ」主義。
大阪商人の21世紀前半の大きな“試金石”ではある。

日本経済に吹き込む新しい風。
“清々しい春の息吹き(=青春)”の匂いがしてならない。
応援せざるを得まい。

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