2014年08月30日

米シティの日本撤退と周辺の事情

米シティグループが、
日本国内の個人向け銀行業務を売却する方針であることが明らかになった。
「最終的には日本撤退を視野に入れている模様である」と報道されている。

米シティグループは世界160以上の国と地域に進出、約2億の顧客口座を持つ
世界有数の金融グループ。本社はニューヨーク。
個人向け銀行業務、クレジットカード、投資銀行、証券など幅広い金融商品の販売や
サービスを世界中で展開している。

日本進出は1902年。
シティバンクの前身が横浜支店を開設している。
1973年、東京証券取引所に上場。
1998年、シティコープとトラベラーズ・グループが合併し、シティグループが誕生した。

2007年、100%子会社として日本法人のシティバンク銀行を設立。
首都圏を中心に個人向けに33拠点を構え、預金や住宅ローン、運用商品の販売などを
幅広く手掛けた。
国内の預金量は中堅地方銀行並みの約3兆6千億円。
日本で初めて24時間365日取引できるATMを提供している。
また外貨預金は日本国内有数の規模となっている。
特に、世界各地でその国の通貨(現金)を手にできる「マルチマネー口座」は
“シティの最大目玉商品”だった。

進出100年を超える古参中の超古参のシティがなぜ日本から撤退するのか。
大きな曲がり角は04年の金融庁から受けた一部業務停止処分。
富裕層向け業務でマネーロンダリング(資金洗浄)が疑われ、
富裕層向けプライベートバンキング事業から撤退するという、大きな代償を払った。
さらに09年、11年にも資金洗浄や投資信託販売を巡って行政処分を受けたことが
決定的となった。

振り返って、日本は豊富な個人資産と安定したビジネス環境を誇るが、
他のアジア諸国ほどの成長は期待できない。
また長引く低金利で金融収益は低迷したままになっている。
そして預金偏重の保守的な国民性はなかなか変わらず、
欧米流の手法で収益を拡大するシナリオは描きにくい。

こうした環境下で、個人向け金融業務を手掛けた英HSBCや、
英スタンダードチャータードも事実上、日本から撤退している。

今年の4月以降、財務省高官による「日本の金融・第二次整理統合の必要性」を
説く考え方が表面化した。
つまりは、日本の三大メガバンク、三菱東京UFJ、三井住友、みずほによる
日本の金融の系列化を図る流れ、結局は旧地銀、旧第二地銀等を整理統合して
「日本には三つの銀行しか存在しない」世界を構築するという考え方あるように
思えて仕方がない。
それが「国民総背番号制度=1国民1銀行口座」の考え方に適合する。

アベノミクスによる一連の政策が表面的には成功したようには見える。
が、その実、国債の乱発リスクにおびえる姿も垣間見える。
「日本国債は日本国民の預貯金が担保しているから大丈夫」という大原則を
徹底し始めたと見ることもできる。

知らないうちに、「日本から外国銀行が総撤退する時期」が到来している。
外国銀行を追い出していいのか。
こうなるに至った意味を考える時期である。
果たして日本はどこに向かうのか…
荒れ模様である。

2014年08月24日

IT業界の巨大な妖怪・グーグルの脅威

日頃から本ブログにアクセスを戴いている皆様、残暑お見舞い申し上げます。

昨今の異常な暑さに、サボっておりました。申し訳ありません。
ようやくにして、少しは涼しくなってきましたので、また頑張ります。
よろしくお願い申し上げます。


今から10年前、それは2004年にグーグルが株式を上場した時期と重なるが、
母親に「酔っ払い運転が可能な時代が来る」と言って母親の目を丸くさせた。

今年5月に世界に向けて正式に披露された、ハンドルもアクセルもなく、
人口頭脳(AI)が人を目的地に運ぶ自動運転車のことを言ったつもりだった。
母親にとっては、酔った挙句の身内での、“いつもの夢の話”の類だった。
“あるはずのない世界”だった。

07年1月、インタビューに応じた米マイクロソフト会長・ビル・ゲイツは
「今後はグーグルの世界になるだろう」と喝破した。
パソコン用基本ソフト(OS)で9割超のシェアを誇り、
米IBMから奪ったIT業界の盟主の座は誰もが安泰と思った。
だが新興のネット起業の台頭は、帝王・ゲイツに強烈な警戒感を抱かせたのであった。

米スタンフォード大学の博士課程検索エンジンの研究をしていたラリー・ペイジと
セルゲイ・ブリンが1998年9月に創業したグーグル。
ラリー・ペイジが初代の最高経営責任者(CEO)に就任。
2014年の売上高は上場した04年の19倍。
純利益は32倍に増えた。
時価総額は14倍の3919億㌦(約40兆円)で今や世界第三位。

収益の源泉はネット広告収入。
2014年4~6月期決算でみると、約160億㌦の売上高の9割を占める。
主力広告「アドワーズ」は、検索キーワードと関連する内容の広告を検索結果画面に
表示するため、広告効果が高いとされる。
米調査会社に拠ると、
13~14年のネット広告市場での世界シェアは30%超とされている。

「ググる」という言葉と共に日常生活の一部となった検索サービスは
159カ国語に対応している。
利用件数は全世界で毎月1000億回超。
電子メール、地図、プラウザー(閲覧ソフト)、SNS(交流サイト)など、
大半のサービスは無料で利用できる。
スマートフォン向け基本ソフト(OS)「アンドロイド」は世界の8割のシェアを握る。

以上、概略を簡単に説明してみたが、グーグルの手法はマイクロソフトと対極的。
検索やメールは無料で提供する。
数年ごとに改良するパソコンOSと違い、サービスは日々進化する。
「ネットはタダ」を常識にした上で、
行動したり判断したりする時は「まずググる」手法を社会に根付かせた。

ソフト販売による高収益経営が揺らいだマイクロソフトは、
08年にヤフー買収を画策するも失敗。
今年4月にはOSの一部を無償提供する歴史的な路線転換を決めている。
アップル最高経営責任者・スティーブ・ジョブズ亡き後は、ググールの独走態勢となった。

かくしてこの10年で「世界のグーグル化」は確実に進んだ。
米航空宇宙局(NASA)や米国防省の国防高等研究計画局(DARPA)などとも
関係の深いグーグルの動きは、世界の技術開発の方向性をも左右する。
例えば、伝統企業がひしめく自動車産業への挑戦は、荒唐無稽には見えるが、
グーグルには常識。

人工知能(AI)の本格開発は始まったばかり。
「非常識が常識になる時代」の到来である。
グーグルが暴走すればまず止められない。
巨大な妖怪グーグル。まさに21世紀の脅威ではある。


2014年08月09日

インド最大の財閥・タタ・グループの研究

日経新聞最終ページに掲載「私の履歴書」の7月版は、
インド・タタ・グループの5代目会長のラタン・タタ氏のものだった。

1ヶ月、興味深く読ませてもらった。
総じて後進国の範疇に入るインドの一企業・タタ・グループが、
如何にしてその名を世界に轟かすに至ったのか、まずは興味津津だった。

タタ・グループの創業は1868年。
日本の元号では明治元年。
150年近い歴史があることになる。
現在では製鉄・自動車・電力・IT・化学・通信・食品・ホテルなど
傘下企業は100社超。売上高は1000億㌦(約10兆円)。従業員は50万人超。

タタ・グループという名が世界に注目され、知れ渡るのは、
2007年の英蘭鉄鋼大手・コーラス(67億ポンド=約1兆1600億円)、
および08年の英高級車「ジャガー・ランドローバー(JLR)」(23億㌦=約2350億円)
の買収。インドの企業が名だたる世界の企業を買収したことで衝撃が走った。
そして09年の10万ルピー(約17万円)の低価格車「ナノ」の発売も衝撃的だった。
10万円台の乗用車???既存の常識を破るものだった。

タタ一族は古代ペルシャのゾロアスター教徒の末裔。
イスラム教の隆盛に伴い、11世紀に祖国を追われた教徒の一部が、
船に乗ってインド西部に辿りつき、やがて定住するようになった。
以降はペルシャを意味する「パルシー」と呼ばれるようになり、
カースト制度に組み込まれることなく、自由な活動を許されてきた。
現在のインドに約6万人のパルシーが存在すると言われ、強固な共同体を形成している。

タタ・グループにはユニークな数々の特徴がある。
まず汚職が横行するインド経済で賄賂の支払いを一切拒否してきたこと。
また政治献金は禁止、そして特定政党を支持しないことも規則で申し合わせている。

そして何よりも特徴的なのは、
グループ持ち株会社の株式をタタ一族の慈善団体が所有し、毎年その収益から
巨額の配当を農村や貧困者、教育、医療、文化などに社会還元している点である。

短期的な利益は追及せず、長期的な視点から社会全体の発展に寄与することが
企業の存続につながると固く信じている。
インドという混合経済体制で息の長いビジネスをするために身に付けてきた
知恵なのかもしれない。

タタ・グループと日本のつながりも古い。
1983年、創業者のジャムシェドジーが来日、東京で渋沢栄一と対面している。
会談の狙いは日印定期航路の開設だった。
当時世界有数の綿花産地だったインドは輸出航路を欧州勢に独占され
高い運賃を課せられていた。
渋沢栄一はムンバイ・神戸間の定期航路を開設、欧州勢の運賃引き下げを導き出した。

30回の連載を読み返して感じることは、インドという
「カースト制度を基本とする閉塞された世界で成功するのは並大抵ではなかった」
という点である。
米コーネル大学建築科を卒業し、米国の生活からタタ・グループに入社する氏の
経歴はやはり波乱万丈である。

今回の連載を読んで、インドという“不思議な国”が少し身近になった気がした。

2014年08月02日

久し振りに聞く「大和魂」という言い回し

大相撲名古屋場所は最近にない活況を呈した。
迫力あり、確かに面白かった。

結果的には白鵬が13勝2敗で、
大鵬、千代の富士に続いて史上3人目となる30度目の優勝を成し遂げた。
ただ一方で、大関・琴奨菊と関脇・豪栄道の活躍もあり、
抜きつ抜かれつの優勝争いは「白鵬一強時代の終焉」を思わせる展開であった。

考えてみれば、優勝回数が29度から切のいい30度に1つ増えただけではある。
しかし昭和の大横綱に肩を並べた点は賞賛せざるを得ない。
白鵬は一人横綱時代の15場所中、10度の優勝を果たしている。
30度以上優勝した他の2横綱は、ともに1人横綱が3場所。
大鵬は優勝がなく、千代の富士は2度制覇した。

また白鵬は63連勝を25歳の時に記録している。
28歳の時に45連勝を記録した大鵬、33歳の時に53連勝を記録した千代の富士に
比較すれば、早い時期に全盛期を迎えたことになる。
特筆すべきは横綱昇進後は一度も休場がない白鵬のけが強さである。
ちなみに他の2横綱は10度以上休場している。

白鵬に衰えの前兆が見える一方で、活躍が際立っていたのは12勝を上げ、
5度目の殊勲賞に輝き、場所後に大関に昇進した関脇・豪栄道だった。
大関昇進の目安とされるのは、三役で直近3場所合計33勝とされてきた。
最低でも2桁勝利が責務とされる大関昇進のための高いハードルではある。

豪栄道の場合は32勝。
しかも三役で連続2桁白星を収めたこともない中での昇進は異例。
平成以降に昇進した大関21人のうち、目安の33勝に届いていなかったのは
千代大海と稀勢の里の2人だけ。
ただ千代大海は直前で幕内優勝を果たし、稀勢は里の3場所連続で2桁白星だった。

豪栄道の最大のプラス材料は
「昭和以降最長の14場所連続で関脇を務めている」点であった。
「2年以上にわたって大崩れせず戦ってきた」という長期の安定感が
判断材料になっている。
かくして「モンゴル人3横綱VS日本人3大関の時代」を迎えることにはなった。

「大鵬の32回の優勝」は、「王貞治の55本塁打」と同様に、
“アンタッチャブル・ゾーン”。
しかし横綱昇進以降は休場がない故障知らずの白鵬は、年齢からくる衰えの中で、
多少苦労はしても“32回”を乗り越えていくであろう。

ただ「8年半にわたって日本人力士が優勝していない」という点は
肝に銘ずべきであろう。
日本の国技たる相撲の世界は、
モンゴル中心の外国人力士が闊歩する世界になっている。
グローバルな時代、そんな風景も認めざるを得ないが、一抹の違和感は否めない。

一時は財団法人格を抹消される危機のあった大相撲はとりあえず蘇った。
大関に昇進した豪栄道は昇進を伝えられ、「大和魂を貫く」と口上を述べた。
久し振りに聞く“前時代的な”単語ではあった。
死語に近く、忘れかけていた。
日本人力士の奮起を願うばかりである。

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