2014年12月28日

「銀行の稼ぐ力」の衰退

慌ただしく駆け抜けた衆院選だった。
結果は自民が公示前勢力の295から291に微減。
公明を合わせた与党は326議席で横ばい。
一方野党は多くが伸び悩み、「自民一強」の構図に変化はなかった。
そして12月24日、第三次安倍内閣が発足した。

自民は16年夏の参院選で大敗しない限り、
次の衆院任期の18年までの長期政権が視野に入った。
今回の衆院選勝利を経て、結果的にアベノミクスを日本国民が是認した格好になり、
アベノミクスそのものも継続されることになった。
.
このアベノミクスの“異次元緩和政策”で、銀行の「稼ぐ力」が落ちている。
国内の収益力の目安である「総資金りざや」は、2014年9月中間期で、
全国112行のうち11行が逆ざやになった。

「総資金利ざや」とは、貸出金利と国債などの運用利回りから、
預金金利や経費などの資金調達原価を差し引いたもの。
資金運用で得る収益は、一般企業の売上高に相当する経常収益の約6割を占める。
マイナスは銀行が本業で損をする「逆ざや」になっていることを示す。

全国銀行協会の調べでは、13年度の運用利回りは1.10%。
5年前と比較すると0.55%低下している。
原因は至って簡単明瞭。
金融緩和で預金金利はほぼゼロに張り付く一方で、
貸出金や国債などの資金運用利回りの低下幅が大きいためである。

そして「薄利多売」方式も利ざや悪化に拍車をかけている。
これまで高い利回りを謳歌してきた住宅ローンも、主流の変動金利の相場は0.7%後半、
13年度の資金調達原価の0.96%を大きく下回る。
そして高収入など条件のよい個人客の争奪戦では相場よりも金利を低くせざるを
得ない状況となっている。

11行のうち地銀が9行。
そして3メガ銀行のうち三菱東京UFJとみずほが逆ざやとなっている。
結局、銀行の収益力を左右するのは海外での融資や手数料ビジネスなど、
金利以外の収入源である。
3メガ銀行の2014年9月時点での海外残高は約56兆円に上り、この1年で2割増となっている。

ザッと現状の銀行の姿を説明してきたが、(それを目的としたかどうかは別にして)
アベノミクスは、結果的に地銀再編の圧力となっている。
地銀が海外に進出で突破口を求めようにも、その資金力・経験値の欠如は勿論の
こととして、特に一人前になるには20年程度の時間が必要な人材の欠如は
もはや如何ともし難い状態となっている。

「攻めの金融=金融工学」を主眼とする現代の金融界において、
世界に対応する能力が地銀にはあるのか。
断片的な統合合併が行われてはいるが、焼け石に水。
「文科系」から「理工系」になっている金融界。
地域に密着することを標榜する「守りの地銀」の命運は明らかであろう。
3メガ銀行よる日本の100行を超える地銀の系列化は近いと思う。


2014年12月20日

自民圧勝で継続されるアベノミクスを検証する

2014年12月14日の第47回衆院選挙は、過去最低の52.66%の投票率だった。
ざっくり言えば、有権者の半分が棄権したことになる。
(自分を含めて)白票を投じた有権者も少なくなかったと想定すれば、
国民不在の(意味のない)選挙だったことになる。

「今なら勝てる」と師走選挙に踏み切った安倍政権、政権に思うがままを許した野党、
「棄権」を選択した有権者、三者の全てが曖昧ない、中身の薄い選挙ではあった。
そして結果としてアベノミクスを継続させることを是認することになった。

安倍晋三政権の経済政策(=アベノミクス)が克服しようとしたのは
「15年にわたるデフレ」だった。
第一次安倍政権が誕生する2012年末から数えて15年前とは、日本経済が金融危機に
見舞われた1997年末である。

「15年にわたるデフレ」というと、
その間、実質GDP(国民総生産)が伸び悩んだように捉えられかねないが、
02年から08年にかけては「戦後最長の景気回復期」と呼ばれ、実質GDPは1割拡大した。
ではなぜ「15年にわたるデフレ」と言わしめるのか。

21世紀に入ると日本経済は次の2点を起因する国際環境の変化に直面した。
第一に原油を始めとした輸入材料の価格が高騰したこと。
第二に、弱電を中心とした輸出産業の国際競争力が低下し、
輸出先への価格を引き下げざるをえなかったことである。

こうした交易条件の悪化の中で、
「海外から高く原材料を買い」「海外へ安く製品を売る」ことになり、
結果として「所得が海外に漏出する」ことになった。
つまりは「一生懸命働いた割には(実質GDPの拡大)、所得が海外に漏出し、
手元に残らないGDP(=実質国内総所得の伸び悩み)」となった。
これが「デフレ感覚」の実態であろう。

こうした日本の実態を無視し、財政政策と金融政策を合わせたマクロ経済政策を
総動員することで日本経済の回復(=デフレ退治)に乗り出した。
結果的にアベノミクスは政策効果がなかったばかりか、国家債務と日銀債務の
拡大を生み出すことになった。

日本国の借金は1000兆円を超え、
日銀の総資産は(日本のGDPの6割に相当する)300兆円を超えることになった。
このGDP比6割という数字は2割程度の欧米中銀に比して突出している。

現状は1600兆円と言われる(いつの間にか100兆円増加している…)個人資産が
日本国の借金の肩代わりをしていることになるが、
毎年50兆円の赤字国債を発行している現在、単純計算であと12年後(2027年頃)
には破綻する。とにかく“異常事態”には違いないのである。

為替面をみてみると、
通貨の貿易上の対外競争力を示す「実質実効為替相場(=2010年を100とする)」は
11月中旬で70.88で、1973年2月のから始まった変動相場制の中で最低となっている。
(実質的な過去最低は変動相場制移行直前の73年1月68.88)
つまりは無理矢理で過度な円安操作も限界に近いということになる。

百歩譲って、アベノミクスは手段であって、それ自体が目的ではない。
今回の選挙がアベノミクス継続のためのものであり、
今回の自民の圧勝が日本国民のアベノミクス是認のものであったとしたら、
日本は完全に迷い道に入ったことになるが…


2014年12月14日

ドル円の適正値を探る

アベノミクスを好感して円安に転じたドル円相場は、米国の景気回復を背景に、
金融緩和政策が終了し、政策金利の引き上げが始まるとの思惑から
ドル高(円安)が加速、120円を超える展開になっている。
円の最高値は75.50円近辺だったから、6割強の円安になったことになる。

一方で、欧州経済の低迷、中東・ウクライナ紛争、エボラ熱騒動、
そして好調といわれる米国経済に対する不安感も根底にあり、
直近では中国経済に対する不安感も噴出し、
急激にドル安に戻る可能性、およびタイミングを探る動きも活発になっている。

考えてみれば、先進国の中において日本ほど「円安=景気回復」という
(間違った)考え方が定着している国はない。
それには歴史的な背景がある。

第2次世界大戦の終結から71年のブレトンウッズ体制崩壊まで、
日本は1㌦=360円という固定相場制のもとで輸出主導型の経済成長を成し遂げた。
その過程で為替相場が輸出を左右する重要な要因であるという認識が定着した。

日本の輸出は自動車や弱電という裾野の広い産業製品が中心であったため、
為替問題は国民経済全体の重要な問題として、経済界は勿論、
政治やメディアの関心事となった。
特に1985年のプラザ合意以降の円高局面での注目度の高さはご存じの通りである。

ところが現在、「円安=輸出増加=景気回復」とはならない流れになって、
日本全体が戸惑っている。
理由は簡単である。
大きな要因はまず、日本企業の海外生産比率の上昇である。
1980年代以降、一貫して上昇し、2008年のリーマンショック後に加速している。

第2の理由としては世界経済の成長鈍化による輸入需要の低迷である。
特に欧州地域の低迷が顕著になっている。
しかし問題なのは、
日本の輸出の減少が世界各国の輸入の減少より激しいという点である。
日本のソニー、パナソニック、シャープ等の大手弱電の低迷はご存じの通りである。
要は、日本の製品の競争力がなくなったのである。

そして円安=経済回復とならない3番目の理由としては、
円安により(日本の)輸入価格の上昇で、消費が抑えられる結果となっている。
円安による実質的な価格上昇で、貿易赤字も増大している。
(原油は、ドル建て原油価格の急落で円建て価格は横ばいで推移しているが…)

要するに現在の日本は、
円安を日本経済回復の起爆剤にしたがるアベノミクスの思惑とは違い、
円安も困るということになる。
ならば問題は、「ドル円相場の適正な着地点はどこにあるのか」になる。
残念ながら、誰にとっても適正で望ましい相場は存在しない。

ただ1973年の変動相場制移行41年の歴史的事実(結果)から言えば、
ドル円相場は日米両国の企業物価・輸出物価から計算された『購買力平価』の
動きに沿っている点は認識すべきであろう。

円高・円安に振れ、購買力平価から乖離することがあっても必ず収斂している。
結局、為替相場は
「長期的にはそれぞれの通貨間の購買力の比」で決まると考えてよさそうである。

結論は「ドル円は1㌦=(現在の購買力平価の)100円に回帰する」。

2014年12月06日

朝の連ドラで脚光を浴びる「ウスケ一代」鳥井信治郎

世界から高評化を受けるジャパニーズウイスキー。
その歴史は約1世紀前、大阪商人・鳥井信治郎により扉が開いた。
NHKの朝の連ドラ「マッサン」が始まって、
「やってみなはれ」主義・サントリーの創業者・鳥井信治郎が再度脚光を浴びている。

鳥井信治郎は1879年、大阪の両替商・鳥井忠兵衛の次男として生まれる。
大阪商業学校を中退、13歳で薬の他に葡萄酒・ブランデー・ウイスキーなどの
“ハイカラ商品”を扱う道修町の薬種問屋に奉公に出る。
ここでの3年間で新感覚や洋酒の知識を深める。

その後博労町の絵具染料問屋を経て独立を決意、西区に「鳥井商店」の看板を掲げる。
1989年20歳の時だった。
当時の鳥井商店が扱ったのは葡萄酒や缶詰。
本場の優良葡萄酒を買い入れ、瓶詰で売り出すも酸味が強すぎて、不発に終わる。
1907年、試行錯誤の末、「向獅子(むかいじし)印甘味葡萄酒」を発売。
屋号も「寿屋」に改号する。

その後「向獅子印甘味葡萄酒」を、
赤くて大きな日の丸のデザインを採用した「赤玉ポートワイン」として発売。
当時としては画期的な新聞広告を掲載するなど、寿屋の屋台骨を支えるヒット商品となる。
創意で作り上げた製品の成功は次なるステップにつながっていく。

ある時、
古い葡萄酒の樽の中にリキュ-ル用のアルコールを忘れままにしたことがあった。
数年後明けると琥珀色の液体になっていた。
これを売り出すとまたたく間に売り切れた。
所詮は偶然の産物であったが、
「樽による(熟成の神秘的魅力」はその後の大きなテーマになっていく。
かくして「赤玉ポートワイン」の利益を元手にウイスキーづくりに乗り出すことになる。

当時ウイスキーはスコットランド以外でつくることは荒唐無稽と考えられていた。
製造の難しさだけでなく、仕込みから5年から10年かかる経費が大きな問題だった。
だが逆境にもめげず最適地を求め全国を歩き、京都の南西、天王山の麓、
山崎に巡り遭うことになる。
桂川・宇治川・木津川の3本の川が合流し、霧が発生し易く、
こんこんと湧き上がる良質な水。
本場スコットランドにも劣らないモルトの熟成に最適の地を探し当てたのだった。

時を同じくして、本場スコットランドでウイスキーづくりを学んだ竹鶴政孝と出会う。
これが連ドラの主人公になっている「マッサン」である。
竹鶴は大阪高等工業の醸造科を卒業後、摂津酒造に入社。
そしてスコットランドに留学。
しかし摂津酒造のウイスキー事業計画は中止になり退社、
そして寿屋に技術者として入社する。

1923年10月、山崎の工場建設に着手、翌年山崎蒸留所竣工。
1929年、日本発の本格ウイスキー「サントリーウイスキー白札」を発売。
この時初めて「サン(太陽)」と自分の名前・鳥井さんをもじった
「サントリー」が登場するのである。

それから8年後の1937年「サントリーウイスキー角瓶」を発売。
ウイスキーつくりを開始して13年、「ウスケ」と呼ばれたウイスキーが
初めて拍手喝采をもって世に迎えられることになった。
そして1950年に「サントリーオールド」を発売、サントリーバー、トリスバーが
次々に出店、ウイスキー文化は社会現象となった...

今回の朝の連ドラが始まって、復刻版商品が次々に売り出されている。
「ブラックニッカ」「ハイニッカ」「サントリー角瓶」等々。
今回の朝ドラの主人公は「マッサン」でもなく、その妻エリーでもなく、
堤真一の演じる「鴨居欣次郎」=鳥井信治郎と思う。

大阪発のサントリーの応援歌。NHKも洒落たことをする…


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