2015年01月25日

劇画もどき「安全通貨の乱」

現在の為替市場は完全にコンピュータ主導の世界になっている。
出される情報を千分の一秒単位でコンピーュタが捉え、オーダーを自動発信する。
JAXA「はやぶさ」が壮大な宇宙旅行をする時代。
それもありなんとは思うが、
1月15日から始まるスイスフランの暴騰は、絵に描いたような劇画の世界の
パターンとなった。

それが現代の金融市場であり、為替市場である。
そんな状況を十分知っているはずの、
世界に名だたる金融国・スイス国立銀行(中央銀行)は15日、自国通貨スイスフランの
上昇を抑えるために、対ユーロで設けていた1ユーロ=1.20スイスフランの上限を
撤廃すると発表した。
全く突然のタイミングだった。

2011年9月以来、無制限にスイスフランを売り、ユーロを買ってスイスフラン高を
防いできたが、欧州中央銀行(ECB)の量的緩和観測もあり、異例の政策の継続を
断念したと思われる。

スイス国立銀行は声明で、米国経済の回復を背景に対ドルでユーロとスイスフランが
下落してきたため、「スイスフランの過大評価は少なくなった」とし、
スイスフラン高を阻止する無制限介入は「もうはや正当化されなくなった」と
説明してはいる。

現実には、無制限介入に伴いスイスの外貨準備高は国内総生産(GDP)の7割を
超える規模に膨らみ、中央銀行の抱えるユーロ建て資産が際限なく拡大するリスクを
無視できなくなったと見るのが妥当である。
とは言え余りに唐突だった。

発表を受け、外国為替市場ではスイスフランが1ユーロ=0.86スイスフランと
30%近く急騰、またスイスの主要株価指数SMIは連日6%以上の下落となった。
スイスフランの絡むチャートは、教科書と言うより劇画の世界の様相を呈している。
対円に関しても、35円以上の上昇となり、というよりは一説には40円以上の高値を
つけたとの噂もあり、実体が見えていない。

こうした混乱の世界で損害を受けるのはまずFX取引業者(銀行含む)である。
百億円単位の損失が報告されている。

今回の“事件で”、近代金融の恐い部分を見ることになった。
コンピュータは世界中の“売り”を探して無機質に動き回る。
これまで人間中心の金融世界では“それはないだろう”との体感的な考え方が
先行していた。
ただ悲しいかなコンピュータにはそうした“何かへんだな?”との考え方は存在しない。
無機質に画面上の数字を追っかける…

今のところ日本の被害は軽微の模様だが、
世界の金融市場からスイス国立銀行に対する批判が出るのは必至の状況である。
金融のプロとして現代の金融市場のメカニズムがどうなっているかは
百も承知のはずであった。
プロとしての判断が必要であった。
ザックリ言えば“金融のテロ”と言われても致し方ない所作だった。

金融の世界から人間の感情が消え始めている。
これが「21世紀・恐怖の近代金融」のプロローグなのか…


2015年01月18日

原油価格急落と世界経済

昨年夏場に100㌦を超えていた原油価格は、半値以下になった。
しかし依然として底値は見えてこない。

その軌跡は価格が高騰した1970年代の反動が出た80年代と重なる。
1985年に1バレル=30㌦超だった原油価格は10㌦割れまで急落した。
価格帯は異なるが、30年を経過して同じようなパターンになっている。

今回の原油急落には3つの要素が重なった。
まず第一に米国主導で進んだシェール革命による供給ショックである。
米国の原油生産量はこの3年、日量100万バレルペースで増え、
OPEC(石油輸出国機構)のシェアは3割台まで下落した。
1973年、5割超えの世界シェアを武器に、価格決定権を欧米メジャー(国際石油資本)
から奪ったOPECの高成長神話が崩れたのである。

第二に、水素を燃料とする燃料電池車(FCB)など、石油=ガソリンを使わない乗用車
の台頭も見逃せない。
依然としてガソリンを使う乗用車が主流ではあるものの、地球温暖化現象を盾に、
ガソリンを使わない乗用車の研究が進んだことも需給の緩みに拍車をかけることになった。

そして第三に、昨年10月の米量的緩和の終了である。
余剰マネーの収縮が進み、(日本では先物全体に対する時代遅れの嫌悪感が残っている)
原油先物の買いが激減した。
この10年で進んだ原油の金融商品化は、1バレル=140㌦まで押し上げたが、
金融の引き締め局面では原油価格の下げをきつくする作用も果たした。
マネーがかさ上げしてきた原油価格が実際の実需に近づいている。

今回の原油急落は、アラブ首長国連邦(UAE)が今年から水道料金を徴収し始めたように、
中東各国にも多大な影響を与えている。
しかし最も影響を受けたがロシアである。
国家予算の半分を石油ガス部門に頼るロシアは、ルーブル急落に遭遇し、
10%の物価上昇となるなど、窮地に陥っている。

80年代の原油安で窮地に陥ったソ連は、改革に舵を切り、米欧との緊張緩和に動いた。
ソ連の解体プロセスが世界的動乱にならなかったのは、
当時の最高主導者ゴルバチョフ氏の功績である。

ではプーチン政権はどう動くのか。

結局、テーマとなるのは今や世界第二の経済大国となった中国である。
追い詰められた産油国は、原油の純輸入国である中国に頼らざるを得ない
状況になっている。
昨年5月、中国と大型のガス輸出契約を締結したプーチン大統領は、
シベリアの石油権益や、ロシア国営石油大手・ロスネチフ株の売却を
提案したとされている。

今回の原油の急落は「石油を必要としない時代」へのプロローグかもしれない。
ただ揺れる産油国は世界のリスクには違いない。
そして「中ロ接近」は、日本の安全保障上の最悪のシナリオである。
混沌の先にある新秩序とは何か。
どう対処するニッポン…


2015年01月10日

経済大国・ニッポンの戦後70年

2015年は戦後70年という節目の年。
新年にあたり、その70年をザッと振り返ってみたい。

第二次世界大戦で被った日本の傷は大きかった。
戦死者や空襲による犠牲者は約300万人。
機械設備・船舶等は大戦中の最大の水準から4分の1が失われた。
また1946年の鉱工業生産はピーク時の5分の1に落ち込んだとされている。

そんなどん底からスタートする日本のエポックは次の8点。
「1950年 朝鮮戦争」
「1960年 池田隼人内閣の所得倍増計画」
「1971年 ニクソンショック」
「1973年 石油ショック」
「1985年9月 プラザ合意」
「1989年 大納会で日経平均株価の最高値38,915円」
「1997年~1998年 金融危機」
「2009年3月 日経平均株価バブル後最安値7,054円」

1949年の卸売物価が戦前の208倍という激しいインフレの中、預金封鎖と新円の切替、
そして財産税徴収は国民生活を更に追い込んでいく。
そうした“絶望的な”危機を救ったのが朝鮮戦争だった。
兵站基地となった日本から軍需物資の輸出が急増、50年代半ばからの行動成長の礎と
なった。56年の経済白書は「もはや戦後ではないと」記す。

朝鮮戦争後の十数年間の日本は、平均10%という高い実質成長率を経験する。
その中で、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫、自動車、クーラー、自動車まで、
耐久消費財が普及した。
かくして池田隼人首相の唱えた「所得倍増計画」は実現する。

そんな日本経済が転機を迎えるのは「ニクソンショック」と「石油ショック」だった。
1971年、ニクソン米大統領は金ドルの交換を停止し、
1㌦=360円に固定されていた円相場は、1973年、変動制に移行していく。
そして石油高騰は、74年の消費者物価指数を22%を超える動きとなり、
戦後初めてのマイナス成長へとつながっていった。

こうした“アクシデント”を経ながら日本は、
60年代後半からは米国に次ぐ世界第2の経済大国と呼ばれるようになっていく。
世界はそれを「奇跡」と呼んだ。

しかし80年代になって暗転する。
急増する日本の対米黒字に対する批判が大きくなる中で、
1985年9月のプラザ合意による円高誘導に応じぜざるを得なくなる。
国内外で沸き起こった内需拡大の大合唱は金融の超緩和と結びつき、
バブル時代へと突入する。

バブルの絶頂(=象徴)と言われるのが
1989年の大納会で記録した日経平均株価38,915円。
しかし翌90年から株価の急落、92年からは地価の急落をもたらすことになる。
その結果が97年から始まる(不動産担保を中心としてきた)日本の金融危機だった。

21世紀に入って最初のエポックは、民主党政権の誕生とその失政だった。
75.32円という超円高と日経平均株価バブル後最安値7,054円を記録するに至る。
......

名目国内総生産(GDP)はこの70年でほぼ1000倍になった。
日本経済70年の歩みを振り返ると、前半は経済大国にのぼりつめた「成功の35年」、
後半は構造調整に苦しんだ「苦悶の35年」だった。

経済のグローバル化とIT化が進捗する中で、日本経済はどうなっていくのか。
少なくとも、一時は謳歌した「世界の経済大国である」との立場は危うい。
そして「成功の35年」に形成された日本の常識が通じる世界ではない。

2015年01月06日

謹賀新年

本プログにアクセスを戴いている皆様、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

今年のお正月は如何ですか?
自分は例によって実家に帰っておりました。
ただ帰った早々風邪をひきまして、例年の新年会ができませんでした。
関係者諸氏には深くお詫び申し上げます。

例年通り元旦の実業団駅伝、2日3日の箱根駅伝を見ておりました。
相変わらずの熱気で、見入ってしまいました。
また高校サッカーで、隣町の水橋高校が3回戦進出し、これもまた興奮しました。
無名の(はずの!?)水橋が、といった意外感がありましたが、昨年全国優勝した
富山第一を破っての出場となったとのことで、第一シードに選抜されておりました。
富山県代表が第一シードになぁ…と、しみじみ時代の流れを感じておりました。

年末年始恒例の、わけのわからないお笑い番組は、見向きもしませんでしたが、
偶然にも富山中部高校の特集(=百周年記念)番組を見てしまいました。
昨年12月には週刊文春(12月18日号)で日本の有名高校として選ばれており、
自分の出身校が日本の有名校に選ばれて悪い気がするはずもありませんでした。
ただ選ばれた理由は、ノーベル賞を受賞した田中耕一氏がいたからに他なりません。
アシストは「女性品格」の著者・坂東真理子女史といったところでしょうか。
「女性の品格」は、藤原正彦氏の「国家の品格」の二番煎じと思っておりましたが、
300万部超えとなれば、それはすなわち日本の論客とはなりますわな…

で、そのドキュメントは、百周年を迎え、校舎の新築なった富山中部高校生の
青春像を描いたもの。
最初から、受験校の富山中部に青春なんかあるんかいな、と懐疑的に見ておりました。

唯一のイベントである運動会が中心の青春ドラマ仕立て。
昔の百足(むかで)競争から進化(!?)した陸上ボート競走で、4連覇しただの、
夏の特訓するだの、勝って抱き合って涙するなどと、後輩諸君、ほんまかいな?
と斜めから冷やかに見ておりました。

そしてラストシーンの、夏休みらしき風景の中、ストレートヘアの女生徒と男子生徒が
すれ違い様、男子生徒が何やら話かけ、ぎこちなく答える女生徒の姿は印象的。
まさに青春ドラマ。
余りに馬鹿馬鹿しいので正確には覚えておりませんが、何たらの風が吹く(!?)…
で締められておりました。
そうですか、青春ですなぁ…と嫌味のひとつも言いたくなりました。
大体が長髪禁止で、坊主頭に着帽を義務付けられていた….
無味無臭の青春(高校)時代過ごした者の、負け惜しみでしょうね、きっと。

話は変わって、2015年の富山の最大のテーマは北陸新幹線の開通。
何かと「(開通日の)3月14日」が大々的に報じられております。
富山・東京間が2時間。
自分たちの学生時代、SL列車で10時間かかっていたことを考えれば、
ある種の革命ではあります。
しかし新幹線開通で、富山が本当によくなるのでしょうか。
確かに観光客は呼び込めるでしょうが、トンネル現象が顕著になり、
経済が弱体化するのではないかという危惧は拭えません。

所用あり、富山地方鉄道を使ってみました。
今から3年前だったでしょうか、三浦友和・余貴美子で「RAILWAYS」の題名で
映画化された、富山・宇奈月温泉を結ぶ富山地方鉄道、通称地鉄は
自分たちが高校生の時代、なくてはならない交通機関でした。
通勤・通学時には押すな押すなの超満員だったものです。

何年振りかで乗車してみて愕然と致しました。
中間点の上市駅から、二両仕立ての列車の乗客が自分ひとりになった…のであります。
おいおいマジかよ、と思って見渡したら、はるか後ろに男性客がひとり…
なんだこりゃ~って思いました。いくら車社会とは言え、乗客が二人かよ…

そして下車駅の中滑川駅に到着してまたまた愕然と致しました。
大体の様子は弟から聞いて知ってはおりましたが、あまりにひどい。
スーパが併設され、まがりなりにも小さな飲み屋があった駅舎は完全に消え去り、
ちんまりと最小限に無人化した駅には人影すらない。
人影どころか人間の匂いがしない。
全く人通りの途絶えた道をトボトボと帰ってきました。
あまりの変わりように、帰って焼酎を煽ってしまいました。

新幹線が開通すれば、こういったギャップが益々拡大するように思います。
我が滑川が、老人の街、消えゆく街になっていくのでしょうか…

とにもかくにも2015年が始まりました。
現状を直視し、微力ながらいろいろな意味で頑張ってみたいと考えております。
重ねて本年もよろしくお願い申し上げます・


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