2015年05月31日

安保法案を巡るドタバタ

最近の国会中継は、そんじょそこらの安直なドラマを見るよりも面白い。
で、(NHKの)国会中継は欠かさず見るようにしている。

5月27日、自衛隊の海外活動を拡大する安全保障関連法案の実質審議が、
衆院平和安全法制特別委員会を舞台に始まった。
各党の党首級の論戦となったが、重箱の隅をつっつくようなチグハグな論戦。
まるで劇画の世界の様相だった。

では白熱論議されている「集団的自衛権」とは一体何か。
憲法解釈を巡る論議なので簡単ではないが、
自分が理解している程度で説明してみたい。

「国家の自衛権」には二種類ある。
「個別的自衛権」と「集団的自衛権」である。

「個別的自衛権」とは、
自国が他国から攻撃されたり、侵略された時に自国を守る権利である。
日本国憲法では「戦争の放棄」を定めているが、自国を守る権利まで放棄した
わけではないと解釈されている。

一方「集団自衛権」とは、
自国の同盟国が他国から攻撃された時、自国が攻撃されたのと同じと考え、
他国に攻撃する権利とされている。
この「集団的自衛権」については国連憲章・第一章第一条で、
侵略行為などがあった時、国連加盟国が「集団的措置を採ることが可能である」と
明記している。

この国連憲章について、(内閣での憲法解釈に責任を持つ)内閣法制局は
「日本も自衛の権利は保持し、また集団的自衛権の権利も保有している」とする。
しかし日本国憲法第9条で
「武力の行使は、国際紛争を解決する手段永久にこれを放棄する」と
定めることから「集団的自衛権は行使できないのではないか」との疑義があった。

安倍政権は、上記の内閣法制局の疑義を否定し
「集団的自衛権を(ある程度自由に)行使できる」よう法整備をしようとした。
安倍政権は
「我が国を防衛するために必要最小限の範囲内」との制限の条件を付しているが、
「必要最小限」という”曖昧な”表現を巡って論議が白熱化している。
確かに、どの程度なのか、少しづつ拡大解釈されるのではないかとの
不透明感は残る。

日本は日米安全保障条約で、中国や北朝鮮からの軍事的に守られている。
そうした条件下で、
「米国が他国と紛争になった場合、ズルズルと戦争に巻き込まれる」リスクを
恐れているわけである。

第二次大戦戦後70年を経過し、
「戦争で一人も血を流していない(死者を出していない)国が日本である。」
「だから…」というテーマは、余りに虫が良すぎる話ではある。
米国から「日本のために自国の軍隊の血を流すのか」と反論されれば、
もはや反論できない。

今回の法案制定の背景にあるのは環太平洋経済連携協定(TPP)と思う。
TPPの本当の目的は「日米豪を中心とした安全保障態勢」である。
軍事面でも膨張する中国に対する抑止力である。要は中国包囲網の完成である。

本質が述べられないから、論議自体がチグハグとなる。
結局は「(隠れた)大前提が軍事同盟」であり、そのための「安保法案」と思うが…


2015年05月24日

戦後70年の日本

最近「戦後70年」をテーマにした論議が盛んである。
100年という大きな節目ならまだしも、
70年という(中途半端な)括りが本当に必要なのか?
という単純な疑問があるにはあるが、
とりあえず「戦後70年の日本の立ち位置」を検討してみたい。

戦後の70年は江戸幕府250年以来、久々に日本が経験する長い平和の時代であった。
日清戦争以降、太平洋戦争が終結するまでの半世紀、
総計すると日本はその半分近くの20年を超える年月を戦争に費やしている。

その平和と安定の時代に日本は、
世界に類をみない「(株式持合いを中心とする)」日本型・会社システム」を構築し、
日本経済は55年から73年にかけ「高度成長」を実現、さらに20年近くも経済成長を
維持できた。
79年に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が出版された時、
日本は栄光の絶頂だったのである。

だが栄光は「バブル」となり、90年のバブル崩壊と共に「失われた20年」が始まる。
その20年の間に米国経済は未曽有の高成長を謳歌する。
90年代の金融革命とIT革命を経た(株主主権を前面に出す)米国型の会社システムは
唯一の「世界標準」と見なされるようになり、
日本型の会社システムの終わりが宣言された。
日本の「第2の敗戦」だった。

結果論から言えば、戦後の日本の成長は、成長する過程で多くの重要課題を忘却し、
放置させるほど慌ただしいものであった点は否めない。
あらゆる制度や慣行が平和を前提として「凝固」し、
急激な変化や危機への対応意識が低下していったのである。

日本が危機を想定する必要がなかった一方で、世界情勢はめまぐるしく変転を続けた。
テロや戦争だけでなく、社会的・経済的なリスク要因は格段に増えていった。
その中で象徴的だったのは中国の「巨大化・強大化」「アジアの盟主化」だった。

20世紀のアジアでは「日本の突出した経済力の時代」であったため、
日本は「歴史的に常にアジアの先導者であり続けている」と考えるようになった。
実際は18世紀末からの工業化の成功によって、
「日本は中国からの威圧感から(一時的に)解放された」
とみるのが妥当なのにかかわらずである。

アジアの歴史を考えれば、
中国は日本をはるかに上回る経済力と人口を抱え持つ巨大国家だった。
「中国の国民性を好きか嫌いか」という論議はあるにせよ、残念ながら日本は、
間違った優越感を持ってしまったと考えるしかない。
1990年代の米国型会社システムにも陰りが出始めた現在、
もはや中国抜きの世界経済は考えられなくなっている。

こうした「戦後の70年」の論議がされる一方で、
高度成長時代に栄華を極めた、ソニー、パナソニック(松下電器)、東芝、シャープ等
日本の弱電企業の(壊滅的な)衰退が問題視されている。

日本型会社システムの転換期には違いない。
「戦後の100年」に向けた対策が練られなければならない。
が、的確な答は簡単に出てきそうにない。


2015年05月17日

箱根異変(!?)

箱根山(神奈川県箱根町)とは東西約8㌔、南北約12㌔のカルデラ火山の総称である。
その箱根山に対して気象庁は、噴火レベル1(平常)から2(火口周辺規制)に引き上げた。
黄金週間まっただ中の5月6日のことである。

箱根山は過去8千年の間に少なくとも8回噴火したとされる。
13世紀頃が最後と見られているが、
ここにきて火山活動の継続を示す群発地震が繰り返し起きている。
4月26日から増えだし、5日には最高の116回を記録している。

発生が心配される「水蒸気噴火」は、地表近くにある地下水の温度が急激に上昇し、
蒸気が爆発的に吹き出すことで起きる。
その蒸気を逃がすために岩石が吹き飛ばされることもある。
昨年9月の御嶽山(長野県・岐阜県)の噴火では、山頂付近にいた登山客57人が
死亡した例があり、箱根町でも警戒し始めた最中の出来事だった。

温泉あり、高原あり、湖水あり、今や世界的な観光地である箱根山には
1950年~60年代には産業史に残る「箱根山戦争」が起きている。
西武グループと小田急・東急グループが、
箱根観光開発でまさに仁義なき戦いを繰り広げた。

西武側が自社有料道路の小田急バス乗り入れを阻止する、
小田急側はロープウエーで対抗する芦ノ湖でも両陣営観光船が覇を競う…
抗争がとめどもなく続いたのは箱根という土地の魅力ゆえに違いない。

今や世界的な国際都市・東京から電車で約1時間。
箱根はまさに都会のリゾートではある。
こうした例はあまり詳しくは知らないが、自分が知っている限りでは、
スイスの首都・ジュネーブ(レマン湖のほとりの金融中心の国際都市)から
電車で約1時間のローザンヌあたりの環境だろうか。

かの(日本の)1980年後半~90年前半の狂乱バブル時代、
「箱根で温泉+ゴルフ」がゴールデン・コースだった。
料金はハッキリ覚えてはいないが、“異常な値段”だったことだけは記憶に残っている。

そして箱根を徹底的に全国区にしたのは、
ご存じ正月恒例の東京・箱根間往復の駅伝競走である。
もはや日本の正月の風物詩。
東京のど真ん中から、箱根の山登りを経て、ゴールが芦ノ湖。
翌日がその逆。
往復200㌔超を10人が襷のリレーで走り抜く…
考えてみれば「若いエネルギーの無駄遣い」と言えなくもないが、
「それが箱根だから」が大きなテーマになっている。

前述の箱根戦争は、バブル時代を経てすっかり終息し、
相争った両者が手を携える時代となっている。
「エッツ、箱根が??」という騒動である。
しかし考えてみれば「箱根は現役の活火山」だった。
今回の騒動も“オール箱根”で立ち向かうと宣言している。

人間が荒ぶる自然とどう立ち向かうか。
結局は人間が自然に試されているのだろう。

2015年05月10日

アジアインフラ投資銀行(AIIB)の検証

日本の黄金週間(GOLDEN WEEK)が終わった。
大体が「GOLDEN WEEK」とは和製英語で海外では通じないが、
とにかく日本伝統の大型連休ではある。

大都会・東京も例年、大型連休で環境の変化が起きる。
「(連休だから)東京から脱出する者」
「(連休だから)東京に出かけてくる者」の
いわゆる民族大移動が起きるからである。

そして今年は「(連休だから)東京に出かけてくる者」が目立った。
円安効果も相まって、アジア、特に中国からの攻勢がすざまじかったからである。
東京・銀座周辺しか経験してはいないが、
ど真ん中の銀座・中央通りや、築地界隈では、まさに中国人ラッシュ。
見かけは全く変わらないので、判別し難いが、まるで自国のように闊歩される。

“皆で渡れば怖くない”。
何か「日本が、東京が、中国に占拠された」ような雰囲気。
独特の集団パワーがあるから、日本人が小さくなって脇に寄せられる。
なんか日本の将来を見るようで怖い光景が続いている。

そしてその中国が、「アジア制覇&世界制覇」に向け動き始めた。
アジアインフラ投資銀行(AIIB)設立の動きである。
中国が設立を最初に提唱した2013年当時、本部は北京、総裁は中国人、
規模は1千億㌦程度、そして中国が出資比率50%までを用意するという
「中国による、中国のための、中国の銀行」構想だった。
従って国際金融機関とは認められないとの懐疑論が大勢だった。

その後中国は、自国の出資比率を引き下げることも含めて、構想内容を改定しつつ、
あの手この手で参加国を募ってきた。
それでも今年2月末までは発展途上国や新興国を中心に限定的だった。
ところが参加期限とされていた3月末まであと半月という時点で、
まず英国が参加を表明、その後は独・仏・伊、豪州・韓国と相次いで交渉参加を表明した。

結局、主要国では米国、日本、カナダだけが取り残される形で創設メンバーが固まり、
設立交渉参加国は50カ国を超え、
6月末の定款調印、年内発足の計画に勢いがついた格好となった。
日米両政府にとって独仏伊の参加表明は驚きだったのは言うまでもない。

AIIBの組織制度設計を巡っては3つの問題がある。
「出資比率が中国が断トツになること」
「融資案件・条件に関する懸念」
「既存の国際金融機関との関係」である。

根幹にある問題は、
(中国の思う通りにならない)国際通貨基金(IMF)やアジア開発銀行(ADB)に
対抗したいがためだけの、「中国による、中国のための」構想に過ぎない点である。

中国は「世界第2の経済大国にふさわしい地位を確立する」という国家戦略を掲げる。
それには「俺についてこい」という“上から目線”のスタンスが見え隠れする。
今回のAIIB設立に関しては、アジア開発銀行(ADB)では日本が出資比率トップで、
これまで歴代総裁ポストを独占していることに不満があるのは間違いない。

させてはならない、ややこしい国に力をつけてしまった。
中国パワーは次代の大きな難問である。

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