2015年08月29日

社会主義市場経済に破綻の兆し

日本がアベノミクスに酔い、世界の市場も株高に酔ってきたここ2年だった。
ただ余りに“甘い汁”を吸い続けることに疑心暗鬼になり、
「ネクストのトリガー(引き金)は何か?」が大きなテーマになった。
答は10人が10人「中国だろう」としてきた。
2008年のリーマン・ショック以降の世界経済を立ち直させたのは、
米国の金融緩和とその受け皿となった中国だった。
その中国に余りに問題が多かったからである。

世界に溢れかえるマネーは、先進国だけで吸収し切れず、
中国を中心とする新興国に向かい、株式や商品に流れ込んだ。
そして中国経済の変調と米の金融緩和の打ち止めで、
21世紀初頭を謳歌したバブルは幕を閉じようとしている。

最初の異変は、
何の前触れもなく8月11日から始まった「人民元の切り下げ」だった。
元の基準値は3日間で4.5%も切り下げられた。
「中国景気は想像以上に悪いのではないか」。
突然のタイミングの政策転換に動いた中国当局の意図を巡る疑心暗鬼も
不安に拍車をかけることになった。

反腐敗運動で党内の対抗勢力をほぼ制圧した習政権も、
経済が揺らげば責任追及の声が上がり、求心力に陰りが生じる。
そして(中国政府主導の)急激な元安は、巨額の対中貿易赤字を抱える米国を
刺激するだけでなく、海外資本流出を招くおそれもある。
それでも元安誘導に動かざるを得ないほど景気の減速に見舞われていることになる。

中国が過信し、見誤っていたのは、
「市場がグローバルに連動している」という点だろう。
これだけ世界経済に大々的に乗り出した以上、一国だけの景気・市場対策では
限界がある。
主要国が大々的に協調する必要があるが、共産党独裁と同義の「社会主義」と、
自由・解放を指向する「市場経済」のつなぎ目には、常に亀裂リスクが付きまとう。

経済が減速しているにもかかわらず、
昨年夏から今年6月まで上海総合指数は2.5倍になった。
株価の急上昇の背景には、中国政府の「株高政策」があった。
習政権が発した厳しい倹約令の影響で、国内総生産(GDP)の35%を占める
個人消費弱含んでいた。
政府は国営メディアなどを使って株高を導いた。
消費を底上げする狙いだった。

個人が貯めこむ資金を株式市場に流し込み、
企業の資金調達を後押しするだけでなく、
反腐敗運動で振るわない個人消費を底上げする…
完全な“官製相場”だった。
だが官製相場は突然崩壊し始めた。
あからさまのPKO(株価維持策)や銘柄の売買停止など、
市場の秩序を崩す(戦略とは言えない)戦略も株価下落は止められなかった。

8月26日、中国政府は追加記入緩和策を発表、とりあえず株価下落は止まった。
だが、中国経済の先行きへの警戒感は払拭されていない。
習近平主席は9月の訪米を始め秋には20カ国・地域(G20)などの国際会議が
目白押しになる。
国際批判を回避するため、メンツをかけた“何でもありの”施策が採られよう。
だが、人民元の切り下げを発端とする市場の混乱は、そう簡単に収まるはずはない。

何度も繰り返してきたように
「させてはならない国」を本格的に世界経済に組み入れてしまった。
混乱はこれからが本番である。


2015年08月22日

高校野球・職業監督は是か非か

残暑お見舞い申し上げます。

まだ終わったわけではありませんが、驚異的に暑い夏、
南国沖縄より高温の日々が続きました。
東京都内はヒートアイランド現象で、40度を超える毎日。
恒例の戸外でのトレーニングもままならないまま、部屋の中で過ごす日々で
ありました。

軽い夏休みのつもりで、ブログの更新をズルしましたら、
複数の方々から、生きてるのか?との連絡を戴いております。
大丈夫です、きちんと生きております。

今後も本ブログのアクセス、よろしくお願い申し上げます。

..................

今年の夏の高校野球全国大会は、
神奈川・東海相模が45年振り2回目の優勝で幕を閉じた。
1915年から始まって今年が100年ということもあり、予想以上に盛り上がった。
世の中には、ああした“暑苦しい世界”が嫌いな人もいると思うが、
朝の8時から夕方の6時位まで、これでもかこれでもかの野球漬けの毎日だった。

今年の特色は、東日本が優勢だった点だろう。
ベスト4が関東3校、東北が1校。
従来の、関西・中国・四国・九州の西日本勢の影が薄かった。
沖縄や北海道といった距離的なハンディは完全に消え去り、
西高東低→東高西低が顕著になった。

今年は、高校野球100年という言い方と共に、
昭和90年という言い方もよくされた。
つまりは、日本の高校野球は昭和になってから盛んになったとも言える。
前半の30年は故飛田穂洲氏(水戸中→早稲田大)の「学生野球の本分」が
テーマとされた。
つまりは「勝ち負け」よりは「修練の場としての野球」が最大のテーマとされた。

修練の場であるが故にネクスト、つまりは尋常でない金品が動くプロ世界や、
野球の本場であるMLB(米大リーグ)を意識する流れは
(忌避され)起きようがなかった。
「日本の野球は本場のベースボールではない」とし、
ある意味「武道」の位置付けだった。

その飛田イズムが変貌する(=否定される)のは、
昭和50年~60年の“昭和の中盤”からだった。
尖兵となったのは大阪・PL学園だった。
桑田真澄と清原和博の「KKコンビ」は昭和63~65年の甲子園大会に
1年生の夏からフル出場、桑田は甲子園で通算20勝、清原は通算13本塁打する。
そして飛田精神を受け継ぐ(公立)徳島・池田高校(蔦文也監督)を
PL学園が破って以降は、学校経営の広告塔としての位置付けが明確になっていった。

“平成の時代”からはまさに群雄割拠の時代になっていく。
大阪・PL学園・中村順司、東京・帝京・前田三夫、神奈川・横浜高校・渡辺元智、
石川・星稜・山下智茂、和歌山・智弁学園・高嶋仁、
茨城・常総学園・木内幸男、高知・明徳義塾・馬淵史郎等など、
ユニークで特色ある職業監督が、ある意味で選手以上に目立つことになっていく。

平成以降の高校野球は、1年から3年まで1000日に満たない時間で、
選手をどのように育て、そして“結果を残すか”にかかる競技になっていった。
結果を出せば、(当然ながら)監督の報酬が上がっていく。
他校からの高額での勧誘が必然的に出る。

言葉を変えれば、
「全国津々浦々から優秀なDNAを持つ選手を探し出し」
「1000日でそうした選手をどう使い切るか」
にかかる競技になったということである。
そして結果を求めるが余り、米国では考えられない“真夏の連投=酷使”が
恒常化していった….
結果を求めるが余りの「松井秀喜・5連続敬遠」は現在の高校野球の象徴である。

野球は今や日本の野球ではない。
膨大なカネが動く米国MLBにつながる世界となった。
きれいごとではないのかもしれない。
だが思う、高校野球プロ化の流れが尋常なのかと。


2015年08月08日

日経の英FT買収にみる情報社会の変化

21世紀に入って間もなく、
米ダウ・ジョーンズ社(DJ)と日本経済新聞(日経)が共同で、
主としてウォール・ストリート・ジャーナル(DJ主宰)や、
英フィナンシャル・タイムズ(FT)等の記事を中心に、
ディリー電子版を発行する事業を開始した。
メディア新時代に先駆けた動きではあった。

ダウ・ジョーンズ・ジャパンの代表が古くからの友人で、
青柳事務所もその制作に携わることになった。
毎朝午前3時起きで、午前8時頃までに記事にして最低30本程度の翻訳を
完了する業務だった。

PCを駆使する記事作成は新時代の画期的なものではではあった。
しかしさすがに経済専門誌の翻訳の難易度は高く、
(多少のばらつきあっても)5人程度の翻訳チームの苦闘の日々が続いた。
3年程度でその契約は終了となったが、
結果的に経済や法律、契約関係の翻訳は苦にならなくなった。
今から考えれば、貴重な経験だった。

それから10年超、日経がFTを買収すると発表した。
日経朝刊7月24日のトップ記事だった。
巷間では余り話題にされなかったが、
1888年創刊の欧州を代表する経済紙FTの買収はスクープに違いなかった。

買収金額は8億4400万ポンド(約1600億円)。
1876年に「中外物価新報」として創刊された“株屋”新聞・日経の、
まさにここ一番の大勝負。
読者数で世界最大の経済メディアとなったのである。

メディアの大型再編は2000年代以降、欧米で加速した。
07年には米ニューズ・コーポレーションが米ダウ・ジョーンズを買収。
13年には米国の名門政治紙であるワシントン・ポストを、
アマゾンの創始者であるジェフ・ベゾス氏が個人資産で買収した。

背景にあったのは新聞などの紙媒体主力のメディアの苦境だった。
インターネットの普及で紙媒体の販売や広告収入が減少。
08年のリーマンショックで景気が落ち込み、
広告収入が一段と減少したことが追い打ちをかけた。
紙の広告への依存度の高かったメディアは体力が低下し、
身売りや合従連衡を余儀なくされた。

一方で、紙媒体を持たないデジタル専業メディアが台頭した。
低コストで制作した記事を無料公開し、
デジタル広告で利益を出す経営モデルで急成長し始めた。
スマートフォン(スマホ)など、デジタル携帯端末の急速な普及で、
メディアを取り巻く環境は、国境や業態を越えて激変したのである。

考えてみれば、新聞を媒体にする情報は、
激変する世界にはついていけない時代となったのかもしれない。
スマホが即時に世界の情報を伝える時代である。
「朝夕に発行される新聞を待つ」時代ではない。

今回の日経の買収金額1600億円は確かに高額。
一部には「高値掴みではないか?」との見方もあるにはある。
ただ日本の日経がFTを傘下にすることで
「世界の日経」になるとあれば、多少の犠牲は致し方ないのかもしれない。
しかし凄い時代になったものである。


2015年08月02日

高校野球・百年物語

暑い夏である。
というより、最近の日本の夏の暑さは殺人的。

7月初め、ある(無謀な)実験を試みた。
窓を開けて風通しをよくすればなんとかなるわい。
熱中症、何するものぞ。
エアコンをつけずにどこまで頑張れるか、やってみよう…

30度超の環境を10日ばかり我慢した。
今まで経験したことのない症状が出始めた。
寝汗はかく、体がだるい、頭が重い。
二日酔いの症状とは何か違う。
エアコンを入れてみた。
あ~ら不思議、それまでの症状が一発で回復した。
要は軽い熱中症だった…

そんな異常な夏の日本で、恒例夏の高校野球全国大会が始まる。
1915年から始まった高校野球も今年が100年。
NHKでは「高校野球・百年物語」と題した特集を組んだ。
全国の都道府県別に、活躍したチームを紹介する内容。
本当に懐かしく、そして面白い。

活躍したチーム(高校)の名前を聞けば、当時の日本の経済環境も蘇ってくる。
自分が物心つくのは昭和30年代。
それは終戦後から10年を超え、「もはや戦後ではない」といわれた
近代日本の創成期だった。
そうした創成期に(記憶に残る)活躍したのは、
1950年代後半の“世界の王”の王貞治(早稲田実業)、
1960年の柴田勲のいた法政二高、
その法政二高を破った1961年の浪商(怪童と言われた)尾崎行雄。

高校野球の意味合いが大きく変わるのは高度成長時代後期の1980年代。
主役は大阪・PL学園。
桑田真澄と清原和博の「KKコンビ」は、
83~85年の甲子園大会に1年生の夏からフル出場、
桑田は甲子園で通算20勝、清原は通算13本塁打。
100年の球史で最も安定した強さと言われた。
PL学園は87年に春夏連覇を遂げるなど高校球界をリードしていった。

「KKコンビ」の活躍から、
学校経営の広告塔としての高校野球の位置付けが明確になっていく。
甲子園が各地域を代表する球児が活躍する場から、
全国各地からの“寄せ集め”の競い合いの場となっていく。
高校野球の監督を生業とする“流れ監督”も排出するに至る。
1980年代前半を境に、高校野球が(ある種の)プロ化していった。

1990年代は日本のバブルが弾ける時代。
そうした中で、日本の野球が世界に羽ばたくための人材が輩出した時代だった。
90年代前半は鈴木一朗(=イチロー・愛工大名電)、松井秀喜(星稜)、
後半が春夏連破の松坂大輔(横浜)など、上げればきりがない。

21世紀に入り、MLB(米大リーグ)で日本人選手が活躍する中で、
高校野球のレベル向上が顕著になっていく。
2006年に田中将大の駒大・苫小牧が全国制覇し、
2010年に沖縄・興南が春夏連破をした段階で、
日本全国の高校球児の“地域格差”がなくなり、
12年の春夏連破の大阪桐蔭など、従来の高校野球のレベルを超える
チームも出始める。

今年の夏の大会始球式で、第一回優勝の早稲田実業にちなみ、
同校出身の“世界の王”さんが始球式をすることが大々的に報じられている。
たかが高校野球、されど100年。
日本の風土に完全に馴染んだ「日本の若者の真夏の祭典」がまた始まる。

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