2015年09月27日

「史上最大の番狂わせ」の実態

21世紀のグローバル化の進捗&ITの進捗によって、
現在の主たるスポーツは全て世界的になり、
次々にワールドカップ(W杯)が開催されている。
陸上競技、野球、サッカー、バレーボール、柔道、卓球、体操、スキー…
数えたらキリがない。

そして画期的だったのは、BS系のTVで
そうした世界的なスポーツのライブ観戦が可能になったことである。
スポーツ試合は筋書きのないドラマ。
BGMとして一日中TVをつけっぱなしにしている自分にとって、
ごくごく自然に全てのスポーツ事情を知ることになる。

だがラグビーまで見ようとする方がどれだけいたのだろうか。
まずルールが細かくて、難解で、至極面倒くさい。
相撲のぶつかりに似たセットスクラム、タックルなど、
雨が降ろうものなら全身泥だらけになる。
怪我は当たり前の格闘技であり、言ってみれば華麗なスポーツではない。
まずは余程のマニアでなければ、特に若い女性が知っている例は少ない。

自分がラグビーに興味を持ち始めたのは、
入った大学がたまたまラグビーの伝統校だったからである。
「エンジの縞の早稲田」「濃紺の縞の明治」
「タイガー・ジャージ(黄色の縞)の慶応」の対決は、
秋から冬にかけての(観戦用の)メイン・スポーツとなった。
だがそれは、「野球シーズンが終わる」からという簡単な理由ではあった。

今回のW杯ラグビーも2018年に日本開催が決まっており、
何よりも「五郎丸 歩」という早稲田出身の名キッカーがいたからである。
入学と同時にレギュラーとなった「五郎丸」という選手を、名前を聞いた時から
注目した。
確かに将来的な素質は感じられたが、
何よりも「五郎丸」という苗字は一度聴いたらまず忘れない。
最初はそんな程度だった。

9月19日のW杯イングランド大会・ブライトンの快挙、
巨象・南アを破るという“奇跡”も、
深夜のBSで、「他に見るべき番組がなかったから見た」というのが本音だった。
勝てるはずがない。ラグビーに番狂わせはあり得ない。
実力のあるチームは最後には勝利を収める。
どうせ後半になって連続トライのボロ負け…そんなイメージだった。

ところが、である。
1991年の第二回大会の対ジンバブエ戦以来24年振りの勝利、
しかも終了間際の劇的トライで勝利という、まさに劇画の世界の展開となった。
日本だけでなく、世界が沸いた。
曰く、「190年以上の歴史があるラグビー界最大の番狂わせ」…

あんな深夜に、TVにかじりつく人間なんて多くないだろうと思っていた。
が、翌日からは「日本ラグビー賛歌」の嵐となった。
感激した、涙が出た等々…
まさに手のひら返しで注目され、期待が高まった。
ところが案の定、第二戦の対スコットランド戦は10-45のボロ負け。
中3日の連戦で、疲れがあったのは否めない。
TV観戦で熱烈応援する方も相当に疲れた。やはり余計な期待はすまい…

今回の日本大躍進にはW杯参加の条件が緩和されたことにある。
特に「その国に3年以上定住する」という条件がてき面に効果があった。
「桜のサムライ」の半数以上が純粋な日本人ではなかった…

日本代表チームの目標は「八強入り」。
夢物語ではなくなった。
つくづくと思う。
「世界的」とは「国境のない=ボーダレスになること」であると。


2015年09月20日

やがて哀しき... 安保国会のドタバタ

国際的な立場になって、冷静になって考えれば、
米中の対立が明確になり、中国の暴走が目立つ中で、
「日本だけがカヤの外」にいるわけにはいかないだろう。
戦後70年、これまでの“きれいごと”だけでは済まされない。
「カネさえ出せば何とかなる」
「それが政府の外交手腕だろう」とする従来の考え方は通じない。
憲法9条を盾に、“事なかれ”では済まされない。
有事=戦争に備えなければならない。
それが筋のように思う。
相変わらず“キレイごと”ばかりが上滑りしている…

9月16日から18日にかけての安保国会の混乱はドラマ仕立てだった。
そんじょそこらの安っぽいドラマにない刺激的で過激な永田町劇場発のTV中継は、
見る者を飽きさせなかった。
ただ安保法案の、「何が正しくて」「何が悪いのか」。
明確な“解”は全く見えなくなっている。
ただそうしたドタバタから派生する悪しき流れに驚いている。

日本の国会が混乱する中、主義主張の薄い若者集団の存在も明らかになった。
「自由と民主主義に基づく政治を求める」とする学生グループ
「SEALDs」=Students Emergency Action for Liberal Democracyである。
同グループは今年5月に立ち上げられ、現在は関西・東北・沖縄にも
それぞれの地域のシールズがあり、緩やかに横のつながりがあるとされている。

そのデモのスタイルは、ヘルメットにゲバ棒どころか、
若者専用クラブにでも通用しそうな格好で、太鼓を叩き、
ラップのリズムに乗せて「戦争するな」「国民なめんな」「安倍はやめろ」と
短いフレーズを連呼して場を盛り上げていく。
「カッコイイ」「楽しそう」「スタイリッシュ」「気軽に参加できそう」と
いったスタンスで“抗議活動”をする。

そうした軽薄集団・シールズの存在が表面化したのは、8月23日の集会で、
安倍首相の“どうでもいい”という国会での野次を逆手にとって
「どうでもいいなら首相をやめろ。バカかお前は」と言い放ってからである。
選挙を経て選ばれた一国の首相に対するバカ呼ばわりは失礼千万、
限度を超えている。絶対に許されまい。

1970年代以降、デモがダサい=政治に無関心、という時代が続いた。
それが第二次安倍政権になって若い世代に政治化する動きが出始めた。
百歩譲って、「(軽薄な連中であっても)政治に興味を持つ」ことは
悪いことではない。
ただ「カッコよさ」だけを追求する軽薄集団が、
一国の首相をバカ呼ばわりするのはどうしても許せない。

今回の安保国会では「徴兵制度」も俎上に上がっている。
現在の日本憲法下ではあり得ないだろう。
但し、20歳を越えたばかりの若者が、
自国の首相を「バカ」呼ばわりをするような風潮だけは消し去らなければならない。
“正常な日本国民”になるための“訓練が”必要なようである。
たとえそれが軍事訓練であっても、である。

国会議員の終わりの見えないドタバタが、日本の若者までを変えようとしている。
そうしたドサクサ紛れの風潮が怖いと思う。
面白うて やがて哀しき 鵜飼かな(芭蕉)…


2015年09月13日

「人工知能の時代」にどう対応するか

つい最近、「ジョージ・ソロスの父の手記」翻訳版を出版予定の方とお会いする
機会があった。
この20年、ソロス本を何冊も上梓した専門家として敬意を表して戴いた格好
だったが、果たして現代の若者に「ソロスの存在を理解してもらえるか」が
第一の疑問だった。

確かにジョージ・ソロスは、1980年代から約20年、世界中で、
「ヘッジファンドの帝王」とか「稀代の錬金術師」の名を欲しいままにしてきた。
使う相場手法も、W.D.ギャンのサイクル理論を駆使しているに相違なく、
当時は絶対的な知名度だった。

だが時代が変わって「はやぶさが5年以上の宇宙旅行をする時代」となった。
つまりは「人工知能が中心の時代」になってしまった。
そんな状況下で、人工知能は帝王ソロスを市場から駆逐してしまった。
「今更ソロスじゃないだろな」。
素朴で率直な感想だった。

約60年の歴史を持つ人工頭脳の研究は新しい段階に入り、
機械が自分で学ぶ技術の中でも能力の高い「深層学習」が登場し始めた。
例えば「ライオンの特徴は何か」というテーマを、
多くの画像から機械(コンピュータ)が自力で区別する時代となった。

今のソロスに、
(短期勝負に百戦百勝の)スーパー・コンピュータに勝る相場技術はない、多分。
あるとすれば「データとしての要素をつくる」こと、
つまりは「政治=権力と結びついて、相場を自分の有利になる方向に仕向ける」、
結論的には「ソロスが動いた」というデータをコンピュータに取り込ませること、
そんな程度であろう。

いずれにしても人工知能の技術は、今後も幅広く応用され、
人の職場を侵すことになる。
英オックスフォード大学の2人の学者は
「今後10~20年で米国の雇用者の47%仕事が機械に奪われる危険性が高い」
と2年前に予測した。
そして「電話での販売は99%、融資業務は98%の確率で機械に替る」としている。

だが一方で、科学者側から、
機械にはマネのできない「人間力を養う必要がある」と言い出した。
「デザインなどに必要な創造力の他、交渉力や指導力など『社会的知能』を
機械に求めるのは困難」
「創造力は人間の直観がモノを言い、社会的知に能は社会的文化に関する豊富な
経験と知識が必要で、コンピュータの言語では表せない」。

つい最近、日本の文部科学省が国立大学に対して、
文学などの人文科学や社会科学教員養成について組織の廃止を含む見直しを
求めて話題になった。
事務サービス系の仕事が次々と機械化される中で、不足感の強い理系人材の育成を
重視しよう、若者の将来のためにも日本の経済成長のためにも有用である、と。

現代の相場の世界は「儲ける」から「儲かる」世界を目指す。
つまりは従来の相場には「儲けるための人間の判断力」が絶対要素であったが、
現代の相場では(間違うこともある)人間の判断力できる限る排除し、
「儲かるシステムを構築する」流れにある。

現代の相場の世界で、コンピュータに伍して短期勝負に勝利することは至難である。
ただ最終的には(W.バフェット流の)「泰然自若、長期で勝負する」人間が勝利する
と思うが...

2015年09月08日

900号になりました

900号。何の号数??
種を明かせばたいしたことはありませんが、
青柳事務所が週刊で発刊している「びー・だぶりゅー・れぽーと」の号数です。
今週号が第900号になりました。

株式会社 青柳孝直事務所は1994年9月創立しています。
単発的なレポートは随時出して参りましたが、定期的に週一で出すように
なったのは1997年1月からです。
休刊は黄金週間、夏季休暇、正月休暇、つまりは年間50本の週刊レポートを
出してきました。

内容は主として「相場のテクニカル分析」です。
為替全般、株式指数(NYダウ、日経平均、ナスダック等)、貴金属・農産物などの
商品相場など、データが採取できるものは、全てやって参りました。
特に商品相場は、ドル建てと円建て双方になりますので、多い時には30種超の分析
をやってきました。
但し、株式の固有銘柄はお断りしてきました。
そこまでやると、もう際限がなくなりからです。

分析手法としてはチャート分析を基本としています。
ご存じかと思いますが、チャートには「日足=ひあし」「週足=しゅうあし」
そして「月足=つきあし」があり、ギャン理論をベースにそれら全部を分析し、
相場の方向を掴もうとするものです。

購買して戴いた顧客数は延べで1500人を超えています。(と、思います)
あくまで推定ですので、実際はもっと多かったのかもしれません。
日本ばかりでなく、NY、ロンドン、香港・シンガポール、豪・シドニーからも
申し込みあり、週末はレポートの作成・送付に追われておりました。
但し英文にする余裕がなかったので、日本語のみとしていました。

笑話のような本当の話ですが、
外務省出身の閣僚からとか、東京・小菅刑務所からの依頼もあったりして、
なつかしく思い出しております。

本ブログを開始してもう10年にもなりましょうか、ただテクニカル分析に
ついてはどうしてもチャート中心の分析ですので、ブログ上で説明するには
多少無理があります。

IT時代が進捗し、「はやぶさ」が5年も6年もかけて宇宙旅行をする時代になり、
相場の世界も急激に様変わりし始めています。
とにかく「日足」の形態がもはや無茶苦茶です。もう当てにはなりません。
要は短期の勝負は人間が行うものでなくなっています。

コンピュータが“勝手に”反応し・発信する世界。
そこには人間が介在しない。
つまりは、人間が考える「ま、こんなもんだろう?」「あり得ない!!」
といった“人間の尋常な”考え方は通用しません。
情け容赦なく、(乾き切った)数字が、人間の感性を超えて画面上を飛んでいく。
それが短期の金融世界の現状です。

ただ皆さん、ある程度は“人間を信じて下さい”。
時間の経過、つまりは“データの素”を組成する人間の考え方が時間の経過と
共に変わることについてまでコンピュータは感知できません。
結論的には「週足」「月足」は間違いなく機能しています。

大目標の1000号まであと約2年。
一度レポートをご覧になりますか?購読されますか?
青柳事務所は随時受け付けております。

PCベースでお送りすることもできますが、
ジックリと読んで戴くために紙媒体を基本としております。
従いまして郵送料等がかかります。つまりは無料ではありません。
誠に申し訳ありませんが、そのあたりをご考慮下さい。

何だCM!? 
結果的にそうかもしれません。今回だけはご容赦下さい。すみません。


2015年09月05日

中国問題の根源

9月3日、
「抗日戦争・反ファシズム戦争勝利70年」の記念行事と軍事パレードが、
北京市内の天安門広場で行われた。
「今更抗日?何で?」
「70年という年月に何の意味がある?」
「これじゃ、100年経っても、200年経っても、反日、反日かよ...」
天安門という、中国にとっても歴史的な場所を中心とした、
国家の威信をかけたすざまじい大々的なパレードだった。

米中という世界の二大経済が同時に転換期を迎えている。
特に中国経済の異変が混乱に拍車をかける結果となっている。
今更と思うが、中国経済の今までの流れと、根幹のシステムを
もう一度きっちりと見直してみたい。

ご存じのように中国は共産党の一党独裁である。
一党独裁は「法の支配」よりも「人の支配」を強くする。
一方で資本主義は自由を前提にしており、
「法の支配」特に「契約の安定性」を重要視する。
この二つの考え方は本来は真逆にある。

このギャップを中国はこれまでうまく切り抜けてきた。
何故できたかと言えば、中国が実践してきた資本主義は
「安い労働者を使って大量生産する『産業資本主義』」、
つまりはカール・マルクスが前提としていたイギリス産業革命後の資本主義
だったからである。

産業資本主義は、(農村から流入する)低賃金の労働者から「搾取する」ことで
高い利潤率を確保するシステムである。
日本も高度成長期まではそれに近い資本主義だった。
日本に限らず全ての資本主義国はまずはそこからスタートし、成長してきた。

結局、産業資本主義の原理は「安い労働力を大量に使う」という点にあったから、
共産党支配でも、日本のような官僚主導型でも、
欧米のような典型的な自由主義的な政策下でも“ある程度”は、
言葉を変えれば“初期の一定期間”は機能した。

ところが今から5年前あたりから、中国でもでも人手不足が言われるようになり、
賃金が上昇し始めた。
つまりは産業資本主義システムが機能しなくなり始めたのである。
そこで中国は、消費による内需拡大政策に走り始める。
第一弾が住宅振興政策だったが、すぐに行き詰まる。
(大方の予想通り)住宅市場のバブル現象が起きたのである。

それではと、習近平政権が始めたのが
株式市場を利用した“国民資産吸収”政策だった。
株式市場に国民の資産が流れるように仕向ける。
正確に言えば、株式バブルを煽る政策だった。
一時は中国共産党なら可能かと思わせた政策も、結局は“幻想”だった。

かくして、不動産バブルによる(隠れ)不良債権の存在や、
現実に起こった株価急落によって中国経済の先行きに黄色→赤色信号が
点灯し始めてしまった。
経済的危機に陥ると(戦前の日本と同様に)
愛国心を煽って国民の目を外に向けようとする。
そのプロパガンダが、今回の(反日をテーマにした)大々的な軍事パレードだった。

巷間では「共産党と経済的な権益の結びつき」を危惧し始めている。
本来自由であるべき資本主義が政治権力を維持する手段となった時、
古今東西、あらゆる国家は衰退している。
歪に大きくなり過ぎた中国は、今や“世界の爆薬庫”と言わざるを得ないのである。


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