2016年03月26日

「1日8時間・週休2日制度」見直しの是非

1970年代の自分の“丁稚時代”の一日。
毎朝5時起床。
5時半の始発で新所沢出発(西武新宿線)→高田馬場乗換(山手線)
→新宿乗換(中央線)→神田到着が7時過ぎ。徒歩5分で職場到着。

終業は5時となっているが有名無実。大体が午後9時前後に終業。
朝と同じルートで新所沢帰着。
乗り継ぎの待ち合わせ等で帰宅が11時頃。
時間的に考えれば、新幹線で東京・名古屋間を毎日往復していた勘定となる。

そして当時は土曜日は“半ドン”。つまりは午前中が恒常的に仕事だった。
コンピュータ時代前夜のオフラインシステムの時代。
何でもかでも機械への手入力が必要な時代だった。
電話は固定電話のみ。
(国際電話が高価なことから)海外からの情報入手や通信はテレックス。
とてつもなく時間がかかった。
それが東京外為市場が始まった当時の国際資金部のルーティンだった。

8時間労働どころか12時間労働は当たり前。
残業代を請求するのは「本人の事務処理能力が問われる」ことから、
上から言われなければ請求しなかった(できなかった)。
英会話や実務試験にも備え、準備も怠りないよう言われていた。
やなら止めてもらって結構、の冷ややかな口調。で、睡眠時間は3時間。
今から考えれば“無茶な”時代。
だが、「世界金融の先端を行く外国為替に関わっている」という自負心が、
そうした無茶な流れに耐えられた。
若かったし、何より熱く滾っていた。

8時間労働が定着したのは20世紀初頭。
大量生産による長時間勤務で健康を損なうと、
1919年に国際労働機関が「1日8時間・週48時間」を労働基準として定めた。

それから1世紀。
「週休3日」や「1日の労働時間6時間」が論議されている。
北欧を中心とした“画期的で近代的な”動きとの論調。
同時に「同一労働、同一賃金」の流れも起きている。
“(労働者の)人間らしい生活”の追及は認めるにして、
そうした一連のシステムで、果たして企業が企業として成り立つのかどうか。

毎年決まった時期に新卒学生40万人を一括採用する日本。
一方で、欧米では横並びの就活制度はない。
職選びは個人に委ねられ、キャリアは自分の実力次第。
従って学生は知識と経験を得ようと必死に学ぶ。
「就職したら仕事の内容も働き方も会社にお任せ」の日本とは
最初から格段の差がある。

そうした“お任せ”の仕事に嫌気して、
新たなキャリアを求めて転職や復職する数は年400万人。
経済の不安定さが増大し、企業が生涯守ってくれない時代との思惑が先行、
(安易に繰り返す)転職も当たり前の時代とはなっている。

日本の高度成長時代を支えた
「会社の都合の配置転換や転勤を受け入れて、職務を限定せず働くこと」を
前提に「高い給与と終身雇用」を保証する終身雇用制度は崩れた。
そうした制度を嫌い、転職を繰り返しながら「同一労働同一賃金」を
要求する時代である。

はからずも自分の丁稚時代の様子を紹介してみたが、
自慢するつもりもないし、正しいとも思わない。
ある種異常だった。
ただ今の世の中全体が安易に流れてはいないだろうか。
「1日6時間労働?」「週休3日?」。
大きな間違いをしているように思えてならない。

2016年03月19日

災後5年の金融市場

ここ2週間、
「3.11東日本大震災から5年」をテーマにしたTV番組を見せ続けられた。
まるで絵空事のような「想定外の事実」を、これでもか、これでもかとばかり
脳裏に叩き込まれた。
いずれにしても2011年3月11日午後2時46分、
「『戦後』が終わり、『災後』が始まった」のだった。

その『災後』の5年、金融市場はどのように変化してきたか。
為替相場をベースになぞってみたい。
まず震災被害の未曽有の大きさが明確になってくるにつれ、
「日本の保険会社が保険金の支払いに備えて海外資産を売却して円を調達する」
との思惑が広がり、同年10月に戦後最高値の1㌦=75.32円をつける。

その後は徐々に円安基調へと転換していく。
原因は大震災が引き起こした日本経済の構造変化だった。
震災は製造業の供給網を寸断し、生産と輸出に急ブレーキをかける一方で、
原発停止により火力発電のへの依存が強まり、
液化天然ガス(LNG)の輸入が急増、貿易赤字が31年振りの赤字に転落し、
経常黒字も前年比半減したからである。

経常収支は、
製品輸出や海外投資の収益などをあわせた日本全体の“稼ぐ力”を示す。
震災後には(理論通りに)経常黒字の減少から円安が進んだ。
そして円安基調を決定的にしたのは、
2012年12月に安倍晋三内閣が誕生してからだった。

アベノミクスが始動し、日銀の大胆な金融緩和を先取りする形で、
円相場だけが下落する展開となった。
それから3年半、15年6月に1㌦=125.86円まで円安が進行する。
そして2016年明け、
世界経済の先行き不安が先行、110円台での動きとなっている。

大きな変化は、まずは日本の経済収支の急回復が要因だった。
経常収支は14年まで縮小が続いたが、原油価格の急落などで大きく改善。
黒字幅は震災前のレベルまで回復している。

もうひとつの要因は、
13年3月に就任した黒田東彦・日銀総裁が約束した「2年で2%」の物価上昇は
達成できず、「金融政策は行き詰まっている」との見方が広まったことである。
マイナス金利政策の副作用も明らかになっているのはご存じの通りである。

(欧州の二番煎じの)“禁じ手”、マイナス金利導入は銀行の融資を増やし、
経済を活気つけるのが狙いだったが、地方銀行等では融資先不足は明白だった。
地方再生どころか、金融システムの危機を煽る結果となっている。
結局、資本主義の常識から外れたマイナス金利は、勤倹貯蓄を旨とし、
伝統的な資本主義の発展を支えてきた“奇を衒わない日本経済”が袋小路に
入ったことを物語っている。

黒田日銀総裁は無類の読書家で知られている。
高校時代、図書館の本を全て読破したという驚くべき逸話がある。
後輩が真偽を確かめたところ「小説を除いて」という答えが返ってきたという。
今必要なのはマクロ経済の論理でなく「マイナス金利の心理学」であろう。
この際黒田総裁に(下々が好む、まことにくだらない)小説を読んでもらい、
「人間は理論通りに動かない」ことを確認してもらうしかない。

ともあれこの5年の動きは、余りにランダムで掴みどころがない。
何が正しくて、何が間違っているのか…
大震災の緊急事態の対応を巡って史上最悪と言われ続けている元首相の
“捨てゼリフ”のように
「評価は歴史の判断に任せる」しかないのかもしれない。

2016年03月12日

寒ブリの記録的不漁騒動 -北陸新幹線開通から1年-

3月11日が3.11東日本大震災から5年、
3月26日が北海道新幹線開通とあって、
今となっては全く存在感の薄い北陸新幹線だが、
3月14日は、北陸新幹線が開通して1年になる“記念日”。

それこそアッという間の1年だった。
確かに便利にはなった。
東京・富山間は2時間10分、東京・金沢間は2時間半で結ばれた。
越後湯沢or長岡で乗り換える必要がなく、本当に楽になった。

自分の地元富山には、
富山駅の他、「黒部宇奈月温泉」「新高岡」の3つの新駅が誕生した。
速達型の「かがやき」と、停車駅が多い「はくたか」(従来のL特急と同じ名称)
の他、富山・金沢間にはシャトル列車「つるぎ」も利用できる。

1年経過した後の反応は?と言えば、東京方面では総じて好評だった。
概評は
「伊豆方面に行くのと時間も運賃も大した差異はない」。
「どうせ同じなら目先を変えて北陸に行ってみるか」。
確かに在来線より5メートルばかり高い場所から見る日本海や立山連峰は
相変わらずの絶景。
旅客機並みのシートとの謳い文句の居心地もまずまず。

ビジネス面を考えれば、当初の予想通りだった。
北陸三県では大都市と比べ割安にオフィスや工場用地を借りられるのが
最大のメリットだったが、企業の進出の話は余り聞こえてはこなかった。
YKKが、その発祥地である黒部市に本社機能の一部を移転させた程度だった。

観光面に関しては、さすがに古都・金沢のイメージアップは予想以上だった。
だが、富山県の場合、新幹線開通で格段どうのこうのと言える状況にはなかった。
富山の観光としてのテーマとして思いつくのは以下の5点だった。
「立山黒部アルペンルート」、「八尾おわら風の盆」「五箇山集落」「ほたるいか」
そして「氷見ぶり」。

立山黒部アルペンルートの出発点である宇奈月温泉は、関係者に拠れば、
駅名にその名が載ったことで、“お陰様で…”の世界だったと聞く。
だが、実家方面の“滑川(なめりかわ)・ほたるいか”はサッパリだった。
千載一遇のチャンス、何でいつもそうなんだろ。
根幹の積極対応策欠如、つまりはヤル気のなさの問題なのだろうが、
何かガッカリ、である。

それにも増して全くの予想外だったのは「氷見ブリ」の
(日経新聞等に特集が組まれるほどの)記録的不振だった。
県内の漁業者が今季(昨年10月~今年1月)水揚げした寒ブリは21㌧。
昨期の10分の1。
これは2011年に商標登録して以降初めてのことである。

ブリ。主として春から初夏にかけ東シナ海や九州近海で生まれ、
夏に北海道沖まで北上する。冬になると越冬や産卵のため南下する。
毎年こうした回遊を続け、「ワラサ」や「イナダ」と呼び名が変わる。
冬に水揚げされる3歳魚が「寒ブリ」。

このブリは20~30年周期で好漁場が移動し、
越冬や産卵の場所もコロコロと変わる“つかみどころのない魚”とされている。
富山県内ででは1990年度以降、20㌧台から800㌧超まで、
シーズンごとに大きく変動してきた経緯がある。

「お~い気まぐれブリ、どこへ行った???」。
たががブリ、されどブリ、頼むよブリ!!である。

2016年03月05日

マイナス金利下で進む地銀の再編

マイナス金利発表から1カ月。
その影響が頓着される中で、「ふくおかFG・十八銀行(長崎)統合」が発表された。
ザックリ言えば、「九州一円の地銀がひとつになる」ということだが、
正直言ってインパクトの薄い、今更感の強い内容ではあった。

今回のふくおかFG・十八銀行の統合により総資産が18.7兆円となり、
地銀首位となるが、以下、横浜・東日本が統合して4月に設立される
コンコルディア・フィナンシャル・グループ(17.4兆円)、
常陽・足利HD(14.8兆円)、千葉(13.5兆円)、ほくほくFG(11.7兆円)と
続いていく。

1990年代の不良債権問題を経て、日本版ビッグバンが標榜され、
都市銀行・信託銀行・長期信用銀行の集約が進み、
3メガ銀行や巨大信託銀行が生まれた。
反面、地銀・第二地銀は全国に105行が乱立し、再編は遅れていた。

だが世紀が変わって地銀の再編が急速に進んでいく。
2005年前後までは経営の体力がある銀行が、不良債権に苦しむ銀行と
合併・統合する救済型が一般的だった。
しかし近年は、人口減などによる経営環境の厳しさに危機感を募らせて
結集する流れになっている。

日本の金融が3大メガバンク中心になった大きな理由は、
IT機器の爆発的な発展により、
「世界的な広域取引に対応する」ことが要求されるようになったこと。
そして「国際金融(為替)+株式+保険」をも含んだ総合的な金融機関のみが
「従来の銀行」として認知される時代となってきたからである。
今後は、潤沢な「人的資源+財的資源」をベースに、
「世界の金融市場に対峙できるか」がポイントになってくる。

ところが、未だに地銀は「地元に根ざす」ことを標榜する。
新幹線・高速道等の交通網の爆発的な発達により、
「地元意識」は次第に薄らぎ始めている。
預金の出し入れ、国内送金などの小口金融は、
全国に網羅された24時間・365日対応のコンビニのネット網の整備で、
「9時~3時の銀行の必要性」がなくなり始めている。

一連の地銀の再編は、
3大メガバンクによる全国の地銀系列化作業の一部だと思う。
「細かいのをまとめて、時期がきたら一網打尽にドカン」。
一連の地銀再編劇は、最終章の「3大メガバンク」による
「日本の金融機関の整備・統合」につながっていく。

この「3大メガバンクによる日本の金融機関の整備統合」は、
マイナンバー制度の整備による「日本国民一人一銀行口座」につながる。
税収に悩む日本国は、日本国民の資産をガラス張りにしたいのは明白である。

マイナス金利という劇薬を打った黒田体制も次の一手がなくなっている。
「総資産の増大」は経営リスクを増大する時代となった。
地銀にとって「総資産10兆円」は大きな目標となってきた。
だが考えてみれば、
総資産10兆円とは、世界の大富豪ビル・ゲイツの保有資産(8兆円超)並み。
今や何の意味もない。

地銀が消滅するのか???
消滅しても誰も驚かない、多分。


カテゴリー

アーカイブ

最近のコメント