2016年10月29日

歴史は繰り返す。再度のポンド危機にもがく英国

10月7日、
英ポンドは一時1ポンド=1.18㌦台となり、31年振りの安値に下落した。
また英国の貿易相手国との為替レートを貿易額で加重平均した
ポンドの名目実効為替レート(2005年1月=100)も73台に下落、
過去最低水準をつけた。

10月18日、
英政府統計局が発表した9月の消費者物価指数(CPI)は、
前年同月比で1.0%上昇した。事前予想の0.9%を上回り、
8月の0.6%から拡大、2014年11月(1.0%)以来の高い伸び率となった。

6月下旬のEU離脱決定から4カ月。
直後に囁かれたような英経済の急減速は表面化してはいない。
ポンドの大幅安で輸出が増加しているためである。
ただ一方で、英中銀はこの8月、
17年と18年の経済成長率見通しを大幅に下方修正している。

こうした中、英中銀・カーニー総裁は「更なる金融緩和を辞さず」と言明、
「インフレ率の上昇は大目に見る」と発表した。
更なる金融緩和はポンド安と高いインフレ、そして低成長を招きかねない。
言ってみれば新興国が抱える経済状況に似てきている。

基本的な部分に返って現状を考えてみたい。
これまで英国の外交は「3つのサークル」で考える必要があると言われてきた。
1番目は米国との「特別な関係」。
2番目がインドなどの旧植民地からなる英連邦との結びつき。
3番目が独仏はじめとする大陸欧州とのつながり。

英国が欧州経済共同体(EEC)と当初距離を置いたのも、
大陸欧州よりも米国や英連邦との関係を重視したからである。
主軸は米英関係で、EECはその手段。
そうした功利主義を大陸欧州は拒み続けた。

特に仏大統領ドゴールは英国を「米国のトロイの木馬」と喝破し、
大陸欧州の米国化を警戒した。
結局英国が、欧州連合(EU)の前身である欧州共同体(EC)に加盟できたのは
ドゴールの死から3年後の73年だった。

EC加盟後も英国の独自路線に大きな変化はなかった。
79年の欧州通貨制度(EMS)設立の際も、
相場安定のための為替メカニズム(ERM)参加を見送っている。
さらに同年に誕生したサッチャー政権が英国と大陸欧州との溝を深めていった。

その英国がERMに参加するのはメージャー政権誕生直前の90年10月だった。
当時は東西統合に伴うインフレを抑制するため、独は高金利政策を採ったが、
それに対抗しようと高目誘導したため、英国の国内経済は疲弊した。
「ポンド切り下げが必要ではではないか」との雰囲気の中で、
登場したのが稀代の相場師・ジョージ・ソロスだった。

ソロスに100億㌦(現邦貨で1兆円超)の売りを仕掛けられた英国は、
介入や利上げで防戦したものの結局は力尽き、
92年9月蔵相ラモントはERMから離脱を発表する。
深刻なポンド危機を経験したこの日を「暗黒の水曜日」と呼ぶようになる。
と共に、ジョージ・ソロスの名は末代までも金融史に残ることになった。

10月29日の海外市場では1ポンド=1.21㌦台をウロウロしている。
米大統領選挙を目前に、打つ手なしの感。
時代が変わっても、
唯我独尊・大英帝国の、功利優先の手法に何ら変化が見られない。
歴史は繰り返されるようである。


2016年10月22日

文学とは何か?紙媒体の文学の転換期!?

大学1年の初夏。
「週刊サンデー毎日」の対談に応募して採用された。
東西線・竹橋駅真上のパレスサイドビルの毎日新聞社に集まったのは
女性1人を含む4人。
今となってはメンバーの容姿の記憶は全くないし、掲載された“ブツ”も、
どこにしまったのか手元にはない。

興味半分の応募だったが、
高校を卒業して間もない若輩者が、熟練の諸氏に敵うわけがない。
特に「ベトナムに平和を連合」通称ベ平連の女性には
完膚なきまで“論破”された。
たしか5ページ建ての特集記事で、
掲載された発言が「そうですよね」の相槌だけだった。
慣れないスーツ姿の写真入りの紹介文には「純な早大生」となっていた。
ものの見事に完璧に“完封”された。

その時に話題となったのが
“反戦歌”だったボブ・ディランの「風に吹かれて」だった。
ラジオの深夜放送全盛の当時、確かに聞いたことのある曲ではあったが、
それがロックであり、フォークの原点であることなど考えたこともなく、
また知る由もなかった。

恋愛を歌った歌謡曲が中心の時代であり、
「風に吹かれて」の一見寂しげな翻訳歌詞やメロディが恋愛がテーマではなく、
実は世の中の現実や厳しさを描いているということがキッチリ理解できたのは
それから4年も経って、大学を卒業した頃である。

ボブ・ディランが登場する1960年代は公民権運動やベトナム反戦など、
若者の政治意識が高まった時代である。
「どれだけ多くの人が死んだら、
多くの人が“人が死に過ぎている”ことに気付くのか」
「答えは風に吹かれている」。

「Blowin’ in the Wind=(邦題)風に吹かれて」でディランは、
音楽的にはフォークにロックを融合させながら、
象徴や隠喩を多用した難解で複雑な歌詞を追求していった。
曲が長くなろうが、字余りになろうが、
自分の言いたいことや文学性を優先させて歌い、発表して半世紀を経て、
後世にも歌い継がれる世界の名曲となった。

そのボブ・ディランにノーベル文学賞が与えられることになった。
受賞理由は、「ロックに言葉を与え、ロックを芸術にまで高めた」となっている。
ポピュラーソングの作者がノーベル賞に輝いた例は過去にはない。
発表になった時の第一声は、一概に「ええっ!」だったのではないか。
自分は「他にいないのかよ?」とも思った。

この時期、毎回候補に上がり、結局は受賞できない日本の有名作家が話題になる。
代表作が「ノルウェーの森」。
だが、浅はかな自分には、何回読んでも1970年代の日本の学生のノスタルジィを
綴っているようにしか思えず、世界に通用する文学か否かは疑問だった。
今回、ディランが受賞したことで、受賞の可能性が薄らいだとみるが、
考え過ぎだろうか。

スマホ時代の全盛で、紙媒体の文学の存在が薄らいでいる。
「本を読む」時代が終わったのだろうか?
肝心のディランは「授賞式に出るのか出ないのか」黙して語らず、である。
風に吹かれて生きるディランらしいとも言えるが、
やはり時代の転換期なのだろう。
文学とは何か、ノーベル賞の権威とは何か。
移りゆく時代の中で、違和感を楽しむ(!?)しかないのかもしかない。


2016年10月15日

時価評価200億円。日本製サイボーグ

10月なのに真夏日が続いた日々から解放され、ようやく秋らしくなった。
多分「秋という期間」は短く、すぐに冬になるのだろう。
とは言え、読書の秋、そしてスポーツの秋である。
特に最近では、IT技術の進捗で、日本のスポーツばかりでなく、
世界のスポーツ番組がたっぷり堪能できる。
かくして今週もまたスポーツネタであります。

日本のプロ野球のエキサイト・シリーズ&日本シリーズ、
米国ではMLBのポストシーズン、サッカー・W杯最終予選等々があり、
ついでに13日から始まったゴルフ・日本オープンでは、
松山英樹+石川遼+アダム・スコット(豪)の「米ツアー3人衆」のプレーが
たっぷり視聴できた(NHKBS1)。
アダム・スコットは予選落ちしたが、愛好者にはたまらない展開ではある。

野球に関しては、
ほとんど同時に、日本のプロ野球とMLBのホットゲーム(真剣勝負)が
見れることで自然と実力の比較ができる。
その中で誰の目にも分かるのは
「日本ハムの大谷翔平はもはやMLBでも最上級の扱いをされるだろう」
ということである。

コントロールを重視し、八分目の力で投げて160㌔の連発、
140㌔台後半のフォークを投げる先発型投手はMLBにも見当たらない。
日本においては「異次元の選手」であり、
今の段階でMLBのポストシズーンに参入していっても
相応の結果を残すだろうという点において、反論する者はいないだろう。

問題なのは「大谷が投打において一流である」という点である。
評論家からは「邪道」と言われながら大谷の投打二刀流はスタートした。
だが11.5ゲーム差のあったソフトバンクを倒した4年目の今年、
諸般の非難は完全に消え去った。
「投手で打順一番、第一打席本塁打」は劇画でも想像できない世界だった。
あきれて、ただひたすら苦笑いするしかない。
それが「異次元・大谷ワルード」ではあった。

今年の大谷の投手としての成績は10勝4敗、防御率1.86、
打者としては打率3割2分2厘、本塁打22本。
今年の日ハム・栗山英樹監督の“出したいという誘惑”の中で、
疲労に配慮し、ギリギリの判断の中で大事をとった結果、
投打ともに規定投球回数、打席に達せず、個人記録の面では名を残せない。

だが今年の大車輪の活躍で、
日本シリーズで4連投4連勝した杉浦忠、シーズン42勝の稲尾和久(西鉄)など、
昭和の英雄たちに通じる劇画的なスター選手となった。
長嶋茂雄巨人軍永久名誉監督は「ミスター」、松井秀喜は「ゴジラ」。
プロ野球のスター選手には愛称がつけられるが、
大谷に使われ始めた愛称は「サイボーグ」。

大谷の近い将来のMLB行きは規定路線。
個人的な意見を言わしてもらえれば、二刀流をそのまま継続するのではなく、
投手にも打順の回るナショナル・リーグに「投手として入団」を期待したい。
投手大谷の肩は「酷暑の夏の甲子園で使い切っていない」からである。

かくしてMLBの複数球団が現時点のサイボーグ・大谷につけた時価の評価は
(最低で)「8年契約200億円」。

2016年10月08日

プロとアマの差

「棒を振り回して野原を走り回る」スポーツ。ゴルフ。
「紳士のスポーツ」だの「社会人の常識」だのといわれ、
バブル時期には年間70ラウンドもした。
要は土日連チャンだった。
それだけ回ればマグレもある。80台も何回か出た。
それが今や百獣の王(110台)である。

1980年代から90年代前半、
日本のビッグスリーと言われた青木功、尾崎将司、中嶋常幸のAON全盛の時代、
ゴルフの中継番組も全盛だった。
そのビッグスリーが、
マスターズ、全英オープン、全米オープン、全米プロの世界のメジャー4大大会に
出場して結果を残せないにしても、それは当たり前と考えていた。
結局は日本国内大会ファースト、内弁慶だったのである。

21世紀になってAONが衰えを見せる中で、
日本国内のゴルフ中継に人気がなくなり、
ゴルフ大会の数もゴルフ場の数も漸減状態になっていく。
最大の要因はIT時代の進捗だった。
世界の4大大会は勿論、世界中の主たる大会の中継をライブで視聴できるように
なるにつれ、日本のゴルフ場のコース設定が甘すぎることに気づいていくのである。

「接待の場」である日本のゴルフ場がそんなに難しいコース設定である必要はない。
当然のような論理だった。
ハーフ回ってアルコール付きの昼食。少し酔って残りのハーフ。
ゴルフとは「棒を振り回して野原を走り回る」中での社交のためのものであり、
結局は「接待のクラブ巡り」と大差ない。
日本のゴルフは、スポーツという点から言えば、間違った方向に進んでいった。

かくして日本全体がゴルフという、朝から晩まで丸1日かかる作業に疲れ、
飽きていった。
そして甘いコース設定の中で、日本のプロゴルファーの実力も、
世界から絶望的に離されることになった。
そんな環境の中で、海外を主戦場に選択し、活躍する松山英樹は見事というしかない。

日本のゴルフ中継の人気がなくなった理由も明確である。
ほとんどがダイジェスト版であり、大事な場面でのCMの乱打では、
興味も殺がれる。
女子プロの大会にしても、プレーを見るのでなく、
パキパキの着衣で厚化粧の女子プロの容姿に注目が集まる。
基本は「誰がキレイなのか」「誰が好みなのか」かの、“クラブ”仕様である。

こうした中でここ2~3年の公共放送NHKの改革(!?)は見事だった。
第1日目から最終日までぶっ通しで流す。
フェアウェイを歩く選手の姿もキッチリ映す。
まるで自分がプレーしている気になる。
本来の純粋なスポーツ中継に戻っている。

そのNHKが放映した第49回日本女子オープンは
アマの活躍が目立ち、見ごたえがあった。
優勝したのは高校3年の畑岡奈紗だったが、
第3日に単独首位に立った高校1年長野未祈(ながのみのり)の
プレー振りは見事だった。
贅肉のない足が印象的で、鍛錬したアスリートのそれだった。
またアマらしく、土袋持参で丁寧に後始末する姿も新鮮だった。

今回の大会では
日本の女子大会で初の「490ヤードパー4(17番ホール)」が設定された。
無理を承知で英断した大会関係者に拍手を送りたい。

優勝した畑岡奈紗、6位の西村優奈(高1)、
そして結局10位に終わった長野未祈も全て、
中嶋常幸の主宰するゴルフアカデミーの生徒という。
韓国勢に押される日本勢に業を煮やした日本のレジンドの乾坤一擲。
今後に期待したい。

ゴルフのスキルアップが絶望的となり、小うるさい観客に回った今、
スポーツとしてのゴルフを堪能したい。
とりあえず女子プロゴルフに厚化粧は不要と思う。

2016年10月01日

全米最大のTVショー

9月27日、日本時間午前10時から始まった米大統領選TV討論会。
世界情勢も左右する次期米大統領に果たして誰がなるのか。
当日は米国内だけでなく、全世界が注目のうちに放映された。
米国内だけで1億人の視聴者があったと伝えられている。

今回の大統領選挙は、
女性初の大統領を目指す民主党・ヒラリー・クリントン候補(以下ヒラリー候補)、
暴言で大衆の気を引く共和党・ドナルド・トランプ候補(以下トランプ候補)
の対決ということで、従来のように政策がどうのこうのというより、
まずは“物珍しさ”や、「どちらに欠陥が多いか」に関心が集まった点は否めない。

TV討論会では候補者の立ち振る舞いや、言葉の選び方次第で与える印象が変わる。
まずは「見た目」。
で、当日の服装と言えば、ヒラリー候補は赤いパンツスーツ。
赤は活動的な印象を与えるため、
健康不安を払拭したいとの選択したものと思われる。

かたやトランプ候補は「大統領らしさ」を醸し出そうと、
いつもの赤のネクタイではなく、落ち着いた青のネクタイだった。
赤は共和党、青は民主党のシンボルカラー。
図らずも敵対陣営の色を身にまとったことにはなる。

NHKBS1での討論会放送を開始から見た。
同時通訳の女性(トランプ候補の通訳もなぜか女性)の日本語があまりに早口で、
また翻訳がやや曖昧で、内容がいまひとつ掴み難い。
従って両候補の生の声を聞くことになったが、自分の理解度は8割程度。
ただ政策的にはこれまで伝わった以上のスペシャル情報が出てこない。
目立ったのは日本の掛け合い万歳に似た中傷合戦。
厳粛であるべき論戦に、
してはいけない表現かもしれないが、“それなりに楽しめた”。

今回は第1回目だったが、
第2回は10月9日、3回目は10月19日に開催予定となっている。
1回目、3回目は討論方式だが、
2回目は有権者から質問を受ける「タウンミーティング」方式が採られる予定。
第1回目の討論会ではクリントン候補の“受けのうまさ”が目立ったが、
2回目の「タウンミーティング」方式も面白そうである。

しかし凄いなと感心したのは、2時間という短くない時間に、
立ちっぱなしでガチの討論をしたという点。
終わったらガクッと座り込むことになったとは思うが、
健康が不安視されたヒラリー候補の立ち振る舞いは、予想以上の出来だった。
日本にとっては馴染のあるヒラリー候補の当選を望む声が多いが、
どうやらヒラリー勝利の気配である。

時を同じくして26日から始まった日本の臨時国会。
原稿棒読みスタイルに覇気はなく、情熱が感じられない。
だからアメリカ流の“決闘方式”がことの他、新鮮に映った。

政治論争の場をTVショーだと表現することは不遜とは思う。
だが28日から始まった東京都議会での小池都知事の劇場型方式は、
国会以上に注目を集めている。

結局、近代の政治もIT時代を十分意識しなければならないと思う。
劇場型・小池都知事の登場で、いままで厳粛に映ってきた従来の
密室型・根回し中心の日本型手法はいかにも古臭く映る。
好むと好まざると、変革すべき時期なのだろう。

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